短編小説 化け物だもの
H.K
お岩と口裂け女
「お岩姐さん、目の上の瘤はいつまでも変わらないんですね、私の身体はどんどん変わってきてて」
「まぁ、あたしは霊魂、悪霊の設定だからね、でもさ、こんな姿にされた恨みはいつまでも消えないの、あたし自身はね、そんなこと忘れてスッキリしたいのにさ」
「えっ、姐さんにも悩み事があったのですね、お察しできずにすみません」
ある山中の朽ち果てた山寺、仏像さえなくなり、屋根からは空が見渡せ、床の軋みはこれまでに聞いたことがない程の不気味な金切り音を響かせている。誰一人と近寄ろうとしない廃墟。
そこで、化け物女の二人が二人だけしか居ないことを良いことに、お互いの悩みを吐露しあっていた。
「私、こんな口になっちゃって、マスクしてて、美人ですね、なんていわれて、怖いから猛ダッシュで逃げてたんです、そしたら足が早くなってって、私綺麗、なんて聞いて、追いかけ始めたんです、みんな怖がるのが気持ち良くて癖になって」
口裂け女は自分自身の伝説の始まりを喋り出した。
「そうなのね、あんた、自分で身体を鍛えたのね、嘸や嬉しかったことでしょうね、あたしなんて最初は姿を見せる場所が決まっていてね、気にならなかったけど、流石に長年同じ場所にいると、周りの建物だとか、風景が変わってきてね、嫌になっちゃた」
「やぁ、なんだか悲しい、世間に取り残された感じですね」
お岩は表情さえ変えなかったが、心中は涙の鉄砲水だった。しかしながら、表面的にはお岩の悲しみを受け止めたものの、鉄砲水なぞ察することができないでいた口裂け女は、寧ろ、先輩であるお岩の思いを共感し、口が壊れる程喋りだした。
「私はですね、世間から飽きられると運動不足になっちゃって、ブラのカップはEで変わらないけど、アンダーから大きくなって、ウエストは浮袋状態、後ね、ヒップはタレタレで、自慢のセクシーボディーはどこへ行ったやらで、私綺麗なんていう自信がすっかりなくなりました、益々、人を驚かそうなんて思えなくて、引きこもりです、あはは、イヤ、イヤ、こんな自分が嫌なんです、それとですね、太腿と脹ら脛の筋肉は減っちゃって、脂肪でブヨブヨで、足首は太っくなるわ、浮腫むわで、あーああああー」
口裂け女はロングヘアーを両手でクシャクシャにして発狂した。
「まぁまぁ、落ち着きなさい」
垂れ下がった手を持ち上げられないお岩は、優しい声はかけたが、口裂け女の頭を撫でることができず、指先でチョンチョンとするのが精一杯だった。
勿論、お岩のチョンチョンに気がつくことはない口裂け女は両手で顔を押さえ、俯いていると涙ではなく、マスクの両端からヨダレを垂らしていた。
「姐さん、最近はこうなんです」
口裂け女がヨダレに気づくと、顔を上げて人差し指でマスクの端を指差し、お岩に見せた。お岩は言葉にならなかった。
「口角、いや、厳密には、裂けた部分は咬筋、頬骨筋ですかね、少ししか残ってないので、この筋肉の力さえ衰えていて、下の唇は垂れ下がってて、上顎の周りの頬も垂れ下がって、もう気がつくとこうなんです、情けないったらありゃしない、でも、豊麗線がないのだけが救いです」
お岩は口裂け女に首を傾げるだけだった。本人は目が笑っていた。
「それでね、それでね」
口裂け女はタメ口になった。
「いつの間にかですよ、尿漏れ、漏れちゃうんです、骨盤底筋群とか膣トレしないと駄目ですかね、駄目ですよね、でも、街に降りる自信がなくてですね」
お岩はほんの少しだけ、口裂け女は気がつかないが、開いた口が塞がらなくなっていた。
「あのう、姐さん、街まで飛んでって取ってきてもらえますか、膣トレの器具、あっ、すみません、姐さん、物が持てなかったですね」
「バカ」
流石にお岩は怒りが湧いてきた。
「すみません姐さん、本当に、調子に乗り過ぎました」
お岩の表情は緩んだが、口裂け女は止まらない。
「あの、あのですね、姐さんはご経験がありますよね、男性と。私、レイプされかけたことはあったのですが、本来、力が強かったものですから返り討ちにしてしまって、その後は自信のなさや驚かせる悦びに目覚めてですね、殿方との経験がないのです」
