終幕②

 そういえば、アイス買ってと母さんに頼まれたんだった。


 道中、その事を思い出して、立ち止まったが、また歩き出す。


 いいや、どうせ帰る途中にコンビニあるし。


 すると、前方から馬二頭が常歩をしていた。その上に男女を乗せて。


「紫苑さん、葵さん」


 その二人の名を呼ぶと、二人ともおれに気付いて馬を停止させた。


「蘭! どうしたんだい? 夏の間、外に出るなんて珍しいじゃないか」


 葵さんがおれを見下ろして、驚いた風に訊いてくる。


 葵さんと紫苑さんは、おれたちより十年上(二卵性の双子)で、この街の乗馬警備隊だ。


 今はその制服を着ているから、パトロール中だ。


「大輔に無理矢理突き合せられたんですよ」


 苛立ちを含んだ声で言い放つと、葵さんは盛大に笑った。


「まぁた、百合を怒らせたんだね! それはご苦労様!」


「どうも…」


 大輔、おまえの行動パターン読まれているぞ。


 ふと、紫苑の膝の上に白い猫が乗っていることに気付いた。


「権兵衛じゃないか、どうしたんだ?」


「博士、今海外だろ? だから預かっているのさ」


「あぁ、なるほど…」


 権兵衛は博士の飼い猫だ。大人しく紫苑の肩の上にしがみ付いて、寝ている。


 こんな炎天下だというのに、すごいものだ。


「権兵衛、草と大地が本当に好きだな」


 どういうわけか、権兵衛の愛馬、草と大地に権兵衛は懐いている。


 草も大地も邪険に扱うどころか、権兵衛の面倒を見るものだから不思議だ。


「蘭、高校生は夏休みだが、課題は終わったか?」


「あぁ」


「熱中病には気を付けろよ」


「そっちもな」


「そろそろ行かなきゃ」


「引き留めて悪かったな」


「いいさ。俺らも蘭と話せて良かったよ」


 二人と三匹に別れを告げ、再び歩き出した時。


「った」


 眩暈がした。


「また、か」


 これだから、夏は嫌いだ。


 すると、視界がぶれて先程とは違う景色が見える。


 それは、先程まで映していた景色に良く似ているが、廃墟の家が並んでいて。


「っ!」


 その景色は、すぐ消えた。


 思わず息切れをして、元に戻った風景を凝視する。


 たしかに、この景色だった。


 けど、建てられている建物とは違う、別の建物が廃墟化として…。


 慌てて、頭を振る。


 深く考えるな。どうせ幻覚だ。夏の間にだけに見える、幻覚だ。


 このことは誰も話していないから、相談なぞ出来ないが、別に精神の問題じゃないだろう。夏の間の我慢だ。


 そう、自分に言い聞かせていたら。


『ラン』


 今度は幻聴が聞こえた。


 とても澄んだ、少女の声。


 周りを見渡すが、人影一つもない。


 もう気にしない事にして、おれは再び帰路についた。





● ○ ● ○ ● ○ ● 





 とある寺の前で、立ち止まる。


「あ、工事終わっていたんだな」


 待ち合わせ場所に行く前は、ここを通らなかったから気付かないでいたが、寺の大きな門の修繕が終わったらしく、ビニールシートが剥がされていた。


(大分、古かったからなぁ…)


 この寺は、千年も以上、ここにある由緒ある寺で、世界遺産に登録されていた。


 普段は、観光客がいるのだが、今日はいない。


(人がいないことだし、行ってみるか)


