瞬間、重ねた掌に……

衞藤萬里

瞬間、重ねた掌に……

 二十七歳、バツ二。

 それが私、遠山須美の戦績。百戦錬磨ということにしておきたいが、バツははたして撃墜した数か、された数か……?


* * *

 

 思えば二回とも、まゆずみ先生は私の結婚に反対をした。

 一度目は院生のころ、つまり今どきめずらしい学生結婚で、相手も同級だった。

「僕は賛成できなせんね。君も蒲島君――それが一回目の相手だった――も、今すぐ結婚してうまくいくとは思えません。君たちは、もう少し社会経験をつんでからの方がいいと思いますよ」

 そう忠告してくれた先生の言葉は、私には大人の通り一辺倒の言葉にしか思えなかった。あのときの私は、それは見事にやってのけると思っていたし、別れるなんて愚かな選択をするなんて、考えてみたなかった。

 だけど、実際は先生の云うとおりだった。

 一年ともたなかった。

 私たちはそろって東京の会社に入社をしたが、彼は同じ会社の同期と浮気をした。彼はほんの遊びだ、魔が差しただけだなんて云っていたが、それがどんな結果になるのか、きっと考えなかったんだろう。

 つまり学生気分がまだ抜けていなかったんだ。それは私も同じだった。

 私は子どものように彼をなじった。彼も自分のしたことを棚に上げて応戦した。それがなおさら私の怒りに火をそそぎ、たがいを傷つけあい、結局取り返しのつかないこととなった。

 私たちは結婚をして大人になるということの意味を、まったくわかっていなかったんだ。

 向こうは親まで出てきて、すったもんだの末、私たちは離婚をした。

 とんでもなく、めんどくさかった。もうばかは相手にしないと思った。

 思ったんだけど、私の方がばかだった。

 二度目の旦那は、離婚調停で担当してくれた弁護士だった。三十すぎのイケメンで、私はすっかりまいってしまった。あの騒動の直後にもかかわらず、私ってやつは、まったく懲りない女だった。

 こちらの方も一年で終わった。今回は別にいざこざがあったわけじゃない。ただ、私は会社勤め、向こうは弁護士、驚くぐらいすれ違いばかりで、その他でも前は気がつかなかった、嚙みあわないところがいろいろ見えはじめた。

 何かこれは違うないなぁとおたがい思った。そうすると、もうこれ以上いっしょにいる意味を私たちは感じなくなっていた。

 離婚は私から切りだし、まったく円満に私たちは別れた。離婚届を提出する前の夜には、セックスをしたぐらいだった。

 別れてもいい友人関係と思っていたけど、実際はそんなにうまくいかなくって、離婚後、結局一度も連絡すらとっていない。

 二回目のときも先生は忠告してくれた。

「吊り橋効果って知っています? 危機的状況に直面したとき、その興奮状態で人は簡単に疑似恋愛関係に陥るんです。君、離婚調停で正気じゃないんですよ。少し頭を冷やして、よく考えたらどうです?」

 まったくもって、一言もない。

 どうやら私は、自分の感情にだらしないというか、後先考えずというか、とにかくそういった気質だったようだ。

 かくして私は、二十代半ばにしてふたつのバツを勲章がわりにぶら下げる羽目となってしまったのだ。

 二度目の離婚の話を聞いたとき、先生はそれ見たことか――などとは云わず、呆れたような顔をしただけだった。

 そして、私が勤める美術誌専門の厳峰社に頼みこんで、私を九州営業所に転属させた。

 黛先生は日本美術史の研究者として、指折りだ。

 学究の徒が、人物の形をとればこのような形だろうと思わせる人で、六十歳ほどだが、若々しく静かな精気に満ちていた。

 小柄で丸顔の先生は、いつも穏やかに清々し気に微笑んでいる。学生たちにまで丁寧な話しかたをする人で、怒っているところなんてみたことなかった。もちろん学内でも、人柄と面倒見のよさで人気だった。私なんかに目をかけてくれるだけで、人柄がわかろうってものんだ。

