短編小説 誤解する人々
H.K
再会した、ソウスケとナギサ
「あっ、ソウスケ、今、私の胸元見てたでしょ、私達は従兄弟同士よ、そんな目で見ないでよ」
「何言ってんだよ、そんな目って。ナギサこそそんな緩いポロシャツなんか着なきゃいいだろ」
従兄妹のナギサはソウスケと同じ歳で、ソウスケが五月生まれで、ナギサは一二月生まれだった。この日は、高校の卒業式が終わって、二人の祖母が住むソウスケの自宅ナギサは泊まりにきていた。
ナギサが昼食の準備をして、食卓へ配膳さる前に布巾で天板を拭いていて、前屈みの姿勢でいると、胸元にソウスケの目線を感じたのだ。
確かにナギサは細身ながら豊満な胸をしており、それをコンプレックスに感じてて、異性の目線を過敏に意識してしまう習慣を持っていた。
「どうしたの、二人とも。三年振なんだから喧嘩なんかしないで仲良くしなさいよ、あっ、仲が良いから喧嘩するのよね、アハハ、ごめんね、そろそろヒロコとマスオさんがくるんだからね」
二人の祖母は、喧嘩の理由を気に留めず大らかに受け流した。しかしながら、当の二人は目線を合わさず神妙な面持ちで食事を始めた。
「ただいまぁ、ナギサちゃん久し振りぃ、元気そう、だけど、何だか冴えないわね」
ソウスケが、早々に食べ終え、使った食器を台所へ運び出すと、ソウスケの姉であるヒロコと夫のマスオが土産を手に帰宅した。帰宅したといっても、こな夫婦はこの家に住んでいないが、『ただいまぁ』はヒロコの口癖である。
「お姉さんご無沙汰、そんなことないよ、元気よ、元気そのものよ」
ナギサはほんの少しだけ躊躇したが、思いっきり笑顔を見せた。
「ナギサとね、ソウスケが何故だか知らないけど揉めたみたい、幼い頃から仲良しだからねぇ」
祖母は日常的な兄弟喧嘩で大した状況でもないように両手を耳の高さでフリフリさせて戯けて見せた。
「へぇ、幼い頃もたまに喧嘩はしてたもんね、ほんと、あなた達兄弟みたいなものよ」
「ソウスケ君、はい、お土産、シュークリームだよ、うちらもしょっちゅう夫婦喧嘩さ、僕が負けるけどね」
ヒロコもことを荒立てないように気を遣い、マスオは手土産で雰囲気を変えようとした。
「あっらぁ、マスオさん、ありがとね、あのお店のシュークリーム、美味しいのよね、シュー生地は程よくパリパリで、カスタードと生クリームがぎっしり詰まっててね」
祖母はシュークリームに意識を集中させた。
ナギサと祖母も食事を済ませ、ヒロコが淹れた珈琲とシュークリームがデザートになった。ここでは祖母が、特別と認識しているシュークリームの力説で華を咲かせた。ヒロコとマスオはその話に載っかって、笑いを交えながら会話を楽しんだ。しかしながら、ソウスケとナギサは笑顔はみせるが、言葉を発することはなかった。
「あら、そろそろ金さんはじまるね、桜吹雪、大好きなの、ナギサにソウスケ、お昼ご飯馳走様、ヒロコにマスオさん、シュークリームご馳走様」
祖母はそういうと、そそくさとテレビのある応接間に向かった。
「婆ちゃん、杉さまの金さんが好きなのよね、杉さまの遠山の金さんでしょ、元気で何よりね」
ヒロコは祖母の軽快な話し振り、大御所俳優へ関心を持つことに安心感を覚えていた。
「ああ、そうだよ。最近はさぁ、パチンコでも金さんがあるらしく、週に一、二度はパチ屋に通ってるよ」
ソウスケもヒロコと同じような気持ちで、祖母の素行を笑顔で話した。
「ところで、ナギサちゃん、ほんとにソウスケと喧嘩したの?二人とも顔さえ見合わせないじゃない」
ヒロコはさりげなく、ナギサに問うた。
「ソウスケはデリカシーがないのよ」
ナギサは腕組みをして瞳を左斜め上に向けていい、不機嫌になり始めた。
「何いってんだよ、そんな変な気持ちはないさ、無意識に目線が向いただけさ、俺はね、物心ついて今までナギサは従兄妹としか考えてません、強いていうなら、妹みたいに思う時とか姉貴みたいに思う時だってあったさ」
ソウスケはムキになっていた。
「ちょっと、ちょっとどうしたの?二人とも、大人の階段登ってるね、あはは」
ヒロコの言葉にソウスケは、これまでにない程、顔面を紅潮させた。逆にナギサは、顔色一つ変えなかった。
「ソウスケ君にナギサちゃん、そう目くじら立てないで、お互い、何か誤解し合ってるみたいだよ、言葉にして話し合って誤解を解いた方がいいよ、医師としてそう思うよ」
マスオは義理の弟と親族とはいえ、家族として二人を捉えていた。そして、マスオは皮膚科医でヒロコは産婦人科医なのだ。
「そうよ。私達も話し合うから喧嘩が長引かないの、溜め込んじゃあ身体にも良くないのは重々承知してるからね、ソウスケ、何したの?」
ヒロコは実の弟から口を割らそうと考えた。
