世界最後のトラベラー

一華凛≒フェヌグリーク

世界最後の詩(『渡航禁止世界”星の浮島”』より)

「期末考査が迫っています。持ち込みの申請を忘れずに、よく準備して挑んでくださいね」


 濡羽色のポニーテールを揺らし、教師は柔和に笑う。そろえた中指にピンクパールの指輪が光った。規律正しい返答で生徒はめいめい廊下へ出ていく。部屋には数人が残る。

 残った生徒―――『マレビト』に、教師は順番に声をかけていく。

 マレビト。正式名称を出身世界不明者、もしくは存在喪失者。

 大図書館は『どこにでもあってどこにもない』幻のような性質の場所であるため、出自や本名が自分でも分からない生徒や教員が、複数人、流れ着いている。


「はい。出身世界が見つかる事を祈っているよ」


 資料の示す行先は沼だった。大水で滅びる文明の『世界最後の詩』。今回の課題はそれを持ち帰ることらしい。

 持ち込み許可欄に時空間超越通信機デンショバトが載っていることを確認し、ほっと息を吐く。滅亡間近の文明から粘土板や文書の現物を持ち帰る難易度は高い。


―――依頼主は先生でいいのか?


 椅子に預けた体を起こし、トラベルは教室を回る教師を見た。

 何かと面倒を見てもらっている、彼の故郷はどんな場所だったのだろう。


 そんな呑気なことを考えたのが、三日前である。



『先生どう■よ(燃え尽きている)』



『落ち着いて。試験No.622。

 マキナ25期生の暴走であなたが渡航禁止の禁書世界に向かってしまったことは理解しています。おそらくは至灰期から解灰期の間です。

 あなたには生き延びる知識と技術があります。


 デンショバトの使い方は正しいですか?

 文章が途中で燃えています。文頭に一重線と二重丸。文末には二重線に四角です。ほかの方法も試してください。

 次の手紙も途中で切れていた場合、デンショバトの送受信が妨害されていると判断します。』



『冷静に。[心を落ち着かせるノル]

 たぶん、ここは解灰中期です。どうしたら帰れますか?

 今は隠れています。

 生き物の気配が地上・空中・地下のどこにもあります。気配は切れかけの電灯みたいに不安定です。食事は三日分です。食べてよいものの判断はとてもむつかしいです。はやく帰りたい。


 景色は石だけです。

 ダイヤやオパールも、花崗岩や石灰岩も同じように散らばっています。

 中央山脈に通じる道と河を遠くから確認できました。川水は飲めるか分かりません。光の加減によっては川が水晶に見えます。隠れられそうな茂みは棘だらけの石でできているので、近寄れません。


 生き物も石でできています。

 様々な生き物を組み合わせた形のガラス細工に、砂や水や土などを詰めた姿です。植物も石でできています。目がちかちかします。

 先生。どうすればいいですか』



『ありがとう、トラベル。

 石でできた生物は「浮島生物」という合成獣です。見つからなかったこと、素晴らしい成果です。水辺には水生の浮島生物がいる可能性があります。近寄らなくて賢明です。


 大森林を目指してください。

 見た目は、円柱の立ち並ぶ土地です。スモーキークォーツや白玉に似た色の柱が集まっているでしょう。

 中期なら、知恵者と名高い森の民がいます。

 彼らは穏和ですから、攻撃せず大図書館員の身分を明かせばサポートを得られるでしょう。

 彼らの元で生活しながら、レポートを書いてください。課題レポートを書ききれば、こちらから干渉して引き上げることができます。

 万が一に備え別の方法も作っていますが、最優先で食事を送るため時間がかかります。

 先生たちも頑張ります。踏ん張ってください。』



『先生へ。

 お元気ですか? 私は無事です。

 二回も混乱しきりの手紙を出してしまい申し訳ありません。お礼は帰ってから、直接お伝えします。

 課題レポートを送付すれば帰還できるのですね?

