不定性

クロエコニー

第1話

朝起きると一番にすることがある。今日の自分は何者なのか確認すること。

勿論自分自身が自分自身でないなんてことはなく、俺『笹原奏音』は逆立ちしようが何しようが俺なわけで、そこら辺は確認する必要はない。

俺が毎日確認するのは、というより決めるのは、自分の性別。『笹原かなた』くんなのか、『笹原かなで』ちゃんなのか。ちなみに今日はかなたくん。俺の気分だ。

「おっはよう!優斗!」

俺が今飛びかかって目を隠してるのは幼稚園からの幼なじみの『石井優斗』。

「おう、おはよう。そのテンションじゃ今日は『かなた』かな?」

「ご名答。服装とか見なくてもわかるようになってきたねー」

手を離して隣にまわる。

「でもいいのか?今日男子マラソンだぞ?」

あっ…と声を漏らす「そうだった。ちょい待ってて!」



「お待たせぇー」

「相変わらず便利な体してるな」

「うるせー、このせいで制服2つ買わなきゃいけなかったんだぞ!」

「お前の金じゃねぇだろ」

制服変えただけで体育休めるのかって?違う違う。俺の家系はちょっと特殊で、十六の誕生日まで性別は好きな時に好きなだけ変えられる。

十六の誕生日の前日、寝る前にどっちか決めて、決めた方に自然と体が変わっていく。

男を選ぶと骨格が変わってゴツゴツした感じになって、一晩で声変わりする。

女を選ぶとその瞬間から生理がくる…らしい。

このことを知ってるのは家族と優斗とクラスの女子達だけ。男子達には…たまに現れる美少女ってことで通ってる。



「そりゃああぁ!」

今日は男子はマラソンだけど、女子は体育館でバレー、こういう時はそこそこ活躍できる。

「やったねかなちゃん!」

「ずるいよー!毎回かなでがいる方が勝ってるじゃん」

クラスの女子達は性別のことは最初のうちは戸惑ってたけど、膨らんだ胸と、例のものが無くなったことを証明したらすんなり受け入れてくれた。けど着替えだけはトイレで一人でしてる。仕方ないよね。



マラソンを走り終え、体育館の日陰に腰を下ろす。空いた扉からは冷房で冷やされた空気が惜しげも無く漏れだしていた。

汗だくの体を動かし、ゆっくりと壁にもたれ掛かる。空気が心地いい。

「なぁなぁ優斗」

「なんだよ」と煩わしそうに。

「なんだよじゃねぇよ、見てたろ、あの体育の時だけ現れる美少女」

しばらく考えたあと「あっ」と声を漏らす。多分かなでのことだ。

「お前もあの子気になってんのか?可愛いもんなー、噂じゃこの学年どころか、先輩達も狙ってるらしいぜ、色んな男と片っ端から付き合って弄んだ魔性の女という噂も─」

「バカ、あいつはそんなのじゃねぇよ」と咄嗟に遮った。

「え、てことはお前あの子のことなんか知ってんの?教えてくれよー俺とお前の仲じゃねぇかよぉ」

言いよる友人を軽くあしらって、足早に水道に向かう。水を頭から被って、体を冷やす。 かなでか…確かに可愛い…のか、そういえばもうすぐあいつの誕生日だったな。あいつは男か女どっちにするんだろうな…女になったらその時は…いや、どっちになろうがあいつの勝手だ。俺は平常心を保とう。

