第9話 バロワ邸にて

 *


「あれがラトゥールていだ。各自、手筈てはず通りに」


 数人の黒装束くろしょうぞく集団はラトゥール邸を前にし、ゆっくりと散開した。


 時刻は深夜。訓練された数人の兵士は、一切の足音を立てずに動いていく。屋敷の動きも変わった様子はない。


 手元には魔力無線機ウォールトーを携え、仮面の下でリーダーと思われる男が指揮を取っていた。


「各自配置に着いたな。五秒数えろ。合図は俺の白魔法しろまほうだ」


 魔力無線機から了解の応答。男は懐から小さな白く輝く石を取り出した。彼はそれを左の掌に入れ額の位置に掲げると、祈るように目を瞑った。


「白は——『閃光ブリッツ』」


 瞬間、花火のように空高く光が伸びていき、一瞬まばゆい輝きが空に舞った。


 そして、その五秒後だった。すかさず黒と赤の石を取り出し、言い放つ。


「赤・黒は——『獄炎インフェルノ』」


 右手に持った魔術杖マスタフを介し、放たれた魔法はあっという間に肥大した。直径2メートルほどの黒い炎の球。それは屋敷に向かって速度を増し、気づけば同じような炎の球が数個宙に浮かんで、屋敷を取り囲んでいた。


 流石に気がついたのか、屋敷の中はあっという間にざわついて。


『キャアアア!! 逃げて、襲撃です!!』


 男は屋敷内から聞こえる悲鳴を確認していた。事態は既に手遅れだった。


 獄炎ごくえんの球は数メートル先からでも屋敷の外壁をがす。庭の植物を燃やし、あっという間に屋敷内をかまと化していく。逃げ場はない。


 そしてそのたった数秒後に——全ての火球は屋敷に直撃した。屋敷は一瞬にして燃え上がり、空気中の酸素と魔力を取り込みながら半永久的に燃焼を続け、対象物を灰にしていく。


「……任務は遂行した」


 男は呟く。屋敷はこの世のものとは思えぬ低い音を立てて、少しずつ溶けて崩れ落ちていく。命辛々いのちからがら屋敷の隙間から逃げ出したねずみが、炎に包まれてそのまま庭先で息絶えていた。


 屋敷の中にいる人間は、何をほどこしたとしても生き返ることはないだろう。


 男は目の前で燃え上がる豪奢な屋敷、既に廃墟となりつつあるそれを眺めながら、低いトーンで呟いた。


「……フレイミニアン公国に繁栄はんえいあれ!」


 **


 *


「……何?」


とてつもない胸騒ぎがして、怖くなった。


ふっとリリィの方を見ると、彼女も何か気づいたようだったが。


「大丈夫ですよ、お嬢様」


「う、うん」


 知らない顔をしたまま、とある屋敷の裏口へ。きっと、これから起こることへの不安に違いないのだ。



「これはこれはお嬢様、お久しぶりでございます」


「え、えぇ。ごきげんよう、バロワ」


此度こたびの騒動、災難でございましたな。どうかこのバロワを使って下さいませ。お嬢様のためならば協力は惜しみません」


 豪奢な洋装、ふくよかな見た目通りに大らかで人柄のいい男性。クレセント・バロワという、この界隈かいわいでは有名な舞台監督だそうだ。


 カノンの代表作を手掛けたのもこの人で、その代表作によってバロワさんも有名になったのだとか。二人が目指すイメージが限りなく近く、それ以来掛け替えのない仕事仲間になったのだとか。


 ……というリリィからの予習を経て、アラン含めた三人でここに辿りついたのは、エスメラルダさんからのアドバイスがあったからだ。やっぱり私たちは狙われてるらしい。まさか直接命を狙うことなんてないだろうけれど、先日の会話の内容が本当だとしたら、一応警戒する必要がある。


 話が巡って、しばらくの間この屋敷にかくまってもらえることになった。私は少し気を遣うというか、申し訳なさを覚えながらもバロワさんの好意に甘えることにした。リリィがそういう風に段取りしてくれたんだけどね。


「バロワ殿。投票の件は既にご存知かと思いますが、舞台関係者はいかがでしょうか。お嬢様に縁のある方も相当数いらっしゃったかと思うのですが」


「……それが、思った以上に情報操作に流されてしまう者が多く、半分程度は有罪に投票しているようです。こればかりは、私の力不足でございます。大変申し訳ありません」


「はぁ!? なんでそうなるんだよ。どう考えたってお嬢様に恩がある奴の方が多いだろ?」


「ちょっと、アラン。そんな言い方しなくても」


「それはそうなのですが、お嬢様を強く信奉しんぽうしていた者ほど、盗作という事件への衝撃が大きかったようです。それが事実でないことは、私のように作品に深く携わっていた者には歴然ですが、一介の演者にはそこまで伝わらないのでしょうな……」


 申し訳なさそうにする彼の言葉に、アランはわざとらしいため息をついていた。


「ですが、私もこのまま手をこまねくつもりはございません。どうやら冤罪を助長するような情報を流している一派がいるのだとか。これを今、魔導騎士団を含め、各所に裏から手を回している所です。何としても……私の命を賭けても、期日までにお嬢様の無罪を勝ち取る所存です。」