 念のためデンショバトの使用方法をもう一度確認しました。


 さて、本日はお世話になっている「森の民」について報告したいと思います。

 助言に従い、大森林へ向かうと森の民を発見しました。偵察の方にはひどく警戒されましたが、まじない師に面会した後は歓迎してもらえました。私が面会した相手は最高位のまじない師だそうで、言語の不自由がないようにまじないをかけてもらいました。

 おかげでレポートがはかどりそうです。

 彼らには一通りの説明を行いました。もちろん、ここが禁書世界であることは話していません。「大図書館側で事故が起こり、本来辿り着けない場所に飛ばされた」と説明しました。

 みなさん、とても親切です。誤魔化されたことも察しているでしょうに、迎え入れてくださりました。


 彼らは自分たちを「森の民」や「森の賢者」と呼んでいます。他の民からは「ウバヴィーナ」や「まじりもの」と呼ばれているそうです。


 森の民は、元々まじないと森林の管理を行う一族だったそうです。

 話を聞いた当初は奇妙に思いました。先生もおっしゃるとおり、この世界(以降解灰世界と称します)は文明が滅び、石と灰のみ残った世界です。

 正直に『私の定義では、ここに森林は見られない。どうかあなた方の定義する森林について教えてほしい』と伝えると、やや呆れた様子は見られましたが、丁寧に教えていただけました。


①木

 幹は石英や琥珀。ほか、暖色系もしくは透明な宝石で作られています。

 葉はエメラルド・翡翠・ソープサイトなどの緑系の宝石。垂れ下がっているもの・尖っているものなど形は様々です。

 根は錆びた釘のようにザラザラとしています。棘のついたものもあります。稀に曲線的なものも存在しますがそれは、住民が寝転がってできた人工物だそうです。

 石の種類が異なるものは、木ではないそうです。


②森林

 広大な石の墳墓です。「ヒの民」が死後「木」に変化するそうです。

 『浮島生物の生誕も関わる話です。大図書館で調べるように』と叱られたので、帰ってから自分で調べます。


③管理

 最初、森の民は少数で移動するまじない師の集団でした。

 依頼を受けて、死の概念が乏しい他の民の葬儀を請け負うこともあったそうです(彼ら曰く、最近はどの民も死者に敬意を払わないそうです)。

 やがて他の民が養育できない子どもをまじない師に預けるようになり、一くくりに「森の民」と呼ばれるようになりました。

 そのため森林の管理は、森の民の生活の一部です。


 では今日はこの辺りで筆をおかせていただきます。

それと、カルヴィア氏(前述のまじない師です)から追伸を受け取りましたので、同封します。』


添付資料[解読完了]

『遠い異邦の旅行者の師へ。

 おおよその事情は察しています。要望は四つ。

 これは異邦の旅行者にも了承を得ました。


 一つ、我らの習俗を調べるにあたり、送付前に内容を確認させること。

 二つ、祖霊森の奥を視ること、行くことを禁ずる。

 三つ、我らと同じ食事を摂ってはならない。

 四つ、我らを通称以外で呼ぶことを禁ずる。


 以上四点、了承されたし。』


『先生へ。

 本日は「森の民」の名づけに立ち会わせていただけることになりました。遺伝情報の継承も兼ねた、解灰世界でのみ存在した儀式です。

 本来は年明けから春にかけて行う行事なので今回は略式ですが、できるだけ詳しく書き、目にも焼き付けます。


① 名づけ

 前提として、彼らの名づけと私たちの名づけは異なります。

 私たちの場合、子どもの将来や人生に幸多かれと願って名前を付けることも多いでしょう。

 森の民の名づけは「絶対に忘れてはならない名前」を保存するための儀式です。

 解灰世界は万が一にでも滅びの原因を外に出さないために「どちらでもなく、どこでもない」状態に意図して保たれている渡航禁止世界です。

 絶対に忘れてはならない名前には「空」「海」「太陽」「月」「季節」といった自然現象や「走る」「止まる」「作る」といった生き物の動作が含まれます。忘れられると、解灰世界のこれ以降で、その概念は消えてしまうそうです。

