人生に必要なもの、お見せします。
少女はその表情は一切変えず、男の疑問に答えた。
「『真実鏡』自体は、どのような目的で制作され、此処に流れ着くまでどのように存在していたかは全くの不明です。そもそも此処にある物品の多くが詳細不明な物品ですので、私も、別の個体も知り得ないでしょう。ですが…」
少女は『真実鏡』に触れ、眺め、いったん間を入れた後に説明を続ける。
「…ですが、この物品は、貴方に必要なものだから此処に在るのです。この空間は、そういう場所です。実の所、この物品は多くの方が見て、貴方と同じように絶望しました。」
「…そういう場所?」
少女の説明、その内容にはいくつか男が気になる場所があった。
しかし、『この空間は、そういう場所です』という文言は特段不自然に感じたのだ。
この少女がこの店の関係者であることは間違いない。なのにもかかわらず、少女は店という言い方はしていない。
入ってくるときの外観は確かに店であるこの空間だが、よくよく考えればどの物にも値札や統一性は無い。
これは、何かがおかしい。と、男は改めて認識したのだ。
「はい。ここはそういう場所です。店でもなく、博物館でもない。現世にある空間でもない。黄泉の国にあるわけでもない。どこにも属さない『流れ着く先』であり人生で足りないものを探す場所です」
「足りないものを…?」
「はい。この鏡の他にも多くの物が此処には流れ着いており、それらを用いて足りないものを探すのです。此処に来る人は皆、そういう人なのです。」
少女はまるで、此処は世界のどこにも無い場所だ、とでも言うようにそう説明した。
男は、ただその説明に耳を向けるだけで、深くまで理解などできる気は一切していなかった。その手の話は全て小説の中だけのものと思っていたのだから、無理もない話である。
だが、事実として今いる空間は明らかに不自然であり、目の前にいる少女も、真実鏡もこの世の物とは違った雰囲気と概念。
それらを都合よく説明できる空間は、現世ではないという解は男でも理解できた。
「では何故、私にはこの…『真実鏡』が当てられたのだ?私には、何が足りないのだ?」
男はそう尋ねた。
今迄、自身に何も落ち度など存在しない、完璧だなどと酔いしれていた男からすれば、自身に足りないものがあるなど今まで考えたこともなかったのだ。
真実鏡に揺らぐ像のあの印象の悪さの原因など予想がつく筈もない。
起き上がって、鏡の前に立ちながら、少女にそう問う。
「…貴方に足りないものは、『気付き』でした。」
「…気付き?」
思わず男は問い返す。
余りにも漠然としたその答えは、その後に続く少女の言葉によって具体的な形を帯びる。
「貴方は優秀です。容姿も決して悪くありません。ですが、その何も苦労することのない人生の中で、貴方はその過剰な自信と発言によって、いつからか孤立していたはずです。それにあなたは、『気が付いていなかった』のではないですか。」
少女は淡々と、そう語った。
まるで最初から男のことを全て知っていたかのように、ただ真っすぐに黒い瞳孔で男を捉え続けながら。
それを聞いた男は、突然後頭部を殴られたような感覚に襲われた。
そして…本当の酔いが醒める。
孤立したのはいつからだ、友人と話したの何年前のことだ。
職場にはそろそろ5年程いるが、職場にもそのような仲の人間はいるのか。
必要だと言ってくれる内容は、仕事以外に何かあったのか。
話しかけられたのは、最初だけではないか。
言われてみれば、男には何もなかった。
満たされたと思っていたその人生は、余りに独りよがりで冷たい、他者に対する優越感だけで成り立っている仮初の充実に過ぎなかったのである。
床に膝を落とし、頭を抱えて今までの人生を振り返る。
何故こうなった。
男は原因を探る。嫌われるには何か理由があるはずだ。
何か。何が原因だ…
そもそも何故それに気が付かなかった。
何故そこまでなるまで放置できた。何故誰も教えてくれなかった。
まるで周囲の人が皆消えたように、途中から交流が無くなっている。
男の頭の中は、酔いから醒めた次の日の頭痛のように、反響する痛みのような自問自答が駆け巡っていた。
「……酔っていたから…?」
数分間の反響の後、ふと、男は呟く。
…そもそも何故このような場所にいる。
