ヤッチー&カンちゃん
只野夢窮
本文
根拠のない万能感が崩れるのは一瞬だった。
あの時、俺とヤッチーの運命が分かれたのは、たまたまチャリ泥棒をしていた俺たちを見つけた警官が一人だけだったからだ。
ヤッチーは走って逃げて捕まった。
俺は自転車に乗って坂道を駆け下って逃げ切った。
自転車ドロなんて、そんなもんだ。罪悪感もないし、現行犯を抑えられなければ警察官だって決死の捜査網を敷くことなんてない。
ヤッチーは厳しかった父親に半死半生になるまで殴られたあげく、高校を退学させられた。その後どうなったかは親友だった俺ですら知らないんだから、誰も知るはずがない。ヤッチーの父親は何かがあるたびにヤッチーを殴っていた。テストの点数が悪いと殴り、ゲームの音量がデカいと殴り、車道に飛び出すと殴り、学校に呼び出された日にはもっとしこたま殴った。俺がヤッチーから聞いた内容ですらそんな有様だから、俺に言わなかった分も含めれば本当に毎日殴られてたんじゃないかとすら思う。
そんなだから、俺と出会った時には既に、ヤッチーは誰でも殴るとんでもねえ野郎だった。殴ることでしか誰かに主張したり、言うことを聞かせたりすることができなかったのだ。それで中学の入学式の日にも、ご多分に漏れず自分より小さい男子を殴っていた。それで俺は我慢できなかった。そりゃ俺だって当時は中学生男子で、気に入らないやつと殴り合いのけんかをすることはあった。それはいい。だが入学初日に、面識もクソもないやつを殴るのは筋が通らない。俺は筋が通らないことが何より嫌いだ。だから割って入ってヤッチーを殴った。ヤッチーの側でもなんだこいつ、という顔をしていたし、俺だってなんでそこまでしたか、今じゃわからん。ただそれだけのことがやたらと大ごとになって、気づいたら俺は「不良」の箱に入れられていた。誰が入れたというのでもない。ただ学校の中で“そう”なっていた。俺が入学式の日に助けてやったやつですら、俺のことを避けたんだから冷たい話だ。“学のある”やつってのはそういうもんらしい。ヤッチーと俺は何故か意気投合していた。ヤッチーは俺のことを骨のあるやつだと思ったらしい。俺は思ったままに、知らねえやつに因縁付けて殴るのはよくねえと言った。ヤッチーはそれもそうだな、と納得した。そんなふうに俺たちに向き合ってくれるセンコはだれもいなかったから、俺たちが俺たち自身に向き合うしかなかった。
それでまあ、不良がダチとつるんでやるようなことは大概やった。髪染めたり、チャリ盗んで隣町の花火大会に行ってみたり、隣の中学の不良のたまり場に殴りこんでみたり、夜中何をするでもなくコンビニの駐車場にたむろしてみたり、タバコを吸ってみたり……。今から考えてみたらショボすぎて涙が出るような話だが、当時の俺らは万能感に満ち溢れていた。俺たちは何でもできるって本気で思っていた。
そのまま、名前が書ければ入れる高校に入った。とんでもないヤンキー校で、これまで通っていた公立中学とはけた違いに暴力が吹き荒れていた。俺たちはワクワクしていた。拳でテッペン取るんだって。
親の学費で通ってる税金で建った高校のたかだか3年で入れ替わる生徒のテッペン取るんだってさ。
くっだんねえ……マジでくっだんねえ……くっだんねえけども、マジで本気だったこと自体は間違いなくホンモノだった。上級生をぶっ飛ばしたり他校に殴り込みに行ったりしているうちに、なんだか自然と周りに有象無象が集まってきた。みんな俺たちのことを番長と呼んでる。俺たちはテッペン取ったんだ。このあたりの不良の誰もが俺たちのことを尊敬している。けれども俺にとって、ヤッチー以外はやっぱりたいして違いはわからない。名前も覚えられない。
それがつまらないチャリ泥棒でヤッチーがサツに引っ張られた途端に誰もいなくなった。チャリ泥棒ってのがまずかった。抗争やバイク暴走でってんなら変な話が箔がつく。けれどもチャリ泥棒はあまりにもガキっぽすぎる。舐めてきたガキが殴りかかってくるのは一人でも撃退できたが、ヤッチーがいない学校で不良に明け暮れるのはなんだかつまらなくて、空っぽだった。うちの高校を出た不良は、卒業後暴走族だかヤクザだかになるのが結構いた。声をかけられないことはなかった。もっとでかいところでテッペン取らないかと誘われた。ヤッチーがいないなら何も意味がないように思えた。だから俺はあれだけガチガチに固めていたリーゼントをほどいて染め直して、高卒で就職した。