「ゆーとー!」

バレーを終えたかなでが走りよってきた。いや、歩いてると言った方が適切かもしれない。

それほどゆっくりに、けれど足早に優斗に近ずいてきた。

「かなでの時にあんま近づくな、お前有名だから、かなでと繋がってるって知られたら俺の身が危ない」

「ハイハイ、わかりましたよー、わかったからそこどいて、私も水飲みたい」

俺がそこをどくや否や急いで蛇口をひねり、大きな口を開けて思いっきり水を飲み出した。

しかし最初の一飲み以降、口の中にいれているだけで飲んでいる感じがしない。

「…ぬるい。端的に言ってまずい」

「んなわかりきったことを…次から水筒持ってこいよ」

「えーめんどくさーい」

そういえば、今気づいたことだがかなでは胸が大きい。CかDはあるその塊を男の時に一体どこにしまっているのか。

まさかとは思うが…男の──

だとするとかなりの大きさになる。ほかの可能性も考えるが…やはりその可能性が高い。

俺が考えている間も、かなではぶつぶつとなにか独り言を呟いていた。

そろそろ声をかけようか、そう思った時、なにか思いついたように蛇口をひねり出して、頭から水を被った。ここまでは別にいい。俺もさっきやってた。だが、幼稚園からずっと、こいつがタオルを持ってきてるところは見たことがない。濡れたら濡れっぱ。汚れたら汚れっぱ。それがこいつだ。それから導き出せる結論は──

「わかってると思うが…」

「服くらい透けてもいいだろ別に、中着てるし、それに身体女でもほとんど男友達みたいなものだしさ」

「そうか、そうだよな、何気にしてたんだろ俺」

男友達か、やっぱりこいつは男になりたいのかな。

女になってもこの関係が続く確証はないのに、それでも女になって欲しいと願うのは俺の我儘だろうか、自分勝手だろうか。

長い時間付き合ってきて、思わせぶりな行動だってそれこそ数え切れないほどあったのに、その度『男友達だから』と言われあしらわれて来た。それでもまだもしかしたらを夢見てる自分は何様だろうか。



