遍在する余白。


バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は、ピアノの教材として有用なものらしい。

曲そのものの完成度もさることながら、
平均律……楽器があらゆる調で演奏可能となるよう「良く調整された」楽譜ということで、演奏者によって如何様にも変化させられる点が理由の一つだ。

その名を関したこの作品は、読み手に向けて「よく調整されている」。

はっきりした盛り上がりがあるわけではない。
確固たるキャラクターがいるわけでもない。

様々なところにある、姿形のないエッセンスとリズムだけが並べられているといえばよいのか。

だからこそ多様な解釈が可能であり、そう出来るように言葉や文章が考えられている。
余白があるというか、読み手が演奏することで、ようやく作品となると言うべきなのか。

リハビリ中の書き手の端くれとしては、この作品を教材にして、リズム感を得ていきたいところです。