Episode6 亡霊たち[前編]
二〇〇九年七月十七日。
この日、宇野渚は、兄の樹からある相談を持ちかけられていた。
「同じクラスの子に、ショッピングモールのお化け屋敷に誘われちゃったんだ」
そう告白する樹の顔色は蒼白で、生気が感じられない。野生の熊に遭遇したような絶望的な顔と、雪山で遭難したようなガチガチの体からは、もはや兄としての威厳は見出せない。
「そ、そうなんだ……」
としか返しようがなく、渚は困り果てた。
樹はいつも弱虫で頼りない渚を宥め、助けようとしてくれる。が、そんな二人の立場は、特定の状況下において逆転する。ちょうど今がその時だ。
樹が真っ青な顔を渚に向ける。
「怖い」
「……えっと、断るのは……?」
「駄目。あとが面倒なんだ」
「それなら、行くしか……」
「怖い」
「……」
さて、どうしたものか。
大抵の人なら、きっとこの時点で「自分でなんとかしろ」と樹を突き放すのだろう。しかしながら、渚としては、なかなかそういう訳にはいかなかった。
樹には、日頃からさんざん助けて貰っている恩と負い目がある。そして何より、樹は渚にとって大切な兄で、残された唯一の家族。可能な範囲で手を差し伸べるのは、ごく当たり前のことだ。
お化け等の存在を全否定するつもりはない。が、少なくともおもしろ半分で廃墟を荒らしたり、墓地その他で罰当たりな行いでもしない限り、こちらが不利益を被る心配はないだろう。というのが渚の考えだ。
けれど、樹の中では、その不利益は無条件に発動しかねないものらしい。
兎にも角にも、このままではいけない。渚は樹をなんとか勇気付けようと試みた。
「だ、大丈夫だよ。もしお化けが実在してても、ああいう場所にいるのは全部偽物だから……。だから、怖がらなくて良いんだよ……?」
「でも、偽物の中に本物が混じってるかも知れないし」
「ごめん……ちょっとなに言ってるか分からない……」
既に半泣きになっている自分が情けない。
「お願い。渚も一緒に来て」
「え? けど、僕は呼ばれてないから……。そもそも、知らない人たちだし……」
無理難題を押し付けられ、酷く困惑していると、真後ろにある障子が開け放たれた。
「樹くーん! 渚くーん!」
聞き慣れた大声。渚はうっかり逃げてしまいそうになった。
「君たちのコードネーム、明日には決まりそう――ん? どうかした?」
大声の主である空井燿は、異なる要因で怯えている渚と樹をキョロキョロと見回した。
「何があったの?」
深い意味はないのだろうが、燿はよりによって渚の方に質問してきた。渚は喉元までせり上がった悲鳴を飲み込み、仕方なく言葉を探した。
「あ……えっと……兄さんが……」
「渚!」
「ご、ごめん」
真実をぼかして伝えようとした渚だが、そんな間もなく、樹から制止を喰らってしまう。
なんとか樹の名誉を守る方法はないものかと、渚が更にたじたじになってきた、その時だった。
ふと、燿の視線が逸れた。渚は戦慄した。
「隙あり!」
ローテーブルの上に、メール画面のまま放置された携帯電話。樹の物だ。手を伸ばした燿の意図は、もはや言うに及ばずだろう。
「マ、マルス!」
携帯電話の奪還に無心になる樹の努力も虚しく、画面を凝視していた燿が盛大に吹き出した。
「あはははは!」
大笑いしながら場に崩れ落ちる燿と、ゆっくりとローテーブルに突っ伏す樹。
渚の力が及ばなかったばかりに、樹のプライドは木っ端微塵になった。泣きたいのは樹の方だろうに、渚の視界はあっという間に霞んでしまった。
「何? お化け屋敷に誘われて、こんな真っ青になってんの? 樹君、お化け怖いの? 嘘でしょ? マジで? そっちの方が怖いんだけど!」
そろそろやめてあげてくれと、渚は情けなく涙ぐみつつ、願うしかなかった。
止まらない燿の笑い声に耐え切れなくなったのか、樹が羞恥で赤みを帯びた顔を上げた。燿を睨めながら、彼は憤慨する。
「他人事だと思って……!」
「そりゃ他人事だもん。だいたい、
「あ」
渚と樹は声を重ねた。
何も間違っていない。自分たちは『自死者の亡霊』だ。死神である以上、例外はない。
