雨の日、不良少年、犬を助ける。よくない!話。

人生

 幼馴染みの女の子にあれやこれやと恥ずかしいことを強要されるお話。




 傘を叩く雨音だけが響いていて、二人のあいだに会話はありません。


 前を歩く少年は仏頂面で、後ろの少女はといえば――


 特に喧嘩などをしている訳ではなく、単に――雨音に耳を傾けているだとか、雨のなか大声を出してまで会話するような話題がなかっただけで――後ろの少女はといえば、にこにこと楽しそうに少年のあとをついてきます。


 帰り道の方向が今のところ同じというだけ――二人は幼馴染みだが、特に会話をする理由にはなりません。むしろ昔から親しい仲だからこそ、沈黙も苦にならないのでしょう。


 河川敷を歩いていると――ぱらぱらとした雨音に交じって――


「?」


 少年はふと顔を上げ、歩く進路を変えます。


「どしたの?」


「なんか……」


 言いながら、坂道を滑り降りて――橋の下へと歩を進めていきます。


 少年の進行方向、橋の下の暗がりに――くうん、くうん――と、悲しげな声を上げる子犬の姿がありました。


「捨て犬か……? 首輪つけてるけど――」


 少年は傘をたたむと、その子犬に近づこうとして――


「ちょぉっと、待ったー!」


 と、幼馴染みの少女がそのあいだに割って入りました。


「ねえ今……もしかして、そこの子犬を助けようとした感じ? 見た目クールな不良少年が可哀想な子犬を助けようとか、そういうことしようとした感じですか?」


「不良少年て」


「いやそれ、解釈違いだから」


「……はあ?」


「甘いなぁ、甘いぞー……。そんなことで、このわたしがギャップ萌えするとでも? 考えが甘すぎるのだよ、キミぃ……。そこはクールキャラなんだから、クールを貫き通してもらわなきゃ! ギャップがあれば良いってもんじゃないんだよ? ガッカリすることだってあるんだから!」


「知らんがな。ほっとく訳にもいかんだろ」


「可哀想な子犬を見つけても知らんぷり――自分の力でなんとか出来なきゃ野生の世界じゃ生きられないぜ、とか言って冷たい目をしてくれなきゃ困りますー」


「じゃあこの子犬どうすんだよ……」


「可哀想な子犬はわたしが助けるから! そのためにわたしがいるんですよね、これが」


「謎の存在意義」


「やっぱりクールを演出するには比較対象がいなきゃ」


「演出って……。というかそうしたら、俺の立場は……――傍から見たら可哀想な子犬スルーしてるヒドいヤツなんだけど。お前が子犬助けるほど、俺の悪役っぷりが加速する……」


「そういうギャップがわたしの人気を高める訳だよね!」


「お前、最低だな!」


「というかさぁ、この子を助けてどうするつもりだったわけ? お家、ペット禁止のマンションじゃん? 飼えないでしょ。安易な正義感じゃ誰も救えないんだぜ、相棒」


 ぐうの音も出ない少年です。


「……じゃあお前、飼えんのかよ」


「うちの親、今日も帰らないだろうし――家に連れ帰っててもバレないよね! そのあいだに既成事実をつくっておく」


「お前の方がよっぽど不良じゃね?」


「世間はわたしの味方をするよね。だって可愛いし、可哀想な子犬を助けたので」


「うわあ……」


 とまあ――そんなこんなで、可哀想な子犬は少女が連れて帰ることになり、少年は彼女の「お買い物」に付き合わされた挙句、その自宅まで荷物を運ぶことになるのでした。




 ――私の声が聞こえますか?


 頭のなかに声が響く――私は今、あなたの頭に直接話しかけています――


 私は女神です、とは言いました。


『あなたは可哀想な子犬を真っ先に助けようとしましたね。そんな優しいあなたにご褒美をあげましょう。あなたも、本当にあの子が拾った子犬を飼う気があるのか、ちゃんとお世話が出来るのか、心配だったことでしょう――』


 ? ん? ……え?


