明くる朝は遠く、霧の晴れたそんな日
欠落に耐え切れない紗希は再び過去を望み、時間は巻き戻る。
そこは交差点、私は立っていた。
見渡す限りの既視感。けれど確定事項の反面、立っている場所は分かっても、どこに居ればいいのかは分からない。何をすることが私にとって正しい事なのか。
……それはつまり、この有様を晒す私。ただぼうと考えてしまう。
『内に秘めた真実が明るみになった今、私はどうあるべきなのか』と。
「──き、……紗希? ねえ紗希、どうしたの?」
声が聞こえる。遠くをみつめる私のすぐ近くで、声が聞こえた。
──凛の声だった。
横に立つ彼女は不思議そうにそう言って、変わらぬ笑顔を向けてくる。愛しい人へ向ける、屈託のない感情の表面。
たまらずすぐさま、私は目の前の凛に抱き着いた。
ああ、その感触は、温度は……暖かく温かい。そしてどこか懐かしい。
熱は生をひたすらに肯定し続け、巻き戻りの現実感を私に実感させた。
「へぇっ!? な、なによ……え。どうしたの?」
驚いた様子の凛。
けれどそれは最初だけ。いつになく弱った紗希の様子に、次第に抱きしめる腕は強く、彼女は優しく抱きしめた。
言葉いらず。感じとった凛は、静かに……落ち着くまでずっとそうして───。
それは氷解と共に凍えた私を、優しく包み込んだ。
「凛……。いや、姉さん」
私がそう言うと凛はさらに、壊れるくらいに、ひときわ強く抱きしめた。
……やがての時、腕をゆっくりと解く。
向き直る私と凛は、いつになく真剣な目つきでお互いを見ていた。
「───思い出したのね。……そう、ならまた同じ結末というわけ……。
いい加減にしたいと思う私達は、でも一度だって上手くいったことなんかなかった。ふふ、じゃあこれは運命、ええきっとそういうものなんでしょうね。
『いつかこうなる』の繰り返し。だから過去を望む紗希が、赤崎紗希に辿り着く日が来るのは道理、よね」
「道理……。分からないよ、凛。私の人生はどこから始まって、どこで終わろうとしているんだ……? ねえ、だって。信じてきたものは全部作り物で、過去なんて私にはなかった。家入紗希はある日突然生れ落ちて、赤崎紗希から取って代わったんだよ。
そんなの、どうすればいいの。私は一体誰として在ればいい?」
「在り方、ね。ええ、気持ちはわかるわ。──でもダメよ、紗希」
「……どうして? それは自分で決めなくてはいけないのか? こんな有様だっていうのに、私は、」
「そう。自分の存在・在り方を他人に委ねるようなことはしてはいけない。それは揺らいでも、自分で決めなくてはいけないことよ。
」
「なら。凛は私をどうしたかったんだ?」
鋭いのねと、痛いところを突かれたと笑う。
出会いからここに至るまでを関係づけた始まりは、私を変容させんとした凛の企み。即ち探偵への予告状、寧ろ家入紗希の側面を強めるだけの一連の事件である。
そして、凛は答える。
「あなたを赤崎紗希に戻すことが私にとっての望みだった。家入という名前を奪って、赤崎紗希を取り戻したかった。
そのために私は、探偵を殺すために手紙を送っていたのよ。趣向を凝らしたのは探偵についての小説に読みふけっていたから。探偵を描いた物語から、その弱点は何かと探し、いつか貴方を取り戻すその術を模索していたの……。でも、」
「──でも?」
「でもダメだった! ええ、ほーんとダメダメ!! あんな再会の仕方をして、私どうかしちゃったのよ。自分でも何をしていたのか今でも分からないわ。
家入達志のことなんかどうでもよくなってしまうくらい、私は貴方に会えてうれしかったの。──単純? でも人って、案外簡単に気持ちを変えられるのよ。些末な事、壮大な事、スケールなんか関係ない。些細な事で人は心動かされ人生を転換させるのよ、紗希。あなたが、家入紗希となったことのようにね」
「……その話はまだ思い出せない……凛」
「ええっ、ここまで話してそれを知らないの?? なによ家入達志、相変わらず往生際が悪いのね殺してやろうかしら。──あ、もちろん比喩よ?」
「どう比喩なんだ、凛……」
「──────。
そうなんだ。でも私は比喩じゃないよ、凛」
「っ……!?」
か細い声。
私と凛は反射的に振り返った。
「! い。つぅ、」
───シュッ、と。
一線横切る銀の平が服をぱくりと割る。
「ああ! 紗希、大丈夫!? 腕が、」
「かすっただけ、なんてことない。それより──」
「ええ、この……来たのね、鏡……」
凛は声色低く、その名前を呼んだ。
赤く紅く朱く。鮮血がぽたりと腕から見えた、私の腕。
俯き、同じに色づけられたナイフを片手に彼女は立っていた。
道行く人はその異様がまるで見えていないようで、あるいはその眼には滑稽にでも写るのだろうか。それとも透明か。
たった今鏡と私たちの間を通ったスーツ姿の男性は、まるで私たちを視認できていない。
「無駄だよ紗希。誰も私達は見えない。助け何て呼べない。ここでみんな終わって、ね。
それとも姉さん、私の事を助けてくれる?」
赤信号を背に、前には鏡。
背後の波は途切れる押し寄せるばかりで途切れることのない流れ。無理にでも飛び出せば、当たり前の結末にぶつかるだけ。
「さあさあ、逃げないで。潔く死んで、そして助けて───姉さん」
「紗希、逃げて。少しは時間を稼ぐから」
ちらりと目線をこちらによこす凛。
───が、私は動かない。
『今日の夢』の繰り返しはしないと、それだけはしなければいけないと、今の私は譲らない。
「できない」
「紗希?」
「だって私達はここで死ねない」
「そうよ、だからせめて、」
「私は……今日を誰よりも知っている。何が起きて何が起きたのか、その始まりから終わりまでを私は知っている。───私が家入紗希なら、私は!!
