神林凛子の死亡事件
宮野花
【高校生・神林凛子死亡事件】
その通報があったのは、夏らしく蒸し暑い夜であった。
一本の電話が警察署に響く。プルルル。
その電話に慌てて警察が出る。もしもし、警察です。しかし電話の向こうは無言で。
もしもし、どうされました?イタズラの可能性が脳裏に過ぎる。しかし少し強めに聞くと反応が伺えた。ひっ、と。喉がしゃくれる音。
「……と……ろ……ま…した、」
若い男の声だった。あまりに小さな声で、何を言っているのかわからない。
「すみません、もう一度」
「人を、殺し、ました。」
え。
ひっ、ひっ、喉のなる音。電話の向こうで泣く若い男の声。
それはひとつではなく、電話の奥にもう一人誰かいるのか。重なって別の泣き声が聞こえる。ひっ、ぐす、ひっ、ぐす。
その声に合わせて、環境音も聞こえる。向こうは外なのか、風と、それに合わせてザワザワと葉っぱの擦れる音が聞こえる。
深夜の、一歩手前。十一時過ぎの事だった。
これは警察の中で少し話題となる〝高校生・
じゃわじゃわじゃわ。セミの鳴き声が煩い。
はぁ、とため息をつきながら俺は椅子に腰かける。用意された数枚の紙に目を通しながら、ボリボリと頭をかいた。
日曜日は休みだと言うのに、俺だけ仕事だなんて最悪である。しかし仕事相手が警察ともなるとサボる訳にもいかない。
俺が通された部屋は、いわゆる〝面会室〟。
窓のない部屋に、アクリル板を挟んだ二つの椅子。まだ向こうは空席だが直ぐに人が来るだろう。
その予想は当たり、アクリル板の向こうの扉が開いた。若い男、資料によるとまだ高校生の、幼さを残す男子が警察官と共に入ってくる。俺の仕事相手。
それを見て俺は姿勢を正し、分かりやすく〝ちゃんとした人〟を演じた。決して怪しくないとアピールする為だ。
相手はオドオドとした様子で席に着く。安心させようと俺は笑顔を作ったのだが、よりオドオドされる。
「君が
とりあえず、俺は彼の名前を確認する。それだけの事なのに彼は動揺してぶるぶる体を震わせた。
「は、は、はい。貴方は、その。」
「俺は怪しいものでは無い。〝先生〟だよ。」
「せ、先生?でもうちの学校にはそんな先生……。 」
俺は先生だ。嘘は言っていない。〝精神科の先生〟。
しかし好きに解釈して欲しい。〝学校の先生〟の方が安心できるだろう。
「もしかして、裕也の学校の先生ですか?」
俺はただ笑う。すると相手は勝手に納得したようで、そのまま口を動かす。「あの、」。
「裕也は本当に悪くないんです。凛子を殺したのは俺で。」
「待って。話をちゃんと聞きたいんだ。」
俺は手元の書類に目を移す。明朝体で書かれた文字の羅列。右から左へ読みながら声を出す。
「君は数日前、神林凛子さんを殺したと通報したね?」
「そうです。」
「その時、幼馴染の裕也君も一緒にいた。」
「はい。でも裕也は、」
「裕也君は自分が殺したと言っているよ?」
「違う!!」
ガタンッ、と、隆君が立ち上がる。あまりに勢いよく立ち上がるから椅子が後ろに倒れてしまう。
「僕が殺したんです!!」
「まぁまぁ、落ち着いて。」
ふぅふぅと息を荒らげる隆君に俺は何とか落ち着いてもらおうと静かな声を出す。
隆君はうるうると目に涙を溜めて言葉を続けた。「本当に僕のせいなんだ。」。そこから少しづつ、彼は事のあらましを説明しだす。
「……凛子に、肝試しに行こうって言われて──、」
────それは金曜日の昼休みだった。凛子が僕に話しかけてきたのはそう、昼休みの事だったのだ。
『 隆。肝試ししようよ。』
凛子は綺麗な顔をこれまた綺麗に歪めて、僕にそんなことを提案したのだ。
肝試し、なんて言われても僕はピンと来なかった。そんな様子に気がついた凛子は、もぅ、と口をとがらせる。
