第3話 一陣の風として
残酷なことに、夫は娘の目の前で縄をかけられました「いやだ、父ちゃんを連れて行かないで。母ちゃん助けて! 菊乃、いい子にするから、どうかお願いだよ」💦
役人の親分に引き立てられてゆく父親にすがりつく幼い娘のすがたは、急を聞いて集まって来た村人たちの胸を激しくふるえさせましたが、どうしようもできません。
捕えられた夫には、いっさいの弁明が許されませんでした。作物が採れたらお返しするつもりでした……そんな真実を語ってみても、いまさら、なにになりましょう。
困っている人には黙って手を差し伸べ、見返りを求めず、他言はしない……そんな夫が村中の老若男女から慕われるようになったのは、しごく自然な人情だったはず。
なのに「たかが小作人の分際で庄屋をさておいて出しゃばるとは目障りな。人には人の分というものがある」まことに肝っ玉のちっぽけな庄屋夫婦でした。"(-""-)"
🤬
そのころ、またしても大水で流された橋の修理の話が持ち上がっておりました。
こう毎年毎年では……途方に暮れる村びとに、ひとりの男が言い出したのです。
「そういやあ、となりの越後の信濃川沿いの村じゃ人柱を立てたっちゅう話だぞ」
みんな、ぎょっとして男を見ました。人柱だと?! だれが犠牲になるのだ?!
みなうつむいているので、男は脂ぎった小鼻を
「そうと決まりゃあ善は急げだ。人柱にふさわしいやつ、だれか知らねえかい?」
そのとき、間髪を入れず答えたのは、夫のことを庄屋に告げ口したあの男でした。
「ちょっといいかい。ここだけの話だがさ、実はとんでもねえ野郎がいやがってな」
ふたりの手下をつかって村人を操ったのも、気に入らぬ夫に白羽の矢が立つように巧妙に仕組んだのも、すべて庄屋夫妻の
🍄
哀れ、夫はきつく縄でしばられたまま、久米路橋のたもとに引き立てられました。
野良着はやぶれ、髪はそそけ立ち、わずかな日時にすっかり面変わりしています。
付き添っているお役人のひとりは、菊乃の手鞠歌に心を痛めたあの若い方でした。
深く被った笠の下の目は潤み、袴に隠された膝頭は小さくふるえているようです。
自分の無力を口惜しがる若いお役人さんの前で、もはや夫は観念したものか、縛られた身体を微動だにいたしません。とそこへ、一陣のどよめきが巻き起こりました。
転がるように川岸を走って来るのは娘の菊乃です。気の毒に思った女衆のだれかが連れて来てくれたのか、それとも父親の大事を知り一目散に駆けて来たものか……。
粗末な着物の裾を絡ませた菊乃の脚に犬のゴローが無心にまとわりついています。
瞬間、風のわたしは怒りと悲しみに烈しく取り乱しました。(´;ω;`)ウゥゥ ウゥゥ
――ぴゅ~っ、ぴゅ~っ!😨
父ちゃん、父ちゃん!😭
ワン、ワン、ワンッ!🐕
わたしという風に乗って、菊乃の絶叫と、ゴローの鳴き声が、ちぎれ飛びます。
びくっと肩をふるわせた夫が蒼白の顔を歪め、もの凄い形相で振り向きました。
あわれ父と子は、遠く隔てられたままで今生の別れを告げねばならないのです。
遠巻きにしていた村の衆は、いっせいにうつむき、肩をふるわせ合っています。
娘の声に夢中で立ち上がろうとした夫は、縄に足を取られて倒れてしまいました。
ああ、その不自由な足を早くもヒタヒタ濁水が濡らしてゆくのです。💦💦💦💦
「父ちゃん、いやだあ! 父ちゃんを助けて! うわぁあぁあぁ、うわぁあぁあぁ」
垂れこめた黒雲のもと、菊乃とゴローの悲鳴がするどく悲しくひびきわたります。
けれども、夫の身体はズブリズブリと、少しずつ橋桁のわきに沈んでゆくのです。
肩が、顎が、口が、鼻が、眉が、ついに頭の先まで沈み、あとには小さな泡……。
🍃
その日から、菊乃は、ふっつりと口を開かなくなりました。
小さな胸がどんなにせつなくても、涙ひとつこぼしません。
天涯孤独になった菊乃を引き取ってくれたのは、わたしの弟夫婦でした。なんの罪もない姪を不憫がり、実の子どもたち同様に、それは大切に慈しんでくれたのです。
そんな菊乃にぴたりと寄り添う黒い影、それは犬のゴローでした。人前では決して泣かない菊乃が物かげでひっそり頬を濡らしていると、すかさず駆け寄って来ます。
心ない親の口移しを恥じない村の腕白坊主に「やあい、やあい、菊乃の父ちゃん、極悪人の人柱」意地悪く囃し立てられると、牙を剥き出して飛びかかっていきます。
人びとの心とは無縁に、月日は流れて行きます。
一瞬たりとも流れを止めない犀川のように……。
*
久米路橋のその後ですか? 当初こそ人柱の霊験あらたかと言われていましたが、すぐにまた大水に流され、無惨にも橋脚付近から夫の白骨が浮かび上がったのです。
🐦
それからまた時が流れ、ある穏やかな秋の日のこと、収穫の手を止めた村の衆が、折れ曲がった腰を伸ばしかけたとき、ダーン! 里山から物騒な音が聞こえました。
藪をかきわけて出て来た猟師の両手には、一丁の火縄銃と血だらけの雉が一羽。
そこへさっと駆け寄って「雉よ、おまえも鳴かずば撃たれなかったろうに……」
やっと聞き取れる、か細い声で呟いたのは、美しい少女に成長した菊乃でした。
「たまげたな菊乃。死んだ母ちゃんに生き写しの
騒ぐ村人をしりめに、血染めの雉を抱いた菊乃は静かに山へ入って行きました。
老犬となった忠犬のゴローが、姫君を守る家臣のように粛々と従って行きます。
🏙️
風になったわたしが見上げる高い空を、白鳥が三羽、仲よく南へ渡って行きます。
灰色の
業が、愛が深すぎるから、いつまでも救われないのだ。
風の仲間に言われますが、果たしてどうなのでしょう。
犀川ひとばしら伝説 💧 上月くるを @kurutan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます