甘いご褒美

人生

 甘いご褒美




 最近、友人の原空はらからの様子がおかしい――それを強く意識するのは、昼休み、一緒にお昼を食べている時だ。


「……それだけ?」


「え? あ、うん。あんまり食欲なくてさ――」


 私のお昼が持参したお弁当――ご飯と、おかず――なのに対し、原空は購買で買ってきたおにぎり一つなのである。おかずを分けようとしてみるものの、原空はいらないという。午前最後の授業が体育だったのもあって、私なんかお弁当だけでも足りないくらいなのに、原空は私のご飯の量よりも遥かに少ないお米でつくられたおにぎり一つだけ――これではまるで私が大食いのように見えるのだが、それはともかく。


「……大丈夫?」


 私は不安になってたずねた。何が大丈夫なのかという話だが、それは私にもよく分からなかった。


「大丈夫だよー」


 と、不思議そうな顔をしながらも、原空は笑ってこたえた――何が? 何が大丈夫なんだろう?


 最近、原空は小食だ。真っ先に思い浮かぶのは、「ダイエット」でもしているのではないか、という疑問。


 原空は昔、少し太っていた。小学生の頃の話だ。そのせいで男子どもからいじめられていた――からかわれていたという程度だが、原空すればそれもじゅうぶん立派ないじめだろう。立派ないじめという言葉に首を捻りたくなるが、それはともかく――


 私はそのことに責任の一端を感じていた。何を隠そう、原空を肥えさせた一番の原因が私だったからである。その頃の私はお菓子作りが趣味で、新しいものをつくっては原空にあげていて、彼女が喜んで食べてくれるものだからそれが嬉しくなって――という悪循環。みるみるうちにふくよかになっていった友人の姿を見て、何も感じないのは無責任というものだろう。


 最近の原空といえば――背丈の割にはふくよかな方ではある。でも、別に肉がつきすぎているという訳ではない――他者からすればそう見えるだけで、本人からするとじゅうぶんに「太っている」と感じられるのかもしれないが、それでも――無理に食事制限をするほどではないと私は思うのだが……。


 加えて言うと、最近の原空は元気がないように見える。これは完全に私の主観で、今も平気そうに笑っているのだが――いちどそう考えてしまうと、どんどんその笑顔が空元気のように見えてきてしまうのだった。


 何か、悩みがあるのかもしれない。


 たとえば――いじめられている、とか。


 私と原空は同じクラスだが、放課後はそれぞれ異なる部活で過ごしている。お昼はともにするが、休みの日に会うことは少なくなった。高校生になって、お互いに独自の交友関係をつくっている――それだけとれば、良いことなのであろうが……。


 もしも、私の知らないところで――たとえばそう、昼食をおにぎり一つで済ませるのは単に、他のものを買う余裕がないからだとしたら――いじめられ、金銭を要求されているとしたら。

 休みの日に会わないのも、学校での口数が減ったのも……私をいじめに巻き込まないようにするためだとしたら――原空は優しい子だ。そして内気だ。そういう悩みを一人で抱え込み、一人で解決しようとしていても不思議じゃない。


 私がなんとかしなければ――せっかく気付いたのに、何もしない訳にはいかない。何もせず、後悔するようなことになるのは嫌だ――


 そう思って軽く調べてみれば――原空の所属する文芸部は、文芸部とは名ばかりの――不良のたまり場なのである。構成員はガラの悪そうな上級生が二人。いずれも女子で……偏見になってしまうが、とてもじゃないが「文芸部」なんてタイプではない二人だった。これはきっと、ギャル系のノリで既存の部員を追い出し、たまり場として占拠したに違いない――原空はその蜘蛛の巣にかかってしまった、哀れな被害者なのだ。