 あなたは今、子犬です。子犬になりました。


 ……は? ――と、


 状況をすぐには飲み込めないでしょう。しかし、これは現実です。そして現実は否応なく進行していきます。今は常識や理性とさよならして、人間でいる時と違って無条件に愛される可愛いワンちゃんになった自分を楽しみましょう。


 ――普段よりも目線の高さが六分の一ほどになり、天井が遥か高く、地面がすぐそこに見えます。


 あなたを連れ帰った女の子が今、お風呂の準備を済ませて戻ってきます――


 そこは、少女の自宅です。静かなリビングに、どこからかどぼどぼと水を貯める音が聞こえてきます。


「イヌッコロー、メシ食べたかー?」


 見れば、あなたの足元には、今日買ってきたばかりの器のなかに、山盛りのドックフードが入っています。食べた跡はありますが、どうやらお口に合わなかったようですね。


 ちなみに、「イヌッコロ」こと「コロ」はあなたの名前です。


「残してるじゃん。……お腹すいてないのかなー? どれだけ外にいたのか知らないけど、いきなりご飯は食べないかぁ。まあいいや、お風呂入ろっか、イヌッコロ?」


 ……!?


 少女はあなたを抱え上げると、その細い腕のなかに抱き締めます。


「ごわごわしてるし、ケモノ臭いなぁ。……でも大丈夫、お風呂入ればなんとかなるでしょ。きれいきれーい、しましょうねー?」


 言いながら、少女はあなたを撫でつつ――お風呂場へと向かいます。


 脱衣所に入り、一度あなたを下ろすと――服を脱ぎ始めます。みるみるうちにすっぽんぽん。あなたは子犬、子犬を前に素肌を隠す少女ではありません。


「おっふろー、おっふろー」


 るんるんと、鼻歌まじり。他人に聞かれていると知れば羞恥のあまり悶絶してしまいそうなプライベートなワンシーンです。


「わんころー」


 汚い臭いと言いながらも、すっぽんぽんのまま――少女はあなたを抱きかかえ、浴室へ。そこにはその日買い込んできた様々なグッズが……犬用の小型バスタブやブラシ、シャンプーなどが揃っています。


 バスタブにどぼどぼとお湯が注がれていきます――その光景を見せられながら、


「てめー、まだ他所の家の首輪とかつけてたのかー。おめーは今日からうちの子になるんだ……他の女のことなんか忘れちまいな。ほら、脱がしてやるぜ……」


 邪悪なテンションで首輪を外すと、少女は今度はブラシを手に取りました。


「くっくっく……これが分かるかね……? これからおめーのそのごわごわとした毛を……ふっふっふ」


 ブラッシングを始めます。お風呂に入れる前に、毛をすいて水を通しやすくしようという魂胆です。実に計画的な犯行です。恐ろしいですね。どんどん毛が抜けていきます。このまま丸裸にされてしまいそうです。


「えーっと、次は――おさわりのお時間です」


 うねうねと指を動かしながら、少女はその手を伸ばします――バスタブに手を突っ込んで水で濡らすと、その手でゆっくり、さわさわと――


「まずは水に慣れていきましょうねー。毛の下の地肌ましっかり濡らしていきましょう」


 わさわさ、さわさわ――あなたは身体中をまさぐられます。そうしながら少女は、「水をかけるよー」と声をかけてから、手ですくったバスタブの水を少量ずつ、ゆっくりとあなたの身体にかけていきます。


「お湯加減はどうかなー? もちろん、ばっちりだよねー? お前のためにちゃんとスマホで調べたんだからなー……よしよーし――どうしたー? 硬くなっちゃって……恐くないよー」


 声をかけながら、水をかける――その繰り返し。少女の手が立てるちゃぷちゃぷという水音にあなたの気持ちも安らいでいきます――が、


「どうしたー? 緊張してるの? そっかそっか――おめーも男の子だもんなー。お姉さんに身体さわられてどきどきしてるんだなー?」


 なでなで、さすさす――少女の手から感じる体温。毛に覆われた子犬の皮膚は刺激に敏感です。


「ふっふっふ……可愛いねえ、男の子だねぇ――そっかそっかぁ、こういう気分なのかぁ……。ショタコンの人の気持ちが分かったわ。小さい男の子ってこんな感じなんだねぇ……うふふ――どうしたのー? 硬くなってるよー? 弟欲しいなぁ――」


 何やら物騒なことを呟きながら、楽しそうに――少女はあなたの身体を一通り撫でまわすと、


「じゃあ、シャンプーしていくよー」


 どろっとした、冷たい液体が身体中に塗りたくられます――少女の手によって、あなたの身体はみるみるうちに泡まみれ。しゃわしゃわと子気味良い音をたてながら全身くまなく撫でまわされると、お次はかけ湯です。先と同じように、少女が手ですくったお湯で泡を洗い落としていきます。


