近くて遠い男たち

 むせかえるような甘い香りの密室で、隆宏は相変わらず私の体を貪っていた。惨めな結果に終わった最初の日。それからたったの一週間だというのに、もうすっかり女に慣れてしまったらしい。私のカラダに覆い被さりながら、彼は私の乳房や背中を愛撫していた。そして時々、私の唇を求めてくるのだ。私は彼の首筋に手を当てて、彼が満足するまで口づけさせてやった。


「カナさん、僕はもう死んでも構わない」

 そう言って、彼はまた激しいキスをした。

 そんなことを言う男は嫌いよ、と私が言うと、彼は大きく首を振った。

「嘘じゃないです。本当に、死ぬほど幸せです」

「それはよかったわね」

「ええ、僕にはあなただけでいいんです。他には何も要らない。何も望まない。だから、僕のそばに居てください。お願いします」


 私はため息をつく。

(なんて愚かな子)

 私はこんなふうに男に執着されたことはなかった。かつて付きあった男たちは、皆あっさりとしたものだった。それが、どうだろう? この青年は、他の女を知らないからだろうか。一途に、ただひたすら、私だけを欲しがっている。


 それなのに、どうして私は、彼を拒まなければならないのだろうか。

 ああ、でも駄目だ。彼の隣にいるべきなのは、もっと若くて未来のある女性。だから、これはいけないことなのだ。


 ***


 その日は昼すぎに弘樹が出張から帰ってくることになっていた。少しおかしな天気の日だった。太陽が見えているのに雨が降ってきたかと思うと、ときどき遠くで雷鳴が聞こえて、雹が降り出すという奇妙な一日だった。


 私は弘樹のことをオムライスを作って待っていた。いつもと違うのは、二人前ではなく、三人前を作ったことだ。隆宏は、

「カナさんさえ良ければ僕は気にしないですよ。弘樹さんとカナさんの邪魔はしませんから」

 と言っていたけれど、結局はお腹が空いたとかなんだかんだで、隆宏の分の食事まで用意することになったのだ。


 おかしな天気のせいで飛行機も大幅に遅れたらしく、弘樹が帰ってきたのは午後遅くなってからだった。


 隆宏も私と一緒に弘樹を玄関先で迎える。隆宏には、この家に居づらかったらホテルに泊まるように言ったのだけれど、彼は相変わらず

「いいんですよ。気を遣わないでください。僕はここにいます。迷惑をかけないようにしますから」

 と答えたのだった。


 隆宏は弘樹を迎えるとスーツケースを受け取り、部屋の中に運んでいる。私は隆宏の少し後ろを歩きながら、弘樹に

「疲れたでしょう?」

 と声をかけた。すると弘樹は気もそぞろな様子で

「大丈夫だよ。それより腹減ったよ」

 と言って、そのまま隆宏の方に歩いて行った。それから弘樹は隆宏に近づいて、何か話を始めた。隆宏はなにか答えていたようだけれど、私には聞こえなかった。


 三人でいっしょに食べるオムライスは、私にはとても背徳的に感じられた。しかし隆宏と弘樹はとくに思うところはないらしく、私にはわからない仕事の話で盛り上がっていた。

「インドでのテストは、さぞ盛り上がったでしょうね」

 と隆宏が言うと、

「うん、まぁね。あれだけの感触はなかなか得られないと思うよ。間違いなく売れると思う」

 と弘樹が得意そうな顔をしていた。二人は何か新しい製品の話をしているのだろう。屈託のない笑顔で、心から楽しそうに話している。その様子を見ながら、つい数時間前、隆宏が私に情熱的に語ったことを思い出していた。その変わり身の速さを見ていると、私にはこの男たちのことが、ほとんど宇宙人のように見えてくる。


