状況変化





「―――おい」



 神谷伊織があたしに声を掛けて来たのは、それから数日後の事だった。






“すっげェ怒ってるから楽しみだなぁ”



 コーキがそんな事言うもんだから、週明けはかなり緊張してた。

 あたしに怒ってるワケじゃないとは言われたものの、それでも安心は出来なかった。



 だけど神谷の態度は、今までと全く変わらなかった。



 あまりにも変わらなすぎて、やっぱり騙されてるんじゃないかと思ったほどだ。



 神谷はいつものようにケルベロスに激しく吠えまくられながら登校し、教室ではほぼ寝て過ごす。

 昼休みにはフラリと姿を消し、午後の予鈴と共に帰って来る。

 そしてまた、ケルベロスに吠えまくられながら下校する。



 そんな毎日を過ごしてるうちに、ホントにコーキという存在がいたのかすらわからなくなって来てた。

 やっぱりあれは夢だったんじゃないかとすら思うようになってた。



 まぁ……正直なとこ、騙されてようが夢だろうが、あたしの生活には何の支障もない。



 そりゃ騙されてたとなると「何アイツムカつく」くらいには思うけど、だからってあたしの生活は何も変わらない。

 楽観的な上に能天気すぎるのかもしれないけど、それが事実だから仕方ない。



 だから、油断してた。



 その日は神谷が欠席だったから、余計に油断してた。



「セーラってキングと仲良しだっけ」



 前回と同じく、欠席してる神谷の席に座って話し掛けて来るのはサキ。

 まるで親のカタキのように手鏡を睨みつけてて自分チェックに余念がない。



「仲良しっていうか1年の時に同じクラスだっただけ?特別仲良しってワケじゃないよ」


「へーそうなんだ。キングと仲良しな男子って知ってる?」



 そんなサキを見てると、自分の女子力のなさに危機感を覚える。



 だからあたしもバッグの中から手鏡を出すと、負けずに自分自身へと視線を合わせた。



「アイツなら誰とでも仲良しなんじゃないの?確か1年の時は似たようなチャラいヤツらとツルんでたと思うけど。あぁ、どっちかって言うと同級生より上の人たちが多かったかも」


「だよね?特に卒業してった3年と仲良しだったよね?」



 やっぱりもうちょっとだけ目が大きくなって欲しい。

 それだけでかなり印象が違う気がする。



「あーそうだったかも。確かに去年の3年と仲良しだった。去年の3年ってガラ悪そうなの多かったのにコイツ勇気あるなぁって思った事あった」


「でしょ?でもその理由がね。噂なんだけどさー」


「うん?」



 神谷の事もそうだけど、女子ってホント噂話好きだよねぇ。

 って言うあたしも女子なんだけど。

 あぁやっぱビューラー持ってくれば良かった。



「キングって実はあたしらの2コ上なんだってー。だから3年と仲良しだったんだよ。だって去年の3年とキングは同級生だったんだもん」


「へ……え……」



 いや、ごめんサキ。

 それ違うと思う。

 ホントにただの噂だと思う。



 だってあたし、去年キングに聞いた事あるもん。

「あんた何で3年とばっかり仲良くすんの?」って。



 アイツ「車の免許持ってるのが多いから」って言ってたよ。

 女の子ナンパするのに、そっちの方が都合が良い、って。



 良い車乗ってれば乗ってるほど、それに釣られる女子も多くてナンパが楽なんだ、って。



「ね、ビックリでしょ。全然そんな風に見えないのにねー」


「………うん」



 ビックリも何も、だってあたしらと同級生に違いないと思うし。

 それにたとえ、キングがあたしらの2コ上だったとしても超絶にどうでも良いし。



「しかもさ、最近キングが女関係おとなしくなってるの知ってる?」


「いや、全然」


「おとなしくなってるらしいの。しかもさ、その理由がさー」


「うん?」


「どうやらキララの所為らしいの」


「キ……え?ん?」



 キララ?

 キララって……あのキララ?