 方向転換して、金剛力士像が設置されている、門の下を通ると、すぐ一体の僧侶の像が目に入った。その横にある石段を登る。すぐに七福神の像が迎えるように設置されていた。


 七福神から目を逸らすと、すぐに大きな鐘があった。その下にはお賽銭箱。長屋みたいな寺だな。


 その時、また眩暈がした。


「!?」


 今度は、目の前に映っている建物が、そのままボロボロになっているビジョンが浮かんだ。


「また…!?」


 愕然としていると。


「どうかされましたか?」


 腰の曲がった、見知らぬばあさんに話しかけられた。


「気分が悪そうですが、大丈夫ですか?」


「…はい、大丈夫です。心配してくれて、ありがとうございす」


 ばあさんは納得しきれない顔だったが、そっとしてほしいおれの心情を汲み取ってくれたのか、無理はされぬよう、と一言言って去っていった。


 なんだったのか。さっきといい今といい。いや、十四の頃から夏になると幻覚を見えていたが、それは少女の形をしていただけで、景色が幻覚に塗りたくったことはなかった。


 まるで、そう。景色を描いていたキャンパスの上に別の景色を上書きして、その下に描かれていた風景画を覗き込むような感じに似ている。


 落ち着いた頃、おれは左側の奥に石段があることに気付いた。


「…」


 このまま帰ろうと思ったが、足は勝手にそっち向かっていた。


 階段を登る。その奥には、神社のような建物が建立されていた。


 だが、お香を焚くところがあるということは、寺の一部なのだろう。偏見だと思うが。


 その建物に近付き、右側を見ると灯篭に、石碑と像が設置されていた。


 石碑には『家畜慰霊碑』と掘られていた。


 どれだけここ、像があるんだ、と半眼になる。


 この建物の裏側に行けるらしく、石の道が続いていた。


 なんとなく、その裏手を回ることにする。


 山の麓にあるおかげで、風が木々を撫でる音が聞こえる。


 裏手に行くと、建物のすぐ後ろに竹帚とビールの瓶詰用の箱が綺麗に置かれていた。


 そこから目を逸らした視界の先には、木漏れ日に揺れる、鳥居が佇んでいた。


 こんな時に鳥居があるんだな、と思うよりも先に、その鳥居の下に女がいたことに驚いた。


 その瞬間、蝉の鳴き声が止む。


 女は背中を向けていて、顔が見えないが、黄緑色の髪…セミロングだ。そして紺の生地の上に青と何輪かの薄紅色の朝顔が咲いている浴衣と、白い帯を身に纏っていた。


(こんなところに、女が)


 すると、その人はふいにおれのほうに振り返った。


 後ろ姿じゃ分からなかったが、顔は幼さが残っていて、おれと同い年だと窺えた。だが、この辺だと見かけない子だ。


 その子の目は、まるで夕焼けの色を映したように、真っ赤に燃えていた。


 その子は、おれと視線を合わせると、すごく驚いた顔をした。


 目を丸くさせ、おれを凝視する。


 たしかに、ここに人がいるのは珍しいが、そんなに驚かなくても…。


 なんとなく落ち着かなくて、おれは咄嗟にその子に声を掛けた。


「浴衣!」


「!」


「祭りじゃないのに、着るんですね」


 何言っているんだ、おれ。


 その子は片手に胸を置いて、懐かしそうに微笑んだ。


「…この浴衣、思い出の浴衣なの。だから、夏の間だけ着ているの」


 その声は…幻聴の声に心なしか似ているように思えた。


「そう、なんですか。大事な浴衣なんですね」


「うん…大切な人との思い出の…」


 哀愁の漂った目をして、その子は浴衣を見下ろす。


 なんだか居た堪れない気分になって、思わず頬を人差し指で掻く。


 その子の肩の木漏れ日が揺れる。


 すると、ふいにくすくす笑い始めた。


「あの、なにか…?」


「ううん。なんでもないよ」


 きょとんと首を傾げるが、その子は可笑しそうに笑った後、木々を仰いだ。


「蝉…鳴いているね」


「え?」


 止んでいたと思っていた蝉が、一斉に鳴きだす。


「蝉、嫌い?」


「嫌い、ですね。煩いから」


「わたしは好き。生きている音だから。魂の音」



『泣かなかったら、生きていないんでしょ?』



 頭に目の前の子とよく似た声が、頭に響いた。


「ねぇ、こういうのって『蝉時雨』っていうんだよ」


「蝉、時雨?」


「あなたが教えてくれたの」


 おれが?


「あの…どこかで、会った事ありましたか?」


 そもそも、蝉時雨なんて言葉、今初めて聞いたんだ。


 …はじめて?



『蝉が雨のように鳴いていることを、蝉時雨っていうんだよ』



 葵さんの声が脳内に響く。


 葵さんから聞いたことなんて、なかったはずなのに。


 なんで。


 その子は目を細めて、眉を顰めた。それでも、笑みを浮かべていて。


「ううん…こっちの話だから、気にしないで。ここにいつまでも、いてもいいの?」


「あ…」


 そういえば、アイス買わなきゃ。


「おれ、行かなきゃ。それではこれで」


 一礼をしてから、踵を返して、五歩足を進めた。


「うん。ばいばい」




『ばいばい』



 また。


 少女の澄んだ声が、頭に響いた。


 立ち止まる。


 早くアイスを買って帰らないと、母さんとばあさんが心配する。


 それなのに、ここから動きたくない、この気持ちはなんだろうか。




『間に合わなくなるぞ』




 パチン、とサイダーが弾けたような音がした。



『どうして、ランが不安になるの?』


『ランは、優しいね。でも、わたしは決めたの』


『みんなが忘れても、わたしは忘れないよ?』


『みんなのこと、大好きになったから、わたしは『   』になったの』


『ラン』


『大好きだよ』





 大量の記憶が、まるで津波のように押し寄せてくる。


 そうだ。おれは…あの子は…!


 どうして、忘れていたんだろう。


 とても、大事な記憶なのに。


 すごく、大切な女の子だったのに。


 鞭が撓るように、振り向く。


 その子は、再びこっちを向いたおれに驚いて、虚を突かれたような顔をした。


 そんな表情はあまりしたことなかったから、とても新鮮だった。


 そんなことより、おれは、彼女の名前を叫びたかった。


 彼女の。

 忘れていた、彼女の名前は。


「センリィィっ!!」


 彼女、センリはこれ以上もなく、目を開いた。


 センリの許に駆け寄る。


 早く、この手で、彼女を抱きしめたかった。


 そして。


 おれも大好きだよって、伝えたかった。

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蝉時雨は止まない 空廼紡 @tumgi-sorano

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