「バロワさん……あ、いや、ありがとうございます」


 さん、と付けてしまってあたふたする。あぁ、ダメだ。いい人すぎてついつい素が出てしまったよ。なんて困っているとリリィが小さく笑いながら、やれやれって顔で。


「実は、バロワ殿。お伝えしたいことがございまして——」




「——なんと、記憶が……それでは今のお嬢様は……」


「私も、何者か分からないんです……ただ、周りの人の話を聞くと、単に記憶をなくしたわけじゃないって思っていて。ですから、カノン嬢はどこかに生きているのだと思います。私はこのまま、カノンを探し出せずに死ぬわけにいきません」


 バロワさんに全てを打ち明けた。彼は当然驚いていたが、顎に手を当てて考えながらも、全て受け入れてくれた。流石カノンだなぁ。会う人会う人皆と強い絆で結ばれている。


 思えば、貴女と話したことがないのに、今の自分よりどんどん貴女に詳しくなる。そういう知識と周りの人たちのおかげで、たまに私は……本当は記憶を失ったカノンなんじゃないか、って思い込んだりもするの。けれど、その度に思い知らされる。


 あぁ、私は絶対に貴女ではなかったな、って。


 バロワさんは強く頷くと、胸に手を当てて姿勢を正しながら。


「えぇ。私もそのつもりです。ただ、この情報は相手陣営も知らないことでしょう。弱みになるやもしれませんから、投票終了の時まで極秘にいたしましょう。以降、誰にも話さないことです」


「分かりました」


 私は一瞬リリィとアランを見て、ほっとした表情を見せる。リリィは小さくお辞儀をしてくれて、アランはまだ納得いっていない様子だ。バロワさんに協力を仰いで、本当によかった。


「さて、本日は遅い時間からお越しいただきましたから、もうお疲れでしょう。お部屋をご用意してございます。こちらに……」


 と、バロワさんが案内してくれようとした時、扉が開く。


「お客様ですか?」


 それは百三十センチくらいの女の子だった。礼儀正しく可愛らしいドレスを着て、ぺこりと頭を下げた。


「あぁヴィクトリア。申し訳ございません、お嬢様。愛娘のヴィクトリア、ヴィクトリア・バロアでございます」


「お嬢様……?」


「私のことが分かるの?」


 バロワさんは娘さんを紹介してくれて、彼女はゆっくりとこちらに近づいてくる。何年前から彼女と知り合いなのだろう。分からなかったが、彼女は不思議そうな眼差しで私をじっと見つめてくれて。


「はい。父上がいつもお世話になっています」


「そっか。えぇと、ヴィクトリアちゃん……でいいのかな。カノンがなんて呼んでいたか分からないけれど」


「カノンお嬢様は、盗作なんてしていませんよね?」


「え?」


 彼女の目線に並ぶよう、少しかがんで喋っていると、唐突に問いかけられた。思わず言葉が詰まる。でも、彼女の目は真っ直ぐだった。それなら。


「……もちろん。カノンは、私は盗作なんてしてない」


 確証は無かったけれど、確信していたんだ。嘘つきになったら申し訳ないなんて、今更甘い考えだ。すると、彼女は。


「分かりました。ありがとうございます」


 と、もう一度お辞儀をすると、バロワさんの元へ。


「いやはや、失礼いたしました。それでは改めて、ご案内いたします」


 リリィもアランも、それについていく。少し遅れてついていくヴィクトリアちゃんが、ちらとこちらを見ていた。


 それが何か、私を見透かすみたいで一瞬寒気がした。でもあれはきっと、彼女なりの心配なんだろう。カノンとはどれくらいの付き合いか聞けばよかったかな。年齢的にも、カノンは尊敬されるお姉ちゃん的な存在だったのだろう。


 落胆して、結果裏切ってしまう演者の人たちの気持ちも分かる。応援していた人、尊敬している人が取り返しのつかないことをしたら、とてもショックなことだ。ヴィクトリアちゃんのようにまだまだ若くて、カノンと何かしら関わりのある人も大勢いると思う。


 そういう人たちにも、がっかりさせたくない。いろんな人の力を総動員して、勝たなければいけない。


 今一度胸に刻み込んで、屋敷の中を進んでいく。リリィとアランが部屋に案内されて、私もその後ろをついていこうとした時、ふとバロワさんに声をかけられて。


「お嬢様、少しだけお時間よろしいですか? 記憶を失くされているということで……セロお嬢様の件について、少しお伝えしたいことが。出来れば私とお嬢様、二人だけでお伝えしたいのです」


「セロの……?」


 薄暗い廊下で、少しだけ考えを巡らせる。一応リリィを一緒に連れて行った方がいい? でも、メイドや護衛を抜きにして話したいこともあるかもしれない。それに、情報は必要なんだ。バロワさんを信じよう。


「分かりました。是非お聞きしたいです」


「ありがとうございます。それでは、こちらへ」


 そう言ってバロワさんは先と同じ笑みを浮かべて、私を先導してくれた。


 案内された別の部屋の重厚な扉には鍵が掛かっていた。バロワさんによって開錠され、ゆっくりと開く扉。足を踏み入れると、瞬く間に扉が締められた。


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