その状況



 確かあたしは、コーキと食べ物の話をしてたはずだった。



「コーキは何が好きなの?」


「オムライス」


「それ、あたしがこの前作ったからでしょ。他には?」


「オムライス」


「うん、だからそれ以外に―――」


「セーラの作ったオムライス。それ以外にない」


「そ……れはありがとう……」



 そんな会話をしてたはずだった。



「ねぇ、もしかしてトマト好き?」


「何で……わかった?」


「だって先週も大きなトマト4つあったし、今日もそうだし」


「……あぁ」


「トマトが好きって人、あたしの周りにはほとんどいないんだけどコーキとは気が合いそう」


「何で……?」


「だってあたしもトマト大好きだから」


「なら……良かった」


「トマト嫌いな人にも、色々いるって知ってた?あたしはトマトもトマトジュースも大好きなんだけどさ」


「うん……」


「中にはトマトは平気だけどトマトジュースは無理って人もいれば、ジュースは平気だけど生のトマトが無理って人もいたりするの。不思議だよね」


「…………」


「でも、卵焼きは無理なのに目玉焼きなら大丈夫って人もいるから人間って不思議だよね」


「…………」



「トマト美味しいのにね?」



 なんて会話をしてたはずだった。



 さっきはトマト好きだと言ったはずなのに、いきなり好きじゃないと言い出すコーキ。



 え?って視線を上げて戦慄した。



 もちろん、目の前にいるのは神谷。



 神谷には違いない……けど。



「待って、か……神谷……だよね……?」


「…………」


「ねぇ、神谷だよ……ね?」


「それ以外の誰に見えんだよ」


「だよね!?やっぱそうだよね!?」



 不愉快そうにあたしを見つめるその目は、明らかにコーキのそれじゃない。



 何でいきなり!?

 困るんだけど!とっても!