『知らないの?裏山にね、怖いお化けがでるの。』
『お化け?なにそれ。』
凛子の話に僕は笑う。なんだその変な噂は。まるで幼稚園児のような、ふわっとしている漠然な噂話である。
そんなので怖がる人なんていない。オカルト話は根拠や理由があるから怖いのであって、何もわからなければ話の種にもならない。
『あっ、信じてないね?』
『何を信じろって言うんだよ。』
凛子は僕のそんな態度がまた気に入らなかったようだ。不貞腐れた凛子を見て、それにも俺は笑ってしまう。
馬鹿にしている、と凛子は言うが馬鹿にしている訳では無い。
ただ、凛子のこういう所は、とても可愛いなぁと思う。
凛子は綺麗な見た目をしている。すらっと伸びた手足に黒いロングヘア。目は大きく切れ長で、人形のようなというのはまさにこの事だった。
そんな綺麗な、どちらかと言うと大人っぽい姿をしている凛子だが。性格は幼さが残り、好奇心が強い人だった。
無邪気で純粋で。凛子は色んなことを楽しめる人であった。彼女に誘われて僕は沢山の事をした。
放課後、突然長い時間かけて海に行った。オシャレなカフェに行ったりして。写真も沢山撮った。
僕は、綺麗で可愛い凛子が好きだった。
凛子はにこりと絵のような微笑みを浮かべて、俺の前に人差し指を立てる。ちっ、ちっ。小さく左右に指を振り俺にこう言った。
『どんなお化けかわからないのは、誰もお化けに気がつけないからなの。』
『どういうこと?』
『そのお化け、知らない間に人についてきて、その人を不幸にしたら別の人間についていくんだって。』
『知らない間についてくるんなら、なんでついてこられたってわかるんだよ。』
『それはわからないけど……。でも、もしそのお化けを捕まえたら幸せになれるんだって!』
『なにそれ?』
少し呆れて僕が言うと、凛子は『いいから、』と僕の言葉を遮る。
『とにかく!今日の放課後肝試ししよ?裕也も誘ってさ。』
『裕也、部活じゃないの?あいつの学校夏は大会があったんじゃ、』
裕也というのは僕と凛子の幼馴染で、中学までは三人一緒に過ごしていた。しかし高校になって裕也だけ別になってしまったのである。
『あぁ、裕也、サッカー部辞めたんだよ。』
『え?』
なんだそれは。そんな話、僕は聞いていない。同じ幼馴染なのに、凛子にはいって僕には言わなかったのか。
凛子は僕の心情を読み取ったのか、苦笑いする。
『多分隆には言えなかったんだよ。』
『なんで、』
『だって隆、すごく真剣に応援してくれてたから。なんて言えばいいかわからなかったんじゃあないかな。』
そう言って肩を竦める凛子。彼女は何も悪くないのにとても申し訳なさそうで。
『だから裕也も誘っていつもと違うことしてみよう?』
『皆でお化け捕まえよう?』。凛子は僕の手を取る。突然のスキンシップに僕の心臓が一度強く跳ねた。
凛子の目が夏の太陽に当たって煌めいていて。それに見惚れながら、僕は自然に頷いていたのだった。
「あの時、やめておけば良かったんだ。」
じゃわじゃわじゃわ、蝉の鳴き声が煩い。
「やめておけば良かったんです。」
隆君の面会を終えて、次は裕也君の番だった。
裕也君は隆君よりも淡々と声を出す。一件冷静に見えるが彼の手は小さく震えていて、何度も何度も唾を飲み込む。
「オレは隆からメールを貰って。放課後直ぐに裏山に集合になりました。」
隆から遊びの誘いが来た時に俺は動揺した。しかしすぐ後に、あぁ部活を辞めたことがバレてしまったのだと暗い気持ちになった。
凛子経由で知られてしまったのだろう。口止めもしてなかったので彼女を責める気はない。むしろ多分、オレは凛子に代わりに言って欲しかったのだ。
ずっと続けていたサッカーをやめた理由が、後輩にレギュラーを奪われたからなんてあまりに情けなさすぎる。