そうだ。だから打開する、なんとしても上手くいって見せる。こんな終わり方なんて、嫌だ」
自分の在り方は未だわからない。期待される生き方、嫌われないように……。
でもどうしたいのかという、人が抱く欲求というのは失われていない。正しさよりも原始的に今したいことを……する。
ああそうだ、今はそれだけでいい。凛を死なせたくないのなら、動かなければ。
───それに。
「ここで私がまた間違えれば、凛が死んじゃう……から」
「……そう。つくづく姉思いね、私の妹は」
──ふふ、と。微かに笑い、嗤う。
不敵な笑みは目の前の鏡へ。
「というわけ。残念だけど私、家族として抱いていた同情は止めることにするわ」
帰ってくれるかしら? と、冷たく言い放つ凛。
そんな言葉は現状を変えることはないはずで、
「かえって?? ……っどうして、私を助けてくれないの? ワタシだって妹。妹なんだよ!!」
「鏡、ナイフを、」
「うるさいっ!! くそなんで何で!! いなくなってからは私がずっとずっと妹だったのに、そうやって生きてきたのに生きていきたいのに。不公平、不公平すぎる!!
私はお前なんかより、紗希よりもずっと聞き分けが良くて、ずっと可哀そうで、ずっと頑張ってきたのに!!」
「───へえ、それが本音? 」
「あ、凛。ちっ違う違うの! 今のは──」
「伊化左の血を継いだクズは令だけかと思っていたけど、自分勝手に人を利用する当たりはちゃんと継承していたのね。なら本格的に、助ける理由は無くなったわ」
「違うの、私は、」
「今の君は、私にも伊化左鏡が映っているよ。立っている君は伊化左鏡だ」
「違う違うっ、分かった風に言うな!! 私はこんなこと言わない!! い、家入紗希だ、お前の顔だ!! 赤崎紗希ならもっと愛される、家入紗希だからこんな心ない事をいったんだ……そう、そうなの凛」
「何言っているのよ……? 見放されておかしくなった? 悪いけど令に言って助けてもらいなさい。呼びつけてくれるのならこっちから会いに行く手間も省けるから」
だが座り込み、違う違うと繰り返す鏡。涙も流し始めた。
必死に懇願する姿は切実で、まるで子供のよう。そして繰り返す言葉は否定ばかり。
「あああああ! 違う、違うの姉さん、今の私は……」
「しつこいね
「鏡……」
耳に入った言葉を口にぽつりと。
───かがみ。かがみかがみと、繰りかえす。繰り返して思い返す。
そう言えば私は、誰の顔に見えたのだったか……。
「っそうか……、私だ」
家入紗希、赤崎紗希。鏡の顔は 私にはそう見えた。
何故だろうと考えると、まるでそれは自分のことのように分かった。
「根底にある願いは羨望。醜くも人の本質を体現した願望の表れ。望んだ人間として生きられたらと思い続ける末に欠落した境界線。
……そう、か。『似ている』私達は似ているんだ、鏡。だから私には君が私の顔に見えて、凛を刺殺したあの時私の姿をしていたんだね」
「なにを……」
「あなたは紗希を羨んで、紗希にの境遇を望んだ。……そういうこと、欠落の理由がこんなにもひどいだなんてね」
「……え、ねえさ、」
「───あえて言うけれど。『かわいそう』ね。あなたはそんな風にしか生きられないなんて。
だから忘れさせるのは止めてあげる。その苦しみは抱えて生きなさい、鏡」
「……」
赤の信号を渡り、前へ。変わらぬ流れは『今日の夢』で見た通り。
私と凛は流れる車の波の中へと進んでいった。
後ろでへたり込んだ鏡は、その背中を見つめながらすがる声で話す。
「なんで……うらやましい。──うらやましいよぉ!!」
遠くまで進んだ二人を見る。
すると不意に立ち上がり、鏡は走る。走った。
腰に構えたナイフは、力いっぱい突き出すために。その刃先は凛へと向いていた。
……背後から、絶叫が駆け寄る。横断歩道に踏み入って、彼女はひたすらに目の前を見つめている。
「……鏡。そのままでいたのなら、愛せていたよ、きっと。
赤崎紗希は後にも先にも一人だけ。失ったものは返ってこないのよ」
振り返り、悲しげな眼でそう凛は言った。
そして鏡。
やっと振り返った彼女を見て、ぱあ、と笑顔に。
花のような笑顔のまま、嬉しそうに話す。
「姉さん、姉さん!! 私は────」
そこで終わり。
言いかけた声は派手な音飲まれて、体は波にさらわれる。
……鏡はトラックに跳ね飛ばされて、死んだ。
私がそうやって死んだように、辻褄合わせのように結末がつけられたのだ。
だから確かめるまでもなく、彼女は即死だった。
家入紗希より今日という日をよく知っている者はいない 夜空 @yozoratuki1170
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