黒獅子使い

くさなぎきりん

第1話 プロローグ

 頭が、手足が、体が鉛のように重い。

 浅く呼吸するだけでも、気が狂いそうなほどの激しい苦痛が全身に走る。

 それはこれまで幾多と経験してきた、外傷による痛みとは異なる……まるでこれまでに殺めてきた者たちの怨念が、私に苦しみを与えているかのようだ……存分にもがき苦しみ、のたうち回ってくたばれ、と。


 ……最早、この命は助かるまい。

 だが……せめてもの抵抗を見せてやろう。我が生涯が……ここで終わろうとも……




 こうして、とある時代とある国で武名を轟かせたその男は、自分に恨みを持つ者によって毒を盛られ、世を去った。一切の苦痛を他人に感じさせない無心の表情で、禅を組んだ姿の堂々たる往生。やってきた医師が脈を確認するまで、男の臨終に誰も気づかないほどであったという。




 その男の魂は肉体を抜け、あらゆる次元・あらゆる世界の特異点となる場所へと引き寄せられていく。

 そこは特異点として繋がる全ての世界の、全ての生物の成れの果て───つまり魂が集約される場所。そこにはおびただしい数の魂たちが蒲公英たんぽぽの綿毛のようにゆっくりと漂いながら、尽きることなく集まっていく。

 魂は視覚を持たないためその場所の全貌を知る者はいないが、もし目があれば自分たちが朝顔のような形状の巨大なトンネルに吸い込まれていくのが分かるだろう。

 暗いトンネルを暫く奥へ進むと、やがて道が分岐する。吸い込まれた魂たちはまるで最初から行き先が決まっているかのように、いずれかの道へと進んでいく。そこから先にも数えきれないほどの分岐があり、入り口では同じ姿をしたものが幾千幾万と周囲に漂っていたが、分岐を超えるごとに周囲の数が減っていき、最終的には片手で数えられるほどの数になる。

 そうして長い長い暗闇を進む中で、魂はゆっくりと現世での記憶を失っていく。特に自分の名前に関する記憶は念入りに初期化フォーマットされる。今後もし何処かで自分の名前を見たり聞いたりしても、そこに僅かな記憶の引っ掛かりも生まれないほどに。

 やがて長大なトンネルを抜けると、何処かの世界の遥か上空に出る。外界に出るともう今まで辿ってきた道はどこにも見えない。

 魂は上空を漂いながら、やがて発生する雲と混じり、風に乗って運ばれ、雨粒と共に海や大地へと落ちる。

 海に落ちた魂は海の生物となり、地面に落ちた魂は地中の生命に宿り、生物に当たった魂は一時的にその生物に取り付き、身近な生命の誕生の際に転移する。


 彼の男の魂もまた徹底的に浄化された後、何処かの世界に雨粒と一緒に落ちた。どうやら落下予測地点は深い森のようだ。

 魂を乗せた雨粒は鬱蒼うっそうと生い茂る木々をまるで縫うように落ちていく。そして大地に落ちる寸前、そこを偶々たまたま通りかかった巨大な獅子の鼻先にすくい上げられた。

 漆黒の毛皮に覆われたその獅子は、雨に濡れた鼻先をひと舐めすると、歩みを止めることなく森の奥へと消えていった。



 そして、物語はこれより15年の歳月が流れたある日から始まる。

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