「シャワーはいりまーす」


 ぶしゃー! と突然噴き出した大量の水が床に当たって激しい音を立てます。それにびっくりし硬直するあなたをなだめながら、少女はシャワーの勢いを緩めて、人肌よりほんのりと高いくらいの温度の水をかけていきます。


「熱くないー? というか――ぷぷ……おめー、着やせするタイプだったのかー」


 シャワーが止むと、そこにはぐっしょりと濡れた毛が地肌に張りつき、お風呂前の面影がまるでない哀れな子犬の姿がありました。その変貌ぶりを眺める少女の前で、あなたは思わずぶるぶると全身を震わせます。辺りに水滴が飛び散りました。少しだけ寒気がします。


「……あんまりお風呂に時間かけない方がいいんだっけ? じゃあ、急がないと――お前はちょっとこっちなー」


 と、あなたは少女に抱え上げられ、バスタブにイン。ぬるま湯です。


「わたしもぱぱっとお風呂入っちゃうから、そこで大人しくしているように」


 そう言うなり、少女はあなたに背を向ける格好でシャワーを浴び始めます。ふんふんと鼻歌混じりに――前の方とあまり変わらないなだらかなラインを描く背中――バスチェアに腰掛けています。すぐ後ろに一匹のオオカミがいるなど露知らず、無防備に素肌を晒した少女は身体を洗っています。どうやらまず、脚から先に洗うようです――


 実に無防備、無警戒。むしろ誘っているかのような少女の後ろ姿――


 しかし、今のあなたはただの子犬――いつまでもその光景を眺めていられる代わりに、残念ながら何もすることが出来ません。大人しくぬるま湯に浸かっているしかない、可愛いわんちゃんなのです。


 しかし、しかしです――可愛いわんちゃんであるが故に、少女はなんの恥じらいもなく、振り返ります。背中と見違えるほどに大差ない、平らな胸――おへそ――バスチェアに座り、畳まれた脚――あなたの邪な視線に気付いたわけではなく、宣言通りぱぱっと身体を洗い終え、シャンプーも済ませてしまったのです。あっという間、烏の行水というやつでしょう。


「お風呂終わりー」


 少女はまず、あなたを抱え上げると床に置き、脱衣所からタオルを取ってきます。それでごしごしわさわさ、大胆かつ丁寧に水気を拭きとっていきます。ずぶ濡れでみすぼらしかったわんちゃんは、徐々にその体裁を整えられていきました。


「あ、そうだ――あいつに写真送っとこう。……あいつって誰かって? もちろん、おめーの飼い主になるはずだった男だよ――ふっふっふ……あいつとじゃなく、わたしとお風呂に入っちゃったねー? これでもうおめーはわたしのものだ……その証拠写真」


 言いながら、少女は自身の着替えの上に置いてあったスマホを手に取り、そのレンズであなたを捉えます。


「お風呂上がりのー……」


 みすぼらしくて、恥ずかしい姿――ぱしゃぱしゃと、そんなお風呂上がりの無防備な姿を撮影されます。それから少女は自身も画角に入り、ツーショット。ちなみに、未だにすっぽんぽんのままです。


 写真を添付し、メッセージを送信――


 そして少女はあなたをタオルにくるむと、今度は自分の身体を拭きます――それからようやく、部屋着をつけていきます。下着を穿いて――着終えると、洗面所にあるドライヤーで髪を乾かし始めました――子犬であるあなたの耳にはなかなかの騒音です。それに気づいたのか、少女はドライヤーを止め、しばらく鏡のなかの自分とにらめっこ。


「すぐ乾かした方がいいのか、タオルでゆっくりするべきか――それが問題だ」


 などと、真面目な顔で独り言。どうやらあなたをお風呂に入れる方法は事前に調べていても、その後にまでは頭が回っていなかったようです。再びスマホを手に取り、


「……なるほど。自然乾燥だと病気になるかもしれない――ドライヤーでも、熱すぎると皮膚にダメージがある……。おめーも苦労してるんだなぁ」


 苦労するのは飼い主なのですが、それはともかく――少女は銃でも構えるようにドライヤーを手にすると、少し離れたところからあなたに熱を浴びせます。


「よしよし、いい子いい子ー」


 あなたは大人しく熱波に晒されます。ドライヤーの騒音は耳に響きますが、病気になるよりはマシでしょう。自然乾燥だと生乾きの地肌に細菌が繁殖しやすくなり、皮膚病にかかるリスクがあるのです。かといってドライヤーの熱は皮膚を乾燥させたり、被毛のキューティクルを痛める原因になるそうです――と、少女が先ほど調べていました。


