スマートフォンの中の貴女

海沈生物

第1話

 私がこの地球という星を移住先として訪れた当初、ここに辿り着くまでに操作ミスで数多の隕石とぶつかっていたことによって、宇宙船はヒビだらけのボロボロになっていた。そのせいか成層圏を突き抜けて地球へ入ろうとした時、宇宙船はついに耐えきれなくなり、空中で分解されて粉々にされてしまった。やがて宇宙服と身一つになった私はそのまま真っ逆さまに落ちていき、やがてどこの馬の骨とも知らぬ人間の庭らしき場所に墜落した。

 私の星の宇宙服の技術はかなり進んでいて、多少の衝撃程度なら吸収してくれるはずだった。しかし、さすがの宇宙服も「成層圏から真っ逆さま」なんて状況は想定していなかったらしかった。私は墜落した後、三日間ほど意識を失っていた。そのまま放置されたら、「個体」として頑丈であることが取り柄の私であっても、さすがに死んでいたかもしれなかった。そんな死にかけの私を、彼女は三日三晩夜通しで看病して助けてくれた。私は彼女のその「献身さ」に救われたのだ。


 布団の中で目を覚ました時、三日間の徹夜の末に眠ってしまっていた彼女が私の近くで寝息を立てていた。うなじを見せつけるようにして眠っている姿に、これは人間風に言う「誘っている」のかと思った。

 しかし、私にだって多少の「良識」というものはある。私たちの星では他の星の住人と出会った時には「自分がそう思っているからといって、相手もそう思っているとは限らないので気を付ける」という信条を、地球で言う「学校」に当たる場所で死ぬほど叩き込まれていた。

 そのため、性的な行為である「唇にキスをする」ことはなく、ただ未知の生命との遭遇のようにして、彼女の「髪」と呼ばれる器官を人差し指で突いた。金色に染められた「髪」はいかにも「作り物」という感じで、そのサラサラの「髪」に触れながらどうしてわざわざ元からある色を「変化」させるのかと疑問に思った。

 

 補足すると、私たちの星では全ての生物に対して「思考統一」が行われていた。それは多様性を失うということなので危険なことである一方、「無意味な同族による殺し合い」を防ぐ効果があった。同族による殺し合いは本当に醜い。地球のパンフレットに「今もなお同族による殺し合いが続けられている地域がある」と書かれていたのを見た時、地球の人間という生き物はなんて「愚か」なんだろうと思った。「思考統一」をした方が生物が生き残ることにおいてお得なことが多かった。確かに「思考統一」は危険なことのかもしれないが、一方でいちいち相手と対立する必要がなく、簡単に意見を共有することができるのだ。不完全な言葉なんてものを使う必要はなかった。もっと深い集合的無意識で私は分かり合うことができるのだった。


 だから、しばらくして金髪の彼女が起きた時、早速両腕を掴んで聞いてみた。


「どうして、人間は思考統一をしないのか?」


 その質問を聞いた金髪の彼女は突然笑いはじめた。寝起きの癖に死ぬほど笑っていて、お腹を痛そうにして笑い転げていた。私はそこまで笑うことはないのにと思っていたが、「ごめんごめん」とちゃんと謝りを入れてくれたので許した。これで謝りがなかったのなら、私に対する侮辱罪として、彼女の存在を消していたかもしれない。感謝してほしいと思う、と心の中で鼻息をフンッと漏らした。


「それで、どうして思考統一をしないんだ?」


「フフッ、それは簡単な話だよ。だって、思考統一をすれば”私”という人格が消えてしまうのだよ? それは人類にとって、明らかな”損失”じゃないか!」


 その「馬鹿」みたいな「自信過剰さ」はどこから生えてくるのだろうかと溜息をついた。犬や猫の方がもうちょっと「謙虚」なのではないかとせせら笑った。しかし、私はそんな道理を超えた彼女の「愚かさ」に

 それは私たちのような「正しさ」によって塗り固められた思考をした生物にとってはとても「新鮮」なもので、それは明らかに「間違っている」という感覚があるのに、どうにも私の心を掴んで離さない、得体の知れぬ「魅力」がそこにあった。

 私はそんな彼女を「欲しい」と思った。自分の掌中で弄んであげたいと思った。だから、彼女からの「信用」を得るために計画の第一段階として、私を彼女の家に置いてもらうことにした。


 彼女の家は周囲の人間の家に比べて馬鹿みたいに広かった。彼女曰く「先祖から受け継いだ家」らしく、彼女一人しか住んでいない癖に異常な広さがあった。私は彼女に「人間には両親や兄弟というものがいるのと聞いたことがある。これだけ広いのなら、お前には一緒に住むそのような人々がいないのか?」と尋ねた。しかし彼女は苦笑いして「そんなことより、宇宙人くん!」と論理的な「矛盾」を包括した言葉を放つばかりで、今に至る一度も応えたことがなかった。

 何度か同じ質問して苦笑いをされるというムーブメントを繰り返していく内に、人間はどうも「秘密にしたい何か」というものを抱えているものだと理解した。私はそんな「秘密」を抱える彼女にも、また得体の知れぬ「魅力」を感じた。同時に彼女を「欲しい」という感情も強まった。


 私は彼女の家の中で料理を作ったり部屋の掃除をしたりして———時々困った顔をされたものだが———なんとか彼女の「信用」を得るために行動を取りながら、どうにか彼女という存在を「手に入れる」手段を考えた。

