Episode8 亡霊たち[後編]

「……う」

 例えようのない痛み。体内から失われて行くものの生臭ささ。一時でも意識が戻ったのは奇跡としか言いようがない。――もっとも、それが今の樹にとって、良いことなのか分からないが。

「なぎ、さ……?」

 既に体はほとんど動かせない。そんな状態でも、樹は渚を様子を気に掛けた。せめて、渚だけでも逃げ伸びていてくれたらと。

 しかし、現実はどこまでも残酷だった。

 傷だらけになって、杉の木の近くでぐったりしている渚。樹ほどの出血は見受けられないものの、明らかに意識はない。彼もまた、生死の境をさまよっているのは間違いない。

 もう駄目だ。自分も渚も。助からない。死んでしまう。いや、消滅してしまう。

 以前、上司が言っていた。死神の役目を全うすれば、来世に行けると。少なくとも、自死の必要がない程度には幸福な人生を歩むことが出来ると。

 だが、その希望は打ち砕かれた。こんなにも呆気なく。

 涙で視界が歪んでゆく。血を流しているのは、もはや肉体だけではなかった。むしろ今は心の方が、肉体よりもずっとずっと痛かった。

 再び薄れてゆく意識の中、樹は静かに最期の時を待った。

 瞬間、二人の裏切り者の背後に、何かが降って来た・・・・・・・・ように見えた。しかし、樹が『何か』の正体に気付いたのは、両者の首が同時に斬り落とされた・・・・・・・・・・・・・・・後だった。

 転がる二人分の頭部。少し遅れて、頭部のない二人分の体が、大量の血を撒き散らしながら地に倒れ込んだ。

 血の海が広がる。樹が流したものとは、比較にならない量だ。目の前の光景は、まさに地獄絵図と呼ぶに相応しい。

「マルス。過激な殺し方はやめなさいと言ったでしょう? 実戦経験のないこの子たちには、まだしばらくは配慮が必要よ」

「あー、ごめんごめん。忘れてた」

 しとやかだが、相手の行動に異を唱える声と、反省の色が見出せない軽快な声。樹は両者を知っている。また生きて会えるとは思わなかった。

 軽快な声の主――燿の大鎌に宿っていた赤い光が、蝋燭の火のようにフッと消えた。裏切り者たちの鮮血と、ほぼ同時に。

「樹。あと少しふんばれよ」

 更にもう一人。樹の傍らに立った男性――アポロが、自身の大鎌を介し、月明かりのような黄色い光で樹の体を照らした。

 傷が消えてゆく。体が癒やされてゆく。痛みが引いてゆく。

「よく頑張ったな」

 未だ自分が助かった実感が得られずにいた樹に、アポロが称賛の言葉を送った。これが、樹の心の堰を切った。

「泣き虫は渚で間に合ってるぞ」

「そんな、こと……言われても……」

「まあ、今は許してやるよ。泣くだけ泣け」

「うん……」

 絶えず嗚咽を漏らしながらも、樹は渚の方に目を向けた。

 渚はディアナの治療を受けている。そして、こちらの予想を裏切らず号泣している。

「二人とも泣きすぎじゃない? ちょっとは俺を見習いなよ」

「黙ってろ脳筋」

 燿の軽口を悪口で退けるアポロ。その間も、治療の光は揺るがない。

 燿の軽口は、どこまでが本気なのか分からない。出会った当初は、場を和ませるためにやっているものと信じていた樹だが、付き合いが長くなるに連れて、『素』の可能性を疑うようになってしまった。

「よし、もう動いていいぞ」

 アポロに言われ、自分の体を見た。

 あれほどの傷が、一つ残らず消えている。痛みもない。一寸違わず、怪我をする前の体に戻っている。毎度のことながら、プロの死神の力には、息を呑まずにいられない。

「ありがとう。アポロ」

 身を起こした樹は、アポロに心からの謝意を示した。

「おう。……あっちも済んだみたいだな」

 大鎌を担ぎ直してから、アポロが渚たちの方を指差す。

 渚の怪我も完治している。ディアナのお陰だ。彼女にもお礼を言わなければ。――渚が泣き止んでいないので、もう少し後にはなるが。

「アクシデントはあったけど、どうにかなったね。めでたしめでたし。じゃ、行こうか」

「鬼かお前は」 

 状況と空気をしれっと無視する燿に、眉をしかめてそう吐き捨てるアポロ。

「冗談だって。待てばいいんでしょ? ユピテル・・・・メルクリウス・・・・・・が落ち着くまで」

 燿が余りにも自然に発言したので、樹はすぐには反応出来なかった。きっと渚もだろう。

「お前らのコードネームだ」

 アポロが端的に説明した。

 ディアナが付け加える。

「今朝決まったのよ。しばらくは慣れないと思うけれど、焦ることはないわ。皆、最初はそうだから」

「コードネーム……僕たちの」

「ええ」

 しとやかに頷くディアナ。

 樹は自分の中に安堵・・を見出した。その時、偶然か必然か、こちらを窺っていた渚と視線が合った。

 渚は一瞬きょとん顔になったものの、樹と同様の想いを抱いたのだろう。樹と共にはにかんだ。

 コードネームがないのを、特別意識したことはなかった筈だった。けれど、こうして決定を知らされ、安堵している辺り、心の底では寂しさ・・・を感じていたのかも知れない。

 これでようやく皆と同じラインに立てた。本当の死神なかまになれた。そんな気がした。

 寂しさは、もうない。



【To be continued】

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藍色の死神 Rebirth 福留幸 @hanazoetsukino

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