「やっぱ生前は飼い犬だったのかなー? 大人しいなー、イヌッコロー」


 適当なことを言いながらドライヤーをかけ終え、少女は新しいタオルにあなたをくるむと、浴室を出ます。お風呂に入れる前に使ったのとはまた別のブラシであなたをブラッシングしながら、リビングへと移動します。


「お風呂入ったから、さすがにお腹空いたんじゃない? ほら、お食べ――」


 と、先ほどのご飯――ドックフードをあなたの前に置きます。床に座ったあなたはお皿を見下ろし、少女を見上げます。少女はにこにこ。あなたに食べろと促します。とてもひとのするようなことではありませんが、今のあなたに人権はありません。


「わたしもご飯ー」


 あなたを山盛りのドックフードと置き去りにし、少女は自分の夕食の支度をはじめます。といっても、棚を覗いてカップ麺を取り出すだけ。フタを開いて中身の小袋をを取り出し――


「三種類の小袋を取り出す……三種類? もう一つどこだ? ……あったあった。かやく入れて、お湯淹れ三分……。食べる直前に入れてください、と……お湯を入れてから……この二つはどっちを先に入れればいいんだ? 貴様はこのわたしを試しているのか?」


 お湯を入れてからの三分間――残された調味油と特製スープの素、どちらを先に入れるべきかに頭を悩ませます。その間に、あなたも犬であるという現実と向き合わなければなりません。入浴を経て、お腹が空いているのも事実……しかしこれを口にするのは――


「いただきまーす」


 と、気付けば三分。誰にともなく、少女はきちんといただきますをしましたが、あなたはどうするのでしょう。さあ――ドックフードにもお金がかかっていますよ? これからのことを考えるなら、早いうちに慣れておくべきではありませんか?


 さあ、さあ――




 食事を終えて――少女はあなたを抱いて、二階にある自室へと向かいます。


 少女のシャツ越しに感じる……柔らかな感触。下着をつけていないのです。あなたはお風呂場でそれを目撃していますよね。さぞかしその感触のリアリティを堪能していることでしょう――おまけに、あなたはこれから少女の部屋に連れ込まれるのです。他に家族はおらず、二人きり――残念ながら、一人と一匹ですが。犬になったからこそ訪れた好機、しかし犬であるためにあなたは相当の我慢を強いられることになるのです――


 ぴっぴとリモコンで冷房をつけてから、少女はベッドの端に腰掛け、あなたを床に下ろします――


「さて、イヌッコロ。今日はおめーのために大盤振る舞いしたからなぁ――もちろん、タダとはいかんよ。分かってるか? ……身体で払ってもらおうかぁ」


 いっひっひ、と魔女のように笑ってから、少女は改めてあなたを見下ろします。


「これからお前はSNSで有名になるんだ――可愛い女子と可愛いわんちゃん。最強の組み合わせだよね。ネコ派との戦いは覚悟しなければならないが――そうやって有名になって、既成事実をつくれば、うちの親だって飼うことに反対できないからね……これはお前のためでもあるんだぞ?」


 そう言われては、仕方ありません。一宿一飯の恩義ではありませんが、新たな飼い主である少女の言うことは絶対です。何をされても大人しく従うのが子犬である今のあなたの定め――


「これからわたしは心を鬼にして――おめーに芸を仕込みます。……ゲイを仕込む――BL本に反応するとか、需要があるかな?」


 首をかしげる少女です。何を言っているのでしょうか。分かりませんね。


「まあいいか。よし、まずは――おすわり――は、もうしてるか。おめーは賢い子だねぇ……。まるでわたしの命令を待っているようじゃあないか。よし、それじゃあ――お手!」


