最終話 僕たちの轍

ミナミモト【皆さん、面白い話たくさん聞かせていただいてありがとうございました】

ミナミモト【んじゃ、乙ですー】

田中太郎【待った待った待った】

ブルーベリー【ミナミモトさん、聞くだけ聞いて帰るんですか】

サクラ【私達もミナミモトさんに聞きたいことがあるんですが】

ミナミモト【まぁ、そうっすよね】

ミナミモト【冗談です】

ミナミモト【ぶっちゃけ最初にこの部屋立てたときはこんなに沢山の人が来てくれるとは思っていなかったんですけど】

彩路【世界は広いね】

グロイ【ネットだから特にね】

バニラアイス【人の数だけ物語がありますから】

ミナミモト【ここにいる皆さんには話した方がいいですよね】

ミナミモト【いや、話させてください】

ランドスター【訳アリのようだね】

key【まぁ乗り掛かった舟ですし】

ワーミー【そうですね】

アンバー【聞きたいです】

ミナミモト【俺がこの部屋を立てた理由は、】


***

***

***


「おはよう、あい

「………」

 いつも通り病室のドアをノックし、返事が返ってこないことに幾分心を痛めながら部屋に入った。朝の挨拶にも彼女は無反応だった。

「調子はどうだ?」

「………」

「俺は今日も見ての通り。あーでも今日は気温が高くてさ。ここに来る間少し汗かいちまったかも。窓、開けてもいいか?」

「………」

 病室に一つだけ備えられたベッドで上半身だけを起こしている彼女は、俺の言葉など聞こえていないかのように何もない虚空を見つめている。彼女にしか見えない何かがそこにあるのだろうか。周りの人間は勿論だが、おそらく彼女自身も分かっていないのだろう。

 沈黙を都合よく肯定と解釈し、俺は彼女のベッド傍の窓を開けた。心地よい風が病室に入り込んでくる。人間なんて風が吹いただけで死ぬこともある、なんて言葉を聞いたことがあるが、この風が彼女を元通りにしてくれたりしないだろうか。

「今日は、いつもとちょっと違う面白い話仕入れて来たんだぜ」

「一個目が、朝の通学電車で知り合った女の子と友達になったっていう―――」


 恋人の藍がこうなったのは今から一年ほど前のことだった。

 交通事故。仕事からの帰り道で信号無視した車に撥ねられた。一命は取り留めたが、声を発することも、表情を変えることも、自分の意志で立ち上がることもなくなった。

 所謂、植物状態。

 連絡を受けて病院に駆けつけたときには、俺の知っている彼女の笑顔は失われていた。毎日のように聞いていた彼女の声も、わずか一年足らずでどんな声だったか思い出せなくなってきている。

 絶望した。自分が、ここまで彼女に依存していたと思っていなかった。彼女が自分の前からいなくなることがないと、根拠のない自信がどこかにあったのかもしれない。本当にあっけないほどに、彼女と俺の日常は失われた。

 それでも曲りなりに今日まで俺がやってこられたのは、彼女がまだなんとかこの世に命を繋ぎとめているからだと思う。そして、彼女がこうなってから一度だけ見せてくれた笑顔。

 一度だけ。本当に一度だけ、彼女が笑顔を見せたことがあった。

 それは俺が看護師に教わった通り、物言わなくなった彼女に懸命に話しかけていた時で。

「藍?」

「………」

 たまたま顔の筋肉が少し動いただけだったのかもしれない。それでも、まだ彼女の心は失われていないかもしれない。その僅かな可能性を俺は信じたかった。

 どんなことを話せば彼女が興味を持ってくれるのか、反応を見せてくれるのか、笑ってくれるのか。俺は友人たちやネットで調べた笑い話、泣ける話、憤りを覚えた話、泣ける話なんかを見境なく集め、病室の彼女に話して聞かせるようになった。