 突然出て来た“キララ”に、手鏡から視線を外してサキを見つめたけど、肝心のサキは相変わらず自分自身を睨んでる。

 もしかしてサキの話相手は、あたしじゃなくて鏡の中の自分自身なのかもしれない。



「キララだよキララ。あのキララ」


「う……ん、あのキララ……ね?」



 人の名前をdisるつもりはないけど、“キララ”ってちゃんと人の名前だったりする。

 しかも男子だったりする。



 どうやら“雲母”で“キララ”と読むらしい彼は、1年の時は風紀委員だった。

 学年集会の委員紹介で「1年B組雲母きららです」って自己紹介した後の講堂内のざわめきは記憶に新しい。

 え、何、今アイツ何て言った?ってどよめきは、昨日の事のように思い出せる。



 キララは、その名前こそ珍しいかもしれないけど本人はとにかく普通の男子だった。

 ねぇ、そんな普通なのに何でそんな珍しい苗字の元に生まれちゃったの、って言いたいくなるほど普通の眼鏡男子だった。



「そう、あのキララ。アイツがどうもキングを手懐けちゃったらしいのー」


「へ……え」



「キララの所為でキングはおとなしくなっちゃったらしいの」


「…………」



 それはある意味、女子にとってはおめでたい話なんじゃないだろうか。

 もうキングに泣かされる女子がいなくなるって意味で。



「ねぇ、有り得なくない?キングとキララが仲良しって有り得なくない?」


「そ……れは、」


「だってキングってチャラいのが売りじゃん?チャラくなくなったらそれはもうキングじゃないじゃんって話じゃん?」


「それ……は……」



 もの凄くどうでも良い。



 こっちはもっと大変だ。

 少なくても、神谷とコーキが1人なのに2人って事実に比べたら極めてどうでも良い。



「だって何でキララー?あんな普通のキララとイケメンキングが何で仲良し?」


「いや……それは……」



 むしろ「獅子王」と「雲母」。

 珍しい苗字同士で仲良くなっても何ら不思議はないんじゃないかと。



「ちょっと前にさ、キング2週間ほど学校に来なかった事あったのね」


「そうなんだ?」


「どうやらその間なの。その2週間の間にキングとキララの間に何かあったっぽいんだよねー」


「へ……え」


「“魔の2週間”って呼ばれてる。一体何があったんだろうって」


「…………」



 キングもキララも大変だ。

 ちょっと仲良くなっただけでこんな風に話題になっちゃうなんて。



「イケメンが揃いも揃って変人だったなんて、もう人生真っ暗じゃんねーあたしら一体どうすりゃ良いの」


「い……一応聞くけどこの場合のイケメンって……」


「神谷とキングに決まってるでしょー」


「あぁ……ね」



 あたしはチャラい系がタイプじゃないから、そんな風にキングを眺めた事がなかったけど、そう言われてみればキングもそれなりにイケメンの部類な気がする。

 神谷とは全く違うタイプだけど。



「セーラさ、キングと仲良しならちょっと言っといてよ」


「何を?」



「前のキングに戻ってーって。そんなのキングらしくないじゃーんって」


「う……ん」



 そんなどうでも良すぎる話をしてたもんだから、完全に油断してた。



 下校時。



 甘えた声を出すケルベロスの鼻先を撫で、家まで後3分という距離になった頃。



 そこに神谷が立ってる事に気が付いた。



 いつか見たグレーのスウェット姿の神谷は、自分の部屋の前でポケットに両手を突っ込み、少し俯き加減でドアに凭れ掛かってた。



「…………」



 遠目から見ても、それは絵になる光景で……神谷はただ立ってるだけだというのに思わず見惚れてしまう。



 イケメンオーラって凄まじい。



 まるで誰かを待ってるかのような神谷だったけど、まさかそれがあたしだとは考えにくい。

 コーキだった場合は有り得るかもだけど、もしも神谷だった場合可能性はゼロだ。



 だからそのまま闊歩した。

 家だけを目指して神谷の前を通り過ぎた、その途端。



「―――おい」



 声が掛けられた。



 振り返った先には、やっぱりドアに凭れ掛かったまま少しだけ顔を上げた神谷がいて……その視線はあたしへと向けられてる。



 コーキなのか神谷なのか、一瞬でその判断は難しい。

 むしろ神谷だったらとっても困る。



 でも、どっちなのかはすぐにわかった。



「お前……アサミだろ。隣の席の」



 コーキだったらそんな呼び方しない。



「そう……だけど」