 と、少女は屈みこみ、あなたの前に手を差し出します。右か、左か……あなたは一瞬悩むものの、大人しく右前足を少女の手のひらに乗せます。


「おお、よく出来ました。えらいえらい――……やはり飼い犬だな、貴様。前の飼い主に相当仕込まれてると見える――いいか? おめーは今日からうちのわんちゃんなの。前の女のことは忘れなさい。おめーを捨てた女のことなんか……」


 そう言って、少女は今日新しく買ってきたばかりの首輪をあなたの首に巻き付けます。


「今日からおめーは私のイヌッコロなんだからね?」


 わしゃわしゃと洗い立ての全身を撫でまわされます。湯上がりの身体に、部屋の冷気が心地よく――撫でまわされていることもあって、あなたはだんだん気持ち良くなっていきます。


「気持ちよさそうな顔しおってからにー……でも今夜はまだまだ寝かせないからなー――とはいえ、他にどんな芸があったっけ――そうだ、伏せ!」


 言われ、あなたは床に突っ伏します。隷属のポーズ。


「おお――よし、じゃあ、次はぁ……」


 あなたを見下ろす少女の瞳に、妖しい輝きが灯ります。


「……ちんちん」


 ぼそっと、一言。多少の気恥ずかしさをうかがわせるテンションです。


「ちんちん!」


 思い切りのよい一言です。これは明確にあなたの耳にも届きましたね。


 ………………。


「……無反応かい? どうした? うん? なんかこう、立つんだぞ? 後ろ足で……。ほら、ちんちん」


 ………………。


「言い方が悪かったのかな――おちんちん。……おちんちん!」


 なんだか楽しそうです。恥ずかしい言葉を口にしている自覚はあるのでしょう。湯上がりのためかほのかに頬を紅潮させながら、


「おいおい、どうしたぁ……? 恥ずかしいのかぁ……? 変だなぁ、さっきまでは大人しく言うこと聞いてたのに――まるで私の言葉が分かってるみたいに――」


 ちら、とあなたを見る少女です。何か、物言いたげです。


「さてはおめー、私の言葉が分かってるな?」


 ………………。


 これは「待て」です。反応しない方が無難でしょう。


「それとも――私の心を読んでいるな?」


 何を言っているのでしょう、この少女は。あなたはとりあえず首をかしげて、分からないのポーズ。


「よし、じゃあ――私の言葉が分かったら、『ワン』って一回鳴くこと。分からないなら、そのまま黙っておすわり――分かった?」


 これは難題です。ワンなど言おうものなら言葉が分かると認定され、かといって黙っていても――


「ほう、動かないか。動かないってことは――言葉が分かることを、隠していたいんだな? 分かっているから、動かないんだもんなぁ? ……え? どうしたイヌッコロ――わんとか言ってみろよ」


 つん、つん、と――弱いところをつつかれます。


「ふむ――まあね、お前も生き物だからねぇ……。生前、前々々世は人間だったりしたかもしれない。可愛いネコも、赤ちゃんも、前世はおっさんだったかもしれない――そう考えると、可愛ければなんでもアリ、とはさすがに言えない――私は人間だから、自分の前世とか思い出せないけど……おめーは? もしかしたら、人間だった時の記憶とかがあるのかもしれないね……。だから大人しくされるがまま、私の言うことに忠実だったのかも……。――おちんちんっ」


 …………っ、


「今、びくってなったな? びくって! ……やっぱりねぇ……お前はいやらしい人間だったのかもしれない。今も、その時の記憶とかが残ってるのかもしれない――だとすると、私も付き合い方を考え直さないといけないなぁ」


 つんつん、と――


「そうでなきゃ――……お前が、自分が人間だったってことを忘れるくらい、犬として調教していく必要がある」


 がばっ――と、少女はあなたにつかみかかります。


「人間性を、尊厳を、ぐちゃぐちゃに磨り潰して、身も心も完璧にイヌッコロにしなくちゃ――うりゃりゃりゃりゃ――!」


 めちゃくちゃくすぐられます。


「可愛い女の子にお風呂入れられて、お世話されて……全身まさぐられちゃって――コーフンしちゃってるのかー? おー? このヘンタイめー」


 変態はどちらなのでしょうかという疑問は残りますが、少女はとても楽しそうです。きっときょうだいもおらず、親も家を留守にしがちで、一人寂しい夜を過ごしてきた反動でしょう。一人暮らしの女性がペットを飼うとどうなるか、その様子を見ているかのようです。


