ターメリックと優しい助言
時系列:2巻後
ローザができあがった昼食を食堂に持って行くと、すでにアルヴィンが座って待っていた。
彼はこのテラスハウスの一階にある
男性としては長い銀髪に、きらきら輝く灰色の瞳を備えた彼は今日も妖精のように美しい。
何かの資料だろう、冊子に目を落とす姿は、優雅で様になっていた。
ローザが青薔薇骨董店の従業員になって半年以上経つ。
けれど、ふとした瞬間に彼の秀麗さに見蕩れてしまうことはまだまだあった。
ローザの入室に気づいたアルヴィンが、長いまつげを上げてこちらを見た。
「やあローザ、今日はクレアの昼食作りを手伝っていたのだったね」
「はい」
今のローザは、制服の青いジャケットを脱ぎ、シャツにエプロンを身につけている。
黒髪もきっちり結って邪魔にならないようにしてあった。
ローザの仕事は青薔薇骨董店の店番だが、手が空くと雑役婦であるクレアの家事を手伝っていた。
クレアはこのテラスハウスの家事を一手に引き受けてくれている雑役婦だ。
ふくよかな体つきをした、おおらかな雰囲気の女性である。
彼女がテキパキと家事をこなす姿は、どちらかというとゆっくり確実に家事をする人だった母とはかなり違う。
それでも隣に立って共に作業するのは、ふとした瞬間懐かしさを覚えて、好きな時間だった。
「今日の昼食はコロネーションチキンですよ。パンと一緒に召し上がってください。今クレアさんがスープも持ってきます」
ローザは微笑みながら、皿に盛ったコロネーションチキンをテーブルに置いた。
コロネーションチキンは、ゆでて食べやすく切った鶏肉に、マヨネーズとカレー粉で作ったソースを和えた料理だ。
今日はアプリコットやアーモンドを入れていてさらにボリューム満点になっていた。
海の向こうの植民地からわたってきた異国的なスパイスの食文化は、エルギスにもゆったりと根付いている。
スパイスによって黄色みがかった色をしたチキンは、サンドイッチの具にも良く、老若男女に好まれていた。
ローザがカトラリーを用意していると、間もなくスープの鍋を持って来たクレアが現れた。
「さあ、お昼ご飯ですよ。最近めっきり寒くなりましたからね。スープであったまってくださいな」
ふくよかな体を軽々と動かし、スープをささっとよそっていく。
「ほらほら、お手伝いしてくれるのは嬉しいけれど、そろそろローザさんも座ってちょうだい」
立て板に水のように話すクレアに甘えて、ローザも座る。
食事の祈りを捧げて、フォークでコロネーションチキンをすくう。
かつて女王の戴冠式で出されたことからこの名前がついたといわれるチキンは、まろやかなマヨネーズの甘みと酸味の中に、異国の雰囲気を感じるスパイシーな風味があとを引いた。
アプリコットの甘みやアーモンドの歯ごたえもアクセントになり、いくらでも食べられてしまいそうだ。
じゃがいもとポロネギが具になったスープは、ネギがとろりと溶けて甘く、からだがほっとするような味である。
寒くなった今にちょうど良い料理だった。
ローザがしみじみ味わっていると、クレアの驚いた声に引き戻された。
「あらまあローザさん袖が大変!」
袖が、と言われたため、ローザが袖口を見てみると、白いシャツが見事に黄色に染まっていた。
「コロネーションチキンを作るときにカレー粉がついてしまったのね。ただでさえカレーは落ちにくいのに本当にごめんなさいね」
心底申し訳なさそうにするクレアに、ローザは袖口の汚れを確かめてから首を横に振って見せる。
「大丈夫ですよ。カレー粉だけみたいですから。カレーの黄色は日に当てると綺麗に消えるのです。これならたぶん落ちますよ」
「日に当てるだけで……!?」
驚くクレアが若干怪しむ中で、二人のやりとりを眺めていたアルヴィンは納得した顔をする。
「ローザはクリーニング店に勤めていたから、シミの落とし方もよく知っているのだね」
「はい。カレーのシミは店によく持ち込まれましたので解決方法は色々と教えられました。もちろん、この方法が使えない衣類もありますが、今回はシャツなので気兼ねなくできますね」
ローザの話にクレアはほっと胸をなで下ろしたようだ。
「あらまあ、そう? 良かったわ。私も今度カレー粉を落としてしまったら試してみるわね。ローザさんは洗濯でもとっても頼りになるわあ」
クレアに褒められて照れくさくなりながらも、ローザはもう一度袖を見た。