地元のつまらん建設屋だ。別に仕事が好きなんでも給料が良かったんでもない。俺みたいなバカでも体力さえあれば務まるんじゃないかと思った。ふたを開けてみると資格は取らされるし、なんかあるたびに班長から殴られるし、周りの連中はとんどんトンで一人当たりの作業量は増えて行くし、本当にカスみたいな仕事だった。ただ周りがどんどんやめていくから、俺みたいなバカでもずっといるだけで多少はデカイ顔ができるようになってきた。そうなるとちょっとは面白くなってくる。
そのうち合コンで出会った女とデキ婚して、生まれて、班長にもなってちょっとはいかつい車を買えるぐらいにはなった。班長になったけれども、他の班長みたいに部下を殴るのはやめておいた。別に部下がかわいいわけじゃない。人を殴るとヤッチーと喧嘩に明け暮れた日々を思い出して懐かしくなるから嫌だ。ただ結果として人望が出来てくる。俺を慕ってくる部下たちがみんな同じ顔に見える。ヤッチーみたいな気合が入った奴なんて一人もいやしない。息子がヤッチーに似てくる気配もないし、まさかヤッチーみたいに毎日殴って育てるわけにもいかない。
そんな乾いたある日、俺は社長に呼ばれて狭いビルの一室に行った。
「何スか」
「いつも採用面接に呼んでる現場長が風邪ひいたから、お前が代わりに現場で務まるかチェックしろ」
うちの会社はいっつもこうだ。社長とか取引先の課長とかの気分や都合で振り回される。けれども文句を言うわけにはいかない。それにどうせ高卒の三割は一年でフケるんだ。そんな緊張して真面目にやるこたない。
「失礼します……」
けれどもか細い声で入ってきた男と目があった瞬間、俺はビックリしてデカい声を出してしまった。
「ヤッチー……!」
「もしかして、カンちゃん……カンちゃんなんか……!」
「なんや貫太郎の知り合いか」
「ええ、そうです。気合の入ったええやつですわ」
「ほーん……そうは見えんが……お前の知り合いならちょうどええわ。お前の班に入れたるからうまくやっとけ」
「ありがとうございます!」
面接があっさり終わった後、俺はすぐにヤッチーに声をかけた。
「ヤッチー、どないしたんや! 久しぶりやないか。地元おったんなら声かけてくれればええのに。まあ昔みたいに楽しくやろうや。これからファミレスでも行って積もる話でもしよう。就職祝いやからワシがおごるで」
「あ、ああ……ありがとう」
そこまで喋ってなんだか変だと思った。ヤッチーはこんなオドオドした喋り方なんて一度もしたことがない。社長の前だから緊張したのも知れないと思ったけど、俺の前でこんな怯えることなんて何もないやないか。それに身長も俺より5㎝は高いのに、俺より背が低いように見える。とんでもない猫背になってるのだ。
ファミレスから聞いたヤッチーの身の上話というのは、ザックリいうとこんな感じだ。
父親に死にかけるまで殴られて家を追い出された後、とにかく地元にはいたくなくて鈍行電車で都会に出た。繁華街でつまらないチンピラをやっているとたまたまヤクザの親分に声をかけられた。盃を交わして最初は使い走りをやっていたが、いきなり抗争が始まって相手の幹部のタマを取るように命じられた。チャカで撃ったが殺し損ねて殺人未遂で懲役十五年。十三年目で仮釈をもらって幹部気分でシャバに出てみれば、自分の組はとっくになくなってた……なるほどヤクザには珍しい仮釈がもらえるはずだ……ヤクザなんて群れてナンボで、代紋のないはぐれヤクザなんて何も出来やしないんだから……ところで困るのが、自分の組がなくなっちゃったんだから、暴力団の辞めようがない。杯を返す親分がどっかに雲隠れしちゃった。だからまだ銀行口座も作れないし、家も借りられない。幹部気取りから一転、毎日が食うものにも困る極貧生活に耐えかね、仕方がないから地元に戻って乏しい伝手で食っていこうと思ったら住み込みで働ける会社があったから応募した、というところらしい。
