第17話 忍び寄る黒影
弾道ミサイルの如く空を横断してゆく青の電光。その光の渦の中で健次は無事に“飛翔”が成功したことを悟った。
「健次君、そこにいる?」と、ミカの声がする。光の奔流に遮られ直接は見えないが、すぐ傍にミカがいることは肌で感じ取れた。
「うん、他の皆は」
「安心しろ、私も綾子も、雅也も無事だ」
空を切る風の音と共に風太の声が返ってきた。健次は、
「なんとか、脱出できたようですね」
と言い、自身の足下を見つめた。眼下に広がる景色は圧倒的な速さを前に形を失い、無数の直線となって彼方へと消え去ってゆく。健次は渦巻く光の隙間から先程までいた青潮支部の方角を見た。既に支部は遙か後方へと見えなくなっていた。健次はホッと胸を撫で下ろし、視線を前方に戻そうとした。その時、支部の方角に一本の
「急げ!追尾されているぞ!」
風太が叫んだ。健次たちの後方から立ち昇った金色の稲妻は、龍のように唸りながら、健次たちとの距離を急速に詰める。
「どうしますか!」と綾子。
「進路変更は?」
「間に合いません!」
綾子と風太がやり取りをしているうちにも稲妻のような閃光を纏った光矢は距離を縮め続け、僅か数百メートルの距離まで迫っていた。健次はフーッと息を吐き出し、人差し指をその
「“還れ”!」
健次の言霊と共に、光矢の先端はカクンと不自然に折れ曲がり、速度を保ったまま大地へ突き刺さった。圧縮した空気を一気に解き放ったかのような衝撃波が一帯を駆け抜け、健次達の背後には巨大な砂塵の
「ありがとう、健次」風太は安堵の声を吐いた。「助かったよ」
「ええ……」健次は曖昧に返事をしながら、痛みに顔を歪ませた。自身の人差し指に目を遣ると、指全体が赤く腫れ上がっていた。健次はビリビリと痺れる右手を押し遣るようにポケットへと突っ込むと、何事もなかったかのように尋ねた。
「あとどれくらいで到着しますか」
「もう本部近くまで来てるよ。数分以内には降りるから準備しといて!」
綾子の発した声が光の弾ける音の合間から上がった。とその時、突如として光の渦は激しく乱れ、爆竹のような破裂音と共にうねりはじめた。光の中に乱流が発生し、健次の身体は和傘の上で踊る紙風船のように回転し始める。健次は体勢を整えようとするが、あらゆる方向から引っ張られ身体の自由が効かない。乱流の向こう側からミカの小さな悲鳴が上がった。青の電光はぎこちなく蛇行しながら急速に勢いを失っていく。健次は崩壊しかかった光の隙間から迫り来る地面を見た。健次は咄嗟に目を瞑る。
次の瞬間、健次たちは勢いよく渦から吐き出された。健次は硬い地面に激しく叩きつけられ、一瞬意識が遠のく。大きく左右にふらつきながらも、何とか立ち上がると近くの木にもたれ掛かった。喉元まで不快な衝動が昇ってきている。健次は貪るように深呼吸を繰り返した。一回、二回、三回、四回、五回……。深呼吸と共に、解離していた健次の焦点も次第に周囲の景色に重ね合わさってゆく。辺りに生い茂る背の高い木々、その葉の隙間から淡く健次の足下を照らす線状の陽光。座り込み、枝葉で汚れた背中をこちらに向けるミカ。ミカのすぐ傍には雅也が横たわり、喘ぐように呼吸を繰り返している。その奥では風太と綾子が深刻そうな表情で、何かを話し合っている。綾子は健次の視線に気がつくと、
「大丈夫?怪我はしてない?」
と心配そうに尋ねた。健次は綾子の口調に何か漠然とした不安を感じ取り戸惑いつつも、
「はい……なんとか」
と答えた。
「風太さん……ここは何処ですか?見たところ、本部では無さそうですけど」
風太の表情は暗く、腕を組んだまま口を開いた。
「恐らく本部より大分東の方に放り出されてしまったようだ。私たちは今、想定しうる最悪の状況にいる」
「それは、どういうことですか」
健次の問いに綾子は一瞬躊躇うように目を伏せた。
「着陸態勢に入ろうとした時、……本部付近から禍々しい魔力の衝突を感じたの。だから……咄嗟に方向をずらした。そのせいで制御が効かなくなって……ここに墜落してしまったの」
綾子の声は震え、いまにも崩れてしまいそうな危うさがあった。
「それはつまり……」
「ああ。本部も私たちと同じように襲撃を受けたとみて間違いないだろう。私たちは早急にこれからの行動を決定しなければならない。ミカ、雅也の調子はどうだ?」
風太の問いかけにミカは治療の手を一旦止めた。
「ひとまず、応急処置は済ませました。ですが腹部の裂傷が深いので、まだ出血する危険性があります。今日は動かさない方が良いかと」
「もう十分だ……さっさと移動するぞ……」
雅也は横たわったまま、かすれた声を出した。いつもとは違うその消え入りそうな弱々しい声に、健次は胸を衝かれた。
「だめだ、少し休憩が必要だ。今日はここで野宿する。幸いなことに、ここは人が立ち入るような場所ではないようだ」
雅也は風太に何かを言おうとしたが、力尽きて再び目を閉じた。鮮血の滲む腹部の傷は目を背けたくなるほどに痛々しく、眉間に刻まれた皺の深さは、現状の底知れない深刻さを健次たちの眼前に突きつけていた。綾子はゆっくりとミカの方へ近づき、
「ミカ、雅也を治療してくれてありがとう。明人さんだけじゃなく、雅也も失うことになったら……私……もう……」
と言うと、とうとう涙を溢れさせた。ミカも、先程より堪えていた涙が瞼の奥から再度湧き上がってくるのを抑え宙を仰いだ。別れはこれで何度目だろう、ミカは枝葉の隙間から僅かに顔を覗かせる空をぼんやりと見つめた。初めてのことではない、剛田隊長にあの十一番道路で声を掛けられて以来、出会いと別れを嫌というほど繰り返してきた。何度も、何度も……。
──いつも
「私たちはこれからどこに向かえばいいの?」
ミカは自らが発した声の頼りなさに、愕然とし言葉を失った。言葉の後に残った曖昧な余韻はさざ波のように揺らめきながら
「少し休憩を取った後、”忘れ去られた街”──
龍の祠~失われた世界で~ 鶴谷実 @turuyaminoru
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