隆のオレへの、あのキラキラした目を思い出すと。
……言えなかった。だからオレは凛子に言ったんだ。口止めもせずに。
凛子はきっと、わかっていたのだと思う。俺が言えずにいること、それでも知って欲しい気持ち。凛子には本当に、悪い事をした。
受け取ったメールを何度も見返しながら、オレは放課後裏山に行く。
裏山の入口に二人は既に居て、俺は隆に何を言われるのかビクビクしていたが、隆は何も聞かずにただ『学校お疲れ。』と言うだけで。拍子抜けしてしまった。俺もただ、『そっちもお疲れ』と返すだけだった。
『集まったところで!早く中に入ろ!』
『えっ、』
凛子はそう言うと、何の躊躇もなく裏山に入っていく。あまりに突然の事でオレ達はあっけに取られた。
裏山は一応人の通れる道はあるのだが、そこもあまり手入れはされておらず石がぼこぼこしていて歩きにくい。しかし凛子は構わずにどんどん進んでいってしまう。
オレ達は慌てて凛子を追った。彼女はこんなにも足が早かったかと思うほどにどんどん遠くなる背中。
見失わないように必死で。何度も名前を呼んだんだ。『 凛子!』。
『凛子!待て!』
『二人とも早く!』
しかし努力虚しく、俺達ははぐれてしまったのであった。
そこからは最悪だった。
夏の日は長いが、その代わり暗くなるのは一瞬である。
広い山の中、どんどん暗くなる同じような景色の中で、オレと隆は死に物狂いで凛子を探した。何度も電話をかけたが繋がらず、頭を抱えた。そしてまた探した。
大人の力を借りようと互いの親にも電話をしたが運悪く掛からない。そのまま時間だけが経っていき、もういよいよ警察に電話をするしかないとなった時だった。
『おい!あれ!』
『 凛子……!!』
時間にして、十一時頃だろうか。
月明かりに照らされる、女の子の後ろ姿を見つけたのだ。
キラキラと揺れる黒髪と制服のスカート。すらりとした華奢な背中。山の闇の中で光るその後姿は、間違いなく凛子である。
ようやく見つけた姿に、オレは泣くほど安心した。しかし同時に怒りも湧いてきた。
それは隆もだったようで、隆の顔は涙を浮かべながらもしわくちゃに歪んでいる。その顔を見ていると、オレは堪らない気持ちになって。凛子の背中に向かって走り出して。
『凛子、いい加減にしろよ!!』
『ぁ、』
ドンッ、と、その背中を叩いた。
その時、オレは気が付かなかったんだ。
凛子が立っていたところが崖っぷちだったなんて。
『………ぇ?』
一瞬にして消える凛子の体。何が起こったのかわからなくてオレは固まる。
しかし直ぐに理解して、ドッ、と汗が吹き出した。
オレは、オレはオレはオレはオレは。
オレは、凛子を。凛子を、殺した。
───これが、あの日の夜あったことである。
「凛子を殺したのはオレです。隆は何も悪くない。」
「……裕也君、隆君はね、凛子さんの背中を叩いたのは自分だって、」
「違う!!」
面会室、アクリル板越しの男子高校生裕也。
彼は先程の隆と全く同じ反応をして、全く同じことを言う。
俺はガシガシと頭をかいた。彼の目は揺れているが、それが嘘の為に揺れているようには見えなかった。それは隆君も同じで。
つまりこの二人は本気で、一切の冗談なく〝凛子を殺したのは自分だ〟と言っているのである。
俺は内心困った。これをどう警察に報告すればいいのか。
それ以上深堀しても大した収穫はなく、結局俺はとぼとぼと一人病院に帰るのであった。
※※※
「で、結局どっちが殺したんですか?」
俺が今日の会話のメモを整理していると、同僚が話しかけてきた。
ひょっこりと顔を背中から覗かせてメモを盗み見る彼女。
俺は咄嗟にメモを隠すが彼女はもう見てしまったらしく「お互いに庇ってるんですね。素晴らしい友情。」なんて映画の感想を述べるように言う。
