ヴァルヤンとコレットの爆走

白里りこ

パンを盗めばレボリューション!


 茶色く乾き切った早朝の町。凸凹した汚らしい石畳の道。俺はぐうぐう鳴る腹を抱え、痩せ細った足を引きずって、とぼとぼと歩いていた。そこに突然、頭の中で声が響いた。

「ヴァルヤン。お主はたった今、我に選ばれた」

 何だ何だ。俺はきょろきょろした。

「神の使者として、この国を支配する魔王を倒せ!」

 いや、知ったこっちゃないんだが。お前誰だよ。

 俺は今、病気で両親を亡くして、葬式を上げる金もなく、遺体を集団墓地に放り込んできた帰りなんだ。もちろん手持ちはすかんぴんだ。明日食うパンすらない。国王を殺すだの何だの、そんな暇なんざねえんだよ。

「我は神ぞ。お主、魔王が憎くはないのか? この格差社会を生み出したのは、僅か十五年前に戴冠したあの魔王ぞ」

 そりゃ憎いけど、今は目の前のことに精一杯なんでね。いいから明日のパンのことを考えさせてくれ。今はもう、この履いてるズボンを売るかどうかの瀬戸際まで来てるんだよ。

「パンなら盗めばよいではないか。ほれ、そこにパン屋がある」

 おいおい、それが仮にも自称神の言うことか? とんでもねえ奴だな。盗みは犯罪だ。この国の法律じゃあ、パンを盗んだら死刑ってことになってる。確かにあっちにはほかほかのうまそうなパンが並んでいるが、あれを手に取ったが最期、待っているのは死のみだ。

「その法律も魔王が作った。くだらんものだ。魔王ごと殺してこの国を改革しないか!」

 滅茶苦茶な。そんな馬鹿げた企み、命がいくつあっても足りねえよ。いいから黙れ。俺の頭の中から出ていってくれ。神の使者には、他に適任がいるよ。俺は御免被る。

「いや、お主がやるんだ。もう我は決めたからな。まずは役人を殺せ。パンを盗めば役人が追いかけてくる。これで、食い物が手に入る上に魔王の手先を殺せる。一石二鳥ではないか」

 はあん? 頭大丈夫か? 役人なんか殺したら、絞首刑じゃ済まない。拷問を受けた上に、石打ちで公開処刑されるぞ。

「心配はいらん。捕まらなければよいだけの話だ。我が色々と手助けしてやる。まずはお主に、神速の靴を授けよう」

 ぽわん、と俺のボロボロの小さい木靴が光ったかと思うと、それは頑丈そうな革製の靴に変わっていた。俺はこの時ようやくビックリした。

「うわあ!」

 俺の声がひとけのない町にこだまする。数少ない通行人が振り向く。何だ何だと周囲の店の人が顔を出す。

「それから、必殺の短剣を授けよう」

 手ぶらだった俺の手に、軽くて鋭利な小ぶりのナイフが忽然と現れた。

「う、うわあ!」

 俺はそれを取り落としかけたが、ナイフは俺の手にしっかりと張り付いて離れない。

「な、何だこりゃ!」

 俺は喚いた。周囲もざわついてきた。

「何だあいつ、刃物を持っているぞ」

「何をする気だ」

 自称神はお構いなしに、話を続けた。

「最後に、我から勇気の一押しを授けよう。ほーれ、パンだぞ〜」

 目の前のパン屋から、一個の柔らかそうなパンがふよふよとひとりでに漂ってきた。俺は反射的にそれにかぶりつきそうになって、ぐっと耐えた。だがことはそう簡単には済まなかった。パンの方から俺の口に猛突進してきて、俺の口をこじ開けて、中に入って来やがった。

