キレイな蝶の育て方

食うか食われるかの世界にようこそ

 私との一夜以来、隆宏は何度となく私に手を出そうとしてきたけれど、私はそれをことごとくかわし続けた。そのたびに彼は「どうして僕を避けるのか」と不満げな顔をしていたのだけど、それがある日を境にそれがすっかり変わってしまったのは、こういう経緯だ。


 いつものように、彼が物欲しそうに風呂上がりの私を眺めていた。私は生活態度をあらためる気はなく、しかし彼のやるせない欲望も理解できる。かわいそうになった私は、彼はもっといろいろな女性を知るべきだと思って、マッチングアプリを勧めたのだ。彼は初めは頑なに登録を拒んでいたのだけれど、

「若い男の子は多少遊んでいた方が魅力的よ」

 と言って焚きつけていたら、ついにその日、彼はその大きな一歩を踏み出したのだ。

 私としては、ひな鳥の巣立ちを見る親鳥のような気分なのである。


 隆宏は顔はかわいらしいし、スペックは日本国籍でS大学経営学科、ほぼ最強と言っていい。


 マッチングアプリと言ってもいろいろあるけど、隆宏が選んだのは、日本でいう出会い系に近いやつだった。それでいいの?と聞いてみたら「本気のパートナー選びをしたいわけじゃないんで」とのこと。そっちは野生のジャングルよ、と思わないでもなかったけれど、一度そういう世界を見てみるのも有りだと思って、本人の希望に任せた。


 そんな彼が最初に捕まえた獲物は、30代の美人な女医さん。写真を見る限りではなかなかのグラマーさんだ。これは、捕まえたのではなくて捕まったのかもしれないが………。


 隆宏は嬉しそうに私に経過を報告をしてくれる。私はそれをニコニコしながら聞いている。なんとも不思議な関係だ。


「それでね、カナさん。チャットの話題がもう三日も途切れないんだ。向こうもほとんど即レスでさ。ほんっと飽きなくて困っちゃうよ」

「……それは楽しそうで結構ね」


 ああ、こういうダメ男が何人もいたな……私はかつて自分が現役だった頃のことを思い出していた。かわいい隆宏のためだ。ここはお姉さんが指導してあげなくては。


「隆宏くん、いいこと?あなたの目的は何かしら」

「マッチングアプリだから、仲良くなること、じゃないんですか?」

「バカねぇ。なんのために仲良くなりたいの?」

「それは…………」

「正直に言いなさいよ。怒らないから」

「…………おっぱい、触りたいです」

 消え入るような小さな声で隆宏が言う。


 その答えにはさすがにがっかりだ。

 どんな風に見えたとしても、アプリの向こうにいるのは人間だからね?的なことを真面目に思いつつ、私は隆宏への教育が足りなかったと素直に反省した。

「ブブー、十点。そんな男は風俗にでも行っててくださぁーい」

 といって隆宏をからかう。


 これにはさすがに隆宏も堪えたらしく、もう少し考えて

「ごめんなさい。僕はカナさんとセックスしたいんです」

 などと言ってきた。もぅ。正直すぎるのも考え物だ……。

 嬉しいけど、私はダンナ以外とはやらないの。あくまで原則だけど!