 これは何も、私の思い込みという訳ではない。実際、原空に「最近、部活どう?」とたずねてみれば、あからさまに不審な態度をとるのだ。


「だ、大丈夫だよ?」


 ……などと、部活に対する評価として真っ先に出てくるフレーズがそれなのだ、きっと大丈夫じゃない。


 しかし――私に何が出来るだろう。直截「いじめられてるの?」と聞けるはずもない。「困ったことがあったらなんでも言って」なんて、なんの助けにもなりはしない。


 私に出来ることといえば……原空が部活に行かないよう、放課後、遊びに誘うなどするくらいだった。


 けれども――イヤならいかなければいいという話ではないし、いつまでもそうして部活から遠ざけられるものではなく――


 原空はその日の放課後、部活に顔を出すという。


 私にはそれを、理由もなく引き留めることは出来なかった。


 私がするべきは――私に出来るのは、原空がこれ以上いじめられないように尽力することだろう。


 つまり、いじめの証拠をつかみ、問題の先輩たちを排除する……でなくても、釘をさし、無力化することだ。

 なるべく穏便に、原空に悪影響が出ないよう、大ごとにならないよう、内々で、裏でこっそり処理できることが望ましい――腹空に変な後ろめたさをもたせたくないため、私の名前が明るみに出ないかたちで、あまり厳しい処罰だとさすがの私にも抵抗があるから、先生たちが注意を促す程度でいいのだが――それだと逆にいじめがエスカレートしそうでもあり、悩ましいところだ。


 何はともあれ――とにかく、証拠を掴もう。いじめの有無を確かめるためにも、まずはそれが最優先。


 そのため――私はその日、午後の授業を途中で抜け出すと、文芸部の部室に忍び込んだのである。


 盗聴器を仕掛け、いじめの証拠を録音する――とはいえ、盗聴器なんて簡単に手に入るものではない。と思いつつネットで調べてみると、意外とあっさり見つかったのだが――盗聴、盗撮なんて、人聞きが悪い。私が行うのは正義のための証拠集めである。そのため盗聴器の購入には抵抗があり……妥協案として、スマホで録音することにしたのだ。

 スマホのアプリで音声録音を設定し、部室のロッカーの上に隠しておく。ここならめったなことでは見つからないだろうし、音もしっかり拾えるはずだ。


 いじめの現場に通りかかり、それをスマホで録音した――というテイでいく。


 突発的な思いつきにしては、なかなか用意周到ではないだろうか。


 収穫があれば幸いだが、それはイコール原空がいじめられているということ――杞憂であるのが望ましいという複雑な思いを抱えながら、私は部室を後にした。




 ――そして、放課後。


 私は部活に行くという原空の後をこっそりとつけることにした。


 スマホは仕込んであるが、かといって何もせずに普段通り過ごす気にはなれなかったのだ。


 文芸部でいったい何が行われているのか――私自身の目と耳でじかに確かめたい気持ちがあった。


「原空じゃん」


 と、部内で声がした。私はドアに顔を近づけ、聞き耳を立てる。


 今の声は――二年生の野羽のばだ。

 日に焼けた、いかにもギャルっぽい見た目をしている。ヤンキーかもしれない。 

 周囲からは「ノヴァさん」などと呼ばれているようだ。いかにも不良っぽいあだ名である。

 もとは運動部に所属していたそうだが、怪我が理由で辞めてしまったという、ガチガチの体育会系。先輩後輩というものに強いこだわりがありそうだし、なんなら後輩なんてパシリくらいにしか思っていないかもしれない――もちろん私の偏見だが、体育会系というだけで要注意に値する。可愛がりという名のいじめが横行していそうな世界の住人である。


「最近なんで部活こなかったわけ? ……彼氏でもできたのか、おい?」


 まるで脅迫するような口調である。ギャル特有といえばそうなのかもしれないが、部外者である私からすればじゅうぶんに強圧的な態度に思える。


「えっと……友達と、その……」


「ふうん?」


 そこで私の名前を出さない――私に無理やり付き合わされたと言わないところが、原空の優しいところでもあり、損をしている部分でもある。


「部活より大事なことなわけ?」


「うう……」


 このやりとりがもうじゅうぶんいじめの証拠になりえるが――まだ、弱い。教師を動かすにはまだ足りない。


「断りもなくサボってさぁ……」


 ぐちぐちと、まるでなじるように――この先輩はいったい何様のつもりなのか。


「まあ、反省してるならいいけどぉ――原空いなくてヒマだったんだよね、最近。……ごめんなさい、は?」


「……ごめんなさい……」


 理屈が! おかしい! ――これはもう立派ないじめでは? モラハラとかなんかそういうヤツなのでは? ○○ハラとか万能な言葉だし、そのどれかには該当するのではないか。


「ほら――」


「あぅっ……」


 ……なんだ? 何をされたんだ? 原川の悲鳴が聞こえた。まさか、腹パンか? しかし、そこまで大きな音はしなかった――いったい何が――


「だらしない身体しちゃってさぁ……つまめるじゃん。部活サボって何してたのかなぁ、原空はぁ?」


 どうやら制服越しにお腹をつまんでいるようだ。原空の気にしていることを――トラウマを刺激する行為である。


「これはお仕置きが必要だよねえ? ……ほら、脱ぎな」


 ……脱ぐ!? 何をさせる気なんだ……!