 業績はもちろんだが、その人柄で学会内でも大変な人望だとも聞いている。

 今、うちの会社で出版予定の美術史大観での共同執筆をお願いしているので、その流れで私が先生の付き人のような形となった。私はその不詳の弟子で、おバカな離婚劇を二連発かましてしまったのに呆れたのか、手元に引き取ってくれたってわけだ。

 もっとも出版にこぎつけるには、あと何年もかかるだろう。それだけの大作を先生ひとりではとうてい無理で、細かい分野の解説やコラム執筆のため、先生のつてで何人もの専門家を選任し調整するのも私の仕事だった。

「黛先生のお弟子さんだったら、手を出すわけにはいかないねぇ」

 なんて笑いながら云う先生もいる。

 そんなとき、調子にのってしまうのが私だ。

「気になさらないで、出してくれてもいいんですよぉ」

 などと云うものだから、

「君、そういうところですよ」などと後で先生から怒られてしまう。

 私も内心、そういうところだぞ自分、と思っていたので、ぐぅの音もでない。

 これでまた、とんでもない暴走をしてしまったら、そりゃもうえらいことだ。先生の顔に泥をぬるようなものだから。気をつけよう。

 でも先生、私は愛嬌を武器に戦うって決めてるんですよ。多少の不穏当な発言は、大目にみてください。


* * *


 今年の夏、先生の執筆した本が、地元新聞社で出版物賞をとった。

 幣原蓑之助という戦前戦後の地元美術界をけん引してきた作家の壁画が、長い間人知れず閉館した映画館にのこされており、解体にともなって近くの大学の事務棟に移設することとなった顛末を記録したものだ。

 受賞記念祝賀パーティーの夜。

 先生の在籍している――そして私の母校でもある――美大の職員と私がこのパーティー実行委員会の事務局で、当日まで本当に目の回るような忙しさだった。

 私は先生のお付きのような形で、当日は先生の送迎から式の進行の補助をしたり、会場では次から次に挨拶や謝辞を述べにくる人たち――幣原蓑之助なんて、名前も聞いたこともないのが容易に想像できる県議なんてのもいた――をさばいたり、ビュッフェの料理や手元のウーロン茶が空にならないよう気を配ったり、自分はろくすっぽ、ものを口にすることもできなかった。

 幣原先生の血縁者で、たまたま壁画が寄贈された大学に通っていた学生と、ものすごく背の高い友人が、結構手を貸してくれたので助かった。

 そして二次会、三次会では、お酒がまったく呑めない先生の代わりに、私が他の先生から盃をうけたり、間をとりもったり、まぁとにかく、我ながらよくやったと褒めてやりたい。

 先生を無事に自宅へ送り届けることまでが、私の仕事だった。タクシーの座席に座り、先生の住所を告げてようやくほっとした。

 お酒が入っていたからだろう、タクシーの中で私の意識はちょっと跳んだ。

 気がついたら先生の家の前だった。トランクからパーティでもらった花束を出すと、先生がお茶でも飲んでいきなさいというので、素直にうなずきタクシーは帰した。

 古い町屋だった。沓脱で靴を脱ぎ、畳敷きの居間の奥が台所だった。室内はすべてこざっぱりとして、先生らしくきちんと整理され、しんと静まりかえっている。何度も来たことがあるが、こんな遅い時間に来たのは初めてだった。

 先生は独身だった。学生時代からそのことは知っていたし、それにまつわるある噂も聞いている。

「先生、花瓶あります?」

 訊ねると、自分でするから風呂場のばけつにでもいけておいてと云われた。

 もどってくると、先生は台所のテーブルによく冷えたお茶を入れてくれていた。風鈴を逆さまにしたような、金魚の絵柄のガラスのグラス。子どものころ、祖母の家にあったようなグラスだ。