「もご!」

 俺は抗議した。

「こら! そこの男! 金は持ってるんだろうな?」

 パン屋の亭主が血相を変えて出てくる。俺は首を振った。

「何だと!?」

 俺は迷った挙句、手に持ったナイフの柄を相手に差し出そうとした。どうかこのナイフを受け取って、それで勘弁してほしい。

「ふごふご」

 ところがこの必殺の短剣とやらは、くるりとひとりでに向きを変えて、刃先を相手に向けやがった。俺も亭主も狼狽した。

「わっ!? や、やる気か!? 通報するぞ!」

「ふごふご!」

 俺は必死になって首を横に振ったが、亭主は話を聞く様子はない。当たり前だ。刃物を持った上に盗んだパンで口が塞がった野郎の話を誰が聞くか。

「誰かーっ、助けてくれーっ! 役人を呼んできてくれーっ!」

 パン屋の亭主が叫んだ。

 一部始終を見ていた通行人たちがこぞって交番に駆け出した。

 俺の中で全てが崩れ去る音がした。もうだめだ。もう家には帰れない。もう大手を振って道を歩けない。俺は盗人になったんだ。捕まったら裁判にかけられて殺される。

 くそ、くそ、くそ! このいかれた自称神のせいで!

「それは違うぞ、ヴァルヤン」

 頭の中の声が言う。

「いかれているのは魔王の方だ。いいから魔王の手先を殺してみよ! ほれ、もう交番から二、三人出て来おったぞ」

 嫌だーっ! 捕まるのも嫌だけど殺すのも嫌だ! こうなったら──逃げるしかない!!

 俺は駆け出しながらパンを噛んで飲み込んだ。さっきからうるさいくらいに鳴っていた腹の虫が静かになった。途端に、力が漲ってきた──特に、足に。

「!?」

 俺はビュンッと風のような速さで駆け出していた。町の景色が飛ぶように後ろへと遠ざかっていく。

「待てーっ、待たんかーっ」

 追いかけてくる役人の声もあっという間に小さくなっていく。俺は、通行人が目を丸くして見守る中を、あり得ない速さで駆け抜けた。そして町を出て、麦畑の広がる道の方へと逃げ切っていた。

「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ」

 まるで疾走する馬だ。とてもじゃないが体力が追いつかない。喉もからからだ。俺はがくりと地面に膝をついた。ちくしょう、涙を出す余裕もねえ。

「あのー、大丈夫ですか?」

 声がした。今度は頭の中ではなく、頭上からだった。俺はハッとして顔を上げた。

 黒髪の女性が俺を見下ろしていた。痩せ細っているし髪は短いが、女性だ。左手にはブリキの水筒と麻袋を持っている。

「水、飲む? パンもあるけど……」

 女神だ。本物の女神が現れた。俺はありがたく水を分けてもらい、麻袋からパンを一つ頂戴した。

「いやー、生き返りました。ありがとうございます」

「ううん、私の力じゃないし」

 ん?

「あんた、暴れ馬みたいな速さでこっちまで走って来たね? もしかして私と同じ?」

 んん?

 俺は彼女の右手を見た。そこには銀のナイフが光っていた。次いで彼女の足元を見ると、つぎはぎだらけのスカートには見合わない、立派な革のブーツを履いていた。

「……もしかして、君も神とやらに唆されて、役人に追われてる……?」

「うん、この水もパンも盗まされちゃった。神様に、国王様を殺せって言われて。……どうやら私たちは運命共同体みたいだね」

 ろくでもねえ運命だ。だが仲間がいるとなると少しは慰めになる。

「私はコレット。よろしく」

「お、俺はヴァルヤン……よろしく……」

「さて、これからどうしようか」

「……これから?」

「だって、この道は一本道で、あなたの後ろからは役人が、私の後ろからも役人が、追っかけてきてるんでしょ? このままここにいたら捕まるよ」

「うげー!」

「とりあえず、逃げよう。小麦畑の中に入っちゃえばそう簡単には見つからないはず……」

 コレットがそう言った時、ヒヒーンと遠くから馬のいななきが聞こえてきた。ドドドドドッ、と足音も近づいてくる。

「こらー! 盗人! 見つけたぞ!!」

 どうやら俺は大切なことを失念していたようだ。たとえ俺が馬のような速さで駆けて役人を撒いても、役人は馬を持っていて、それに乗れるのである。そりゃ追いつかれるわ!!