 今すぐにでもドアを突き破って室内に踏み込みたい――そんな気持ちをグッと堪える。いっときの正義感で行動しても、何も解決しないのだ。そんなものはただの自己満足でしかない――事態を真に解決するためには、何をされても、何が起こっても、決定的な証拠となるまで黙って見守るしかないのだ。


「汗で汚したくないでしょ……どうせ下からシャツ着てるんだし」


 言われるままだった。しゅるしゅると、制服のブラウスを脱ぐ衣擦れの音――


「ほら、これ飲みな」


 飲む? いったい……まさかヤバいクスリを――


「早く横になって」


 押し倒されるかのような物音――こんなことが日常的に行われていたなんて……。


「じゃあ、腹筋百回」


「ひゃっ……!? 百ですか?!」


「そりゃそうよ、サボってたんだから――早くしなって。こうしてるあいだにもどんどん……これまで鍛えてきた腹筋がぜい肉に変わってくんだから」


 やっぱりパワハラだ。パワーによるハラスメントである。体型を気にする原空に刺さる言葉ばかり……。


「う、うう……っ」


 原空のうめき声が聞こえる。百はいくらなんでも――


「ペースあげなって――早くしないと、志葉しばがきちゃうよ」


 志葉――「シヴァさん」と呼ばれる、もう一人の文芸部員だ。何を隠そう、私と同じ調理部にも所属しているのでよく知っている。

 一見すると清廉潔白、品行方正、成績優秀で教師からのウケも良い優等生……なのだが、たまに浮かべるその笑顔はどことなく恐ろしいものがあった。「あーあ、また壊しちゃった」みたいな台詞がよく似合う笑みなのだ。実際そうやってドジでは済まないレベルでいろいろな器具を壊している実績がある。

 ひまつぶし感覚で人間の一人や二人ダメにしていそうな――野羽が見た目の恐いヤンキーなら、こちらは雰囲気が怖いサイコパスといったところである。ノヴァとシヴァ。思えば実に物騒な響きだ。


 その志葉が来ると、いったいどうなるのか――ノルマらしい腹筋を予定通り終えていなければ、何かもっと恐ろしい罰が――


「う、うう……っ! ――はあ、はあ……っ――うう……!」


 苦しそうな声がする。私はただ応援するしかない――だって、これまだ、ただの筋トレだもの。体型を気にしている後輩を気遣って、厳しく接する優しい先輩の図でしかない! これじゃあいじめの証拠には程遠い――


 その時――カツ、カツ、と――静かだった廊下に響く、足音。


 私はとっさにドアから身体を離し、周囲を窺う。……まだ、人影は見えない。しかしすぐに誰かがやってくることだろう。噂をすれば影というやつかもしれない。用心するに越したことはない――私はすぐにその場を離れた。近くの空き教室に身を隠す――足音が近づいてきた。校舎の片隅、ひと気のない一帯であるこの場所にわざわざやってくる人物なんて――


「やってるー?」


 部室のドアが開かれる。案の定、やってきたのはもう一人の部員だったようだ。


「ハラちゃーん、久しぶりじゃーん。なんで最近、顔見せてくれなかったのかにゃー?」


「彼氏と遊んでたって」


「えっ、ちが――」


「うわあ、それはお仕置きが必要だにゃあ――……腹筋してたの? 今、何回目?」


「……に、にじゅう……」


「え? 嘘? すごいねぇ、頑張ったねえ――でも、わたしそれ見てないなぁ?」


「ええ……っ」


「本当にやったのかな? 自己申告だけじゃどうもねぇ……ハラちゃんは自分に甘いから……。ノヴァっち、見てた?」


「うーん、どうだったかね……?」


「そ、そんなぁ……」


「じゃ、ゼロからスタートして?」


 鬼畜の所業である。とてもじゃないが、ひとのすることだとは思えない。私ははらわたが煮えくり返るような思いをしながら、再び部室の前に移動する。かちゃかちゃと、金属音が聞こえた。ティーカップだろうか。部室でお茶会でも始めるつもりか。


「ほら、早く早くー――せっかくハラちゃんのためにケーキとかいろいろ焼いてきたのになぁ、早くしないとわたしとノヴァで食べちゃうなぁ」


「う、く……」


「ほら、がんばれっ、がんばれっ」


 ケーキをエサに使うなんて……なんという、卑劣……。この先輩はこんなことに使うために、私からケーキの作り方を習っていたというのか?


「ズルしちゃダメだぞー? ちゃんとここまで上半身を起こして――ほらぁ、冷たいゼリーが待ってるぞー? ほらほらぁ、あーん?」


 まるで目の前に吊るされたニンジンを追いかける馬車馬のような扱い――彼女たちは私の友人を、ペットのように扱っているのだ。


「腹筋だけさせてもつまらないなぁ――残り五十回はスクワットと腕立てで勘弁してやるよ」


 つまらない? 原空は玩具じゃないんだぞ!


「じゃあ、わたしが下に入るから」


「は、はいぃ?」


「ほら、わたしの上で腕立て二十五回。倒れないでよー?」


「う、うう……!」


「ん――髪あたってちくちくするー。ゴムつけなって」


 ゴム……ヘアゴムのことだとは分かってるけど――分かってるけども! なんなんだこの人たちは! これはもう立派なセクハラじゃないのか!?


「もうこんなに、汗だくになっちゃって――パンツまで濡れてるんじゃないのー?」


「う――のば先輩が……コーヒー飲ませるから……!」


「運動前にカフェインとった方が脂肪が燃えるし、やる気も出るんだよ。それにしても効果てきめんかよ。もうびしょびしょじゃん」


 はあ、はあ――熱のこもった吐息が聞こえる。まるで喘ぎ声のようだ。


「にじゅ、う……ごっ」


 目標数に達したからか、その声はこれまで聞いたことないような色つやを帯びていた。わたしは不覚にもどきどきとしてしまう。


「よしよし、よく頑張ったねー。じゃあ――食べる? わたしの手作り――せっかく頑張って運動して、脂肪を燃焼したのに――それ全部ムダにしちゃうかもしれないカロリー、摂取しちゃう?」


「あ、う……」


「腕ぷるぷるさせちゃって……スプーンも持てないね? 食べさせてあげよっか? ほら――あーんして? みっともなく口開けて、子どもみたいにむしゃぶりついてごらん?」


「っ――」


「あーあ、食べちゃった――また運動しなきゃねえ? でも運動した後のデザートはとっても美味しいでしょ? もう他所のスイーツじゃ満足できない……外で勝手にカロリーとったらダメだぞ?」


「そういえば――原空お前さぁ、お菓子作りの上手い友達いるんだっけ?」


 野羽の言葉に私はドキリとして、一歩部室から後ずさる。自分でもなぜそうしたのか分からなかった。


「そいつのつくるやつと、シヴァのお菓子――どっちが美味い?」


「ぁ、ぅ……」


「どっちどっちー? ……もちろん、わたしのケーキが一番だよねー?」


「それは――、」


 ――私は思わず、耳を塞いでいた。


 ……これは、いじめではないかもしれない。

 だけど、この先輩たちは危険だ。一刻も早く、原空の前から排除しなければ――これはもう、洗脳だ。調教だ――


「あ、あの……トイレ、行きたいんですけど――」


「そう言って、また逃げるつもりか? 先に、足腰立たなくなるまでスクワットさせておくべきだったかね?」


「逃げるなんて、そんな――」


「よしよし。じゃあ――また戻ってくるように、首輪、つけておこっか? ちゃんと帰ってこないと外せないからねー? ……首輪してたいんなら、別だけど?」


 ――私は即座に空き教室に退避する。ここで原空と顔を合わせるほどお互いにとって悲しいこともないだろう――




 私は空き教室の隅で膝を抱え、ただただ時が過ぎるのを待っていた。


 部室の方から、嬌声じみたやりとりが聞こえてくる――それを聞き続けるのが堪えられなくなったのだ。

 私の大切な友達が、幼馴染みが……悪い先輩たちに弄ばれている――どうにかして、あの人たちを排除しなければ――


 気付けば周囲は薄暗くなっていて、最終下校時刻を迎えたか、とうに過ぎていた。


 私はスマホを回収するため、誰もいなくなった部室を訪れる――カギは、用意してある。事前に職員室から合いカギを拝借していたのだ。


 カギを開け、中に入る。ドアの横にあるスイッチを手探りし、照明をつける。三人はとうに下校している――はずなのだが、部室の真ん中に置かれたテーブルの上に、スマホが残されていた。一瞬ドキリとしたが、私のものではない。先輩たちの忘れ物だろう。