この苦しい思いをする原因はここに入ってきた事だ。そもそも入る時点で違和感は感じていたはずだ、と男は直前の行動を探る。
理由は、直ぐに分かる単純な事だった。
酒に酔っていたのだ。
入口の付近で人の気配が消えたのを男は確かに覚えていた。だが、歩みは止めずに中まで入り込んでいったのは今考えればおかしな話であった。
酔いは一度行くとこまで行ってしまえば、常軌を逸した行動をするなど別に珍しい事ではない。
……男は、驚いたように顔を上げる。
それは新たなる絶望を見た訳ではない。
男は立ち上がり、鏡に手を付いて口を開いた。
「…酔っていたのか……酔っていたんだ…私は…!!」
男はこの空間に入り、少女に話しかけられた時に不自然な冷たさを感じていたが、それは自身が酔っ払いだからだろう、と片付けていた。
…自分は、酒では無く、常に自分に酔っていたのだ。酔っ払いだったのだ。
誰がずっと酔っ払っている人間に付き合うだろうか。
男はそこまで『気が付いた』のである。
それは、今までの行動を思い出せば全てが嫌味に思える程に強いものだった。
「自身に酔う…というものは、本人がそこに『気が付く』までは酔いが醒めることはありません。自身から見える自らの姿と印象は、決して他者から見た印象ではありません。ですが、貴方は今『気が付いた』のでしょう?」
「あぁ…そうだな…『気が付いた』よ。私は酔っていた…この像は、まさしく私だ。クソッタレな私だよ…!」
男の記憶の中にある自身の姿は、鏡の中に映る嫌味な男と一致した。
『真実鏡』は一寸の狂いなく真実の姿を見せていた。
酔いが醒めた今の男にはそれが痛いほどに、苦しいほどに分かった。
少女はそれを見て、初めて、笑った。
決して嘲笑の意を含んだものでも、滑稽だからでもなく、安堵の笑みを浮かべた。
残念なことに男の視界に入ることは無かったが、その後男の後ろに立ち、少女は最後の『気付き』を与える。
「貴方はまだ若い。今自身の欠点を理解し、それを後悔できたのなら、それはこれからの行動に十分生かせる筈です。この『気付き』を生かすも殺すもあなた次第なのです。」
「私は先程言いました。貴方は優秀であると。貴方は、能力的に不足はありませんでした。ただ、酔っていたのです。しかし、酔いが醒めた今の貴方なら前よりも良い『像』が映るようになる筈です。」
男は、その言葉をしっかりと頭に焼き付けた。
忘れてはなるまい、二度と同じ間違いをしてなるものか。
いい大人がこの様な事にならねば過去を振り返れぬのも情けない、と男は少し感じていたが、心には最早酔いは残っていない。
…まだやり直せるのだ。ここで絶望して、自己嫌悪に陥っている場合ではないのだ。
そう、手に入れた『足りなかったもの』を逃さぬように、鏡に触れた右手を離し、強く握りしめた。
「…私は、やり直してみるさ。」
「足りない物、見つかりましたね。」
「…ああ。」
男は気が付けば、居酒屋街の最寄り駅のベンチで眠っていた。
慌てたように周囲を見渡すが、先ほどの場所の面影はどこにも無い。
夢だったのか、何か本当に不思議な世界に迷い込んで戻ってきたのか。
男にその判断はつかなかった。最後にこちらで酒を飲んだ時からさほど時間は経っていない…とだけ手元の腕時計で確認できたのみである。
人がほど少なくなった時間帯の、都会の何とも言えない中間駅を吹き抜ける風に、男は一先ず安堵した。
ただ、決して忘れた訳では無い。
間違いなく、男は見た。真実鏡に映る『クソッタレな自分』を。
視線を下に向け、その先で広げた右手を握りしめる。
……男は、酔いが蔓延するこの街は自らに似合わぬと、帰路についた。
自身を高く評価しての物ではなく、これは決意表明であった。
人生に足りないものがある人が、足りないものを探す雑貨屋があるらしい。
或る人は決意を、或る人は自信を、或る人は希望を持って戻ってくる。
自分だけでは探せないものを、見つけられないものを、その雑貨屋は渡してくれる。
神か妖精の仕業か。はたまた夢か。それは分からない。だが…
「何か、お探しですか。」
…今日も誰かが、訪ねているかもしれない。
真実鏡 夜狐。 @KITUNEruna
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます