テディ・ベアの同居民 2



 朝食のあと、アルヴィンがローザを連れてきたのは、二階にある彼の部屋だった。


 二階の一室も倉庫にしているとは聞いていた。

 そこは、これらがすべて高価な骨董だとは思えないほど、雑然と詰められていた。

 混沌としていて、古びた匂いが充満した空間になっていた。


「ひとまずここから好きな物を選んで飾ってみようか」

「そんなっとんでもございません……高価な物を置くなんて!」


 ローザが恐縮すると、アルヴィンは不思議そうにする。


「高価な物だというけれど、今ここにある物はまだ店頭にも並べられない物ばかりだ。いつか誰かの手に渡るときまでここにしまい込むよりは、君が飾ってくれた方がずっと良いと僕は思うよ」

「でも……」

「君ならきっと丁寧に扱ってくれるだろう? 試しに一つだけでも選んでみるといい」


 アルヴィンの全幅の信頼を感じて、ローザは途方に暮れてしまう。

 彼はローザを客観的に評価して、その上で大丈夫だと任せてくれる。

 なによりローザを気にかけてくれるのだ。

 だからプレッシャーの重みはあっても、前向きに考えられる。

 以前だったら固辞しただろうけれど、今はそう考える。

 変わったな、と思った。


 なにが良いだろう。

 そう、考えてローザはそわりと周囲を見渡す。

 美しい物ばかりだ。いざなにかを欲しいと思っても、よくわからなかった。


 途方に暮れて立ち尽くしていると、アルヴィンが顔を覗き込んでくる。


「途方に暮れているみたいだね」

「いざ選ぶとなると、迷ってしまって」


 正直に言うと、アルヴィンはローザと同じ場所を見るようにかがみ込んだ。


「ならね、今自分に必要なものを、あるいは最近困ったことを思い出すといいよ。そうしたら僕がいくつか見繕ってみよう」

「最近困ったこと……」


 ローザがふと思い出したのは、水差しに生けてあるクレマチスだ。

 まだ瑞々しさを保っているが、水差しが使えず、顔や手を洗うときに少々不便なのだ。


「花を飾りたいのです」

「ああ、もらったクレマチスを飾るためだね。なら花瓶が必要だ。華やかな方が良い? それとも落ち着いた物の方が良いかな」

「落ち着いた物の方が、良いです」

「じゃあ、このあたりはどうだろう」


 アルヴィンは分類されているとは到底思えない、混沌とした倉庫内を迷いなく進んでいくと、花瓶を取り出す。


 それは、柔らかい白みがかった緑をした花瓶だった。

 ミルクのように不透明な地肌には、意匠化された葉が立体的に描かれている。


「フィンス国で作られた、ガラスの花瓶だよ。オパリン不透明なグリーンとも呼ばれる独特の緑が美しいだろう? クレマチスを飾らなくなったあとも、きっと見栄えがするよ」


 ほんのりと不透明な中にも透き通った不思議な風合いに、ローザは見入った。

 これが部屋に置かれるのを想像して、胸が弾む。

 クレマチスの青はきっと、この花瓶に生けたらとても美しいだろう。


 ローザに花瓶を見せていたアルヴィンは、彼女の表情を見つめて微笑んだ。


「気に入ったみたいだね」

「……でも、このような花瓶を飾れる場所がありません」

「よし、なら花瓶を置くための花瓶台も運び込もう。ここは骨董屋だからね。飾るための品物はだいたいあるよ」


 アルヴィンは一旦花瓶をローザに渡すと、たちまち瀟洒な木製の花瓶台を持ち出してくれる。

 上等な木材が使われているのが一目でわかるものだ。猫足が可愛らしい。

 そしてローザの居間の一角に花瓶台を設置しオパリングリーンの花瓶を置くと、その周囲だけ明るくなったような気がした。


「まず一つ、君の部屋になったね」


 アルヴィンの言葉にローザはようやく、彼らが言っていた意味が腑に落ちた。

 まだこの部屋は、ローザの居場所ではなかった。

 これから、少しずつこの部屋に自分の居場所を増やしていけばいいのだ。


 だが、その前に、ローザはアルヴィンに向き直った。


「ところで、二階の倉庫のお掃除をさせていただいても良いでしょうか」

「やっぱり、気になってしまったかい?」


 ローザがこくんとうなずくと、アルヴィンは少々困ったように眉尻を下げたのだった。





 夕暮れまでかけてローザが二階の倉庫を掃除した。その日の夜。


 ローザ達が夕食をとっていると、帰宅したセオドアが顔を出す。

 お帰りと言おうとしたローザは、彼が持っている物を見てぽかんとする。

 アルヴィンも珍しく驚いた顔をして問いかけた。


「セオドア、その熊のぬいぐるみ、どうしたんだい?」


 そう、セオドアは片腕に熊のぬいぐるみを抱えていたのだ。

 茶色いモヘアの毛並みをして、黒々とした目が愛らしい。首元に水色のリボンが結ばれている。抱きしめればきっととても気持ちが良いだろう。

 ただ、大柄なセオドアがなんとか片腕で抱えているのだかから、それなりに大きな代物だ。


 子供の共寝に与えられるような、とても愛らしいぬいぐるみを、成人男性のしかもかなり厳めしい男性が持っている。

 それは、かなり特異な光景と表せた。


 それはよくわかっているのか、セオドアは気恥ずかしそうで、頬が赤い。


 彼は、アルヴィンの問いに答える代わりに、ローザへとそのぬいぐるみを差し出した。


「君に引っ越し祝いだ」

「わたしにですか!」


 驚き声を上げた自分の声が弾んでいるのに気づき、はっと口に手を当てる。

 セオドアはローザの仕草は特に不審に思わなかったようで、早口で言った。


「ああ、おもちゃ屋で勧められた物で悪いが……」


 そこまで語ったセオドアは、ローザが口元を隠しているのに気づいた。


