【朗読あり】誰がいるんですか?
武藤勇城
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誰がいるんですか?
知る人ぞ知る心霊スポットがあります。埼玉県毛呂山町の山中にある『鎌北湖』です。
あれは自分が免許を取って、何年か過ぎた頃だったでしょうか。休日には一人でよくドライブをしていました。目的地を決めず、近場のよく知った道を適当に走ったり、逆に全く知らない土地へ向かって、ちょっとした冒険を楽しんだり。カーナビがまだ普及していない時代でしたので、よく道に迷ったものです。
そんなことを繰り返すうちに、幾つかのお気に入りの場所が出来ました。例えば飯能市の端にある『正丸峠』などは、山道のドライブをする時の目的地として、距離的にちょうど良く、何度も訪れました。もっと近くて気軽に行ける『巾着田』は時間のない時に。時間があれば埼玉県を離れ、群馬県の温泉街や、山梨県の史跡、神奈川県か千葉県まで海を見に行くこともありました。そんなお気に入りのドライブスポットの一つが『鎌北湖』です。
当時の自分は、そこが心霊スポットだなんて知りもしませんでした。ただ単純に少しドライブをしたい時に、また桜と紅葉の季節などに、幾度となく訪れたものです。風光明媚な場所で、いつも美しい自然と澄んだ空気が迎えてくれました。湖の周辺には桜の木が植えてあり、満開の季節には湖周辺がピンク色に染まります。湖に映る桜、散った花びら。それらを眺めながら、途中のお店で買ったお弁当やおにぎりを食べ、湖の周辺を散策して帰ります。同様に、秋になれば山の樹々が赤や黄色に染まりますので、それを見ながらドライブしました。
その日も綺麗な桜を見ようと、鎌北湖へと向かいました。春先で、桜は満開ではなかったと記憶しています。満開になる前だったか、少し散り初めだったか。長袖を着ていましたが、車の中は暑く、途中で上着を脱いで半袖になっていたと思います。
湖のほとりにある駐車場に車を停めると、外で大きく伸びをしました。数時間のドライブで凝り固まっていた、肩や腰をほぐしました。ちょうど自分が車から降りた時に、一台の車から老夫婦が降りて、湖へと向っていきました。自分も軽くストレッチをしてから、老夫婦の後に続いて湖へ。そこで老夫婦の会話を聞いてしまったのです。
「ここだよ、この辺。水死体が上がったのって・・・」
えっ? 水死体!? なにやら、数日前に自殺した人がいたらしく、地元の新聞に書いてあったようです。嫌な話を聞いてしまったな、と思いながら、老夫婦の横を通り過ぎて、自分は山道の方へ向かいました。
鎌北湖は、湖の周囲を一周する散歩道の他に、既に廃墟となったホテルの脇を抜けて、山頂の方へと向かう遊歩道、ハイキングコースがあります。湖に映る桜を眺めながら歩いていると、ホテルの手前辺りで、一人の登山者とすれ違いました。
「こんにちは~」
「こんにちは」
山道ですれ違う時は、見知らぬ人でも挨拶をするのが通例です。自分の呼びかけに、相手も気持ちよく挨拶を返してくれました。その時また、聞いてしまったんですよ。
チリーン、チリーン・・・
という鈴の音を。何だろうと思って振り返ると、登山客のリュックに付いていたんです。熊鈴が。ある日の森の中で熊さんに出会わないため、熊に人間の存在を知らせるのが熊鈴です。
つまり・・・この山って、熊、いるのか!?
そんなに大きな山ではないので、熊がいるなんて思ってもいませんでした。いや、いるのかいないのか、今でも判然としませんけどね。半袖で、ペットボトルの飲み物を片手に持っただけの、軽装の自分。ちょっと怖い体験でした。
これで話は終わり・・・
・・・じゃないですよ?
熊がいるかも知れない、とはいえ、そうそう出くわすこともないだろう。そんな軽い気持ちで、山登りを始めました。熊がいるかも知れない、と思うと、山道のそばの茂みや、小川を挟んだ反対側の森の中が気になってしまうものです。キョロキョロしながら、自分は山道を登って行きました。
到着した時に、老夫婦が不気味な話をしていたし、熊鈴を持っていた登山客もいたし。いつも小一時間のハイキングで向かう地蔵までは行かず、適当なところで帰ろうか。そんなふうに思いながら、歩いていました。山道の途中に、県道があります。山道は、その県道を横切る形で先に続いているのです。今日は、そこまでにしよう。三十分程でその場所に着いてしまいますが、まあ良いでしょう。
そう決心して、ふと山道の先を見上げると、登山客が一人、山を下ってくるところでした。鎌北湖に到着したのが午後二時過ぎだったと思いますので、まだ三時前でしょうか。周囲も明るく、見通しの良い場所でした。
「こんにちは!」
「こんにちは~」
狭い山道でしたので、少し道の脇に避けながら、すれ違いました。人はあまり見ません。熊鈴を持った登山客以来の、第二山人でした。相手も返事をして、軽く会釈をしながら通り過ぎました。自分はもう少し先の目的地を目指し、ゆっくり歩を進めようとした、その時でした。
「こんにちは~」
後ろで、さっきの登山者が挨拶する声が聞こえたのです。自分がゆっくり登っていたので、後ろから他の登山者が追い付いてきたのでしょう。山道は狭いので、道を譲って先に登ってもらった方が良いだろう。そう思い、道の脇に寄って、後ろを振り返ると・・・
先ほど挨拶をしてすれ違った登山客以外、誰もいないのです。
えっ? 今、挨拶しましたよね? はっきり聞こえましたよ、こんにちは、って。
やめて下さいよ。誰に挨拶したんですか?
そこに、誰がいるんですか?
【朗読あり】誰がいるんですか? 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro
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