 森の民はこれを防ぐため、自身に概念を紐づけます。

 必然、自由はありません。森の民には禁欲と節制に満ちた、名の概念を変化させない生き方のみ許されています。


②概念の喪失について。

 秩序だった規則の消滅と言い換えられるかもしれません。

 例えば「海」の概念が消えた場合、世界は大陸一つになり、「大きな湖」「巨大な壁」「深い断崖」などの境界が生まれます。境界の向こうはどこでもないどこかや異境となり、虚無に通じる場所になります。

 反対に「大地」の概念が消えた場合、世界は海に小さな島のみが浮かぶ世界になるでしょう。すべての地殻変動は失われ、やがては島も失われます。


③通称と本名

 先ほど書いた通り、解灰世界では概念の喪失を防ぐために名に概念を紐づけます。しかし、他の民が役割を忘れてしまったため、森の民が保存する概念の数は年々増えています。

 相反する概念を紐づけることは生き辛さや死に直結するため、彼らは似た意味や共通点のある言葉を可能な限り選ぶのです。

 結果、彼らの本名はピカソを超える長さになりました。

 日常生活で呼ぶには不便ですし、万が一本名を呼び間違えると概念のひずみや重大な体調不良にも繋がります。

 苦肉の策で、彼らは「集落内での役割」に基づいた通称で呼び合うようになりました。特によくしていただいている方の通称は以下の通りです。


カルヴィア「祭儀全般を行う、森の民で最も優れたまじない師」

エー「森の民で最も優れた戦士。特に弓術に優れる」

トエテ「武術師範代。戦士の教育と集落内の警備を担当する」

シュカ「歌唱者。吟遊詩人の見習いであり、伝承者かまじない師に進む」

エバ「集落全体の相談役。森の見回りでは責任者を務める」


④名づけの儀式

(燃え尽きている)』



『祖霊祭を見学させていただけることになりました。

 森の民は、祖先崇拝に似た信仰と七柱信仰により祭式や行事を行います。一年のサイクルは以下の祭りで区切られます。


①年始「剣舞」

七柱信仰に基づいた行事です。

まずカルヴィア氏が「第一柱アイク」へ剣舞を奉納することを伝えます。

次に第一柱に見立てた剣をエーへ、もう一本をトエテへ授けます。二人は一昼夜剣舞を行い、その間観客は決して音を立ててはなりません。特別に剣舞の練習を見学させていただきましたが、手足はもちろん、尾や口に相当する器官も駆使した振り付けです。私のように手足が二本の生物では、とても再現できないダイナミックな動きでした。

剣舞の振り付けが一回りすると、エーとトエテは友情を育んだ証に、剣をカルヴィア氏に返し、決まった順序で互いに手や肩を叩きます。その後握手をして年始剣舞は終了。食事会に移ります。


②雪解けの見回り

森林管理の一環です。

低温に弱い木を重点的に見回り、割れや削げが見られる部分は『自分たちの体の一部を加工した布』で補修します(失っても問題のない部分を別の祭儀で布状に編むのだそうです)。

あまりに性質の異なるもので補修を行うと「石に残る記憶と混じってしまう」ため、性質の似たものをカルヴィア氏が見定め、補修に使用していました。

この場合の「性質」は石の種類ではなく「石にされた美しきもの」の性質によるとのことです。

季節の区切りにもなる大規模な見回りは「雪解け」「春」「雨の季節」「みそぎの日の前日」「秋」の計五回執り行われます。


③名づけの儀

正式な名づけの儀です。

昨年の大春から今年初春にかけて、集落に迎え入れられた子どもに名を与えます。以前書いた通り、名に概念を紐づける儀式です。祖霊へ新しい子を紹介し健康を祈願する儀式でもあります。