 今宇宙船が空中分解して星から持ってきた道具が一切ない状況下において、私が彼女を「手に入れる」手段はいくつか考えられた。例えば、「寝ている間に彼女を絞め殺してホルマリン漬けにする」というものだった。これは彼女の持つ得体の知れぬ「魅力」を「変化」しないものにできるという観点からは悪くないものに思えた。

 しかし、数分間考えた末にその案を却下した。私自身にもよく分からないのだが、多分重要なのは彼女の人間的観点から見た「カワイイ見た目」ではないのだと思っていた。仮にそんなことをすれば、彼女の本質的な「魅力」が失われるような気がしていた。


 それからも案を思い付いては却下する、という行為を繰り返していた。「奴隷化」「洗脳」「サイボーグ化」等々色んなものが思い付いたが、どれも今の彼女に対して私が感じている「魅力」を潰してしまう手段にしか思えなかった。もっと、今の彼女の「魅力」を「変化」させないまま、彼女を「手に入れる」手段はないのか。

 

 そんな時、私は人間の持つ「スマートフォン」というものの存在を知った。私たちの星でも「スティールフォン」という似たようなものが使われていて、それは大体の用途としてそれは「異分子となってしまった同族の拘束」の手段として使われていた。スティールフォンの中には永遠の暗闇があって、そこは現実とは異なる「時間」で進む「空間」が存在している。そこから出ることは「不可能」だった。

 無論、その中に人を閉じ込めたとしても、閉じ込めた者の「性格」や「魅力」が歪められるようなことはないはずだ。私の星では特に問題が起こったことがなかった。そんなスティールフォンの「機能」だが、この星のスマートフォンも同様に「アプリ」という形で「機能」を使うことができそうだった。


 そんな便利なものだが、致命的な欠点があった。それは「拘束する対象からのを得る必要がある」ことだった。私たちの星ではプロトタイプである「私」が了承していたので、全ての「私」は拘束されることが可能だった。

 しかし、この星の人間と「私」は別の存在である。無論、金髪の彼女もそう簡単に「拘束させてほしい? 良いよ!」と了承してくれるわけがない。


 どうしたものかと数日ほど悩んでいると、ある夜、彼女が私の部屋を訪れた。彼女とは数ヶ月に及ぶ同棲生活の中で、友好的な関係を結べていた。しかし、彼女はどこか私に対して「壁」を持っていて、私は漠然と「距離」を取られているなという感触を持っていた。だからこそ、彼女から私の元を尋ねてきたのは本当に「予想外」だった。


「どうかしたのか?」


「いや……その……一つ、があるのだが」


「なんだ? 母国の支援のない私ができることなど限られているが、貴女は身寄りのない宇宙人である私を無賃で泊めてくれているのだ。私にできることなら、何でも善処しよう」


「それだったら——————私を、


「すまないが。宇宙船が空中分解してない以上、他の”宇宙人”がここへ遊びに来てくれるような偶然性が起きない以上、さすがの私でも無理だ」


「それじゃあ他の宇宙人が来るまで、私が生き延びる方法はないのか? 例えば別の空間に隔離しておく、のような行為はできないのだろうか?」


 どうしてそんなに私の星へ行くことに対して「執着」するのか、と思ったが口をつぐんだ。これはかなり好都合なことだと思った。彼女をスマートフォンの中に閉じ込めるための同意を得るなら、今この機会しかない。私は事実を軽く脚色して「このアプリを入れて同意のボタンを押したら、お前が永遠に生きることができる空間へ行くことができる。」と言ってみた。すると、彼女は「馬鹿」みたいに容易くそのアプリを入れて「同意」のボタンを押してくれた。最初に思った通り、やはり彼女は「馬鹿」だったようだ。「愚かな人間」だったようだ。そのことに対して胸が満たされるような感覚に頬を緩ませていると、いつしか「スマートフォン」の中の彼女が私を見ていた。なんだか「ねぇ」とか「どうやってここから出たら良いのかい?」とか尋ねられている気がした。しかし、その言葉を無視して私はスマートフォンの電源を落とした。これでいい。これで、私は「愚かな」彼女を「手に入れる」ことができた。


 それなのに、私の胸の内にはどうしようもない「虚無」があった。彼女はこのスマートフォンの中で「魅力」を残したまま、確かに生き延びていた。それなのに、その「魅力」をあたかも失ったかのような「虚無」がそこにあった。

 私はふと電源を付け直すと、彼女は「アプリ」の中でしょんぼりとしていた。私が覗くと、まるで「暗闇」の中で一筋の「光」でも見つけたような顔で私を見つめてきた。その表情はどうしようもないぐらいに「眩しく」て、私の心の中の「虚無」が溶けていくように感じた。それでも電源を落としてしまえば、また私の中の「虚無」は蘇った。私はキュッと唇を噛むと、画面の端をタップして「同意」画面を開いた。そこにある「同意」のボタンを押すと、私の肉体はスルスルと肉体が1と0の情報に還元されて吸い込まれていった。「自分から永遠の暗闇の中に閉じ込められる」という行為に対して、私の心は「愚かなことだ」と警告していた。それでも、もうこの「衝動」を止めることはできなかった。


 さっきまで胸にあったはずの「虚無」はすっかり姿を消して、私はただ「幸福」だけを感じていた。

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