袖口がほつれて若干傷擦り切れてはじめていた。
*
店番に戻ったローザは、今は制服の袖に隠れたシャツを見つめる。
確かに洗濯はローザの得意分野だ。家庭でついた汚れなら、服を傷めずに綺麗にできる。
しかし、それでも着ているうちに傷んでしまうものは、どうにもならなかった。
まだ擦り切れは目立たないが、青薔薇骨董店は裕福な貴婦人達がくる店だ。
骨董を扱う店だから、手元が最もよく見られる。
ふとした瞬間に袖のほつれが見えてしまうこともあるかもしれない。
身だしなみが整っていなければ、店の品位にも関わる。
とある人に言われた言葉だ。アルヴィンも理由を説明すれば、新しいシャツを購入する手当をくれるだろう。
それでも、ローザはアルヴィンに進言できていなかった。
「まだ、他の部分も傷んでいないのに廃棄するのは気が引けます……」
ローザは
古着を継ぎ当てだらけになるまで着潰すのが当たり前で、新しい衣服を仕立てることなど、夢のまた夢だった。
その感覚からすると、どうしてもこのシャツは「普通に着られる」部類に感じてしまうのだ。
「傷みやすい袖さえなんとかできれば良いのですが……」
お針子だった母なら、即座に解決策を見つけてくれたかもしれない。
だが自分は一通り縫いものができてもそこまで得意というわけではなかった。
袖を見つめて物憂げに悩むローザは、アルヴィンがその様子を観察していることには気づかなかった。
その時、スズランのドアベルが、カランと涼やかに鳴る。
来店の知らせにローザは反射的に顔を上げてあっとなる。
店内に入って来たのは、背の高い美しい人だった。
最新流行の細身のドレスは首元まで詰まった冬の空のようなパウダー・ブルーで、洗練された美しさを感じさせる。
淡い
誰がどうみても貴婦人であるその人は、ローザ達を見つけると微笑んだ。
「こんにちは。この店はいつも刺激的ね」
美しい人からこぼれたのは、女性としては低い声だ。
ローザは少し緊張しながら、膝を曲げて腰を落とした。
「ミシェルさん、いらっしゃいませ」
ミシェルはローザを上から下まで眺めると、満足そうにする。
「やはり私の目に狂いはなかったわ。今回のジャケットもこの店にぴったりね」
ミシェルは、人気婦人仕立て店「ハベトロット」の主人だ。
貴婦人顔負けにドレスを着こなしているが、れっきとした男性である。
彼はアルヴィンと古くから親交があるようで、ローザの制服も仕立ててくれていた。
ミシェルは時々次の服のアイディアを得ると称して、青薔薇骨董店に遊びに来るのだ。
奥の作業机にいたアルヴィンも立ち上がってミシェルを迎える。
「やあミシェル、今日はインスピレーション探しかな」
「ええ、時間が空いたから気分転換も兼ねてね。しばらく眺めさせてちょうだい」
「ではお茶とお菓子をお持ちいたしますね」
ミシェルがゆっくりするときは、アルヴィンと話し込むことも多い。
ローザは邪魔しないように立ち上がると、バックヤードへ行こうとする。
予想通りアルヴィンは早速ミシェルに話しかけていた。
「君が来てくれてちょうど良かったよ。ローザが服に悩んでいるようなんだ。相談に乗ってあげてほしい」
その言葉にローザは驚いて振り返った。
ミシェルも片眉を上げてローザを見る。
「あらそうなの?」
「え、ええ。その、少し困ったことがありまして……。アルヴィンさんどうしてお気づきになられたのですか」
ローザの問いかけにアルヴィンは不思議そうにする。
「昼に君はシャツにカレー粉のシミを作ってしまって着替えた。だがその後も、袖口を気にしていただろう? 衣服が不足しているのなら、真っ先に僕へ相談するだろうけど、それもない。つまり、君は服の購入を検討するほどではないけれど、なにかしらの問題を抱えたと考えたのだけど、どうかな?」
「合っております……」
アルヴィンは些細な言動から答えを導き出せる。
ローザは何度もその魔法のような手際に感心してきた。
その特異な能力をひけらかすことのないアルヴィンは、ローザの肯定に一つ頷くとこう続けた。
「君が困っているのなら早めに解決した方が良いからね。衣服についてなら、僕が知るなかではミシェルが最も頼りになる。だからちょうど良かった、というわけだよ」
ローザは思わず顔をそっと背けた。
ほんのりと頬が熱をもつのが感じられる。
アルヴィンが困るローザに気づいてくれたことが、じんわり嬉しくなってしまったのだ。
