写真の中の、花嫁事情

白里りこ

写真の中の、花嫁事情


 ハワイへの移民仲間で、歳上ながら親しい友人でもある田中たなか松三郎まつさぶろうさんは、世話焼きなお人だ。このホノルルでの目まぐるしいサトウキビ栽培の仕事の中でも、何くれとなく僕のことを気にかけてくれている。僕は大変助けられているから、彼の親切心からの申し出は断ることができない。

「お前ももう三十路だろう」

 松三郎さんは言った。

「忙しいのは分かるが、いい加減、嫁を取らないとまずいんじゃないか。ほら、アメリカの法律じゃ、一九〇八年頃からか? とにかく今は嫁取りのためならば日本からの移民も良いということになっている。女一人くらい、呼び寄せてみたらどうかね」

「……はあ……」

「何だ、気のない返事だな。まあいい、僕がいい感じに花嫁写真を見繕ってくるから、その中から気に入った子を選ぶと良い。まあ、こういうことは本来親が決めるべきだが、お前は親が亡くなっちまったからなあ。俺が世話を焼いてやらないと」

「……ありがとうございます」

 そう言うしか無かった。実際、ホノルルの日本からの移民の男たちは、そうやって花嫁写真から相手を決めて、結婚をして、子どもを育てさせている。僕もそうするべきだろう。子孫の一人も残せないようでは、ご先祖様にも亡くなった両親にも申し訳が立たない。両親についてホノルルに渡航した以上、僕は、この地でちゃんと根を張って生きてゆかねばならないのだ。

 というわけで三日後、忙しい合間を縫って、松三郎さんは五つばかりの書類を持って僕の家にやってきた。粗末な机の上に、白黒の写真と手書きの履歴書が並ぶ。

「なるたけ良い条件の女を探したんだが、まあわざわざハワイくんだりに来る女なんて何かしら事情を抱えてるもんだ。そこは勘弁してくれ」

「いや、持ってきてくれるだけで……その……」

 僕は花嫁写真の中の女性たちの顔を一通り流し見た。こういう写真はだいたいわざと美人に見えるように撮ってあるものだ。その辺は割り引いて見ておくべきだろう。次に履歴書を見た。どこそこの女学院を卒業だの、在学中だの、年齢は二十歳だの十七歳だの。

「若いですね」

「そりゃあ、結婚するなら若い娘が良いに決まっているだろう。むしろ二十歳なんて年増な方だぞ」

「はあ……」

 僕は三十二なのだけれども。

 若い美空で見知らぬ男と見合い結婚をするのはよくある事例だが、それがハワイに来るとなると事情が少し異なるのではと僕は思う。早くても船で一ヶ月はかかる南国の地。環境も待遇も全く違う。

「……このにします」

 僕は一対の写真と履歴書を、松三郎さんの前に押し出した。

「いいのか? 二十一歳……しかも一度旦那と結婚して早々に離婚済みだ。確実に重大な問題を抱えているぞ」

「別に、誰でも構いません」

「そんなこたあないだろう。もっとよく考えろ」

「……美人だなと思ったまでです」

 僕は適当な理由をつけてそう言った。本当は、嫁の貰い手がなさそうな人物をわざと選んだまでだ。ちょっとした情けというか、何というか。この過酷なホノルルに呼び寄せる時点で、情けも何もなかろうとは思うが。

「そりゃ結構。そういうことなら、この娘で決まりだな。そしたらお前は若い時の写真でも用意しておけよ。相手方に送っておいてやる」

「若い時の……? 今のではなく?」

「こういう時は見栄を張っておくに限る。相手の両親も了承してくれる確率が上がるってもんよ」

「……はあ……」

 僕は相手方に対してそこはかとなく憐れを覚えた。

 よく知りもしない相手と一生を添い遂げるために遠方からやってくる、僕のお嫁さん。ここへ来たら、彼女には家のことやら子どものことやら、一切を任せることになるだろう。それだのに、若い時の写真と簡単な履歴書の一枚を送るだけだなんて……そっけなさすぎる。きっと本人は不安に思うに違いない。

 そこで僕は、手紙を書くことにした。

 実際に会って会話はできずとも、文通を通して心を通わせることはできるかもしれぬと考えたのだ。

 どうせなら、心の通じ合った相手と結婚するのが、相手のためにも良いだろう。

 松三郎さんが出て行った後、僕はさっそく便箋を買いに行った。毎日の暮らしに余裕があるわけではないのだが、これは必要経費だ。致し方ない。

 机に向かう。日本に向けて手紙を書くなんて何年振りだろう。何と書いたものか。

 思い悩んだ挙句、僕は考えたことを素直に書くことにした。やはり無理に飾らないのが一番良いと思ったのだ。本音で向き合う方が、これから添い遂げる相手にとっては相応しい。


 拝啓 石山いしやま康子やすこさん

 初めまして。橋田はしだきよしと申します。

 この度は縁談の場を設けて下さったこと、誠に有難うございます。

 早速ですが、貴女が僕と結婚した場合の生活についてご説明しようと思います。

 ハワイは気候も温暖でよいところですが、僕はというと決して裕福とは言えず、働き詰めの毎日を過ごしております。大抵の日本人移民はそのような生活をしております。

 この縁談が成立した場合、貴女は、会ったこともない貧乏な年増の男のために、見知らぬ異国に来ることになります。非常に不安に思われるかと思います。

 しかし僕は、貴女を選んだ以上は、貴女と二人三脚で幸せな家庭を築こうと決意しております。その信念が揺らぐことはございません。

 以上です。お返事お待ちしております。

                    敬具


 手紙を読んだ松三郎さんは妙ちくりんな顔をした。

「おい、こんな手紙を送っていいのか? 相手の腰が引けちまうかもしれないぞ」

「よいのです」

 僕は穏やかに言った。

「ホノルルに来るというのは大変な苦労を伴うことです。そのことを理解いただいた上でいらっしゃった方が、向こうのためにもなります。逆に、何の心の準備もないまま来られるようでは、僕の方でも困ってしまいます。ですから、あらかじめ誠実に事情を説明しておきたいのです」