「行くよ! 小麦畑の中へ!」

 コレットは迷いなく飛び込んだ。俺も慌ててついていった。ガサガサガサガサ、金色に光る小麦が揺れる。作業中だった農夫がギャーッと駆けつけてきた。

「あんたら何してくれてるんすか! 俺の大事な大事な小麦を踏み荒らさないでください!」

「大丈夫! 踏んだ方がよく育つって言うでしょ!」

「そいつぁもっと前の季節の話でさぁ! 今は刈り込み前の重要な時期で──」

 農夫の声は更なる大きな悲鳴に取って代わられた。俺たちの後を追って、両方向から役人の馬が乗り込んできたのである。

「役人様、どうかご勘弁を!」

「黙れい! 盗人がここにおるのだ!」

「ひええ!」

 俺たちは馬のような速さで、背の高い小麦の間をかき分けかき分け逃げたが、馬は普通の速さで小麦を踏み荒らしながら追いかけてくる。俺たちが追い詰められて馬に乗った役人に囲まれるのは、まあ当然の結果だった。

「ひいい! もうおしまいだぁ!」

「……ここまできたら、やるしかない。やるか、やられるかだ」

「え? それってもしかして……」

「捕まったら殺される。だとしたら生き残る道は、一つだよ!」

 コレットはそう言って、神速の靴で華麗に飛び上がったかと思うと、必殺の短剣で、躊躇いなく役人の首を掻いた。ピュッと血が迸って、役人が馬の上から落ちる。コレットはシュタッと器用に土の上に着地する。

「ヒェッ……」

 駄目だ。せっかく被害者仲間を見つけたと思ったのに、コレットもまたいかれている。こんなにも躊躇なく殺人を犯すなんて! これじゃあ俺も仲間とみなされて、更に罪が重くなりかねない。どうしよう……!

 だが、落っこちた役人の遺体を見て、俺は愕然とした。

 それは、異臭を放つ紫色の謎の肉塊と変貌していた。

「う、うわあ、化け物!」

「いかにも」

 頭の中でまた声がした。

「奴らは人間に擬態した魔物であり、魔王の手先だ。早く駆除するがよい!」

 俺の体は勝手に動き始めていた。

「ちょ、ちょちょちょっと待ってええええ!?」

 俺は素早く役人の背後を取って軽やかに跳躍し、役人のうなじをナイフで掻っ捌いていた。力尽きて地に落ちた遺体は、やはり紫色の謎の液体にまみれたただの肉塊であった。

「ピャッ……」

 俺は情けない声を上げた。

「貴様らァァァ!」

 役人はいきりたった。そして、一人は右に、一人は左に向かって離脱し、残った三人が剣を抜いて襲い掛かってきた。

「チッ」

 コレットは見事なナイフ捌きで剣を受け流しながら舌打ちをした。

「逃がした。私たちのことはもう向こうに覚えられてしまったみたいだね!」

「い、今それどころじゃななななな」

「それどころだよ! こいつらみんなやった後、私たちは行き場をなくすってことだ!」

「あわ、あわわわわ」

 結局俺たち二人は、コレットの言葉通り、役人三人をみんなやってしまった。農夫は大切な小麦畑が気味の悪い紫色に染まったことに顔を白くして震えていたが、悲鳴を上げてどこぞへと逃げ出した。

「さあ」

 コレットは立ち上がる。

「ぐずぐずしてる訳にはいかないよ! すぐに別の役人がここいらの捜索にかかるだろう。早く別の町に行かなくっちゃね」

「ど、どこに行こう……」

「そういうことは逃げながら考えるのさ!」

 コレットは俺の手を取って立ち上がらせると、猛然と自分が元来た道を走り出した。俺はまた、ついていくより他なかった。途中、馬に乗った役人の群れが道をやってくるところに出くわしたが、俺たちは小麦畑の奥の方にまで逃げ込んでやり過ごした。

 俺たちは、コレットのいた町に近づいた。そして、これをどうにかこうにか迂回することにした。

 この町の周りは森林に囲まれている。初夏の森の中は爽やかで涼しくて……木と草が生い茂っていて歩きづらいことこの上なかった。道なき道を進まねばならないのは苦痛だ。しかも、神速の靴によって爆速で、である。木の枝とか葉っぱとかがバシバシ顔に当たるし、足元も悪くて転びそうになるし、気分のいいものではない。だが無事に逃げ切るには、これしかない、と思っていた。