俺は深くため息をついた。そんな感動映画のような理由は存在しない。そんな展開ならばこの事件はもっと楽で、今こんなに悩んでなんていないだろう。
というのも。
「いないんだよ、神林凛子なんて女。」
「へ?」
俺は書類を見通す。そこにはちゃんと〝神林凛子を殺した〟という、隆と裕也の証言が記録されている。
通報を受けて直ぐに警察は山を捜索したが、死体なんてものは見つからなかった。そこで神林凛子の親に連絡を取ろうとしたら、なんとそんな人物すら存在しなかったのである。
学校、彼らの友人、彼らの両親。誰一人として、凛子なんて女の事は初めて聞いたのだと。
「イマジナリーフレンド、想像で生み出した架空の友達。今回の件はそれで片付けられるだろう。」
しかしそれには、おかしな点がひとつある。
「変なのは、二人同時に凛子というイマジナリーフレンドを作り上げていたという点だ。」
イマジナリーフレンドというのは、本来第三者には認識できない。
当たり前である。一人の人間の頭の中で作られた想像が、他の人間に見えたりするわけが無い。
それが、起こっている。しかも凛子と二人は三人で会話までしていたと言う。
「それに突然イマジナリーフレンドが出来るのもおかしい。周りの話によると今まではそんなことなかったって言うじゃあないか。」
今まで隆と裕也は、凛子なんて人の話はしたことがなかったという。
二人の口振りでは、いつも遊んでいたという記憶なのに、だ。それなのに日常会話で凛子の名前すら出てこないのはあまりに不可解で。
「じゃあ先生は、なんだと思うんですか? 」
「……わからない。だから困ってるんだ。」
しかし答えは出さなければいけない。俺は大きくため息をついて、警察に提出する書類を作成する。
「不可解な点含めて報告はするが、イマジナリーフレンドで片付けておくよ。」
「いいんですか?」
「死体も人も見つからないんだ、仕方ないだろう。」
「えー。」
俺の答えに彼女は納得いかないと返事をする。俺だって好きでこんな答えを出した訳では無い。
それでも凛子は、いないのだ。
存在しないものを、殺すことなどできない。
彼女はそんな複雑な俺の気持ちを察したのか、「お疲れ様です。」とやけに優しい声でテーブルにマグカップを置く。
「珈琲置いておきますね、先生。」
「ありがとう。神林さん。」
横に置かれた珈琲のカップを手に取り、口につけた。口に広がる苦味と酸味が堪らなく美味い。思わずにやけてしまう。
相変わらず彼女は珈琲を入れるのが上手いと、感心した。もう一度彼女に感謝をしなければ。彼女に、ん?あれ?
彼女?
「っ、誰だお前!!」
俺は慌てて振り返る。誰もいない。
おかしい。つい今まで会話をしていたのに、誰もいないのだ。
だらり、汗が流れる。それは頬を伝い、顎から落ちて。ちょうど珈琲カップの横にパタリと落ちる。
どうして今、気が付かなかった?
今日は日曜日。俺含め本来なら皆休みで。俺はそれなのに一人出勤だと文句を言って。
しかも、神林なんて名前の職員はいないはずで────。
「神林、凛子。」
ポツリと呟いた名前は、何故かとても馴染みのある。
じゃわじゃわじゃわ、セミの鳴き声が煩い。
一人夏のなか取り残された俺は、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。
それは、夏の日の出来事。
存在しない女、神林凛子の死亡事件は少しだけ警察の間で話題になるが。
結局は誰一人として死んでもいないわけで。次第に忘れられるだけの、高校生二人が見た幻覚という一悶着で片付けられるのであった。
神林凛子の死亡事件 宮野花 @miyanohana
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