コロニアル・ハロ

時雨薫

コロニアル・ハロ

 浅くはばの広い川が南へ流れている。その川の岸辺で町のひとびとが葬儀をしている。初夏が近いころだ。ひとびとは素朴な服を着ている。はだしだ。すんだ川の水が気まぐれに冷たかったり、生温かったりする。流れの上に色鮮やかな幕がはられ、そのなかに死者があおむけに寝かされている。死者の頭は川上のほうを向いている。死者は葬儀のあいだ、流れに洗われつづける。列をなしたひとびとがひとりずつ幕のなかに入り、死者のむねに花をたむける。花はスズラン。アヤメ。ひとびとがみな花をたむけおえたとき、幕がとりはらわれ、死者は南へ流れていくことになる。とむらいの列はまだ長い。


 *


 ことばというものが、わたしたちが見たり、感じたりするものを表現するうえで、うまくできているとは思わない。

 たとえば、わたしたちがいる、ここ——というよりここの全体をよぶのに、どんなことばがもっともふさわしいのか、わたしには確信がもてない。

 世界。島。大陸。大地。それとも、なにかほかに?

 映画があるのは、ことばがこんなふうに不自由だからだろう。ことばは、あらわされうるもののうちの、ほんの一部を、不完全にあらわすにすぎない。ことばは不器用すぎる。

 ことばは不器用で映画は複雑だけれど、わたしたちがいるここは単純にできている。川がはるか北からはるか南へ流れている。川には映画に映るものならなんでも流れてくる。だから川はことばより広い。

 川の西には平野がある。川岸から一キロメートルくらいは農地が広がっていて、その先に背の低い建物がちぢこまって集まっているところがある。わたしたちはそこを町とよぶ。およそ五万のひとびとがそこに暮らしている。川の東、町と向き合う位置に映画館がある。映画館は一辺が二百メートルあるつやのない白い立方体だ。映画館のさらにうしろに山脈がある。その斜面は黒い。

 平野の端がつきとめられたことはない。川の水がどこから来てどこへ行くのか、だれも知らない。山脈はいちども越えられたことがない。わたしたちのいる、ここは、そういうところだ。


 *


 ここ——わたしがまさに立っている、両手をのばしてとどく範囲の、ここは、映画館の屋上だ。屋上は広さが二百メートル四方ある純白の床だ。技天使ぎてんしたちが二十か三十ほど、たむろって休息している。技天使たちは西のすみの川が近いほうにかたまっている。技天使たちは人間でいうところの十代半ばから二十代はじめの姿で、性差にとぼしく、濃い青髪を几帳面なおかっぱにしている。日差しのつよいきょうのような日には、技天使たちの青髪はまるで宵口の空が地上におちてきたように見える。みな白いシャツを着ている。それ以外は人間と変わらない。

 何人かの技天使たちが、無人のはずのシアターにあらわれるという幽霊の話をしている。そのうちのひとりが幽霊の正体は先生じゃないかと言う。話を聞いているほかの技天使たちがわらう。この冗談を言った技天使は、声が低くかたはばがあって、わたしは柵にもたれて山脈にかかる雲を見ていたけれど、その距離からも男の子であるとわかる。話を聞いている子たちは、表面的なすがたかたちこそ技天使の規範に忠実なようだけれど、座りかたのせいで女の子だと察しがつく。だから、どの子も技天使として真面目だとは言えない。

 階段をのぼる高く冷たい音がして、司天使してんしがあらわれる。司天使は話をしていた技天使たちをにらむ。司天使はこれ以上天使らしくあることがありえないというくらい天使らしいから、そのことがかえって、こういうふうに表情がでたときかれをおそろしく感じさせる。司天使が言う。

「あなたたち、先生のことを話してたの?」

 技天使たちは気まずそうな顔をして、それぞれあいまいにうなずく。

「だめなんですよ、そんなことをしちゃ。だって先生はそれを望んでいらっしゃらないんですから。なんておそろしい。あなたたちはもっと天使らしくふるまわないと。ねえ、あなた。天使の掟を言ってみて」

 司天使は技天使たちのひとりを指名して言った。技天使はこたえない。それじゃ、あなた。司天使はほかの技天使を指名する。わたしは見ていていたたまれなくなる。わたしだって新入りのときは天使の掟を暗唱するなんてことできなかった。そういうわけだから、わたしは司天使のほうへあゆみよって言った。

「ひとつ、仕事にはげむこと。ふたつ、先生をうやまうこと。みっつ、身なりは整えて。よっつ、ひとと天使はちがうもの——

「わかった、わかった。もういいよ」司天使がさえぎる。

「ナナ、ここにいる天使がみんなあなたとおなじだけきっちりしていたらいいんだけどね」

 ナナは真面目で優秀な技天使、司天使はそう思っている。そのナナって子はわたし? 司天使の言うナナとわたしがほんとうに同じ天使なのか、ばかげた話だけれど、ときどき自信が持てなくなる。わたしはそんなにいい子じゃない。