 ロッカーに近づく。最初はこの中に隠れていようかとも思ったのだが、そうしなくて正解だった。床にしみた汗でも掃除したのか、モップが出しっぱなしになっている。入っていたら我慢できなかっただろうし、こうしてロッカーの中を覗かれ見つかるリスクもあった――


 椅子を引っ張ってきてその上に立ち、埃だらけのロッカーの上に隠していたスマホを手に取る。バッテリーがぎりぎりだった。録音は停まっているが、一定の時間で自動停止されるのだろうか。どこまで録音できているのか気になり、私はその場で再生し確認してみることにした。


 途中までは部でのやり取りにも聞き耳を立てていたから、そのパートは飛ばして――そう、ここだ。原空がトイレに行ったところから――私は電話でもするように、スマホを耳に近づける。


『なんか聞こえん?』


『スマホのバイブ?』


『お前、変なオモチャとか持ってきたんじゃ――』


『ふっふっふ』


『意味もなく意味深な笑みを浮かべるな』


『ロッカーじゃない?』


 心臓がバクバクしていた――スマホのバイブ音? ロッカー? まさか――


『おや、こんなところに誰かのスマホ。お母さんから着信きてるみたいだけど、どちら様かしら』


 ――ゾッとした。まさか、着信が来ていたなんて――


『もしもし――』


 しかも、電話に出ている――だから、私のスマホに通知が残っていなかったのか――


 通話の内容までは録音されていない。そこでいったん録音が途切れている――思わず自分のスマホの画面を見つめる。録音データは、二つに分かれていた。


 恐る恐る、二つ目の録音を再生する――


『はろはろー? ハラちゃんの彼氏クン聞いてるー?』


 ハラちゃんの彼氏クン――まさか、私に対して……?


『今――わたしたち、ハラちゃんを椅子に縛りつけてまーす』


『お前の大事な彼女にこれから悪戯する予定』


『そしてここには、中身の入っていないシュー生地がありまーす。シュークリームの皮の部分ね。そして――わたくしお手製のカロリーたっぷり激アマクリームの用意もあります』


『甘すぎて舌がバカになるやつ』


『それを――どうしよっか? ハラちゃん? シュークリーム食べたい? クリームたっぷりの、頭おかしくなりそうなほど甘ぁいやつ……』


『あ、う……――べたい……です』


『んー? 聞こえないなぁ? わたしのシュークリーム、食べたい?』


『……食べたい、です……』


 ほとんど泣いているような声だった。


『よし、じゃあ食べさせてあげよう――でもこれ、皮だけなんだよねぇ……クリーム、入れてほしい? カスタードクリーム、チョコクリーム……入れてほしい? 中に欲しい?』


『欲し、い……です』


『だったら、お願いしてみよっか。先輩の白いの出してくださいって、お願いしてみて?』


『――彼氏のつくるクリームより先輩のがいいってさ』


 下卑た笑い声が聞こえる――


『彼氏クン聞いてるー? ほら、今、キミの彼女ちゃんの中に――わたしのが入っちゃうよー……? ぷぷぷ』


『ほら、どれだけ入れてほしいんだよ? 自分で摂取するカロリー決めな……』


 く――なんてことだ――私のすぐそばで、こんな拷問じみたことが行われていたなんて――


 膝から崩れ落ちそうになる私の耳に――ふと、足音が聞こえてきた。


 見回りの先生かもしれない――どうしよう、と一瞬焦って、私はとりあえず部室の電気を消し、ドアにカギをかけることにした。そのままドアを背に、座り込む――


「!?」


 不意に、テーブルの上から激しい物音が聞こえた。


 ――スマホのバイブ音――あの忘れ物だ。


「…………」


 私は恐る恐る立ち上がり、暗闇のなか点灯するその画面をのぞき込む。



『出ろ』



 ……一瞬、何がなんだか分からなかった。


 そこに表示されているべきなのは本来、発信者の……電話をかけてきた相手の名前のはずだ。それなのに、そこにはなぜか『出ろ』と――そんな名前で登録された人物でもいるのか? いや――


「私に……?」


 この電話に出ろ、ということなのか、今すぐこの部室から出ろという―――


 ドンドンドン!


