第10話 セロの過去

 そこは薄暗い、少し広めの倉庫みたいな部屋だった。


「あの、バロワさん。ここでは一体何を……」


「ところで、お嬢様。お嬢様は本当に何も覚えてらっしゃらないのですか?」


「え? と、言うと……」


「ですから、こういうことです」


 そう言って部屋の片隅からバロワさんが取り出したのは、資料でしか見たことのないような、大振りの刀だった。アランが前に持っていたものよりも危なそうな見た目をしている。


 バロワさんがそれを構えると、正直不釣り合いだったけれども、それでも刀を持って微笑んでいる姿が不気味で、何より危なっかしくて。


「そ、それはどういうことで……というか、危なくないですか?」


「えぇ、危ないですよ。斬られたらひとたまりもありませんから」


 そう言うと、バロワさんがゆっくりと近づいてくる。


 あれ、もしかしてこれ、まずい?


 私は急に危険を察知して、今頃になって心臓が走り出す。ゴクリと喉を鳴らして、辺りを見渡す。けれど、こんな部屋の中でどうしろっていうんだろう。いいや、まさか。さっきまでのバロワさんを見て、そんなことするはずない。何かきっと理由があって。


「ほ、ほら! セロの情報を教えてくださるとか! だからその話をするのに、一旦刀は置きませんか?」


 私は必死に説得を試みた。けれどバロワさんは、私が冗談を言ってるみたいな反応で。


「いえいえ、このままでも十分です。お嬢様は誤解されているのでは? セロお嬢様は、何も悪くないのです」


「え……」


 その言葉を聞いて、私は思った。これは、ダメかもしれない。


 そうか。彼はもしかしなくとも、向こう側の人間だったのか。


 いや、けれど隙を見て逃げ出すことが出来るのでは——


「きゃああ!!!」


「……おっと、避けられてしまいましたか?」


「ば、バロワさ……」


 私が考えている内に、彼は私の左肩すれすれの位置に、刀を振り下ろしていた。頭が真っ白になる。ダメだ、体が動かない。いくらバロワさんがかなり年上でも、成人男性に勝てるわけがない。私はうまく声が出せずにいて。


「動くと余計危ないですから、じっとしていた方が身のためですよ?」


「い、嫌……助けて……助けてッ……!!!」


 私は叫んだ。けれど、次の瞬間——


「……あ、あれ」


「お嬢様、無礼をお許し頂けますか」


 バロワさんは振りかざした刀を床に置いて、跪いていた。何が何だか分からず、私は呆けていて。


「あ、いや、えっと……」


「こう見えて、元演者でございますから。その驚きようを見ていたら、居ても立っても居られなくなりまして。ここまでするつもりではなかったのですが、いやはや……何とお詫びすればよいものか……」


 バロワさんは少し嬉しそうにしていたが、段々と俯いて申し訳なさそうにしていた。私は状況がうまく飲み込めなかったものの。


「え、っとつまり……私を殺そうとしたわけでは、ないんですよね?」


「えぇ、先のは模造品でございますし。それに、どこまでカノン嬢でないのかを、改めて確かめたかったのです。カノン嬢であれば私の殺陣など、模造刀での演技と分かればすぐに片手で止められることでしょうから」


「え、えぇ……」


 それはカノン、パワフルすぎ。……じゃなくて、そういうこと? さっきのは単なる演技?


 私は力が抜けて、思わずその場に座り込んでしまった。


「あ、あぁ! お嬢様、気を確かに!」


「い、いえ……ちょっと腰が抜けちゃっただけなので、大丈夫です。でも、流石に怖かった……」


「まるで別人……いえ、本当にカノンお嬢様ではないのでしょうね。ですが、私はその話を聞いた時に、ポツリと思い出したのです。全く価値観の違う人間が憑依して、難敵を打ち倒す舞台脚本を。そう、カノンお嬢様の作品ですが」


「……カノンが?」


「えぇ。その脚本にはこうありました。どこからか降り立ったその少年は、この世界にない知識を駆使して逆境を跳ね除け、奇跡を起こしたのだ、と。正直に申し上げて、お嬢様の現状は芳しくありません。まさしく、奇跡が必要なのです」


 バロワさんはそう言うと、ポケットからアイリスを取り出した。


「アイリスの使い方は、ご存知ですか?」


「いえ、まだ」


「左様でございますか。であれば……これを使って、今一度セロお嬢様の載録をご覧になるのが良いかもしれません」


「セロの、載録?」


「えぇ。先ほども申し上げた通り……セロお嬢様は元より、あのような性格ではございませんでした。この国に生まれ、オルヴェーニュ家に育ち、そして……カノンお嬢様という強大なライバルがいたからこそ、あのようになってしまったと、私は考えております」


「セロの、境遇かぁ……」


 確かに、考えたこともなかった。確かに彼女とは幼馴染だとは聞いている。それがどうして今、彼女が敵になっているのか。もはや幼馴染の首に縄を掛けているのは彼女なのだから。それを知ることで、何か突破口が得られるかもしれない。


「当然、カノンお嬢様はそれをご存知でしたが、悩まれるばかり。ですが、今のカノンお嬢様がそれを知ることで、何かが起こる。私はそんな気がしてなりません。これは舞台監督としての、長年の勘……とでも言いましょうか」


 そう言ってバロワさんは少しだけ得意げに笑ってみせた。私はまださっきの殺人未遂が尾を引いていたので、愛想笑いで答えるしかなかったけれど。


「そうですね、仰る通りかもしれません。私にしかできないこと、見つけてみたいと思います」


「ありがとうございます。実はこの部屋は、演劇道具以外にも過去の載録書を保管しているのです。ちょうどセロお嬢様の記録があったことを思い出したもので、お呼び立てしました」


「そうだったんですね……」


 さっきの小芝居がやりたかっただけなんじゃないの、ってちょっとだけ文句を言ってあげたい気分だったけれど。


「あ、先ほどのことは重ね重ね申し訳なく思っており……」


 って、顔に出ちゃってた? それはそれで、ごめんなさい。カノンの顔で睨まれたら流石に怖いよね。お人形みたいに整ってるのに、刀を素手で止めちゃうような圧力で怒られたらさ。


「いえ、いいんです。でも、私は剣も魔法も知らない世界で生きていた人格だと思うので。……次はお手柔らかにお願いできたら嬉しいです。カノンほど心臓も強くないだろうし」


「えぇ、それはもちろん。見ていれば分かりますとも。いつものカノンお嬢様の鷹のような鋭い眼光がない分、気兼ねなく、いえ失礼……つい嬉しくなってしまいましてな」


 何か言い掛けたなぁ……言葉はいいけど、それって日々カノンがバロワさんのこといじめてるからじゃないの!


 まあ、どちらにしてもよかった。バロワさんに殺されなくてってことと、情報が手に入った。早速アイリスでセロの過去を確認してみなきゃ。


「それでは、お部屋に戻りましょうか」


「はい、そうですね」


「……お嬢様」


「はい?」


「……あぁ、いえ。くれぐれも御用心下さい。私の耳にも入っておりますので」


「?」


 バロワさんが何を言いたいのか、単なる忠告なのか。真意は汲み取れなかったものの、有り難い言葉として会釈した。


 部屋に戻ってリリィとアランに心配されたが、セロのことだけ説明して、あとは一人別室で閲覧することにした。


 ——私はそれを一通り見終わった後、何も言えなくなっていた。


「セロちゃん……どうして……」


 例えようのない感情に、私は涙を堪えることができなかった。


 *





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

処刑寸前の悪役令嬢に憑依した私はSNSを駆使して生き延びる eLe(エル) @gray_trans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