子は鮮やかな着物を纏って仮面をつけ、赤い輿に後ろ向きで乗ります。

輿丁はみな同じ面を付け、祖霊の祝福を願う言葉を唱えながら、特別な足運びで輿を運びます。

輿は迂回路から「祖霊森」と呼ばれる霊場へ入り、奥から集落へ運ばれます。子は森を進む間、自分が元居た種族の象徴を道に撒きます。

集落に着くと、大きな役職の民が子の面を取り、額へ赤土を付け、新しい名を呼びます。名に返答することで、子は正式に集落に迎え入れられます。


④春の訪れ「天秤」

七柱信仰とアカシック派に基づく祝祭です。

祭について伺った際、我々大図書館と似た教義が見られることに大変驚きました。カルヴィア氏によれば、アカシック派の考えが大図書館由来なのではないか、とのことです。

祭では『四季が正しく巡り、死の季節が去って恵みの季節が訪れたこと』『「第二柱ルリ」に許しを得たこと』を祝い、命に等しくあることを誓います。

第二柱にまつわる有名な文言も唱えられます(『弱き命猛き命、等しく恵みを授かれば中立の面を、偏れば狂気の面を』)。

「不公平を許さず、季節の巡りを司る第二柱」の考えはアカシック派、七柱信仰、大図書館に共通しています。


⑤春の見回り、収穫祭

基本は雪解けの見回りと変わりません。補修した部分に問題がないかを確認し、必要ならば別な補修も行います。

収穫祭の側面もあり、自然にはく離した石を拾い集めもします。

集めた石は調理され『ビン』と呼ばれます。器は土器に似た、草花や『教え』に関する文様のある平皿です。ビンは茶会のように一口ずつ、円形に座る森の民の手を順に回って味わわれます。


⑥春分の「吟遊祭」

夏至と冬至に「ヒの民」「角の民」「理の民」の都では知識を語る伝承祭が開かれるそうです。

しかし森の民は一定数以上の生物から成り立つため、他の民から過伝子症カデンシショウと呼ばれ忌み嫌われています。まじない師の立場が低いこともあって、歓迎されないそうです。

そこで森の民は伝承祭の代わりに、春分と秋分の「吟遊祭」を作りました。吟遊祭では各役職の代表者が、演奏と合わせて知識を歌い明かします。


ところで、解灰世界では単一の生物のみから成り立つ生物を望ましくないものとして見る習慣もあるそうです。これらに関する歴史も調査したかったです。


⑦暦の作成

七柱信仰に基づく行事です。

「第四柱ヨカ」へ今年の運勢を伺い、見回りの道や祖霊祭に参加する者を決めるそうです。第四柱への伺いは絶対であり、やり直しは認められません。

残念ながら、大図書館員であっても詳しい内容を教えることは認められないそうです。


⑧愛の日

名前通り、愛を伝え合う日です。

歌、踊り、手紙、花、きらびやかな布、感謝の言葉などを送り合います。

七柱信仰(特に「第六柱ラキア」)とも関係があるそうですが、どちらかと言えば過伝子症を理由に捨てられた森の民が、自分たちを愛し、大切にするための日だそうです。

初夏と冬の二度行われ、初夏は花を模した物やきらびやかな物が贈り物として好まれます。


⑨雨の見回り

他の見回りと変わりません。ただ、本格的な雨期の前ですので、水に弱い木へ保護布をかけ、細い枝を補強します。暑さに弱い木の確認も行います。


⑩祖霊道の掃除

夏の祈願祭に含まれる祭式です。

「みそぎの日」の、六日前から三日前までで祖霊道を奥から集落に向けて掃除します。祖霊道は祖霊森を通る一本道で、名づけの儀と祖霊祭に使用される霊場です。

掃除では地面と周囲の木々を念入りに清めていきます。

掃除に参加する者は葉を模った面を付け、決して振り返ってはいけません。振り返れば『祖霊になる』そうです。


⑪夏の祈願祭(みそぎの日)