「案外、お化け同士友達になれたりして」
冗談なのか本気なのか、まるで読めない口調で言う燿。
「ま、どうでもいい話は置いとくとして」
人をさんざん振り回しておきながら、すぐに興味を失くし、悪びれもせず話を変える。自由すぎる燿は、あのアポロたちにも、たびたび疲労感をもたらしているらしい。
「
気楽な声音で言われ、思い出す。お化け屋敷の件に追われる内に、すっかり失念していた。
燿がお泊り会と称したのは、部署ごとに定期的に行われる合宿を指す。報告と会議――そして、合同の
「大丈夫大丈夫。まだ新米も新米なんだから、気楽に構えてなよ」
「……」
顔を見合わせる渚と樹。互いに不安を感じているのは、言わずとも分かる。
明日は座学だが、明後日には実践が待っている。
初めての実践。今回は、死神の仕事の内の『魂の回収』と『治療』の習得を目指す。
自分などに、ちゃんと出来るだろうか。もし出来なかったら、皆から失望されて、責められるだろうか。そう自分で想像して、渚はまた泣きたくなった。
* *
誰もが予想していなかった
ある山奥に、人知れず佇む旅館がある。
昭和初期を想起させる古典的な外観をしていながら、建築に用いられた素材や道具は一目で現代の物と分かる。そんな時代錯誤の旅館が、現在の燿たちの合宿所にとして指定されている。
なお、旅館の女将は死神の存在を承知しており、常に協力を惜しまないが、正体については詮索厳禁のお達しがあるため、謎に包まれている。
「さっそく遅刻かよ。これだから、最近のガキは」
集合時刻を過ぎても現れない樹と渚に対し、アポロが苛立ちを見せ始めた。
「怒らないの。じきに来るわ」
アポロを宥めるディアナも、人形のように整った顔に、少なからず杞憂の色を滲ませている。
さすがに気にし過ぎだろう、と燿は思う。子供とはいえ、高校生だ。自分たちのことは自分たちでやれるし、責任も取れる。たぶん。
とにかく、そう過保護になる必要はない。ある程度は放っておいても大丈夫だ。たぶん。
緊張感のないことを考えていると、室内に着信音が鳴り響いた。燿の携帯電話だ。
「……ありゃ?」
画面に表示された渚の名を見て、燿は微かに眉を寄せた。樹ではなく、渚が掛けてきたのが少々引っ掛かった。
渚が燿を怖がっているのは、実は燿自身半ば以上確信している。加えて、渚は気が小さい。燿に用事があるのなら、樹の方が率先して連絡してくるだろう。――状況次第ではあるが。
「どうしたの? 道にでも迷った?」
通話ボタンを押すなり、尋ねる燿。返事はない。しかし、単なる無言と表するには、幾らか
しゃくり上げながら、
十中八九ろくでもないことになっているが、あちらの状況が全く見えてこない以上、今の段階ではどうにもこうにもならない。
ひとまず必要な情報を得るため、燿が改めて渚に話しかけようとした時だった。
『た、す……けて……』
肺から搾り出すような、渚の掠れた声。直後。
『テメェ! 何やってんだッ!』
電話の向こうで何者かが荒々しく怒鳴り、激しい音と共に渚が悲鳴を上げた。通話は、そこでぶつりと切られた。
携帯電話を耳に当てたまま黙っている燿に、アポロとディアナの視線が集まって来る。
「なんかあったのか?」
「そうみたい。ちょっと行って来るね」
アポロの言葉に素っ気なく答えた燿は、携帯電話を仕舞いながら腰を浮かせた。
「待って。わたしたちも一緒に行くわ」
ディアナが燿を呼び止め、アポロと同時に立ち上がった。
「ん? 手伝ってくれんの?」
「なに言ってんだ。当たり前だろうが」
アポロが再び苛立ちを見せる。ただし、先ほどとは様子が違う。
ややあって、燿は考えを改めた。現状のアポロは苛立っているのではなく、怒っている。
七月十八日午前。燿、アポロ、ディアナによる新米たちの捜索が始まった。
【To be continued】
藍色の死神 Rebirth 福留幸 @hanazoetsukino
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