「ああ、いやぁ姉さん、ナギサがテーブル拭いてたら、前屈みになるだろ、俺は、特に意識してないけど、目線を向けてしまったの、胸元に、そしたら、ナギサは俺が卑猥な人間みたいないい方するからさぁ」
漸くソウスケが口を割った。
「アハハ、なんだそんなことか、あっ、ごめんナギサちゃん、女性にとってはデリケートなことでした、すみません迂闊でした」
マスオは反射的に笑ってしまった。
ナギサは謝られたものの、眉を顰め、今日、初めて頬を紅潮させた。同時に雰囲気が悪化し、数秒間、時が止まった。
「私ね、高校生になって、痴漢されることが増えたの、それと、男子達には揶揄われるし、この胸、コンプレックスなのよ」
ナギサは目頭に涙を溜めて、歯を食いしばっていた。
「それは災難ね、でも、私は羨ましいと思う、あっ、痴漢されることじゃないよ、ナギサちゃんくらいボリューム欲しいって思う、でも、そんな経験すると嫌になるのは仕方ないね」
ヒロコは顎に右手の人差し指を当てて考え始めた。
「痴漢に遭遇しないような対策が必要だね」
マスオはヒロコがその仕草をするや否や素早く提案した。
「そうだよね、襟元が緩くて、ボタンを掛けずにいるから、ナギサも自分で身を守る意識を強く持たないと」
ソウスケはマスオに助太刀された思いだった。
再び時が止まった。
「そうねえ、先ずはナギサちゃんの誤解から解きましょう、ソウスケも聞いてよ」
ヒロコが時を進めるとマスオに顔を向けた。
「人間は誰しも性欲があるでしょ、それには、ホルモンの働きも関わってるの」
「焼肉のホルモンじゃないよ、性ホルモンがあるんだよ。僕らの身体には」
ヒロコとマスオはあうんの域で会話を進めた。
「そう、性ホルモンはね大きく分けて、男性ホルモンであるテストステロンと女性ホルモンであるエストロゲンがあるの、性別に関わらず全ての人の身体に備わってるわ、でも、男性であればテストステロンの量が多いし、女性であればエストロゲンの量が多いわけ、だから、もしも、男性が性ホルモンのバランスを崩してしまうと、胸が女性化してしまう事例だってある、それと、テストステロンは性欲を高めてしまうの、だから、女性は年齢が重なるに連れて性欲が増すともいわれてるわ」
「そうなんだ。ヒロコと結婚して一〇年以上経つけど、益々性欲が強くなって来てる感じなんだ、残念で申し訳ないけど、僕がさ、無精子症だから子供が出来ないだよ、でも、求められたらしっかり応えるし、僕も求めるのを怠らないようにしてるんだ、違うな、ヒロコは愛する妻だから、一生を遂げたい、だからかな、喧嘩もするしね」
マスオは堂々と夫婦の営みを語った。
「やだ、マッスゥ、いやいや、だから、二人の年齢を考えると、圧倒的にテストステロン量が多いのはソウスケよ、ナギサちゃんは、寄り少ない時期だと、言い換えれば、ソウスケはナギサちゃんよりも数倍性欲があるっていっても過言ではないの、要するに、女性的な事象には過敏に反応するんだと思う、無意識にね」
ヒロコは若い二人が分かり易いように遠慮なく話した。
「うん、僕もそう思う、ナギサちゃんが、男性に対して、自分自身の身体の変化に対して、怪訝に思うのは、そのホルモンの影響もあると思うし、大学は第一希望に受かったんでしょ、自分の将来に期待したいだとか、志し強い時期だと思うから、セックスにあまり関心持てないってのも、性欲を高めない要因じゃないかな、それも有って無意識に自分の身を守りたいって防衛本能も働いてるのかもしれない」
マスオは理詰めで客観性を高めるようにした。
「うん、そうかもしれない、私、将来は一級建築士になりたいの、サクラダファミリアとか身近でいうと国立競技場とか設計できるような建築士になりたい、だから、彼氏とかそういう方面は二の次、三の次かな」
ナギサの表情は冷静を取り戻した。
「ハハ、何だか俺独りただのスケベみたいだ、確かに性欲は強いさ」
ソウスケは困り果て、開き直りかけた。
「自然なことよ、大丈夫、うちの看護師さんは、身籠った奥さんが性欲低くなるから、その旦那さんが口説こうなんてされる時もあるのよ、男はただスケベなの、ホルモンがそうさせるんだから。でも、理性を忘れないでよ」
ヒロコはソウスケをフォローしたつもりでいた。
「ソウスケ、ごめんね、そんな意識は持ってなかったってこと、信じるわ」
ナギサは二人の医師の話を信じて従兄妹を許す気持ちへ変わった。
「ふう、良かった。じゃあ、ボタンちゃんと上まで閉めて、対策するといいよ」
「はーい、でも格好悪ぅ」
ナギサがそういうと、笑い声が響き渡り、テレビに集中してた祖母までも応接間から笑顔を向けてきた。
人は知識や経験の不足で、自分の思い込みだけで物事を判断しようとしてしまう。それが、誤解だと気がつかないことは少なくないだろう。
終
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