「!?」


 背後で、激しくドアを叩く音がした。誰かがいる。部屋の外に人の気配がある。


「ほら、いるんだろ――彼氏クン?」


「!!」


 戦慄が走った。今のは野羽の声――そして彼女は、私がここにいることを分かっている――いや、まさか、そんな――


「電話、出ろよ。原空がどうなってるか、知りたくないのか?」


「――――」


 私はなるべく音を立てないようにしながら――まだ室内にいると悟られていない可能性を信じて――スマホに手を伸ばした。


 恐る恐る、耳に当てる。


『冗談だよ、ばーか』


 と――部屋の外からかすかな囁きがあり、それと重なるようにしてスマホからも同じセリフが繰り返された。


『それはともかく――ほら、出て来いよ。大人しく人質スマホを解放するんだ。お前はもう包囲されてるぞー?』


 心臓がバクバクと音を立てる――それこそまさに立てこもり犯にでもなった気分だ。


『……さっさと投降した方が身のためじゃないのか? 一応教えとくと――原空のやつは、お前が部室を盗聴してたことは知らないからな? そんなクソキモいことしてたなんて、あいつはなーんにも知らない――』


 ……それは暗に、原空に「教えるぞ」と脅迫しているのか。


『まあ、なぜか部室にお前のスマホがあったことは、知ってるんだけどさ』


 私のスマホだと、原空は気付いていた――だけど、それが私のものだと、私の素性については一切漏らしていない、ということか。口を割らなかったのか。原空のされたであろうことを想像すると、この状況もあいまって、私は気が変になりそうだった。


『ほら、大人しく出て来いよ――今ならまだ、悪いようにはしないから、さ。ここ数日、散々うちの原空を可愛がってくれたみたいだし、そのお礼がしたいだけなんだよ――なあ?』


 ……原空は、まだ口を割っていない。原空は私を売らなかったのだ。つまり、私について、彼女たちはまだ何も知らない――なら、ここは知られるべきではない。なんとか顔を見られず、この場を脱することは出来ないか。友人の努力に報いるためにも――


 ……見回りの先生が来るまで、持ちこたえれば――あるいは窓から外に出るか? いや、野羽は包囲されていると言った――私は慌てて窓際に移動し、閉じられたカーテンの隙間から外を覗く。人影は……志葉の姿は、見当たらない。カギもかかっている。


『ほらほら、ドーテイくん? 今なら誰もいない――あたしたち二人きりだけだぞ? くくく――』


 体育会系肉食ギャルめ――そうやって欲求不満をこじらせて、爆死すればいい! 私が女だと知って赤面しろ――と、いきたいところだが、ここはグッと堪える。

 私の正体について知られてはならない。このままやり過ごし――明日、反撃するのだ。


『自分から出てこないんなら――分かってるか? こっちにも部室のカギはあるんだぞ?』


「……!」


 私はドアに飛びついた――ドアの向こうから悪魔のささやきが聞こえてくる。こいつは……こいつらは危険だ。欲求不満を持て余し、同性である原空に性的な悪戯をするヤバい連中だ。もしも捕まったら――私が「彼氏クン」でないと知られたら、いったいどうなることか。男であった方がまだ良かったと――そんな後悔をしそうな気がする。


『必死になっちゃって――』


 床に落としたスマホから、野羽の声がする。


『大人しく投降して、楽になっちまえよ――原空のことが気になるのか? 律儀というか、一途というか――原空だって、あたしたちと楽しいことしてるんだぜー?』


「……っ」


『お前のつくるお菓子より、ノヴァのつくるおやつの方が好きなんだってさ――』


「う……っ――」


 ドアノブを掴んでいた手から力が抜けそうになる――


 その時、背後で物音がした。


 ――――ロッカー……――――!


 振り返ろうとした時、


「つーかまえたっ」


 ――耳元で、そっとささやく声がした。



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