第19話『memory』
社内での話し合いを経て、プログラミング勉強会は日曜日に開催されることになった。まぁ、順当な結果なんじゃなかろうか。平日の業務後とかになると時間が取れないだろうし、帰りが深夜になるかもしらんからね。
当面は特に誰かを講師役にすることもなく、それぞれが互いに教え合う形にするそうだ。片岡さんは「PHPなら任せてください!」なんて張り切っていたけど、勉強する言語も会社からは特に指定しないで、各個人で自由に選べるらしい。
私は何を勉強しようかなぁ~?やはり当初の目標であるPythonにするか?そうすれば三原さんと会話する機会も増えるだろうし。
勉強時間についても、9時5時とかキッチリ時間を決めてやる訳じゃなく、柔軟に、各自のペースで進めていいそうなので、風香に長時間お留守番を頼まなくても済みそうだ。
有り難い話だよ。ひょっとして浦沢さん、私に気を遣ってくれたんかな?私だけじゃなく、風香のことも考えてくれているんなら、本当に助かる。他の人より勉強時間が短くなるだろうけど、その分気合い入れて頑張らなくちゃな。
勉強会初日。日曜日だというのに、平日と同じく早起きして、軽く家事を片付ける。
風香のお昼ご飯は何を作ろうか?なんて考えていたけど、私の分と一緒に同じお弁当を作ってあげることにした。風香は食べ物の好き嫌いが無いから、こういう時本当に助かる。ウインナーを1本オマケしてあげよう。
最近は風香が出来るお手伝いも増えてきているので、私も安心して外に出られるようになっている。本当に、子供の成長って早いもんだねぇ~。
「それじゃ風香、ママ会社に行くからね。何かあったら携帯に電話するのよ?夕方迄には帰るからね」
「は~い、ママ。お勉強頑張ってね~。風香も、お留守番頑張るよ~」
風香の笑顔にお見送りされる。平日仕事の日と同じだけど、今日は日曜日。お仕事じゃなくお勉強しに行くってことで、少し新鮮な感じがする。
会社に到着。事務所に入ると、既に何人かは先に来ていて、早速自分の席で何やら勉強しているようだった。
私も自分の席でPCを起動して準備に取り掛かる。この前買っておいたPythonの入門書をバッグから取り出した。
自宅で軽く読んでみたけど、最初の方はまだ易しい内容だったものの、ページをめくるにつれてどんどん難しい話になっていて、今の私には全然理解出来ない。
まぁ、何事も最初はこんなもんだろう。HTMLやCSSだって最初はチンプンカンプンだったんだ。それでも根気よく続けていれば、そのうち理解が追いつくと思う。
黙々と、本を読みながら簡単なコードを入力し、出来たら実行する。メッセージボックスを表示させたりしながら、一つずつ着実に進めていく。
何かこのPythonって言語は、使い方次第で色々な処理が出来るらしい。この前の案件で三原さんが対応していたのは、テキストを検索したり抜き取ったり、Webページを編集したりする機能があるんだとか。
ソースコードもファイル一つだけじゃなく、いくつかの実行ファイルが互いに別々の処理をやってデータをやり取りしながら、最終的にWebページを出力するんだとかで、話を聞いているだけでもとにかくややこしい。
三原さんは単純処理の組み合わせなんて軽く言うとったけど、とてもじゃないけど私には理解出来んかった。あんな難しいプログラムを書けるんだから、本当に三原さんは凄いと思う。
本に書いてあるサンプルコードをひたすら打ち込み、片っ端から実行する。実行結果はもちろん、本に書かれている通りだ。
初心者向けの入門書なんだから、まだ最初の方は理解出来るけど、進んで行ったら一気に情報量が増えて訳分からんことになった。
配列って何だ?関数って何だコレ?forとwhileってどう使い分けるんだ?オブジェクトって何だよ?
あ~ダメだ、頭がこんがらがってきた。頭がガンガン痛いし、ここは一旦タバコ休憩にしよう。
事務所の外にある喫煙所。ビルの裏口脇に、ただ灰皿が置いてあるだけの簡素なものだ。この会社ではタバコを吸うのは少数派なので、まぁこの冷遇もやむなしってところか。
何か自主的な勉強も行き詰まってきた感じだなぁ~。やはり三原さんに教えを乞うべきだろうか?一応、何人かはPythonを勉強しているみたいだし、出来ればそちらを頼りたい気持ちもある。
しかし、今回の勉強会は三原さんとコミュニケーションを取れないか?という目論見もあるからなぁ~。
う~~ん…、あまり気が進まないけど、三原さんと話してみるかなぁ~?