昼下がりのファミレスは人影もまばらで、ましてやヤクザの話なんてしてる俺たちの席は従業員もいかにも善良そうな客たちもやんわりと避けている。どいつもこいつもヤッチーみたいに父親に殴られたことなんてない癖にそんな目でヤッチーを見るな。
「懲役に行っとるやつがおるのに組を畳むなんて、薄情な親分もおったもんやな……ほんじゃ……ヤッチーは未だに法的にはヤクザのままなんか」
「せや。やから、カンちゃんに迷惑かけるぐらいなら……」
「それ以上言うなし。今は別に組に所属してるわけでもないし、ヤクザな稼業なんてやってないのは俺が一目見ればわかる。給与は手渡しにできるし、社長には黙っとくから、真面目に働くんや」
「……ええんか……」
ヤッチーの目から涙がこぼれる。ヤッチーを泣かせるのは誰だ。
「よくないことなんか一つもない。あるわけないやんか。明日からよろしく頼むで」
人目をはばからず号泣するヤッチーを止めるのは大変だった。
ところがヤッチー、現場で何をやらせても使い物にならない。ヤクザというのは最初、部屋住みというのをやって社会の常識を学ぶ。まあ裏社会の常識のわけだが。ところがヤッチーは組に入ってすぐに鉄砲玉になったから、ほとんど部屋住みをしていない。ヤッチーは高校を出た後ちょっとだけ繁華街で遊んで、その後はずっと懲役暮らしなわけだ。それでは社会常識があるわけがないし、スマホやタブレットのような電子機器だって使いこなせるわけがない。運転免許もないし、というかそもそも注意力が散漫すぎるし、喋ってコミュニケーションをとるのが下手すぎる。というかほとんど喋ろうとしない。聞いてみると、刑務作業の時の癖が抜けないのだという。はっきり言って、ヤッチーじゃなければ別の班にやるか、クビにしたいぐらいだ。
部下たちが口々に言ってくる。
「なんですかあの人」
「カンさんの
「この前なんてユンボの近くに無言で立ってて巻き込むところでしたわ。もっと強く言っといてくれませんか」
「あいつ役に立たないっすね」
黙れ黙れ黙れ。お前たちがヤッチーの何を知ってるっていうんだ。
ある日、ヤッチーに事務所の裏に呼び出された。昔もこんなふうに誰かを裏に呼び出したり呼び出されたりしていた気がする。けれども十五年近い時間が流れて、あれから全部変わってしまった。俺は予想される話題に対して先手を打った。
「……どうした、辞める相談か? 落ち込みすぎるなよ、誰だって最初は現場に馴染めないもんだぜ。それを乗り越えたら現場の一員って認められるもんさ」
「……そんなんじゃない」
「じゃあ、どうしたんだ」
「……俺の親分はどっかに消えた。でも、俺がタマ取ろうとしたヤクザはまだ生きてて、それどころか大物になってるんだと」
「……」
「俺がシャバに出たのに気づいて、すぐに
「……結局辞める相談じゃねえか」
「……違いねえ」
ハッハッハと、お互い笑った。あのころと違って乾いたしょうもない笑いだ。
「なあカンちゃん」
「どうした」
「どうせ死ぬんならよ、俺、親父を一度でも殴ってから死にてえよ」
「バカ言うんじゃねえよお前」
「やっぱ、ダメか」
「俺たちそんなハンパなことするもんか。お前が行くなら、俺も行くんだ。どうせ殴るんなら、殴り殺しに行くんだ」
「カンちゃん……すまねえ……すまねえ……」
「親父さんはお前の実家にまだ住んでるんだよな? 男と男のカチコミだぞ。気合入れろ」
「おうよ!」
ああ、ようやく、あの時みたいにヤッチーが笑ってくれた。あの日、俺たちがあちこちで喧嘩してまわってテッペン獲った時のヤッチーの顔だ。最高じゃねえか。俺も同じ顔をしてるに違いねえ。
俺とヤッチーの運命は分かれてなんかない。俺たちはいつまでだって一緒だ。俺たちが一緒にいれば、なんだってできる。
ヤッチー&カンちゃん 只野夢窮 @tadano_mukyu
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