「なるほどね。ならお茶をさせてもらうついでに相談に乗りましょう」
早く熱が冷めてほしいとローザは祈っていたのだが、乗り気な様子のミシェルと目が合った。
ミシェルは眉を上げ、からかうような目になる。
ローザが照れたことに気づいたのだろう。
その反応がいたたまれなくて、ローザは感謝を表す振りをして、顔を下に向けた。
「ありがとうございます。実は袖口が特に傷んでしまうのが困っておりまして……」
「あらそうなの。ちょっと見せてちょうだい」
ローザが説明したとたん、ミシェルは表情を引き締めてローザの元に歩いてくる。
袖を見る横顔は真剣で、誇りを持った仕事人のものだ。
「シャツの袖は盲点だったわ。あなたの仕事は接客中心だろうからパーラーメイドを参考に見栄えを重視したデザインにしたのだけど。ごめんなさいね」
「いえっ! お気になさらないでください。ただ、傷んでしまうのは袖だけですから、仕立て直すのももったいなくて……。接客の際に袖口だけ見えないように隠せると良いのですが」
そのような都合の良い方法はあるわけがない、とローザは気落ちする。
しかし、ミシェルはローザの言葉になにか心を動かされたように考えはじめた。
「まって、袖口だけ見えないように……? つまり別に袖を付ける……いいえ袖そのものでなくていいわ。それこそ袖口だけで良いのよ。印象も変わるし、使う生地も資材も最小限にできる!」
ぱっと顔を上げたミシェルは爛々とした目でローザを見た。
「ありがとうローザ! あなたのお陰で新しい商品のアイディアが見つかったわ! こうしちゃいられない、いますぐサンプルを作りに戻るわね!」
ミシェルはローザに感謝を表すと、嵐のように店を去って行った。
ローザはその背をぽかんとしながら見送ったのだった。
*
その翌日、ミシェルのメイドが綺麗に梱包された試作品を持ってきた。
あまりの速さにローザが驚きつつも梱包を開けると、中に入っていたのはカフスらしきものだった。
メイドなど女性使用人は作業中に汚れやすいため、袖口に別にカフスを付ける。
いわば洗い替えられる付け袖だ。
しかしこのカフスはレースが使われており、リボンで手首に結び留めるようになっている。より装飾性が高いものになっていた。
普通のまっさらなカフスよりも、ローザが普段着る青薔薇の制服によく馴染むだろう。
カフスによって袖口も保護されるし、レースによってシャツの袖口も隠れるため擦り切れも気にならない。
一通り付け方を教えてくれたメイドは、にっこりと笑った。
「主から、『お代は使い心地の感想でお願い』との伝言です」
「ありがとうございます。必ずお伝えしますとお伝えください」
ローザが精一杯の感謝を込めてお願いすると、メイドは会心の笑みを浮かべて去って行った。
早速付け袖を身につけたローザは、一気に華やかになった袖口に惚れ惚れと見入る。
これからは手元を見るたびにこの素敵なレースが目に入るのだ。
いつもの制服なのに、なんとなく気分が良い。
構造としては単純だから、ローザが好きな生地やレースを見つければ、自分で作るのも夢ではないかもしれない。
想像するだけで、胸が弾んだ。
仕事をしながらローザとメイドのやりとりを眺めていたアルヴィンは、楽しげにするローザにぱちぱちと瞬いた。
「とても嬉しそうだね。ローザ」
「はい、良いものを頂きましたっ。アルヴィンさんもありがとうございます」
ローザが生き生きと返事をすると、アルヴィンはなぜか胸を押さえる。
どうかしたか、とローザは少し気になったが、彼はすぐに元通りの笑みになった。
「僕は、なにもしていないけれど……君が喜ぶのを見るのは気分が良いな」
アルヴィンの声音がどことなく優しくて、ローザははにかんだのだった。
おしまい
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2023年9月15日に、青薔薇アンティークの小公女3巻が発売されます!
皆様の応援のお陰で無事に刊行ができます。ありがとうございます。
3巻もどうぞよろしくお願いいたします!
▼公式サイト▼
https://lbunko.kadokawa.co.jp/product/322305000657.html
青薔薇アンティークの小公女 道草家守 @mitikusa
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