 一口いただく。甘苦い。私にはお茶の味なんてわからない。でもたっぷりとお酒を呑んだ後、これはすごく美味しかった。

「今日はお世話になりました。大学の職員でもないのに、こんな風にお手伝いしてもらって、申し訳ないですね」

「いえいえ、とんでもない。それより、執筆の方は滞りなくよろしくお願いします」

「そんな台詞がさらっと出るということは、社会人として鍛えられたようですね」

 かつてはもっと社会経験を積みなさいと云われた私だが、そんな風に評されると照れくさい。

 そして、多分お酒のせいだと思うが、その夜の私は、普段なら絶対に口にするはずのないことを先生に訊ねてしまった。

「先生、ご結婚される予定の方が、亡くなられたって本当ですか?」

 それは学生時代からの噂だったが、事実は誰も知らない。

 先生はちょっと驚いたよう顔をしたが、別に怒るでもなく、それ以上は表情も変えなかった。しばらく考えていた風だったが、やがて無言で立ちあがって、二階へ登っていった。

 あ、まずいことを訊いてしまったかと、後悔した。

 それほどかからずに、もどってきた先生の手にはスケッチブックが抱えてられている。表紙が色あせている。ずいぶん古いものだ。

 席に着くと、先生はそれを広げてみせてくれた。

 鉛筆画。

 和装の面長の女性が、どこかの洋間の肘掛け椅子に座っている。

 それが先生が結婚予定だった人ということは、すぐに察することができた。

「結婚のひと月前に病気が見つかって、それから二年ほど闘病したけど、結局助からなかった」

 私は思わず、先生の顔を見上げた。いつもと変わらない穏やかな表情だった。

 先生はスケッチブックを私へと押しやった。ためらいはあったが、つづきは私がめくる。

 ベッドに上半身おこしたスケッチ、病室の窓際で椅子に座るスケッチ、病院の庭だろうか、樹の下にたたずむスケッチ。

 やがて、スケッチブックの中の女性の顔貌に、闘病をする者の凄愴さが加わりはじめた。

 そしてある一枚――病床に横たわる、先生のつれあいとなるべきであった女性を描いたその一枚。

 落ちくぼんだ眼窩、こけた頬、荒れた唇、薄くなりはじめた頭髪――逃れるすべのない、死への道程が如実に表れていた。

 私は息を呑んだ。動悸が激しくなった。

 その眼窩は黒一色のみでありながら、奈落の底のような名状しがたい深い深い怨嗟――それでも、あるいは生への執着と云えるものだろうか、とても生々しく激しい光を放っているように見えた。

 そして口許には不遇を耐えるような、何かを挑発するような、きつい力があった。

 その一枚だけで、先生が学史の研究者としてだけでなく、表現する者としても非常に高いレベルにあることが察せられた。

 私だって、まがりなりに美大出だ。それでもそのスケッチブックにのこされたものは、私などとうてい到達することのできない一枚だった。

 それは技量だけではない。描かれる対象へそそぎこむことのできる感情、想い、熱量、執念――そういったものが、熱いマグマのように紙の上に流れだしているようだった。

 そして同時に、これを描いてしまった先生が、もはや突きつめることができない極地へ至ってしまったことを感じさせるものであり、表現者としての終焉の一枚でもあった。

 そのページから先には、もう何も描かれていなかった。何があったのか、容易に想像できた。

「……先生が、描かれたのですか?」

 当たり前のことを私は訊ねた。先生は穏やかな表情でうなずく。

 きれいだった。

 率直にそう思った。

 絵が、だけではない。

 先生が何を想って、連れあいになる人を描いたのか?