 ところが、である。俺たちの行動は読まれていた。俺たちが、住んでいた町を避けて逃げようとするのは、役人たちにはお見通しだったのだ。森の中で見つけた小道に出たところで、俺たちはまたしても馬に囲まれた。俺は呻いた。今度は役人たちは銃剣を手にしていた。さすがに銃を相手にナイフは——

 有効だった。

 俺たちの手は光のような速度で動き、相手が至近距離から発する銃弾を全て弾き切った。俺たちはダンッと地を蹴って馬上の役人に斬りかかった。

 だが、如何せん、今度は相手の数が多かった。二人がナイフ一本しか持ち合わせていないのに対し、相手は十人以上。俺たちは簡単に背後を取られ、ガンッと頭を強打された。俺は意識を失った。

 ***

 俺は目を覚ました。

「おっ、起きたかい」

 コレットの声がする。途端に「余計な口を叩くな」と男の声が言った。

 俺は目をしばたたいて、状況の把握に努めた。まず、俺の手には手錠がかけられている。だが、ナイフは持ったままだ。本来なら奪われていてしかるべきだが、おそらく手から剥がれなかったのだろう。そして俺たちは馬車の上の檻の中だった。囚人を護送するための馬車に乗せられているのだ。俺たちがナイフを手放せないせいか、馬車の周囲にはこれでもかというほど役人がついていて、俺たちのことを始終見張って警戒している。

「お主ら、二人とも、目を覚ましたな」

 頭の中で声がした。俺はコレットの方を見た。彼女も同じ声を聞いているらしいことが、その表情から確認できた。

「先ほどは我の支援不足でこのような事態を引き起こしてしまい申し訳なかった。さっそくお主らには、この檻の中から逃げ出してもらいたい」

「ええっと……」

 俺は周囲を改めて見渡した。俺たちはもう、首都のペラスに到着している模様だった。白い壁の家々に白灰色の石畳、そして紫色のフレン王国旗があちこちにたなびく。こんなに役人と通行人の人目が多いところで、檻の中からどうやって逃げ出せというのだろう?

「そこは我がうまく指示を出す。とにかく、己が命を守るため、そしてこの国を目覚めさせるために、行動を起こすのだ!」

「へいへい」

 コレットは面倒臭そうに言って、おもむろに立ち上がった。

「で? どうすればこの八方塞がりの状況を打破できるわけ? 神様よ」

 役人たちが臨戦態勢に入る。

「おい女、何をするつもりだ!」

「教えてやる義理は無いね」

 コレットは強気で言い放つ。ああもう、そうやって挑発しないでくれ!

「――今だ、お主ら。我が使者よ。そのナイフで檻を切り裂き、役人どもから逃げ出すのだ!」

 え、今のが指示? 雑じゃない? というか檻、切れるの?

「はあああああああ!」

 もうコレットはやる気満々である。ああもう、どうとでもなれ!

 俺は手錠されたままの手を振り回した。コレットと俺は、両端の檻にナイフ一本で二度切れ込みを入れ、大きな抜け穴を作った。

「行くよ!」

「ああ!」

 俺たちは跳躍して、曲芸の人みたいに役人たちの頭を次々と踏み抜き、逃げ出した。

「――我の指示通りに逃げて、路地裏に入れ!」

 自称神が言う。俺たちはまたしても馬のような速さで駆けた。ペラス市民たちが目を丸くしてそれを見やる。中には立派な服の人もいれば、みすぼらしい服の人もいる。貧富の差はここでも蔓延っている。