散々迷った挙げ句、結局誰にも相談出来ないまま勉強会初日は終わってしまった。マズいなぁ~…。もっと他の人とコミュニケーション取らないとって考えていたのに。この次やるのは1週間後、それまでに心の準備をしておかないと…。
スーパーで軽く買い物だけしたらサッサと帰宅し、また風香の笑顔に出迎えられる。
「ママ、お帰りなさ~い。お勉強頑張った~?疲れたんでしょ~?」
風香の澄んだ瞳で見つめられるが、正直胸を張って言える程の成果が無い。本に書かれた通りにサンプルコードを入力していただけだし。
「ただいま、風香。ちょっと疲れちゃったけど、ママ全然平気だよ。直ぐ晩御飯の支度するからね」
買い物した品を片付けたら、そのまま台所で料理をする。今日は焼きそばが安かったんで、献立は即断即決した。
焼きそばでご飯とか、炭水化物×炭水化物だけど、豚肉と野菜マシマシにしたら大丈夫だろう。家で食べるんだから、青海苔もたっぷりと振りかけてやれ。
ここで痛恨のミス!冷蔵庫に紅しょうがが残っていた筈なのに、全部使い切って残っていなかった。ウッカリしちゃったなぁ~。紅しょうがの無い焼きそばなんて、イマイチ物足りないじゃんか。
それでも、風香は美味しいって言ってくれたので良しとしよう。今日も1日、平和に終わってくれて良かったな。
食後の歯磨きも終わり風香はお風呂に入っている。今のうちにWebサイトの更新をやっておこう。
職業訓練を受けている時に緒方さんの勧めで始めた私のWebサイト。再就職してからは更新頻度が低くなったけど、今でも地味に日記を書き続けている。週1程度の更新だから、日記と言うのも変だけどさ。
緒方さんが用意してくれたマニュアルが完璧過ぎて、私でもLinuxの扱いが大凡分かってきた。定期的にOSの更新もしているし、バックアップもやっている。
アクセスログを見ると、どこの誰かは分からないけど、色んな人が私のWebサイトを見てくれているのも分かって、サイト更新の励みになっている。
このWebサーバ…、緒方さんとの唯一の思い出の品になっちゃったな~…。
あの日、緒方さんと一緒に秋葉原へ行って、あちこちPCショップ巡りをやったっけ…。見るもの全てが新鮮だった。私が知らないことを、一つ一つ分かりやすく噛み砕いて説明してくれた。そのお陰で、私でも自分のWebサイトを運営出来ているんだ。
本当に、緒方さんには感謝している。こんな私に新しい知識を身に付けさせてくれて、生きる希望を与えてくれた。
でも…、もうあの人には二度と会えないんだ…。
あの頃を思い出すと、正直言って泣きたくなる。でも、泣いたからって緒方さんが生き返る訳ないし、何も解決しない。それが分かっているから、どうしようもない、遣る瀬無い気持ちになってしまう。
私はどうすれば良いんだろう…?
私には大切な家族、風香がいる。風香を守る為、生活を守る為に働かなくちゃいけない。だから今の会社で一生懸命、働くしかないんだよ。
問題は浦沢さんだよなぁ~…。すごく良い人だとは思うけど、あの日、呑んだ後で口説かれたのが、ずっと尾を引いている。
あの人は本気で私なんかを抱きたいと思っているんだろうか?本気で一生愛してくれるんだろうか?
そして私は、あの人とどうなりたいんだ?受け入れたいのか?身も心も開きたいのか?何かちょっと、抵抗あるよなぁ~…。
見た目良し、性格良し、社会的地位良し、おまけに若いから将来性もある。文句の付け所が無いくらい良い人なんだけど、だからこそ私なんかで良いのか?ってのが引っかかるし、第一17才も年下だからなぁ~。
結局私は、何よりも世間体やらを気にしているのか。本心ではどうなんだろう?少しは浦沢さんの気持ちを受け入れてみたいと思っているのか?
そりゃぁ男の人に言い寄られれば、悪い気はしない。あんなに良い人なら尚のことだ。
それに、あの人は風香も一緒に愛してくれると言ってくれた。私達と家族になるつもりだってことだよな…。
その言葉に嘘偽りが無いなら、本気でそれだけ覚悟してくれているのなら…、私はその気持ちを受け入れてもいいのかもしれない…。
緒方さんが作ってくれたWebサーバに視線を向ける…。あの日、私と緒方さんと風香とでお茶したっけ。何だか家族になったみたいな錯覚を感じたなぁ~…。
本当に、緒方さんと家族になりたかった…。緒方さんと私と風香とで家族になっていたら、きっと幸せな家庭を築くことが出来たんじゃないだろうか…。
浦沢さんとならどうなるんだろう?風香は浦沢さんに悪い印象を持っていないみたいだけど、新しい父親として受け入れてくれるんだろうか?
私自身はどうだ?17才も年下の人を、新しい旦那さんとして受け入れられるだろうか?
イマイチ現実味が無いのは、あの人との思い出がまだ足りないからかもしれない。これから先、もっと親しくなって、共有する思い出が増えたら、感じ方も変わるのかな…?
二人の時間…、そして風香も一緒に三人で作る思い出…。それが出来たら、心の中で引っかかっている何かも消えるのかもしれない…。
魔法少女になりたくて ひま☆やん @himayan
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