七柱信仰や祖霊信仰に基づく祭の数々です。

四日前に玉枝潔斎(白枝に翠の玉が付いた特別な枝で、集落全員の額を叩きます)と清浄の儀(布で体を清め、以降、白湯と水以外を口にすることは禁じられます)を行います。三日前から二日前にかけては、祖霊道の掃除、鎮めの儀、集落の大掃除が行われます。

「みそぎの日」の前日には夏の見回りが行われ、木々に食事を供え、神水を注ぎます。木の遺伝情報で弱くなっているものがないかも確認します。


「みそぎの日」には、集落から徒歩二十分ほど離れた空がよく見える広場で、道具供養を行います。掃除で取り外された古い屋根、傷んだ柱や壁も一緒に燃やされます。

供養の間はまじないが唱えられ、残った灰は「月(冥界)」へ通じる川へ流されます。

「みそぎの日」が終わる前に、森の民は新しい布で体を拭き清めます。この時使用した布は、祖霊道の掃除で使用した衣服や面、清浄の儀で使用した布、玉枝と共に土に埋めます。

道具が埋められた土の上には「第七柱ツイ」を象徴する彗星を刻んだ石を置き、儀式と季節の終わりを宣言します。


⑫海天祭

正式名称を『天青大海祭』といいます。七柱信仰とまじない師の伝説が合体した祭です。

「第三柱メイ」、あるいは海守と晴天主に「魂が巡り、風が清らかで、命が流転し、大いなる海が命を包み守ってくれること。破壊の後に再生と自由が訪れ、天空と大海が巡り合い再会できること」を祈ります。

夏の盛りが過ぎる頃、「みそぎの日」でも使用された広場に赤と黒の丸石で焚き木を組み、太陽が真上に来る前に、祭儀のための火を燃え上がらせます。

エバ曰く、赤や黒の石は燃えやすい性質を含むことが多く、透明な石や白い石は涼をとるのに向いているそうです。


⑬名の継承、成人の儀

祖霊にかえる者(旅立つ者)が集落から最も見込みのある子を宣言し、通称を継承する儀式です。

大抵は弟子の内から優秀な者を選びます。襲名のためには試練を乗り越えなければなりません。どの試練も難しく、特に大きな役職は過酷な試練になるそうです。

最も過酷なのはカルヴィアと族長職であり、七つの試練を超えなければならないそうです。


⑭秋分の「吟遊祭」

春分の「吟遊祭」と同じですが、こちらの方が大規模です。と言いますのも吟遊祭の最後に、当代のカルヴィアによって「旅立つ者」つまりは祖霊祭の主役が宣言されるからです。


