Episode7 亡霊たち[中編]
およそ半時間前。
樹と渚は、共にタクシーで山道を進んでいた。合宿所として指定された旅館で、燿たちを含む同じ部署の皆と合流するためだ。
「あー……済まないね。どうやら、行けるのはここまでみたいだ」
そんな運転手の言葉を聞き、フロントガラス越しに前を見ると、木製の古い看板が目に留まった。車両侵入禁止、と彫刻されている。
「分かりました。あとは自分たちで行きます。ありがとうございました」
「ありがとうございました……」
「礼儀正しい子たちだねぇ。皆がこうだと良いんだけど」
眉尻を下げる運転手。日頃の苦労が垣間見える。
樹たちが支払いを終えて降車すると、タクシーはゆっくりともと来た方向へ走り去って行った。
* *
「渚、大丈夫?」
旅館を目指して、整備が全く行き届いていない細い道を進む。体力に難ありな渚は既に息切れしているが、旅館までの距離は取り立てて長くはない。
「転んじゃ駄目だよ?」
「こ、転ばないよ。もう高校生――あっ」
岩に足を取られて転倒する渚。
冗談のつもりで言った揶揄が実現し、樹は複雑な気持ちになった。
「渚……」
「見なかったことにして……」
樹が向ける呆れと哀れみ眼差しを知ってか知らずか、渚はのそのそと起き上がった。涙目になって眼鏡をかけ直すその姿は、とても高校生のそれには見えない。
「怪我は?」
「平気……。ちょっと擦りむいただけ」
「なら良かった。あとで絆創膏――」
樹は途中で喋るのをやめて、ピタリと足を止めた。
「兄さん?」
「……
兄として平静を装ったものの、樹の内心は穏やかでなかった。
「いるって、誰が……?」
不安げな表情で、樹を見詰める渚。瞬間、前方の草むらが擦過音を立てながら動いた。
「いかにも初心者って感じ」
「同感。これじゃ苛めだな」
裏切り者。死神でありながら、死神としての生き方を放棄し、本能の赴くままに破壊と殺戮を繰り返す存在。
待ち伏せされていたのか。元より樹たちがターゲットだったのか、無差別に獲物を探していたのかは分からない。だが、自分たちがいま置かれている状況くらいは分かる。
このままでは
死神に死はない。あるのは消滅だ。魂ごとなくなってしまう。何年、何十年、何百年経っても、来世に行くことはない。本当の終焉が訪れるのだ。
「渚。下がって」
「え……」
与えられて間もない黒いオーバーコートを身に纏って、持ち慣れない大鎌を
戦ったことなどない。怖い。けれど、このままでいい筈がない。
情けないほど震えている切っ先は見ない。見据える先は二人の敵。二つの脅威。
破裂しそうな鼓動を無視し、呼吸を整える。座学で得た知識と、燿たちが戦う姿を思い起こし、頭の中で反復する。
二人の死神が、声を出して樹を嘲笑う。しかし、構う余裕などない。
渚を守る。自分自身を守る。そのためには、見様見真似でもやるしかない。勝つ必要はない。逃げる隙さえ作れれば良い。
「に、兄さん……」
「今の内に、逃げる準備をして」
「そんな、無茶だよ……!」
「早く!」
声を張り上げ、渚を急かす。
「なぁ、ヘスティア。どうする? 適当に遊んでやっか?」
男の死神が、未だ収まり切らない笑いをこらえながら、女の死神ことヘスティアに問う。
「そうねー。こんなんでも、ウォーミングアップにはなんじゃない?」
ヘスティアが、樹の前に立つ。
樹は己の中の恐怖と戦うと共に、大鎌に藍色の光を灯す。
戦わなければ、消える。自分も、渚も。
「ディオニソス。あんたはどーすんの?」
「どうって、そりゃ
男の死神ことディオニソスの見据える先は、もはや言うまでもない。
「渚っ!」
「……」
樹が叫ぶも、渚は怯えるあまり、その場から一歩も動けなくなっていた。真っ青な顔をしたまま、言葉一つ発せられない状態にあるようだ。
終焉は、すぐそこまで迫っていた。
* *
目の前が真っ暗だ。
敵う訳がないのに、ヘスティアと向かい合う樹。今まさに、ディオニソスに接近されつつある自分。
逃げる準備。どうやって? どうすればいい? 何も思い付かない。頭が回らない。
「オレらをすぐ認識出来たってことは、おめぇも死神なんだろ? なのに、そうやって固まってるだけか? そこの勇敢な兄貴か弟に、全部ぶん投げて終わりか? こりゃ自死すんのも納得だわ」
「……う……」
全身を舐め回る恐怖に、言い返せない自分への苛立ちが加わる。
渚は死神の姿に転じた。たくさんの感情に胸を掻き乱され、ポロポロと涙を流しながら。
「泣いてんのかよ。だっせぇ」
散々馬鹿にされ、それでも渚は、震える足を全身全霊で動かそうとした。絶対に聞きたくなかった
「兄さん……」
見たくなかった。
「論外も論外で、飽きちゃった。初心者どころか、戦ったことすらないんじゃない?」
「おい……さすがに嘘だろ?」
「ホント」
わざとらしく肩を竦めるヘスティア。そうして二人の裏切り者たちは、絶望の最中にいる渚に、嘲りの目を向けた。
「兄貴があのざまなら、
ディオニソスは言うが早いか、渚を杉の木の根元まで蹴り飛ばした。
声にならない声を上げる渚。蹴られた胸部と、打ち付けた背中や後頭部に激しい痛みを覚えながら、彼はぐったりと倒れ込み、無様な姿を晒した。
「ウォーミングアップにすらなんなかったわね」
「だな。じゃ、サクッととどめ刺すか」
「なに言ってんの。幾らなんでも、それは
裏切り者たちの醜悪な会話を、覚束ない意識の中で聞く。
まだ。まだ気を失う訳にはいかない。理由はどうであれ、裏切り者たちが気を逸している今。今しかない。渚は傷付いた手を引きずるように動かし、自分の携帯電話をたぐり寄せた。
早く。早く。今の内に。アドレス帳のボタンを押し、涙に覆われた目で仲間の番号を探し出した。
発信する。泣きながら、祈りながら、電話が繋がるのを待った。
『どうしたの? 道にでも迷った?』
電話越しに相手の声が届いたのは、繋がったのとほぼ同時だった。
止まない苦痛に耐え、口を開け、潰れた声を搾り出した。
「た、す……けて……」
言葉を失ったのか、電話の相手が沈黙した時、上方から怒号がした。
「テメェ! 何やってんだッ!」
体に衝撃が走り、渚の意識は闇に消えた。
【To be continued】
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