 そこで私は、

「それはダメ。けどその答えは六十点ね。隆宏くん」

 といって助け船を出すことにした。

「え?どうして?」

「私としたいんでしょう?でもそれはダメなの。だったら他の女性、たとえばこの女医さんとしたいとは思わない?」

「ええええ?そんなの不潔じゃないですか?」


 キレイなお子様。……いや、だれにでもそういう純粋な時期はあるだろうから、そこまで言っちゃ悪いか。

 私は思わず頭を抱えて、それからクスクスと笑い始めてしまった。


 それを見て、

「何が悪いんです!僕の想いを馬鹿にしてる!」

 と隆宏は怒りだす。まあ少しは嬉しく思うところもあるけれど、私はため息をつかずにはいられない。それで

「あなたは正しい、隆宏くん。でもそれだと、どこまでいっても、叶わぬ夢見て結局何もできない男、そんなところかしらぁ?」

 と言って、わざと挑発的に、やれやれ、といった態度で返した。


 隆宏は何も言い返せないようだ。ここからはストレートに説得することにしよう。


「いいこと、隆宏くん。まずはっきりしてちょうだい。やりたいの?やりたくないの?」

「…………やりたいです。あの気持ちよさを知ってしまったら、もう元には戻れません」

「正直でよろしい。ではあなたにはチャンスがあります。この女性、美人の女医さんよ!この人がマッチングを希望してくれたのだけど?」

「はい。だから仲良くなりたくて、チャットしていました」

「あんたバカ?いくらチャットしたって永遠にやれる日は来ないわよ」

「そうでしょうか?」

「そうでしょう?あなたの股間に生えているものがUSBケーブルでもない限り、スマホとセックスはできないの!」

「そりゃそうですが…………」


 ああ、なんとめんどくさい男だ……。最近の若い男ってみんなこうなのだろうか。

 学校は一体どんな教育をしているのだ??


「セックスのしかたは知ってるわよね」

「はい。知っているつもりでしたけど、本当のことはカナさんに教わるまで知りませんでした」

「余計なことはいいから。とにかく男性が何をするべきかわかっているなら…………」

「そうか、ホテルに誘わないと」

「バカね。いきなり誘ったら断られるに決まってるでしょ」

「じゃあお食事?」

「八十点」

「水族館デート?」

「七十点。相手もやりたがってるのよ?なに遠回りしてんのよ」


「じゃあお食事にでも誘います」

「ちょっとお待ちなさい。相手は30代の女医、結婚したかったらできるスペックよね。でもこのサイトに登録している。それはなぜ?写真をよく見てみなさい」

「あ、加工がしてありますね。胸のあたり、おっぱいだけじゃなくて背景も膨らんでる!」

「本気よりは遊びたい人かもね。それだと、今のあなたなら、食事おごらされておしまいかもねぇ」

「どうしましょう?僕には無理な相手なんでしょうか?」

「ここは作戦を授けるわ」

「よろしくお願いします、博士。じゃなかったカナさん」


 私が授けた作戦は、褒めちぎって褒めちぎって、ある日から突然既読スルーする、二股をかけていることを匂わす、というもの。

 子供だましかもしれないけれど、いまの隆宏のレベルだとこれでも相当無理があるだろう。


 しかし隆宏の数日間の努力は実を結び、なんと向こうから誘ってきたのである!


「カナさん、見てください。豪華な上海料理をごちそうしてくれるみたいですよ?」

「それはそれでちょっと危ないんだけど……。まあ、前後の会話を見る限り、これはきっと脈ありね」

「ど、どうすればいいでしょう?」

「あなた、やりたいのよね?」

「はい、やりたいです!」

「だったらやってきなさいよ。向こうもきっと待ってるわ」

「行ってみたらただのグルメ仲間募集、ってことはないですか?」

「予約の時間を見てみなさいよ。五時半スタートの七時半終了の夕食って。露骨に誘っているようなものよ?」

「そんなものなんでしょうか」

「そんなものよ。心配しなくても、向こうがその気ならちゃんと誘ってくるから」

「僕なんかが相手で良いんでしょうか?」

「今回はあなたが食われる側だから、余計な心配しなくて良いの。あ、相手は年上だから、妙な背伸びしちゃダメよ?あと、避妊だけは気をつけて。この相手だと妊娠させると致命傷かもだし、それに感染症、こわいからね」

「ハイ!」


 新調したカジュアルスーツに身を包み、髪は少し崩した流行のスタイル。

 靴はイタリアの有名ブランドでそんなに高くないものを。時計はロレックスの安いモデルくらいにしておく。

 いずれも30代の女医の経済感覚に合わせたチョイスだ。

 ここで時計にパテックを持ってくるような残念男を、私はたくさん見てきた。隆宏にはちゃんと教えておいてやろうと思う。


 はたして、隆宏が帰ってきたのは翌日の昼過ぎのことだった。

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彼氏メタモルフォーゼ 豚玉ダブル @Okonomix

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