「あの!あのね!?あたしがココにいる理由でしょ!?ちょっとこれには色々ワケがあって―――」


「あー良い、わかってる。どうせ俺だろ。俺が原因だろ」



 神谷は左手で乱暴に髪を掻き上げると、大きな溜め息を吐く。

 でもすぐに慌てたように「俺、お前に何もしてねェよな!?」とあたしを見つめる。



 その表情は心底焦ってる感じで……しかも不安そうで。

 もしかしてコイツ、意外と悪いヤツじゃないんじゃないかと思えた。



「ううん、された」



 だからすました顔してそう言ってやった。



 だって前回はオムライスを作らされたし、今回はカレー。



 だから決してウソじゃない。

 どっちも神谷じゃなくてコーキだけど、この際連帯責任だと思う。



「マ……ジか……よ……」



 自分が“寝てる”間にやらかしてしまったらしい事に衝撃を受けてるっぽい神谷は、どうやら本気で焦ってる。

 やっぱりコイツ、そこまで悪いヤツじゃないんじゃないだろうか。



「うん。だから神谷はあたしのお願い聞いて」


「お……願い?」


「そう。せっかく作ったんだから、このカレー食べて欲しい」


「…………」


「どうせ帰れ、って言うんでしょ?あたしが神谷に何もされてなかったら、帰れって言うつもりだったんでしょ?」


「…………」


「で、このカレーも食べずに捨てるつもりなんでしょ?」


「…………」


「神谷が食べ終わるまでは帰らない。ちゃんと神谷が食べ終わったのを見届けてから帰る」


「…………」


「それくらいのお願い、聞いてくれても良いでしょ」


「…………」


「だってあたしは神谷に……」



 カレーを作らされたんだから、と語尾を弱めるあたしに、青い顔した神谷がうろたえながら小さく頷く。



“カレーを作ら”の部分は神谷に聞こえなかっただろうけど、もちろんワザと。

 姑息な手段だったけど、こうでも言わなきゃ神谷はホントに食べないに違いない。

 お腹を空かせたコーキが可哀想。



「たくさん作ったからしっかり食べてね」



 目の前のテーブルに置かれたカレーとサラダを複雑そうな表情で見つめてた神谷は、それでも渋々といった感じにスプーンへと手を伸ばす。



 あたしはそんな神谷を対面キッチンの向こう側から監視した。



 ホントは隣に座りたいとこだけど、神谷はコーキじゃないからその距離は憚られる。

 学校でも隣に座ってるとはいえ、あたしと神谷は“友達”という枠ですらない。



「……お前は?」


「え?」



 離れた距離から自分を監視するあたしに、居心地悪そうな神谷が視線を上げる。



「メシ。食わねェのか」


「あぁ、あたしもう食べちゃったから。だからあたしの事は気にしないで」



 ぎこちない笑顔を浮かべるあたしを、窺うように見つめる神谷の顔色は青い。



 やっぱり気にしてるっぽい。

 あたしに“何かヤらかしちゃった”事。



 そんな神谷を見てたら、学校で噂されてる内容がもの凄くウソ臭く感じられる。

 人を殺したとまで言われてる神谷が、女子に何かしちゃったくらいでこんなにも動揺するワケない。



 だからって、ちょっと考えればわかりそうなもんだけど。

 自分に何かヤらかした男の家に、ノコノコ上り込んで呑気に料理作る女なんて……



 あぁ、そっか。



 もしかして、自分が脅してこういう事させてるとでも思ってるんだろうか。



 って事は神谷はコーキの存在は認識してても、コーキの時に何をしてるのかをすべては把握してないって事なんだろうか。



 それって……相当怖いんじゃないだろうか。



 だって考えられない。

 自分の知らないところで、自分が明らかに何かをやらかしてて、それを自分で把握出来ないなんて。



 いや……でも……まぁね。



 あたし、騙されてるだけかもしれないし。

 もしかしてすべて神谷のウソで、からかわれてるだけかもしれないし。



 なんて考えながら目の前の神谷を眺めて気付く。



 神谷が左手でスプーンを持ってる事。



 コーキは右でスプーン持ってたはず。



 って事は、やっぱり別人って事だ。

 神谷の中に確実にコーキが存在……



 いや、でも両利きって事も考えられるし。



 そういえば中学の時に「あたし二重人格なの」って言った子がいた。



 きっかけは、Twitter。



 どうやらその子は、友達と繋がってる本当のアカウントとは別に、裏アカウントを持ってたらしい。

 その裏アカウントで、友達たちの悪口を日々呟いてたらしい。



 ある日、それが友達全員にバレてしまった。

 何故なら間違えたから。

 うっかり裏アカのつもりで呟いた悪口が、思いっきり本アカだったという初歩的ではあるものの致命的ミスだった。



 もちろんその子は、責められた。

 クラスメートのほとんどと繋がってたもんだから、ほとんどの子たちに責められた。



 あたしの事っぽい悪口もあった。



 能天気のクセにクールぶってて喋ってるとイラつく、みたいな感じだったと思う。



 あたしってそんな風にイラつかれてるんだ~って確かにショックではあったけど、他人の目に自分がどう映ってるのかがわかってヤケに新鮮だった気がする。

 ショックではあったけど、別に腹が立つ事もなかった。



 だからあたしはみんなと一緒になってその子を責めたりはしなかった。

 でも、みんなを止めようともしなかった。

 離れた席から、ただ眺めてただけ。

 これが「クールぶってる」って言われる原因なんだろうか、なんて考えながら。



「これ、あたしが書いたんじゃない!あたしの中の、もう1人の人格が書いたの!あたし実は二重人格で、もう1人の人間があたしの知らない内にこういう事やるの!」



 それがその子の言い訳だった。



 誰もその言い訳を信用しなかった。

 もちろん、あたしも。



「なら、そのもう1人の人格、今ここで出してみなよ」



 誰かが発したそんな言葉に、その子が何も出来なかったからだ。



「そういうの何て言うか知ってる?中二病って言うんだって」



 誰かの言ったセリフに当時まさしく中2だったクラスはドッと沸いた。

 言われた本人だけが、笑わなかった。



 翌日からその子は学校に来なくなり、Twitterの本アカも裏アカも削除された。



 数ヵ月後には、担任から「転校する事になった」と話があった。



「そんな都合の良い話ある?困ったときには“自分じゃないです、別の人格です”ってさぁ、なら何でもやりたい放題じゃん。ウソつくにしてももうちょっとマシなウソつけば良いのに」