 なんでもいい。彼女がもう一度笑ってくれるなら。俺を見てくれるなら。声をあげてくれるなら。

 成果は、今日まで一度も挙げていない。


***

***

***


ミナミモト【とまぁ、そんな経緯で】

ブルーベリー【それは、心中お察しします】

彩路【医者には回復の見込みがあるか聞いてるのかい?】

ミナミモト【可能性はあるけど、それがいつのことになるかは保証できないって】

ミナミモト【明日か、一週間後か、一ヵ月後か、一年後か、十年後か】

グロイ【一生そのままっていうこともあるんじゃないか】

ミナミモト【あるいはそうかも】

バニラアイス【でも、一度だけリアクション見せてくれたことあるんですよね。だったらきっと】

ミナミモト【えぇ、俺も希望は捨ててません】

サクラ【ネタが必要なら、病院を教えてくれればいくらでも書きますよ】

key【仕事柄、面白い話はいろいろ知ってます】

ランドスター【僕も身近にあてはありますね】

ミナミモト【ありがとうございます。でも今日知り合ったばかりの皆さんにさすがにそこまでしていただくわけにもいかないんで】

ワーミー【ミナミモトさんが傍にいてあげるだけでもきっとだいぶ違うと思います。僕もそうでしたから】

アンバー【今の自分にできることを続けていれば、そう悪い結果にもならないと思います】

ミナミモト【二人もありがとう】

田中太郎【奇跡はありますよきっと。僕たちだってそうだったんですから】


***

***

***


 “『奇跡』はある”。


「———で、海外に行ったその人と会うために中坊なりに頑張ってるらしい」

「………」

「自分でこうして話してても変な気分だわ。世の中広いっつーか狭いっつーか。面白いこと経験してる奴とか不思議なことって意外と傍に転がってるもんなのな」

「………」

「なぁ、藍。届いてるか、俺の声」

「………」

「俺のこと、まだ分かるか」

「………」

「俺の名前、憶えてるか」

「………」

 何度問いかけても返事はない。こちらに一瞥もくれない。笑いもしないし怒りもしない。

 本当に、奇跡なんてものがあるのなら。

 もう一度だけでいい。たった一度でいいから。

「俺の名前、呼んでくれよ………っ」

 そう呟いた時、涙が零れ落ちた。抱えていた願いを言葉にしてしまった。可能性があるといっても、最愛の女性がずっとこんな状態で泣き言の一つも言うなという方が無理な話だ。目の前にいる彼女に悟らせまいと顔を伏せるが、きっとそんな心配すら要らぬ気苦労なのだろう。

「藍………っ」

「………」

「………っ」

「———昂輝こうき

「え………?」

 二人だけの病室で、俺以外の声が聞こえたことなんて今まで一度もなかった。驚いて思わず頭を上げるが、そこには変わらずどこでもないどこかを無表情で見つめる藍の姿があるだけ。

「藍、お前いま、なんて………?」

「………」

「そうだよ藍、お前の恋人の昂輝だよ!」

 俺は思わず彼女の両肩を掴んで身体をまっすぐこちらを向けさせる。そうさせてもやはり彼女の双眸は俺を映してはいない。虚ろな表情のまま、俺ではないずっと遠くの何かを見ていた。

「藍、どこ見てるんだよ。お前は一体何を—――」

「………」

 それ以上、藍は何も答えなかった。

 でも、今はそれだけで十分だった。

 藍は俺のことを覚えていた。そして、確かに俺を呼んだ。もう遅すぎるなんてことはない。

 あの部屋に集まった、顔も名前も声も知らない誰でもない誰かたち。でも彼らは確かに自分と同じ世界に居て、それぞれが思う道を選んで時に傷つきながらひたむきに走り続けた。今この時も。そんな彼らのわだちを垣間見たからだろうか。不思議と、会ったことのないはずの彼らに背中を押されているような気分になる。それは例えるなら、青信号に背中を叩かれるような感覚だった。

 “奇跡”は、きっとまだ起こせる。俺が起こしてみせるんだ。


 ———あの人たちみたいに。


 俺は頬を伝っていた涙の跡を拭い、改めて彼女に向き直る。

「なぁ、藍。俺達が初めて会ったときのこと、覚えてるか?」

「………」

「あれは俺達がまだ高校生のときで―――」

 次は、俺たちの轍を振り返ろう。あの日から変わってしまった、道の途中で立ち止まっている君を探しに。君と一緒にいる明日を迎えるために。


***

***

***


ミナミモト【行ってきます!】


 ———田中太郎さんが退室しました

 ———ブルーベリーさんが退室しました

 ———サクラさんが退室しました

 ———彩路さんが退室しました

 ———グロイさんが退室しました

 ———バニラアイスさんが退室しました

 ———ランドスターさんが退室しました

 ———keyさんが退室しました

 ———ワーミーさんが退室しました

 ———アンバーさんが退室しました

 ———ミナミモトさんが退室しました


 ———チャットルームには誰もいません

 ———チャットルームには誰もいません

 ———チャットルームには誰もいません



---終---

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僕たちの轍 棗颯介 @rainaon

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