⑮祖霊祭

森の民にとって最も大切な祭儀であり、別れの儀式です。

詳細は、最後に記します。


⑯秋の見回り

本格的な冬を前に、注意して木の確認を行います。積雪に耐えられるよう枝を補強するほか、集落周辺に危険な箇所がないかも確認します。


⑰紡ぎ祭

見回り(特に雪解け)の補修に使用する布を作る祭です。

伸ばした毛髪や爪、抜け落ちた羽、鱗を集めて加工し、使用できる状態にします。日常的に作業は行われていますが、やはり集落全体で行うと捗るようです。

補修に使われる布の半分以上、糸の六割以上がこの日紡がれます。


⑱黙の祭儀

七柱信仰に基づく祭です。「第五柱ヒアキ」が中心の祭であり、話だけでも恐ろしかったです。

ご存じの通り第四、第五柱は存在喪失者です。特に第五柱は自分の存在を取り戻すために他者を襲い、歴史や存在を食らい続けた罪でも知られています。

黙の祭儀はこの神話が元になっているそうです。

森の民はこの日一言も話さずに過ごします。また翡翠葉の面をつけ、黄緑か茶の着物を着て過ごすことで自分を守ります。

仮に声を出してしまった場合は、手を握るふりをして

「おいでください。ご飯を作ってもてなし致しましょう」と告げ、できる限りの捧げものを行い、三日目の夜に

「再生の時、破壊の刻限。汝は朧なり、我は形持ちしもの」と唱えて手を流水で濯ぐことで、存在を食われることを防ぐそうです。


⑲雪中清光神楽

まじない師が主役の祭です。

次代カルヴィア候補(ルカ)の選定も兼ねており、一生に一度しか挑戦を許されません。

ルカの候補(ミィド)たちは薄青の着物一枚と、雫型の鈴がついたサークレット、腕輪、足輪のみ身につけます。ミィドたちの前には、現カルヴィアが同じ衣装で立ちます。

極光の現れた夜から三日三晩、一昼一夜ごとに休憩をはさみながら彼らは雪の中、神楽を踊り、祈ります。一度でもふらついたり、鈴の音が手本からずれてしまうと続けるのは危険だと判断され、集落に戻されます。

踊りきれば、晴れてミィドの修行を受けることが認められます。


⑳愛の日

初夏と同じです。寒さが厳しくなるからか、体を温めるのに適した物が贈り物として好まれます。


㉑みそぎの夜

年末の大祓とも呼び、一年の穢れを祓い清めて次の年へ向かう大切な祭儀です。基本の流れは夏の祈願祭と同じですが、夏の祈願祭が昼間行われる祭儀であるのに対して、こちらは夜を中心に行われます。

また潔斎で使用される玉枝が、黒枝に紅の玉の付いた物になります。



 祖霊祭の詳細を書く前に、お伝えしたいことがあります。

 祭の前、特例で石の声を聞かせていただきました。「水平線の声」でした。

 新しい日の生まれる嬉しさ、沈む陽の美しさ、生物に見つめられる照れくささ……すべてが一つの石に変わってしまっていました。石の声は、元となった概念、命、記憶の残滓であり、元には戻せません。

 カルヴィア氏は「壊したものを戻すには、一つの文明では足りないかもしれないが、次代のまたその次に命が繋がれば、あるいは再生が叶う」と慰めてくださいました。


 祖霊祭の詳細について記します。

 祖霊祭は遺伝情報が劣化した者、群れの邪魔になると判断した者が「祖霊森」への旅立ちを志願します。

 一度に旅立つ人数は通称を持つ者なら一名まで、子は二名まで、名を持つ者は三名までです。ただし族長やカルヴィアが還る場合、通称を持つ者の旅立ちは見送られます。

 人数の調節と祖霊祭の準備には時間がかかるため、旅立ちの志願は遅くとも夏の祈願祭までにしなければならないそうです。

 「旅立つ者」は祭の七日前から決められた家で過ごし、当日は薄い顔隠しをつけて祖霊道の入り口まで白い輿で運ばれます。彼らは集落へ向かって一礼をし、祖霊の道へ“振り返り”ます。

 この瞬間は誰も道の方を見てはならない決まりです。

 祖霊が彼らを仲間と認める迎え入れると緑の香りの風が吹きます。風が顔隠しを民の所まで飛ばしたら、顔を上げることが許されます。

 私は…ここからは感想になってしまいますが、緑の、苔むした大樹の前に立っている心地のする風でした。光にちらちら布が輝いているのを見た時、思わず顔を上げてしまって、咄嗟にエー氏が腕で遮ってくれなければ、森の奥を見てしまっていました。丁度「旅立つ者」が、自分の足で森の奥へ歩いていくところでした。

 森の民の体も石です。

 エー氏の黒曜石と楔石でできた腕の下で、祖霊道を奥へ奥へと進む「旅立つ者」の足が透けて、泡のような虹色に光りました。降り始めた雪が、細かく砕けた石片とひらひら踊って、こすれ合う音すら聞こえてきそうでした。