「ゆーとー帰ろうぜー」

「ああ」と小さく答える。

体育が終わったあと『かなで』はすぐさま『かなた』になり、男の状態でその後の授業を終えた。筈なのに──

「おい」

「ん?」

帰路に着いた二人、子供のようにブロック塀の上を歩くこいつを頭を抱えながら呼び止めた。

「お前帰る前、腹痛いって言ってトイレ言ったよな」

「そうだね」

「じゃあ聞くが、トイレ行くだけなのになんでわざわざ『かなで』に戻ってるんだ?」

「うーんこっちの方が楽だから?」

悪戯っぽく笑った『かなで』を見て顔が熱くなるのを感じた。いや、違う、それは夏の日差しのせいだ。それにあくまでこいつは男だと言い聞かせる。

「今朝は男の気分だったんだろ?なんでわざわざ─」

「別にいいだろ、他人の性別の事情にとやかく言うもんじゃないよ」

言い切る前に遮ったその言葉には説得力があって、俺の心に深く突き刺さった。痛い所を突かれたような感覚で、何を言えばいいのかわからなくなった。

ただただ先の自分が馬鹿らしい。俺は俺。こいつはこいつ。確かに区切れば何も関係ない。

何も無いんだ。これでいい。この気持ちはもう少しだけ気づかない振りをしておこう。



「結局、ちゃんと水拭かなくて熱出してバタンキューか」

『いやはや、一生の不覚。』

「あんま無理すんなよ、ゆっくり寝て休め」

『はーい…あ、そうだ、来週の日曜日!誕生日だからね!わかってるよね?』

「ハイハイ、ぬいぐるみだろ、でかいやつ」

『なるだけモコモコなのちょうだいね!』

「毎回要求がアバウトだなぁ、去年はすべすべの、その前はふわふわのだったろ?ぶっちゃけどれもあんま変わんない気が…」

『変わりますぅー、抱っこした時全然違うんですぅー』

「そうですか、じゃあ切るぞ、早く寝ろよ」

『あーい、おやすみー』

電話越しでも本当に熱があるのか疑うほど元気だったな。

ぬいぐるみか…そういうとこは女なんだな、このまま行けば──

いや、仮定の話はやめよう。それに帰り道の時割り切ったばかりじゃないか。

とりあえず、俺はモコモコのぬいぐるみを探さなきゃいけない。



「あぁー鼻がぁー」

調子乗って水なんか被るんじゃなかった。優斗も全然意識してないみたいだったしやり損じゃないか。

──今何を?あ、そっか優斗のリアクション薄かったからか。決して、優斗のこと意識してるとかじゃない。

「明日誕生日なのになー。にしても自分で薬買ってこいなんて、薬局は何階だ…?私一応病人なのに─あ、可愛いぬいぐるみー」

ここは大型ショッピングモール、薬局もあればぬいぐるみを売ってる店なんて幾らでもある。

──恋愛漫画にありがちな展開、実際に起こるだなんて想像もしなかった。

「優斗…?」

優斗とその隣に綺麗な女の人。こっちからじゃ話し声は聞こえないけど二人仲良く話してるのがよくわかる。

仕方ない。優斗くらいかっこ良ければ彼女の一人や二人いてもおかしくない。

見てるのは──アクセサリーかなにかかな…私もそれを頼めば良かった。そしたら、もしかしたら優斗と──

──いや!違う。だめだ、頭が回らない。優斗は友達の筈なのに…少し混乱してる。

「早く薬貰って帰ろ…」

自分の部屋に戻って、ベットの上で毛布にくるまる。気持ち悪い。クラクラする。頭が痛い。胸が…痛い。

優斗が誰と会おうが優斗の勝手だし。私は付き合ってるわけじゃないし。

付き合ってるって何?優斗は男友達だ!確かに俺だって優斗のことは尊敬してるけど、それは友達としてだ。そうに決まってる。

確かめてみたらいい。実際に聞いてみたらいい。そんな考えが何度も頭をよぎった。けどその度おぞましい程の不安が襲ってきて、考えただけで苦しい。

心臓がバクバクする度頭に響く。考えるのもだるい。

そうこう考えている間に寝てしまった。



「おはよう、かな、誕生日おめでとう」

この声は…お母さんだ。私が『かなで』でも『かなた』でも良いように私のことを『かな』と呼ぶ。

ゆっくりと起き上がって目を擦る。

「まぁ、かな、あなた─」

お母さんの方を向く。「おはよう」と言う。風邪の影響かなんだか声がおかしくて、喉を軽く抑える。

「男の子を選んだのね、いいじゃない。」

「え?」

最初は聞き間違いかと思った。けれど声や体つき、そしてパツパツのパジャマが全てを物語っていた。

なんで、どうして、昨日私は!どうしてあのまま…!

「どうしたの?」という母の問いかけに「大丈夫だよ、まだちょっと風邪気味なだけ」と取り繕う。

「そう、わかった。学校にはお休みの電話入れとくからね」

お母さんが部屋から出たのを確認して。布団の中で思いっきり叫んだ。けど、涙は出なかった。どれだけ声を出してもなんとも言えない不快な気持ちは減るどころかどんどん増えていく。怒り、悲しみ、色んな思いがあった。けど一番焦りが大きくて、辛かった。

ただでさえ息が詰まりそうなのに布団の中は息苦しくて、立ち上がって大きな鏡の前に立った。

「これが…私…」

顔つきも体つきも声も全てが違う。面影があるのは肩にかかる長い髪くらい。それも今となっては全く似合わない程、取ってつけたような違和感があった。

「本当に変わったんだな」

事実が飲み込めなくて、怒りに任せ鏡を叩く。男と女を行き来できるような中性的な身体から完全な男の身体になった私は、いとも容易く鏡にヒビを入れた。握った手から、赤い液体が流れた。



どれくらい経っただろうか。締め切ったカーテンの僅かな隙間から陽光が指す。この部屋の明かりはそれのみだ。共働きが当たり前の時代。私の家庭も例外じゃない。家には誰もいないし、特にこれといってすることもない。