 私は二人の会話に水を差さないタイミングで席を立って、

「弘樹、お風呂の用意、しておくわね」

 と言った。弘樹は

「ああ、ありがとう。頼むよ」

 と言って、私に微笑みかけた。それから弘樹は隆宏に向けて、

「隆宏君、久しぶりに一緒に風呂に入らないかい?」

 と声をかけた。


 私は、その誘い方に驚いて、思わず

「あら、弘樹、今日はお風呂で何をしたいの?」

 と聞いてしまった。

「いや、別に深い理由はないんだけどね。たまには隆宏君とも裸のお付き合いをしようかなと思ってね」

 と言う。


 さすがに男性二人とお風呂に入るのは不道徳だと思った私は、

「うちのバスタブ、三人だと狭すぎるんじゃないかしら」

 と言う。弘樹は不思議そうな顔で

「なにもカナちゃんまで一緒に入らなくても」

 とつぶやく。どうやら弘樹は隆宏と二人だけで風呂に入りたかったみたいだ。私は

「そ、そうよね」

 苦し紛れにそう答えると、弘樹は

「カナちゃんはあいかわらず、いろいろと逞しいな」

 と言って、呆れたような表情を見せた。


 結局、二人が風呂場で何をしていたのか、私にはわからなかった。風呂上がりの弘樹は

「隆宏君も隅に置けないね。あの子もいい男になってきたじゃないか」

 と上機嫌だった。隆宏が弘樹に何を話したのか気になった私は

「あら、どんなところがいい男なの?」

 と聞いてみた。すると弘樹はニヤリとして

「秘密。でもカナちゃんもそう思うんだろ?」

 と言う。思わせぶりな態度に、私は隆宏のことを弘樹に寝取られた気分になっていて、弘樹にちょっとした嫉妬を感じていた。それで

「知らない。私はこれからお風呂に入るけど、弘樹は隆宏のこと襲っちゃダメよ」

 と、つっけんどんに言うと、そのままバスルームに向かう。弘樹は笑いながら、

「なんだそりゃ」

 などと言っていた。



 お風呂上がり、私はいつものように下着一枚でバスローブを羽織ってリビングに出た。いつもの格好で体を乾かして肌の手入れをするところだった。しかしそこには先客がいて、隆宏と弘樹が楽しそうに雑談していた。二人とも、Tシャツに短パンという格好。二人の視線が私に向くと、私はおもわずバスローブの前を閉じて、体を隠さずにいられなかった。弘樹はそんな私を見て

「ああ、僕たちのことは気にしないで」

 と言った。いつもは平気でさらしているはずの醜態を、今日はなぜだか、この二人に見られることに耐えられなかった。バスローブを閉じて体を隠したまま、リビングを出て部屋に向かった。扉を閉めて、そのままベッドの上に倒れこむ。


 私の頭はもう限界まで混乱していた。もしこれが恋愛小説なら、ダンナの支配を逃れたい私は、若くて従順な隆宏を手にとって、二人で逃避行の最中かもしれない。そうでなければ、隆宏に私を寝取られたと知った弘樹が、激高して隆宏を殴りつけて、私も隆宏をかばって殴られて、それから陵辱されるのだ。


 けれど、これが現実だ。こういうのも三角関係というのだろうか? それとも、客観的に見れば、男たちの友情の蚊帳の外に置かれた寂しい女が、ただただ色情に狂ってしまっているだけのように見えるのだろうか。


