鏡には私が映っていた ②
「──おはよう。家入紗希」
眼前。眼を開けた私の前には、家入紗希がいた。
「その顔……良かった。家入紗希、やっぱり記憶は融解しきってないんだな。
いつまでもそうであってくれたなら、令姉さんはきっと私にあんなことを頼みはしなかったのだろうけど。
ま、だがもう遅いのなら、溶けきっても変わりはしないかな」
「起きてそうそう、訳のわからないことを私の顔で話すな。
偽物が家入紗希を知った風に……。私以上に私を知る者はいないんだよ!!」
掴みかかろうとその身を起こそうとしたが、動かなかった。
両手は膝で抑えられ、乗りかかって体重を乗せられていた私の体は、ベッドにくっついたまま離れない。
僅かに頭だけは動かせたものの、必死の頭突きもひらりと躱された。
「──っく、」
「無駄だよ。こうして抑えられていたら、動かせるのは指くらい。諦めて大人しくしていてほしいな」
「は、舐めるなよ人殺し。これくらいの出来事は悪いけど経験済みなんだよ。……いいさ精々油断してろ、その内に抜け出してやる。
大体その顔で私のふりをしているみたいだけど、家入紗希がそんな卑怯な手を使うとでも思ってるのか?」
「ああ。家入紗希は使うだろうね。追い詰められればそういうこともあるだろう。
現に今、私がこうしているようにね」
「……ふん。鏡は私を映しているくせに、中身は実の所別人か。
身の毛のよだつ気持ち悪いことをしてくれる。私の顔して悪事を働くとか、嫌がらせにもほどがあるだろ」
「悪事? それは今の話か?」
「っ白々しい、知ってんだろ。私にどんな力があるってことをさ!!」
「……ああ、『今日の夢』。……そうだった、紗希らしい力だと、姉さんは言っていたな。
だが勘違いだ。あの時は間違いようもなく鏡としての行動だよ。まあ私は確かに、今は君の顔をしているが、しかしそれは今になっての事だ。
凛を刺し殺した鏡の行為が、仮にもし自分の顔に見えたのなら、君がただそう見えただけの話だよ。
でもそういうこともあるだろうね、紗希と鏡はとても似た者同士だから」
「私の嫌いな冗談だな、笑えない。その顔にかこつけて押し付けようとすんなよ。
じゃあ聞くけど、お前何で泣いていたんだ? 冷たく言いのける癖に、涙を流して殺しやがって。欠落の果てに情緒すら失くしたってわけ?」
「さあ? どうしてだろう。今の私に鏡の事は理解できない。
何せ自分が確かなものではないんだからね。おまけに自己欠落者の家入紗希は、立場が変わっただけでこうも変わるものだとは思いもしなかった。共感はすれど、地に足がつかない、というかね……。
私に言えるのは、家入紗希には致命的に自分が無いということだ。『家入紗希』とはこうあるもの、そういう指針がなければ、他者の命令をただこなすことしかできない人形さ。そう、まるでロボットよろしく造り物のようだ。
その分やるべきことだけは明確になって、無駄な感傷に浸る余地は無いときた。私に君の姿をさせたのも、そう考えれば本当に令姉さんは抜かりがない」
「……へえ。じゃあやっぱり、想定外には弱いのかな?
頂点と転落は紙一重なのを知らないみたいだけど」
「ん? 往生際が──な、……うぐ?!」
ベット近くの椅子を気づかれぬよう静かに足で持ち上げて、頭に思い切り当ててやった。上半身を抑えることに特化していてくれたおかげで、比較的足が自由であったことが幸いした。
そして、すかさずベッドを挟む形で目の前の鏡に相対する。
「話し過ぎだ。凛の起した事件を目の当たりにしていた割に、私を侮りすぎたな。
学習能力もないんじゃ、ますます私の顔をしてフリをするのは滑稽でしかないぜ。早いとこ止めとけよ」
「……ははは、ああ初めて君に感心したかもしれないな、家入紗希。妬ましくらい感心だ。
探偵……。名前が変わるだけですべてが変わったあの日を超えた君は、今日までよく私のようにならなかったね。……とても羨ましいな、ずっと……」
うずくまり、「羨ましい」と。そう言葉をつぶやき続ける鏡。
「困ったな、言葉がわかるのに会話ができないタイプかよ。
おい、お前はさっきから誰の話をしているんだ。意味の分からない妄言を垂れ流すなら、もう伊化左鏡の姿に戻ったらどうだ。誤魔化しは要らない、簡潔話せ。
どうせ吸血鬼のことだって全部が嘘だったんだろ? 最初から私と凛が目的だった、違うか?」
「……誰? ……誰ってそれは──」
ゆっくり、その顔を上げる。
いまだ家入紗希の顔を持つ鏡は、それにしては弱弱しい口ぶり。
彼女はそんな様子のまま、あっけなく真実をポツリと口にした。
「君の、紗希の話に決まっているだろう?」
「……はあ? その私がわからないって──」
「認めないのなら仕方ない。私もいい加減、我慢の限界だ。
さっきは似ていると言ったけど、あれは嘘。自分を誤魔化して命令をこなそうとする健気な心意気……。そうよ、境遇がどれほど似ていたにせよ、私とお前は同一じゃない──そう、じゃないんだよ……、ああ姉さん……。やっぱり、ダメだよ。
ごめんなさいごめんなさい……ごめんなさい。我儘を言って、愛されようとして求めてごめんなさい。
でももう無理だよ、どうして私は選ばれないの? 私だって辛かったのに、どうして……」
みるみるうちに、少女の顔は変貌した。
家入紗希におよそ似ているとは言い難い、可愛らしい少女の顔は伊化左鏡。
知らない顔を見て、私はその名前を直感した。
「お前が、鏡……」
口に出して、どうして口に出すことができたのかと考える。
いや口に出すことができたことを悩んでいるんじゃなく、目の前にいる人間の顔が間違いなく鏡であることを理解できたことを悩んだのだ。
直感で済ませられない、確定事項のその人の素性。
──私は知っていた。鏡の事を知っていた。
それもただ顔を知っているだけだなんて薄い繋がりじゃない、切っても切り離せないもっと深い関係。
……赤崎凛と伊化左姉妹、3人が私に近づいた理由がそこにはあった。
「家入紗希……は……。いや家入は、父さん? 家入紗希って……」
頭がひび割れるように痛い。
私は『家入紗希』として生きているのに、『家入紗希』はこうあるべきだと分かっているのに、揺らがずにはいられない。
私の立つ場所が分からなくなってきた今、その『名前』呼ばれているような気がしてならないのだ。私を明るみにする真実が誘拐した、『家入紗希』の正体を求めている。
……自己欠落。私には名前があった。
「私は、伊化左の……」
「そう、そうよ。思い出したのね思い出したね。知っているという事はそういう事。赤崎凛にとっての地獄は、なんの欠落もなく生まれてきた双子の妹に向けられたものだったということよ。
すべての悪意を請け負って、その果てに自分自身を失ってしまった、
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