静まりきった家中にインターホンが鳴り響く。

どうせセールスかなにか。そのうち帰るだろうと、無視をして布団にくるまる。しかし何度もしつこく音が鳴るもので、仕方なく玄関に向かった。

「どちらさまで…あっ…優斗…」

そこには私の幼馴染の優斗がいた。幼稚園の頃から身長差があって、いつも見上げてばっかで、それが今、少し猫背気味な私でも面と向かって話ができる。

「え…えっと…かなた?」

「あ、あぁそうだよ…」

およそ三日ぶりとは思えない程ぎこちない会話だった。

「これ、プレゼント、モコモコの…今はもういらないかもだけど」

「あぁ…彼女さんにでも渡してやってくれ」

私はぬいぐるみを見る前に、口早に遮った。早くこの時間を終わらせたい。優斗のことを忘れたい。

「彼女?」

優斗が聞き返してきた。背中を何かが走り抜け、嫌な汗が流れる。その先を言わないでくれ。頼む。言ってしまったら、今までの全てが…馬鹿らしくて仕方ない…

けど、聞かずにはいられない。

「昨日、ショッピングモールで見かけたんだ。ピンクの服のポニーテールの女といるの」

「それは─俺の従姉妹だ…紛らわしくてごめん。久々にこっちに帰ってきたから、一緒にプレゼント選び手伝って貰ったんだ」

「気を使わなくていい、アクセサリーかなにか見てたろ。男になったんだし、隠す必要ないだろ」

柄にもなくぶっきらぼうな言い方をした。優斗の顔さえ見れずにずっと靴ばかり見てる癖に、口先だけは一丁前だ。

「それは従姉妹が女の子だったらこんなのが好きなんじゃないかって、お前が女になる確証なんてなかったんだけどな。どうしても買えって言うから買ったんだ。従姉妹には本当に付き合ってもらっただけなんだ。」

「だから──というか…受け取ってくれ。このネックレスも、気に入らなかったらどこかで売ってくれても構わない、とりあえず受け取ってくれないか?」

優斗がリュックから取り出したのは羊の毛のようなパーカーを来た人型のぬいぐるみ。それと話に出てきたネックレス。

三日月の上で猫が伸びをしているペンダントトップ。所々の青いキラキラが綺麗だった。モコモコのぬいぐるみと言われて安易に羊を選ばないのは、私が昔から、人形遊びが好きだったことを知ってるから。その心遣いが、今はとてもすごく痛い──

「どうしてもダメか?やっぱり、こういうの嫌いだよな、ごめん──」

「いや!」

咄嗟に出た言葉だった。それを機にダムが壊れるように、ドロドロに溜まってた感情がとめどなく溢れ出す。

「いや、違う。違うんだ。好きだよ、好きだけど…好きなんだ!」

「本当は好きだったんだ。言葉にできないくらい大好きだったよ─けど…もう大丈夫。ありがとな、かっこ悪いとこ見せて悪かった」

「それじゃあ」と言って、プレゼントを受け取り、そのまま言い逃げのように扉を閉めた。優斗が扉越しに何か言っていたが全く聞こえなかった。聞く気がなかった。



部屋に戻って、『かなで』の面影を探す。そうでもしなきゃ気が狂いそうだった。

至る所を物色してるうちに机の中からいつぞやの化粧品が出てきた。

中学の頃、クラスの女子から貰った化粧品で女装した時の残りだ。


『なあ優斗』

『何?』と漫画を読みながら聞き返す。

『俺ってさ。女の時って可愛いじゃん?』

『うん…まぁ、そうらしいな』

『ってことはさ、一応同一人物だし、俺も女装したら可愛くなるんじゃね?』

『かなでになった方が早いだろ』

『それじゃあ意味がないんだよ!漫画読んでないで!早くやろ!』


それから優斗を無理矢理化粧させて、そしたらやり返してきて、結局当然どっちも上手くいかなくて、顔に落書きしたみたいに、とっても不細工で、鏡を見て二人してゲラゲラ笑った。


高校になって、性別のことを明かしてから少しした頃、クラスの女子から化粧の仕方を教わった。

それに習って、丁寧に進める。リップ、まつ毛、アイシャドウ。その時女子に習った通り進めた、優斗に貰ったネックレスもつけた。そのはずなのに。


「不細工」


暗い部屋で一人、鏡を見ながら呟いた。

その後に、なんだかおかしくて、ゲラゲラ笑って、笑った後で涙が溢れて止まらなかった。

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