 かけがえのない、のこされたわずかな時間を、永遠に刻みこもうとして鉛筆を走らせる先生。

 先生に何かをのこしたくて、静かに病床に横たわる女性。しかしやがて訪れる苦しみ、死への恐怖が、彼女をもはや人間とは云いがたい醜い怪物のように、しかし美しく、とても美しく、芯の芯まで削ぎおとした何ものかへと変貌させていた。

 それでも先生は描いた。 

 あまりにも残酷で崇高な先生の愛情。

 それは、私なんかが想像することすらできない、透きとおった儚い美しさだった。


 私の中の女が疼いた。


「先生はそれから、誰とも……?」

 自分の声が、熱をおびているのを感じた。気がつかないうちに、私はテーブルの上の先生の手に掌を重ねていた。

 重ねた先生の手から一瞬、熱とは違う大きなうねりのようなものが伝わってきた。眼鏡の奥の先生の眼が、何か違うもののように感じられた。

 あ、これはまずいやつだ――私は直感した。熱にうかれている自分と、それを冷徹に見ている自分がいた。冷徹な方の自分が警告を発していた。

 取り返しのつかないことがおきる――と。

 だけど私には、それを回避するすべがなかった。私はきっとこの取り返しのつかないことに身を委ねるだろう。

 多分、先生もそうに違いない。重ねた手から、先生からの熱いものが伝わってきた。

 私と先生の間には、三十歳以上の歳の差がある。正直、自分でも信じられない想いだった。

 それほど、私たちの中から湧きおこったものは強大で、奥深いものだった。

 さっき、玄関を開けたときに知らない間に入りこんだのだろう、灯りにぶつかる蛾の羽音がやけに響いた。

 長く、危ういものをはらんだ沈黙が、私と先生の間にあった。

 しかし――私が想像していたより、先生ははるかに強い人だった。先生のもう片方の掌が、先生に重なっている私の手を優しく包みこんだ。

「意識がなくなる直前に、私は彼女と籍を入れました。それ以来、もう生きてはいませんが、彼女は私の妻です、もう三十年以上。妻との間に築いたものは、私にとって完璧なものでした」

 おだやか先生の声。その平穏さに、私は一気に熱を冷まされた気分だった。あれほどすさまじく、私の、私たちの中に湧きでてきたものが、冷徹に蓋をされた。

 だけどそれは、私をほっとさせた。


 私は先生の手から、自分のものを離した。先生は眉ひとつ動かさなかった。

「これで失礼します。今夜はお疲れさまでした」

 驚くほどの平静さで、私は先生にそう別れの挨拶をした。まるで舞台慣れしたベテランの女優のようだった。先生は小さくうなずいた。

 先生がもう一度淹れてくれた冷たいお茶をゆっくりと飲む間に、呼んだタクシーが到着した。

 玄関で見送ってくれた先生の立ち姿は逆光だった。


* * *


 タクシーの後部座席で、私は精魂尽きはてていた。

 先生が私に垣間見せたものは、これまで私が体験してきたものとはまったく違う、私なんか想像もできない奥深さだった。

 それにひきくらべて、私は自分の人生経験――年齢のわりに濃密なものと密かに自賛していた――が、急に未熟で幼稚でみっともなく薄っぺらいものに思えた。

 これまで知らなかった先生の魂の照射をあびた気分だった。

 そしてそれを介して、確かに私たちはたがいに感じあい、そのままひと息に呑まれていくと思ったが、先生はそれに流されることはなかった。

 だが、確かにその一瞬、私は先生の心の奥底に触れた。

 それは、何と純粋で美しく、どこまでも深い深い哀しみをたたえて、触れることすら許されない神聖なものだったろう。

 だけどそれは、私を必要としない。いや、私だけじゃない、誰をも決して必要としないものだった。

 先生と、先生といっしょになるはずだった女性は、すでにもう完璧な一対の美を創りあげていた。

 私は安堵すると同時に、ひどく打ちのめされた気分だった。

 窓の外、街の灯りが後方へ流れさっていく。視界の端で、その灯りがかすかににじんだ。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瞬間、重ねた掌に…… 衞藤萬里 @ethoubannri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る