 まぁ、その言い分はわかる。

 それで通用するなら、さぞ生きる事が楽になるに違いない。



 だけど。



 実際、こんな風に狼狽する神谷を見てたら、決してそうじゃない事も理解出来る。

 むしろ楽どころか苦悩でしかなさそうだ。



 今となっては、あの子の言葉がホントだったのかウソだったのかなんてわからないけど、もしもあの時。



 誰か1人でも、あの子に違う言葉を掛けてたなら何かが変わってたのかも……なんて思うのは傲慢なんだろうか。



 それがあたしだったなら、今でもあの子と友達でいられたんじゃないだろうか……なんて考えるのは能天気な上に無責任なんだろうか―――



「―――中二病全開かよコイツ、とか思ってんじゃねェだろうな?」


「え!?」



 過去の時代へと思い馳せてるあたしを、神谷の声が現在へと引き戻す。



 気付けば神谷はカレーを見事に完食してて、残ってるのは小皿にトマト2切れだけだった。



「だって俺、おかしいだろ。お前はもう知ってんだろ」


「………まぁ、」



 ね。

 確かに知ってるけど。



「言い訳するつもりはねェけど、俺何した?」


「…………」


「自分がヤらかした責任は取る。俺、お前に何した?」


「ダメ」



 咄嗟に出たあたしの「ダメ」に、神谷は「あ?」と眉を寄せる。



 凄んで来る神谷はやっぱり神谷で、その顔はやっぱり整ってるけど。

 やっぱり笑ってる方が断然素敵だと思う。



 だからこそ、簡単に“責任”なんて言葉を出す神谷を心配してしまう。



 こんな調子でコーキのやった事に責任取ってたら、イケメン目当ての女子にアッサリ騙されちゃうんじゃないだろうか。



「まだトマトが残ってるもん」


「…………」


「ちゃんと神谷がそれ食べたら言う」


「…………」


「あたしが神谷に何されたのか、ちゃんと言う」


「………わかった」



 摘んだトマトを束の間眺めた神谷は、意を決したように口の中へと放り込んだ。

 そして、ほとんど噛む事もなく飲み込んだ。



 ホントにトマトが好きじゃないらしい。

 同じ身体を共有してても、コーキとは食の好みが違うらしい。



 残るトマトは、あと1つ。

 そのたった1つですら食べる事を躊躇してる神谷に、あたしは問う。



「ねぇ。昨日、何であたしを呼び止めたの?」


「…………」



 一瞬あたしへと視線を上げた神谷は、でも何も言わないまま小皿に残ったトマトを見つめる。

 マジでこれも食わなきゃいけねェのかよ、とでも言ってるような神谷に、あたしは尚も問い掛ける。



「“やっぱり”って昨日言ったよね?あれってどういう意味?」


「あれ……は……」



 別に汚れてるワケでもないのに左手で口元を拭った神谷は、明後日の方向へ視線を向けながらも小さな声で答えてくれた。



「……夢かと思った」


「え、夢?」


「お前とここでメシ食ってる夢見た。何でお前なんだよって思った」


「…………」


「メシだけじゃねェ。何かお前に色々言われた。注意だかアドバイスだか知らねェけどムカつく事」


「そ……っ」



 それは!

 夢だと思ってて欲しい!

 むしろ夢であって欲しい!



「でも、夢じゃなかったんだろ」


「…………」


「アレ。夢じゃなかったんだろ」


「お……オムライス?」


「あぁ」


「…………」


「夢なのかリアルなのかわからなかった。でも昨日、お前があんな事言うから、夢じゃないってわかった」


「…………」



“今日はちゃんとご飯食べた?”



 なるほど。



 あの“やっぱり”は、“夢じゃなかったのか”と続くワケだ。



 何か相手があたしでごめんなさい、って感じだけど。

 どうせ夢のような話なら、そんな女子は絶世の美女であって欲しいって感じなんだろうけど。



「もうわかってるだろうけど、俺は俺だけど俺じゃねェ。俺の中には、俺の知らない何かがいる」


「…………」


「でもそれは何の言い訳にもならねェってわかってる。そんなの俺の勝手な都合だしな」


「…………」


「だから責任は取る。俺はお前に何したんだ」



 言いながら神谷は、最後のトマトを口にした。



 タイムアップ。

 時間切れ。



 たとえばここで「あたしの処女膜破ったんだから責任取ってよ!」って言ったとして、神谷はどんな責任を取ってくれるんだろう。



 絶対ヤバいでしょ。

 イケメンのクセに迂闊すぎるでしょ。



「うん、された事はされたんだけど別に大した事じゃない。だから気にしないで」



 あぁ、秘密を知ったのがあたしで感謝して欲しい。

 良かったね、責任取って付き合ってよ!とか言う女じゃなくて。



「いや、でも……」


「ホントだから。神谷が責任取らなきゃならないような事は何もされてない。でも1つだけ言うなら……」


「……何」


「ご飯はちゃんと食べなきゃダメだよ?」



 そもそも神谷がご飯さえちゃんと食べてくれれば、あたしはコーキに呼び止められる事もない。



「…………」



 無言の神谷は、いかにも“余計なお世話だ”と言わんばかりの表情で視線を逸らす。

 でも次の瞬間には、小さく息を吐きながら立ち上がった。



 なら話は終わりだ、帰れという雰囲気が見事に伝わって来て、あたしはそそくさと玄関へと向かった。



「じゃ、あたし帰るね」


「あぁ」


「カレーまだ結構残ってるからちゃんと食べてね」


「…………」


「じゃまた来週。学校でね」


「おい」



 既に玄関のドアを開けかけてたあたしは、その声に振り返る。



 壁に左肩を付けて凭れ掛かるように立った神谷は、ヤケに冷めた目であたしを見つめた。



「お前、とにかくもう俺には関わるな。絶対ここへも来るな」



 それは学校に居る時のままの神谷で、思わずあたしも微かに頷いちゃったけど。



 でもさ。



 そんな事言われてもさ……。





「セーラ待ってた!腹ペコなんだ、メシ作って」





 ………ね。





 声掛けて来るのは、そっちなんですけどー。

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ケルベロスの誘惑 雛野ひなの @hinanomaru

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