「どうかしたか、熊は苦手だったか」

「いえ、くまさんは可愛いと思いますが…………」 


 ローザがしどろもどろになっているうちに、瞬いたアルヴィンがさらりと答えた。


「ぬいぐるみって、子供に買い与える物だと思っていたけれど、セオドアはどうしてぬいぐるみを買ってきたのかな?」

「なぜって、以前姪の五歳の誕生日に贈ったときには喜んで……」


 言ったセオドアは、はっとローザを見下ろす。そして、うろたえながらも申し訳なさそうに謝罪した。


「ああいや、君を子供だと思っている訳ではない。ぬいぐるみならかなり存在感があるし、寂しくないだろうと思ったのだ。だが、すまん。姪の『この子がいれば寂しくない』という感想が頭に残っていたことは否めん」

「いえ、お気になさらずに……」


 合点したセオドアに先に謝罪をされてしまい、ローザはそわそわしながらも応じる。

 セオドアは困ったようにぬいぐるみを見た。


「俺の先走りでもあるし、このぬいぐるみは店に返品するか」

「あ、そのいえっ、もし良ければそのままいただけないでしょうか……」


 申し出ると、セオドアは面食らったようだ。


「いや、しかし。良いのか。俺に気を使っているのなら気にしなくて良い」


 戸惑った様子のセオドアに対し、アルヴィンは朗らかに言う。


「一般的にぬいぐるみは子供に贈るものだろうけれど、ローザが欲しいと言うのなら別に良いのではないかな? それは個人の好みと望みだもの」

「お前が止めたのだろうに……」

「止めたつもりはないよ。それに君が『ぬいぐるみをあげる』と言ったときのローザの反応は、声の弾んだ調子からしてとても喜んでいたもの」


 恨めしげにアルヴィンを見ていたセオドアは、驚いてローザを見る。

 アルヴィンに言い当てられてしまったローザはかあ、と頬を真っ赤にしてうつむいた。


 恥ずかしくて、今この場で倒れてしまいたい。


 しかしなんとか顔を上げると、こちらを伺うセオドアと目が合った。


「本当に良いのか」

「……はい、セオドアさんのお気持ちは嬉しいですし、大きなぬいぐるみを贈られたのも、初めてなんです」


 ローザの家はとても貧しく、おもちゃ屋さんに売っているようなぬいぐるみは見るだけのものだった。

 それでも母は物欲しげにしていたローザに、仕事で余った布きれを使って小さなぬいぐるみを作ってくれたものだ。

 それもまた嬉しい思い出だが、ガラス向こうの大きなぬいぐるみが手に入らない寂しさは残った。

 だからこのような大きなぬいぐるみをもらえるのは、とても嬉しい。


 ただ、十八にもなってという気持ちが羞恥を感じさせたから、曖昧な態度になった。


「あの、いい大人が、欲しがるなんておかしいでしょうか」

「そんなことを言うのなら、まず責められるべきは年頃のお嬢さんにぬいぐるみを贈る俺だろう。君が良いのなら受け取ってくれ」


 セオドアに差し出されたぬいぐるみを、ローザは両手で受け取る。

 重さはさほどでもなく、しかし予想以上の大きさにうっかり取り落としかけた。

 大柄なセオドアが持つと普通に見えても、小柄なローザだと両手で抱えるような大きさだ。抱えると、優しい肌触りを感じた。

 無意識に頬をすり寄せる。

 ああ、自分はこの家に受け入れてもらったのだと、じんわりと胸が温かくなる。


「グリフィスさん、ありがとうございます。大事にしますね」


 伝えると、セオドアはほっとしたように表情を緩めた。

 アルヴィンも興味津々で身を乗り出してくる。


「うん、本当に嬉しそうな顔をしているね。そのぬいぐるみはどこに置く?」

「どうしましょう。この子が座れるような椅子はありますか? 普段置けるような場所があると良いな、と」

「あるよ。明日明るいところで見繕おうか。テディベアが置けるかは、乗せてみてから考えた方が良いと思うし」


 アルヴィンの言葉に、ローザとセオドアは共に戸惑った。


「テディ、ベア? ってどういうことでしょう」

「セオドアの愛称はテディだろう。彼からもらったのならテディベアセオドアの熊だもの」

「またお前は妙なことを……まあいい、ぬいぐるみは、受け取った君が好きにしてくれてかまわないからな」


 朗らかなアルヴィンに、セオドアは頭が痛そうな顔をする。

 ローザは彼らの軽妙なやりとりに笑いながら、大きな熊のぬいぐるみを抱きしめた。

 





 部屋に帰ったローザは、居間にある椅子へテディベアを座らせた。

 テディベアの座る椅子の肘掛けには、クレアからもらったスモーキーピンクのブランケットがかけてある。

 その隣にある花瓶台には、アルヴィンが運び込んでくれたオパリングリーンの花瓶があった。生けられたクレマチスの青が映えるが、なんとなく、物足りない気がした。


「そうだ」


 ローザはベッドルームからミーシアからもらった真っ白のリボンを持ってくると、花瓶の口とふっくらとした胴のあいだに巻き付けリボン結びにする。


 すると白いリボンが映えて、しっくりときた。

 それらをじっくりと眺めたローザは自然と微笑んでいた。


 前に住んでいたアパートのように、壁の向こうから騒音が聞こえたり、酔っ払いの大声がしたりはしない。人の気配がしない。


 ここは、静かだ。――けれど、さみしくない。


 傍らにランプの明かりだけ置いて、ローザは新しい隣人達からの贈り物をしばし眺めたのだった。




テディ・ベアの同居民 了




2巻は1月14日発売です。

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