 俺たちは馬車道のある綺麗な大通りを逸れて、ごみごみした路地裏に入った。

「左に曲がれ! 助けてくれる人がおる!」

 その通りに更に狭い貧民街のようなところに入ると、確かにそこには一人の女が立っていた。

「あなたたちね、神の使者ってのは! こっちこっち!」

 そう言って女はひょいっと扉の奥へと手招きした。俺たちはそこに滑り込んだ。女がすぐに扉を閉める。

 俺とコレットは、お互いの手錠をナイフで難なく切った。ようやく邪魔な拘束具から解放された。

「本当にビックリしたわ。鉄の檻を破壊した挙句、あんなに速く走るなんて」

 女は言った。

「あんた、見てたのか」

「見てたわ。それで近道を通ってここまで先回りしたの。……私はエムリーヌ。二人の名前は噂で聞いているわ、ヴァルヤン、コレット」

「そう。助けてくれてありがとうね、エムリーヌ」

「……ありがとう」

 俺はまだ、追手が来ないかビクビクしていたので、小声で言った。

「あら、心配はいらないわよ。ここのことは誰にもばれていないもの。ここが……革命家たちの溜まり場だってことはね」

「……!」

 自称神の案内は確かに間違いなかったようだ。革命家――つまり国王を倒そうとする人々の集まりの所に俺たちを案内した。

「さっそくマチアスのところに連れて行くわね。きっと喜ぶわよ。神に選ばれし二人の使者が、この国を変えにペラスにやってくるって、わたしたちは夢の中で何度も神様に言われてきたんだもの」

「へえ……そうなのか」

「マチアスって誰?」

「私たちの指導者よ。若いけど有能な人なの。さ、こっちの居間まで来てちょうだい」

 俺たちは細い廊下を通って、洒落た居間に通された。

 そこには人がごった返していた。床には綺麗な赤い絨毯。大きな暖炉に大きな机。窓には分厚いカーテン。人が沢山集まれるようにソファもいくつか置いてあって、そのどれもが高級そうな布張りだった。そのうちの一つから、背の高い茶髪の青年が立ち上がった。

「ようこそ、ヴァルヤン、コレット。神の使者よ!」

 彼が言うと、周囲から拍手が巻き起こった。

「僕がこの革命の指導者、マチアスだよ。僕はこの国の王政を倒して、共和政を取り戻したいと思っているんだ。よろしく、二人とも!」

「よろしく!」

「よ、よろしく」

 ワーッと歓声が上がる。

「僕たちは神の声に従って計画を進めてきた」

 マチアスは僕らにお茶と茶菓子を振る舞いながら続ける。

「そして我らが神は告げている。今こそ行動を起こすべきだと! 皆、武器は持ったな!?」

 オオーッと雄たけびが上がる。良く見るとみんなは銃やらなにやらを持ち上げていた。

 え、まさか、今からやるのか。

 革命を。

 俺は初めて持つ立派な茶器を危うく取り落とすところだった。

「――今こそ」

 神の声が鳴り響く。皆がそれに耳を澄ませている気配がする。

「悪しき魔王を倒し、この国に正しい政治を取り戻す時! ゆけ! 勇敢な勇者たちよ! 我が使者と共に!」

 オオオオーッとまたしても雄たけび。俺は震え上がった。とんでもねえことに巻き込まれてしまった。まあ、もう乗り掛かった舟なので、降りることなどできそうにないが。

「腹をくくれ、ヴァルヤンよ」

 神の声は言った。皆は一斉に俺の方を見た。

「お主ならきっとやれる。何しろ我に選ばれたのだからな!」

「わ、わ、分かった」

 俺はしどろもどろになって言った。それから腹ごしらえと照れ隠しに、茶菓子を口に詰め込んだ。

「そうとも!」

 マチアスは言った。

「僕たちには神の加護がついてる。絶対に大丈夫だ。行くぞ!」

 マチアスは銃を持って飛び出した。王宮のある方まで一直線に走る。さすがの豪胆さである。

 エムリーヌも銃を持ってマチアスを追う。俺たちもそれに続いた。

 路地裏のあちこちから、人々が加勢して、マチアス率いる市民軍はたちまち膨れ上がった。ペラスの人々はこれほどまでに不満を溜め込んでいたのか、と俺は驚いた。ただただ現状に絶望していた俺とは大違いだ。

 俺も、力を与えられたのなら、それを正しく使わなければ。ようやく覚悟を決めた俺は、マチアスと共に先陣切って走った。

 もう報せが届いたのか、王宮前では武装した軍人たちが待ち構えていた。いよいよ正面衝突だ。

 ところがその時、俺たちを逃した役人たちの群れが、背後から現れた。

「貴様らアアアア!」

 彼らは叫んだ。どうしよう、このままでは挟み撃ちである。

「ヴァルヤン、後ろは任せた!」

 コレットは叫んだ。

「戦力になる私たちが前後に分かれて戦う。ヴァルヤンは早く後ろを片付けて、前の手伝いに来るんだ!」

「……! 了解!」

 俺はトッと神速の靴で石畳を一蹴りすると、ひとっ飛びに背後の一団の前に着地した。敵の数、およそ三十。二人を相手に、随分と警戒されたものだ。だが、俺は一人でもやってやる。残らず始末してやる!