「えっ、そうだったの、悲惨ね、自業自得ね」
お岩は口裂け女に対してマウントを取った。
「ごめんさない、反射的に酷い言葉が出たわ、うん、良いものよ、あれは、経験できなかったのは残念ね、でも私だって何年もしてないし、こんな手だから自分でできないし、そうだ教えてあげるよ、自分でする方法」
「あ、あ、ありがとうございます、どんな気持ちになるのか、どこをどうすればいいのかサッパリで」
「やだ、助平だこと」
二人は頬を赤らめた。
その夜の二人は暁に差しかかるまで盛り上がった。
「おい、お前たち」
ある日の夜更け、お岩と口裂け女へ天の声が降りてきた。
「二人は活動量が増えたようだな、良いことだ、しかし、本来の働きではないぞ」
「あなたはだれ、ですか」
「クッちゃん、そんなこと聞いちゃ駄目よ、親方様よ」
「えっ、あの伝説の」
お岩でさえ、姿、形は目にしたことはないものの、この声を聞くのは初めてではなかった。
一方、口裂け女は噂だけは耳にしていた。
「すみません、親方様、どのような御用で、傾聴させて頂きます」
口裂け女は恐縮した。
「あのな、二人とも過去に日本中を震撼させたのだ、また、それを再現するのだ、今の世の中、ユビキタスでな、情報量が多過ぎて人間社会は狂っておる、勝手に心霊スポットとしてネットで偽り、我々の化け物界は掻き回されている、それを打開するのだ、お前たち二人に注目が集まると、その歪んだ人間の偽りは落ち着くであろう」
親方様は現実世界の刷新を二人に促した。
「私は四谷には戻りたくないです、ここまで来るのに一〇〇年近く時間がかかったもので」
「私もこんな姿で街に降りる自信はありません」
二人は困惑してしまった。
「何をいっている、お岩は霊力をもっと高めればいい、お前は外国では有名人じゃ、外国のみなさんは日本文化に興味を持つ方々が多くてな、お前が欧米で姿を表せたら、視聴回数が無限に伸びるぞ」
「はぁ、遠くに早く飛んでいかないといけませんね、私にできますでしょうか」
「できるぞ、これをやる、これを読んで参考にするといい、絶対できるぞ」
親方様は先ず、お岩と話しをし、転スラの第一巻を贈った。
「親方様、ヒポクテ草や嵐魔石のようなものを探せばいいのですね、この辺だとドクダミですかね」
「それで良かろう」
お岩は納得し、安堵を覚えた。
「では、口裂け女よ、お前にはこれをやろう」
親方様が贈ったのは、新品の膣トレ用インナーボールと骨盤底筋群トレーニングの解説書だった。
「親方様、ありがとうございます、う、嬉しくて堪りません」
二人は過去の栄光を取り戻すため翌日から動き始めた。
お岩は枯れ朽ちるまでドクダミの組成を吸収し、口裂け女はインナーボールと解説書で猛トレーニングに勤しんだ。
一年後、お岩は台湾まで移動するまでになった。口裂け女は山を降りれるようになった。だが、二人は満足しなかった。
お岩はドクダミだけではなくスギナやカヤ、セイタカアワダチソウ等からも組成を吸収するようになった。これらは、墓場周辺で多く目にする野草だった。
口裂け女は、二つのトレーニングに加え、走り込みと表情筋トレーニングをも取り入れた。
「姐さん凄いね、今日はどこまで行ったの」
「やっと、北米大陸に行けたわ、ハワイ経由だけどね、クッちゃんはいつの間にかナイスバデー、ボッキュンボンね」
二人の運動機能は高まっていき、生き生きと本来の活動を再現できるようになった。
数年後、お岩は世界中を移動できるようになった。口裂け女は日本中を駆け巡ることができるようになった。
「親方様」
二人は声を合わせて天に向かって叫んだ。
「見事だ、二人とも、よく復活してくれた、だがな、一時期はネットで二人のことが炎上したんだが、刹那的なものだった、人間は恐ろしい生き物じゃよ」
親方様は満足に二人を褒め称えきれなかった。
お岩と口裂け女は、沈みがちな親方様を尻目に、化け物として歩むしかなかった。
終
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