「なるほどなあ。僕は、あっちの不利益になる情報を書くのはやめた方がいいと思うが……こればっかりはお前が決めることだ。仕方がない。そしたら、お前の写真と一緒に、この手紙も同封しておくよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 それから僕は一旦、縁談のことは綺麗さっぱり頭の中から追いやって、サトウキビ畑でせっせと農作業をする日々を過ごしていた。ハワイは暑い。サトウキビ畑での労働は体にも心にもきつい。だが、僕はここで生きていくより他にどうしようもない。

 それから二ヶ月くらい経ったろうか、僕の家の郵便受けに手紙が入っていた。封筒には、しっかりした大文字のアルファベットでYASUKO ISHIYAMAと相手の名が記されていた。僕はいささかどぎまぎしながら、土で汚れた手をズボンで拭いて、家に入って封筒を開けた。

 文面はこうだった。


 拝啓 橋田清様

 初めまして。石山康子と申します。

 この度は縁談の申し込み誠に有難うございます。お話の方は、受けさせていただきたい所存です。

 また、お手紙を添付していただいたことにも、感謝申し上げます。

 これまでお見合いをしてきた殿方に、手紙をくださった方はいらっしゃらなかったため、嬉しく思いました。

 そしてわたくしは、元よりハワイ移住にはさしたる夢も希望も持ち合わせてはおりませんでしたが、お陰様で覚悟が決まりました。どんなにつらい時も、貴方様と共に乗り越えてゆこうという、覚悟です。

 それでは、これから末永くよろしくお願いいたします。

                   敬具


 何とまあ、肝の据わったお嬢さんだと、僕は思った。「夢も希望もない」ときっぱり言われるとは思ってもみなかったが、覚悟ができているのならちょうどよい。文面からもいかにも強気そうな女だということが伝わってきて、本国にいたらさぞ煙たがられる性格だろうと思われたが、本人のためにはその方がいい。ハワイにきて過酷な環境で生きていくには、強気なくらいがいいだろう。

 僕は縁談が成立したという話と、お嫁さんとはうまくやっていけそうだという旨を、松三郎さんに伝えた。

 松三郎さんはうーんと難しい顔をした。

「やはり性格に難ありかぁ。お前には、従順で良い嫁さんをと思って縁談を持ってきたのだが……」

「いえ、これで結構です。性格に難ありとは、僕は思っていません。きっといいお嫁さんになると、僕は思います」

「そうかあ。お前がそう思うならそれでいいが……」

 何かと僕の意志を尊重してくれるのが、松三郎さんのいいところだ。

「分かった。何はともあれ、縁談が決まって良かった。おめでとう」

「ありがとうございます。松三郎さんのお陰です。お世話になりました」

 僕はぺこりと頭を下げた。

 それから三ヶ月ほど、僕はサトウキビ畑とサトウキビ工場にてあくせく働いた。やがて、康子さんがホノルルに到着したとの知らせが届いたので、僕は持っている中で一番上等な服を着て、緊張しながら康子さんに会いに行った。

 待合室の椅子には、もらった写真にあるのと同じ、くっきりとした目鼻立ちの、気の強そうな女性が座っていた。服は西洋風のすっきりしたハイカラなものだった。思っていたよりも背が高い。言葉も分からぬ見知らぬ地にいるというのに、彼女は凛と姿勢を正して、まっすぐ前を向いて座っていた。

「あのう……康子さんでしょうか」

 僕が声をかけると、彼女はぱっとこちらを向いた。

「清さんですか?」

「はい。僕が橋田清です」

 彼女はすっと無駄のない動作で立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。

「お呼びくださりありがとうございます。康子と申します。これより末永く、よろしくお願いいたします」

 芯のある、揺るぎない声音だった。僕は好感を持った。彼女の凛々しい態度に見合う挨拶をこちらもせねばと思ったが、どうにもどぎまぎしてしまう。とりあえず、僕もぺこりと礼を返した。

「こっ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 それからしばらく、沈黙が降りた。

 辺りにひとけはない。もう他の人はこの待合室を出て行った後なのだろう。

「あ……貴女とは、愛のある家庭を築けたらと思っておりますので……その……」

 僕は言いかけて、途中で恥ずかしくなってしまった。まったく、年下の女性に対して、堂々とした態度を取れないなんて、それこそ恥ずかしいことだ。僕は顔が熱くなるのを感じた。

 ところが康子さんはにっこり笑った。

「そう言っていただけて幸いです。一緒に、幸せになりましょう」

 僕は何だかほっとして、康子さんの顔を改めて見た。凛とした中にも優しさの感じ取れる表情で、僕は温かさすら感じた。

 性格に難ありなんかじゃない。このひとはきっといいお嫁さんになってくれる。

 さて、そろそろ僕が彼女を導かなければならない。

「ええと、まずは、僕の家に行きましょうか。こちらです。ついてきていただけますか?」

「もちろんです」

 康子さんはきりりとした声で言った。



 おわり

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