 私は、祖霊道で振り返ってはならない理由を知りました。

 祖霊道を進むことは、痛みもなく分解されることです。絡み合った要素をほぐし、元の要素に還し、代わりに体を使っていた者は落命する。…祖霊道で顔をさらすことは『分解される者』として、道に認識されることです。だから絶対に「旅立つ者」以外が、祖霊道で顔を晒してはならないのです。

 とても怖く感じました。けれど森の民にとって、分解は誉です。

『胸を張って生きた、恥や後悔がない者に宿る要素はより純化されて好ましい状態で返される。未来に繋ぐことができる』と。


 解灰世界はこうまでしないと、未来を守れなかったのです。

 私は森の民のやさしさに生かされました。先生とカルヴィア氏のご尽力で帰還の目処もたちました。

 だからでしょうか。私が見ている景色の一かけら、受けたやさしさの一かけらを、伝えてほしいと願った誰かがいたんじゃないかしら、と思うのです。

 世界が許さなかったら、手紙は先生に届かないのですから。


 私は帰ることができるでしょう。カルヴィア氏に連れられた先で、私は語ってはならない方にお会いしました。私の事情は、最初から知られていました。

 ここは本の中に歴史が閉じたまま、記録を繰り返す場所です。

 詳しいことは何も語れません。「世界最後の詩」は手に入りました。私に必要だからと託していただきました。

 最後の詩は愛でした。

 『世界を憎んだ』と語られているあの方は、最後に、愛をうたったんです。


 レポートはこれで終了です。

 どうか目いっぱいの幸福が、あなたの元で安らぎますように。』



「どうしたの」

「ルウルゥ先生。……後進の忍耐に目を見張っていました」


 レポートを読んでいた教師が苦笑する。ルウルゥは教師の手元を見て「ああ」と苦く笑った。


「無事帰ってきて本当によかったよね。なにも問題なしって聞いたよ」

「驚嘆に値します」


 澄んだ凪の海を思わせる青ばかりの診断書を教師は撫ぜる。ルウルゥは眉を下げた。


「キャメルなら当たり前だって言うね。素直じゃないから。でも同じくらい喜ぶ。先生もお疲れ様。最初お手紙が来た時、死にそうな顔してたもの」

「渡航禁止世界から無事帰ってきたことは奇跡です」


 疲れた息を吐く教師に、ルウルゥは笑みに含む憂いを濃くした。

 教師もまた、存在喪失者である。存在喪失者は歴史も名前も存在も食われた(時として帰る場所のない)『名も無き誰か』だ。渡航禁止世界の住民にとって、彼らほど『成り代わりやすい』存在はいない。


「肉食獣の舌に乗って一月暮らしたウサギが無傷だった……そうとしか例えられませんよ」

「もっと自分を労わったら? 食料確保、頑張っていたじゃない」

「私は二度、故郷が消えました」

「キャメルも似たようなものだし、大図書館では珍しくない。森の民の忍耐はすごいもので、教員は全力を尽くした。トラベルは最初こそ怖い思いをしたけれど、楽しい試験を終えて戻ってきた。それが全てだよ」


 二人の教師の間には、一枚の資料が置かれている。


添付資料

[画像1]


1.書き下し

雨入ラズ 世ハ火ニ落チテ

影満ツル 滅ビニ泣クハ

君カカ 命ハ聞カヌ

太陽ヨ 森ハ眠ル

海ノユメ 月道告ゲヌ

彼ノ先ヲ 満天ハ 寿グダロウ


2.全訳

雨の多く振る季節の前に 世界は燃え尽きてしまった

影の覆う光の消えた世界で 滅んだ国を思って

君が泣いたのか 私が泣いたのか

生命のだれも知らないだろう

この世の何よりも尊く苛烈であった君よ

私たちの生まれ故郷は眠ったよ

生命を抱く 我らの知らないははの夢を見て眠ったよ

月はもう 私たちを導くことも縛ることもない

星の中 君の父のやさしい腕で

祝福に目を閉じていると願う

私の行けない道の先で 安らかに眠っていると願う

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