 ***


「そんな格好で寝ていると風邪引くぞ」

 弘樹が私の肩を揺すっている。

「ん……弘樹、どうしたの?」

 どうやら私はほとんど裸のまま、ベッドに顔を伏せて寝入ってしまっていたらしい。目の前にはTシャツにスウェットパンツ姿の弘樹がいる。


「どうしたのじゃないよ。もう十一時だよ」

 呆れたように弘樹は私に言った。

「えっ! うそ。なんで起こしてくれなかったのよ!」

「隆宏君との話が盛り上がってしまって。ごめん」

「隆宏と何を話してたの?」

「隆宏君の昔の恋人の話とか、昔の僕のこともね。あとは仕事のこととかね」


 隆宏と弘樹が何を話したのかなんて、本当はあまり興味が無かった。ただ気になったのは、私を起こしに来た弘樹の股間がびっくりするほど膨れ上がっていることだった。


「ねえ、弘樹、隆宏と何かあったの?」

 と真顔で聞くと、弘樹は驚いたように

「い、いや、別に。どうして?」

 と聞いた。明らかに何かを隠している様子。その答えにいたたまれなくなった私はおもわず弘樹の局部をパンツの上から鷲づかみにしてしまった。

「おいおい」

 と、弘樹は苦笑いしている。私はその硬さを感じると、つい嬉しくなって弘樹をこすり上げてしまう。弘樹は

「しょうがないヤツだな。ちょっとまってな」

 と言って、例の少しニヤついた表情になって、私の頭を撫でてくれた。


 弘樹は後ろから私を抱きすくめて、胸に手を這わせる。そして私の耳元でこうささやく。

「綺麗だよ、カナちゃん」

 弘樹がどの女にもそう言っているとは分かっている。けれども、思わず頬が緩んでしまう。弘樹の唇が私の首筋にそっと触れる。その優しい感触に思わず声が出そうになる。


 弘樹は私の両脇から手を差し込んで、胸を下から持ち上げるように揉む。重さを確かめるように左右をそれぞれの手で支えて持ち上げる。そして手を離すと、柔らかい脂肪の塊が、重力に従ってぷるんと弾んで垂れ下がる。弘樹はそれを何度か繰り返した後、両手の指先を揃えて乳首に当てると、そのまま円を描くようにして撫で始める。


「男の人はみんなこれが大好きね……」

 私がそう言うと、弘樹は嬉しそうな声で答えた。

「そうだよ。多少の好みの違いはあっても、嫌いな男はいないさ。どんな偉人や賢人も、男はこうしてバカになるんだよ。この感触を楽しむために生きていると言ってもいい。だから僕はカナちゃんの胸を触らせてもらっているだけで幸せな気分になれるわけだ。大切な人だって思えるからね」

 なんかちょっと良いことを言っているようにも聞こえるけれど、その実、弘樹は私の胸をおもちゃにして遊んでいるだけなのだった。


「昔から弘樹は私の胸が好きだったわよね。よく触られた記憶があるもの。今、隆宏君に同じことをさせたらどうなると思う? 試してみる?」

 嫉妬心を刺激するように私が言うと、隆宏は、私の胸をなで回しながら、余裕たっぷりの口調で、

「ダメだよ。僕以外に触らせちゃいけない。そんなことになったら、いくら僕でも嫉妬してしまうかもしれないな」

 少し芝居がかった様子でわざとそう言って見せる。私はそれに答えて、挑発的な笑みを浮かべながら、

「あら。だったら早く、私をあなたのものにするしかないじゃない」

 と答える。弘樹は私の言葉を聞いて、楽しげにクスッと笑うと、私の乳房を強く握りつぶした。

「あんっ! 痛い。乱暴しないで」

 私はわざと大きな声で叫ぶ。すると弘樹は、さらに力を込めて私の胸を鷲掴みにする。


「ねえ弘樹、胸だけ触ってその先に進まない男ってどう思う?」

「赦してやってくれよ。若い男は、女性の身体に触れるのに臆病なんだ」

「ふーん。意外と大変なものなのね。その気になれば、身も心も簡単に奪えるものなのに。まったく馬鹿な話よね」

「だから、それが怖いんだよ。今だから言えるけれど、僕も学生時代はそうだった。結局は自信がなかったってことかな。カナちゃんのことが好きだったのだけれど、覚悟もないくせに胸ばかり見ていたから、なんか自分がすごく汚い人間になったように思えてならなかった」

「あら? そうなの。私は別に気にしなかったけどなぁ。まあ、自分が綺麗な人間だと思っているうちは、本当の男とは言えないかもしれないわね」


 私はそう言いながら、弘樹の前にしゃがむと、スエットパンツを下着ごと一気に降ろした。弘樹のは、ぼろんと音がするような勢いで飛び出してきて、天に向かって反り返った。

「私、汚いままの弘樹も好きよ」

 私はそう言って、右手でそっと握ると、軽くしごきながら先端にキスをした。

「おい、カナちゃん。そんなことはしなくていいから。せめてシャワー浴びてからでもいいだろう」

 弘樹は焦った様子でそう言ったけれど、私は気にしないで続ける。

「大丈夫。私この臭いが好きなの」

 私はスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ後、舌を出してぺろりと舐めた。口の中に広がる独特の苦味。生臭い体臭が私の脳を刺激する。間違いなく弘樹の臭いだ。変なフルーツの香りや、他の女に仕込まれたような石けんの匂いはしない。


 弘樹の臭いを嗅いで中腰になったとき、私は寝室の入り口のドアが半分開いていることに気がついた。向こうに人の気配がする。確かなことは分からないけれど、私は隆宏がのぞき見している様子を妄想をした。私は、隆宏に見せつけるつもりで、弘樹の物を、愛おしむように、ゆっくりと口に含んだ。


 弘樹は私のバスローブを脱がせると、あっという間に私を全裸にした。そして後ろから覆い被さると、いきなり私の中に入って来た。普段の優しい弘樹と違って、今日は荒々しい感じがする。

「おねがい、弘樹。前からにしてほしいの」

 私がそう言うと、弘樹は軽々と私を持ち上げて、対面座位の体勢にする。


 私は弘樹の首に手を回した。弘樹の吐息が耳にかかってくすぐったい。弘樹は私のお尻を両手で抱えて、上下に動かす。二人の息が重なる。私からにじみ出る液体が、弘樹の腹を汚していく。弘樹はゆっくりと、でも確実に私を絶頂の際に追い詰めていく。そしてその寸前にまで一気に加速して登りつめていった。弘樹は激しく打ち付けると、熱く脈打つようにして、私の中で果てていく。


 私は快感の淵に浸りながら、弘樹の背中に手を回す。弘樹はしばらく動かなかった。

「ねえ、もっとちょうだい。お願い」

 と私がねだると、弘樹は微笑んで、また私の体を愛してくれる。こうして私は再び弘樹を受け入れるのだった。


 何度目の行為のことだろうか。弘樹にしがみついて下腹部の存在感に興奮を高めていたとき、私は部屋のドアの隙間に視線を向けた。暗闇の奥に隆宏がこちらを見ているのが見えて、その瞬間、私は隆宏と目が合ったような気がした。隆宏の視線が、私をじっと見据えている。その目は冷たく、熱っぽくて、それでいて哀しげに見えた。


「ねぇ、弘樹、キスして」

 私はわざと聞こえるように弘樹にねだった。貪るように唇を重ねる。

「香奈ちゃん、もう限界かも……」

 弘樹が苦しそうな表情で言った。

「いや。まだ離れたくないの」

 私はそういって、もういちど弘樹にねだる。


 私は四つん這いの姿勢になった。恥ずかしさを堪えて、おしりを突き出す。弘樹と隆宏が、丸出しになった私の大事なところを見ている。そう思うだけで、私の体はどんどん潤ってくる。


 弘樹は私のお尻に自分の腰をこすりつけたかと思うと、私の奥深くまで差し込んできた。そのままじっと動かない。私と弘樹がつながっている様子が、隆宏の位置からは丸見えのはずだ。

「ああ、気持ちいい……もっと、来て、奥まで、突いて!」

 わざと大きな声で叫ぶと、弘樹はその言葉を遮るように動き始める。ゆっくりと引き抜いたかと思うと、強く打ち付けるように差し込んでくる。

「わっ、それすごいきもちいい。ああん、だめ、壊れちゃう!」

「もっと、もっと欲しいの! 弘樹が欲しい!」

 私と弘樹は、まるで隆宏に見せつけるように、激しいピストン運動を繰り返す。

「イク、イッちゃう! 弘樹。ああ。弘樹、弘樹。好きぃーっ!!」

 そう叫ぶと、どうやら私はそのまま意識を失ってしまったようだった。ドアの向こうで、暗闇に紛れた隆宏の目だけが、まるで涙に濡れるように、時々きらりと光っていたことを覚えている。


 ***


 翌日は休日で、弘樹は今日も一日ゴルフに行くとかで、朝早くから家を出た。出がけに弘樹は

「隆宏のことをよろしく頼むよ」

 とだけ言って出て行った。


 隆宏と二人で朝食を食べる。トーストにママレードを塗って、コーヒーを飲みながら、お互いに無言でパンをかじる。


 隆宏の目が血走って見えるのは気のせいではないだろう。隆宏は弘樹を尊敬していて、ほとんど崇拝しているのだ。その妻を寝取ったつもりが、逆に完膚無きまでに寝取られ返されたのは、いったいどんな気分だろう。


 隆宏と弘樹がこの生活を望むのは、私には全く理解できない趣味だ。高度に発達した男性心理は狂気と見分けがつかないのかもしれない。私はそんなことを思いながら、この二人の男性の間に存在する、ある種の尊い関係に思いを馳せるのだった。


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