夏の香り
6月に入り、随分と日も長くなった。仕事終わりの帰り道。いつも通り、工場を抱える会社の広大な敷地の端、濃い緑色に染まった桜の並木道を歩く。何ともない、いつも通りの帰路なのだが、ふと、夏の匂いを感じた。日中の暑さの空気を残しながら、夕方の涼しい風が混じった、初夏独特の香り。それにまだ街灯がつくには明るいマジックアワーの背景が合わさって、何とも言えない“エモさ“が胸に湧いた。
この香りと景色がトリガーとなって、夏の思い出が脳裏に蘇る。
夏祭り。学生時代、その地域では有名な大きな神社で毎年催される、夏の縁日。その当時お付き合いしていた彼女と、熱帯夜と人々の熱気に包まれながら、出店を巡った思い出。
海辺。これもまた学生時代。夕方から仲間たちとバーベキューをし、日が落ちたのちに手持ち花火でキャッキャと騒いだ思い出(なんと若々しいことか!)。
花火大会。初めて彼女の浴衣姿を目にし、ドキドキが8割り増しになりながら、手を繋いだ思い出(これもまたなんとキラキラした青春だろうか…!)。
私は夏が好きだ。それは、寒さが嫌いな私にとって冬が苦手の裏返しでもあるのだが、夏の好きなポイントはたくさんある。その中の1つが、夏の夕暮れの空気である。ここ数年は、温暖化もあってか少し息苦しいのが残念ではあるが、それでも夏のこの時間帯が私は好きである。それは、過去の思い出がそうさせているのかもしれない、と私は思っている。
ここ最近、私は気持ちの浮き沈みが激しかった。仕事上のトラブルはよくある事だが、一方でプライベートはというと、主に恋愛系の事情があった。正確にいうと、“恋愛系の事情がない“という事情である。いまお付き合いしている彼女はいない。その事実がところどころで心に迫ってくるのだ。三十路を超えた私は、焦りと悟りを行ったり来たりしている。最近は身近な友人の結婚だったり、出産だったり、人生の大きなイベントが周りで頻発する中、私はというと特にこれといった出来事がない。それはそれで平和なのだが、このままでいいのだろうかという思いが1日に1度は心に浮かぶ。マッチングアプリとやらに登録はしているものの、どうもうまくいく気がしない。このまま時間だけが過ぎていくのかと、時々恐怖と虚無感に襲われる。
夏の香りは、あの頃の青春を甦らせる。なぜあの時はあんなにキラキラした日常を過ごすことができたのだろうか。決して今が幸せではないわけではない。のだけれども、どうも停滞感なのか閉塞感なのか、そういった陰りがある。
こういう思いを抱える同世代はどれくらいいるのだろうか。恋愛をしないとされる最近の若者が…と叫ばれるように、意外と多いのだろうか。だが私の実感としては、そんなことはないように思ってしまう。みんな順調に結婚し、家庭を持って、子を授かっている。周りの統計をとってみたわけではないが、私の肌感は7割くらいがそんな感じである。
とはいえ、焦っても仕方がない。動かなければ出会いもない、というのはごもっともだが、動いていないわけではない。今はうまく行かないことしかないが、いつかはそのタイミングがくる。
そう自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。ここ最近はそういう日々である。
仕事終わりの帰り道。いつも通り、工場を抱える会社の広大な敷地の端、濃い緑色に染まった桜の並木道を歩く。何ともない、いつも通りの帰路。ふと、夏の匂いを感じた。
日中の暑さの空気を残しながら、夕方の涼しい風が混じった、初夏独特の香り。
今日も私は、あの頃の青春を捨てきれずにいる。
真夏は、もうそこまでやってきている。
コントレール どるふぃん @my_wrightman
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