 コレットたちを守るために。悪政を終わらせるために。もう二度と、病気になった両親に薬も買ってやれずに死なせてしまった、俺のような人を生まないために。

「うおおおお!!」

 俺は猛烈な勢いで駆け回り、跳び回り、腕を振るった。神速の靴と必殺の短剣は、今度こそしっかりと仕事をしてくれた。俺は、戦えていた。

 瞬殺。

 三十余人の役人たちはみなこと切れて、濃い紫のぶよぶよとした塊になっていた。

 俺はとうとう、俺を殺しに来る魔王の手先どもから、逃げ切ったのだ。

「……よし」

 だが、これで終わりではない。正面を突破し、宮殿内に侵入し、国王の――否、魔王の首を取らなければ。

 俺はコレットのいない方面に駆け付けて、存分にナイフを振るった。

 後のことは無我夢中であまり覚えていない。

 俺とコレットを先頭に、宮殿の中に押し入り、白と青の豪奢な廊下を駆け抜けた。止めに入った者の返り血で、壁にかかった絵画が紫色に濡れた。魔王の居場所は神が指示してくれた。俺たちは最短距離で魔王のいるところまで辿り着いていた。

 俺たち二人の働きのお陰で、怪我人は少ない。エムリーヌもマチアスも無傷だ。

 国王を目前にして、俺たちは慄然とした。

 確かに彼はフレン国王の王冠を被っているのに、その姿は醜悪な魔物みたいだった。一応、人間の形をしているが、何か全身が不健康そうな薄紫色だし、ぶすぶすと絶えず紫色の煙が上がっているし、鼻が曲がりそうな異臭がするし、四本の手足は珍妙な触手のようだったし、顔はぶくぶくと丸く太っていて輪郭が歪だったし、……とにかく、そいつは人間に擬態しきれていなかった。

「そなたら、よくも我が王宮を」

 魔王が何か言いかけたが、俺とコレットはもう斬りかかっていた。

 コレットが護衛の者を四人ともいちどきに片付けた。俺は魔王の首らしきところに素早く斬り込んだ。

 ブシャアッとヘドロみたいな体液が吹き上がった。そして、やっぱり魔王の遺体は、紫色の珍妙な物体へと変貌した。コレットの倒した護衛たちの遺体もまた醜悪なぶよぶよと化した。

「それがその者らの本来の姿なのだ」

 神の声が言った。

「見よ。この十五年間、お主らを締め付け、裁き、苦しめていた、王侯貴族や役人たちは、みなこれらの怪物だったのだ」

 確かにそうだった。王宮の外に出ると、俺たちがやった役人たちの遺体もまた、紫の肉塊の姿に戻っていた。ペラス市民たちは呆然としてその様子に見入っていた。

「これで……僕たちは解放されますか」

 マチアスが言った。

「無論。これからはそなたら人間自身が人間を統治する時代が訪れるのだ」

 神の声は言った。

「よっしゃあああああああ!!!」

 皆は沸き返った。そしてこのフレン王国――否、フレン共和国の首都ペラスでは、魔王のくさびから解放された市民たちが、貧しい者も富める者も手に手を取り合って踊った。

 ――これが、俺が一日にして体験した大冒険の顛末だ。まさかこんなことになろうとは、朝の段階では夢にも思っていなかったが、とりあえず俺を含め人々の目が覚めたようで良かった。魔王を倒せて良かった。めでたしめでたし、というやつだ。

 新しい政府はマチアスやエムリーヌが導くことが決まった。そして俺とコレットは軍隊に入った。これから、魔王を失った時を狙ってフレン共和国を攻めて来るであろう諸外国との戦いに備えるのだ。

 俺は毎日うまいパンにありつけるようになったってわけ。これも、めでたしめでたし、だな。


 おわり

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ヴァルヤンとコレットの爆走 白里りこ @Tomaten

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