 でも、そうなるとこれは大変だ。

 だってこれ、本体神谷って事だ。



 やっぱり文句だろうか。

 勝手に家に入ってんじゃねェよ、なんて言うために呼び止められたんだろうか。



 もしくは、余計な事言ってんじゃねェよ、なんて叱られるんだろうか。

 あたし前回コーキを通してとはいえ、かなり“神谷”に対して失敬な事言っちゃってる。



「…………」



 ハラハラと立ちすくむしかないあたしは、ハラハラと神谷を見つめるしかない。



 そんなあたしを見つめる神谷は、いつものように眉を寄せたけど、それは一瞬だった。



 文句を言うワケでもなく、威嚇するワケでもない神谷は、何故か困ったかのように視線を泳がせるとあたしから目を逸らす。



 それは、言いたい事があるのに言えない―――そんな雰囲気。



 いつもの神谷じゃ考えられない。



 良くわかんない。



 全然わかんない……けど、だから。



「き……今日はちゃんとご飯食べた……?」



 仕方なくあたしの方から、そう声を掛けた。



 こんな道端で、いつまでも無言で向かい合ってるワケにはいかない。



 何よりも神谷の雰囲気がいつもの神谷じゃないからソワソワする。



 あたしの言葉にハッとしたように視線を上げた神谷は、何故かもの凄く驚いてるように見えた。

 そんな風に驚かれる意味がわからないあたしも釣られて「え?」と驚いてしまう。



 ちょっとの間、そうやってお互い驚いた表情のまま見つめ合ってたあたしたちだったけど、やがて神谷は小さく何かを呟いた。



 多分だけど、“やっぱり”って言ったような気がする。



 やっぱり……?やっぱりって何が……?



 首を傾げるあたしに再び一瞬だけ眉を寄せた神谷は、あろう事か―――



「え、ちょっ……!」



 ―――呼び止めたクセに、結局無言で部屋の中へと戻ってしまった。



 ……いや、良いんだけどね別に。



 この際、怒られなかっただけマシだと思うし。

 イケメンと見つめ合えるチャンスなんて、なかなかないと思うし。



 取り敢えず、神谷はあたしの事を“隣の席の浅見”だと認識だけはしてるらしい。

 一歩前進だ。



 いや、一歩前進って何が。

 別にあたしは神谷と仲良くなりたいワケじゃない。



 そして翌日も同じだった。



 あたしを“隣の席の浅見”だと認識してる神谷の態度は、だからって何も変わらない。

 だからあたしも、今までと同じように過ごした。



 でも、ちょっと状況が変わったのは放課後。



 週末だから、あたしはクラスメート数人でカラオケに行った。



 2時間ほど食べて歌って、友達たちと別れたのは19時くらいだった。



 家から一番近いバス停が高校前にあるもんだから、必然的にそこで降りるようになる。

 そして、通学路と同じ道を辿る事になる。



 甘えて来るケルベロスに笑顔で応え、家まで後3分ほどの距離に迫った頃。



 またしても自分の部屋の前で佇む神谷を見付けた。



 前回と全く同じ光景。

 絵になる神谷。



 前回と同じように神谷の前を通り過ぎる。



 ただ唯一、前回と違ったのは。



「セーラ待ってた!腹減ったからメシ作って」



 それが神谷じゃなくて、コーキだった事。



「え、待ってたの?」


「あぁ」


「あたしを?」


「あぁ」


「い……いつから……?」


「んー2時間くらい前から?」


「2時間……ずっとここで……?」


「あぁ」



 そんな事言われたら、断れなかった。

 あたしはカラオケでお腹一杯食べてたけど、神谷は……コーキはお腹減ってるんだって思ったら断れなかった。



「……うん、わかった」



 これが神谷だったら断るところだけど、コーキだから仕方ない。



 だから前回と同じように神谷の部屋に上り込んだ。



 前回と同じように冷蔵庫を物色し、メニューは簡単にカレーとなった。



 今日のサラダはレタスとトマト。



 カレーを煮込んでる間、コーキとは他愛もない話をした。



 レタスを千切ってる間もそうだった。



 トマトを切ってる辺りから、対面キッチンの向こう側のソファーに座るコーキの返事がなくなって……ふと視線を上げると。



「俺……トマト……好きじゃねェんだけど」



 そこにいたのは何故かコーキじゃなくて神谷だった。

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