 しかし――彼女は、一人暮らしではありません。


 その時――階下から、「ただいまー」という女性の声が聞こえてきました。


「……お? こんな時間に帰ってくるなんて、珍しい――……どうしよ? 下の荷物は片したからいいとして……おめーがいることを教えるべきか、否か……。まだ早いかな? とりあえず今夜だけやり過ごせばバレないだろうし――おめー次第だぞ? おめーが大人しくしてれば、バレない……」


 声のトーンを落として、少女はあなたにささやきかけます。


「ここまでお膳立てしてるし、さすがに捨ててきなさいとは言わないだろうけど――うーん……こんな時間に突然帰ってくるしなぁ、読めないぞ……。新しいお父さんよ、とかいう展開だったら、お母さんが再婚するならわたしもこいつ飼っていい? みたいな話の流れに持っていけるんだけど――そのためにはまずお父さんと別れさせるところから、だよなぁ……」


 真剣なんだかそうじゃないんだか――あなたを抱きかかえながらドアの方を見つめ、少女はぶつぶつとつぶやきます。


「――よし、それとなくお母さんに探りを入れてこよう――ちょっと媚び売ってくるから、おめーはここで大人しくしてるんだぞ? 声とか出しちゃ――」


 ダメだからなぁ、などと言いながら、あなたの脇腹をくすぐる非道っぷりを発揮します。

 ひとしきり拷問めいた可愛がりを繰り広げたかと思うと、不意に腰を上げる少女です。


 少女が部屋を出て行き――あなたは一匹、取り残されます。


 シャンプーの残り香が漂う、女の子の部屋――今ならあなたの好き放題できますよ。しかし、今のあなたはただの子犬――けれども、犬であるからこそ味わえる体験もあります。ヒトより優れた嗅覚だからこそ感じ取れる、女の子のニオイ――生活臭――言葉の選択に問題がある? ならフレグランスな香りとでも申しましょうか――今は犬である喜びを噛み締めましょう。


 そしてあなたは正真正銘の飼い犬となるのです――


「何かこう、おめーを飼わざるを得ない状況をつくるしかないようだな……」


 少女が戻ってきます。


「娘を一人家に残すのは心配だという不安をあおる……――親のいない隙にわたしが事故る、そうやってわたしに怪我させた後ろめたさに付け込む、とか? 弱みを握る……浮気の証拠を掴むか……浮気してると捏造して、お父さんに報告するぞと遠回しに――」


 何やら物騒な企てをする少女です。聞いているのは犬だけだからと、ブラックな一面を覗かせます。


「……そうだ、わたしが暴漢に襲われそうなところを、どこからともなくやってきたおめーが助ける――それでいくか? わたしよりお母さんを狙う方が効果的かも――なんにしても……ちょうどいいところに、暴漢になりそうな不良少年もいることだしなぁ。いっひっひっ……不良らしく、あいつには噛ませ犬になってもらうとしようかねぇ――」


 なんと邪悪な計画でしょうか――あなたはもしかすると、近い将来に自身に降りかかるであろう、この悪夢のような未来から逃れるため、犬になったのかもしれません――


「早速計画を練ろう――……うん? あいつ、写真送ったのに見てないな? 未読スルーか? 寝てんのか? 可愛い幼馴染みが知り合ったばかりのオスと一夜を共にしようとしてるのに、気にならんのかあいつは?」


 何やら不満げにぶつぶつ言いながら、スマホの画面を叩いています。どうやらどこかにメッセージを送っているようです。


 ……どこにでしょう?


 それはもちろん、あなたのスマホに――




 ……、

 …………、

 ………………。


 ――さあ、目覚める時間です――


「……!」


 あなたは夢を見ていました。


 ちょっとした、悪い夢です。

 それは本当に起きたことかもしれないし、あなたが思い描いた、ただの妄想かもしれません。


 その真相が知りたければ、彼女に直接たずねてみるといいでしょう――


 ……私ですか?


 私の声もじきに聞こえなくなり、今夜見たこの夢の内容も徐々に朧気になっていくでしょう――私は夢、幻……。知らない女性女神の声が聞こえるなんて、まさにゆめまぼろしである何よりの証拠――


 そう、この物語がフィクションであるという、何よりの証拠なのです――



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雨の日、不良少年、犬を助ける。よくない!話。 人生 @hitoiki

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