「だけどね、ナナ。あなたが司天使になるためにはそれだけじゃだめなの。わたしが来る前にあなたが率先して声をかけるのでなくちゃ。だってそうでしょう? あなたが司天使になるときにはわたしはいないんだから」

 ええ、はい。わたしは気のない返事をする。

 司天使が休憩は終わりだと言って屋上に残る天使たちを追い立てる。司天使も業務にもどる。わたしだけは屋上に残り、西の川を見わたす。水面がまぶしい。町のほうの岸に幕が立っていて、そのまわりにひとびとがいる。きっと流れ着いたひとの葬儀だ。川にひとが流れ着いたとき、町のひとびとは決まってあんなふうにして葬儀をする。ということはきのう上映された映画にひとの死ぬものがあったのだろう。町のひとびとがなぜ映画なんてものをありがたがるのか、わたしにはそれがわからない。町のかなたにはなにもない。ただ草原がはてしなくつづいていて、それがしだいに空とまじる。


 *


 映画館の廊下だ。外からの光はないが、白い床と壁がほのかに明るい。わたしはおばあさんを乗せた車椅子を押している。おばあさんは目が悪いから、普通の映画ではだめだ。しかし映画館には副音声つきのフィルムというものが備えてあって、それならおばあさんもだいじょうぶ。おばあさんの歳は八十いくつだ。技天使であるわたしより前から、いろんなものを見たり、感じたりしてきた。わたしより前から、映画館を知っている。

 映画館には百ほどのスクリーンがあって、そのうちの三割ほどが稼働状態にある。平日なら一万から二万程度のひとびとが映画を見に来るし、休日なら町のひとびとの半分以上が来ることもある。それでも映画館には十分な余裕がある。だから副音声つきのフィルムを上映するためにふだん使われていないスクリーンを使うことには、なんの困難もない。しいて問題をあげるなら、ちょっとばかりロビーから離れすぎているから、技天使の案内が必須だ。しかし、わたしはおばあさんの車椅子を押してシアターとロビーを行き来することがなによりすきだ。なにかがすきだということは、天使らしくない。だからわたしは、司天使が期待するほどには規範的な天使ではない。

 おばあさんは映画を見終えたところだ。車椅子のなかのおばあさんは、小さく、かるい。白い髪がきれいだ。おばあさんはいいにおいがする。おばあさんが言う。

「ナナちゃんのおかげね。こんな歳になってもまだ映画に来られるんだから」

「ありがと。でも、わたしのおかげってわけじゃないよ。おばあさんのためのフィルムが用意されてるのは、先生がそういうふうにここを作ったからだから」

 そうね、そうねとおばあさんがこたえる。車椅子のうしろからだから、おばあさんの顔は見えないけれど、ほほえんでいるのだと思う。

「そうね。先生というのは偉いかたね。それに、やさしいかただわ。わたし、あることについて先生にとても感謝しているのだけど、なんだかわかる?」

 今日の映画がお気に入りだったとか? とわたしはこたえる。

「そうね。いい映画だったわ。でもね、そうじゃないの。わたしが感謝してるのはね、先生がナナちゃんを作ってくれたってことなの。だって、こんなにかわいくて、いい子の技天使さんは、ほかにいないわ」

 わたしは思わずうつむいてしまった。司天使が聞いたらきっとよくは思わないだろう。しかし、わたしにはおばあさんのことばがうれしい。

「ありがと」

 おばあさんがふふふと笑う。おばあさんの小さなからだが車椅子のなかで小鳥みたいにゆれる。

 わたしたちはエレベーターに乗る。側面の壁に鏡がかかっている。わたしはいつもこの鏡で身だしなみをととのえる。いま、鏡のなかのわたしは、白いシャツを着ていて、青い髪のおかっぱで、もちろんお化粧なんてしていなくて、いかにも天使らしく見える。おばあさんがかわいくていい子だというわたしは、こんなに天使らしい。おばあさんは見えていないからあんなふうに言うんじゃないか。わたしはおばあさんをだましているような気がしてしまう。それは、いやだ。

「ねえ、ナナちゃん。わたしね、こんどひ孫ができるの。ひ孫ってわかる? こどものこどものこどもよ」

 こどものこどものこどもとわたしは繰り返す。こどものこどものこども、それはおばあさんにとってどのようなものなのだろう。なんにせよ、途方もないことに思える。

「それってうれしいこと?」

 それはもちろんとおばあさんが答える。

「その子も少しずつ大きくなって、映画を見にここに来るようになるんだもの。うれしいことに決まってるわ。生まれてこなくちゃ映画を見ることはできないんだから、やっぱり、いいことよ」

「人間って感じがする」

 そうかしら? おばあさんがこたえる。

「ねえ、ナナちゃん。ひ孫がここに来たときには、どうかやさしくしてあげてね。ひ孫も映画がすきになってくれたら、それほどうれしいことはないから」

「おばあさんもいっしょだよ」

 おばあさんが、えっ、と言う。

「ひ孫さんとおばあさんでいっしょに来てよ。おなじチケットが配られるかは先生しだいだけど、もしおなじ日のおなじ映画だったら、いっしょに来て。わたし、おばあさんがひ孫さんと一緒にいるところが見たい。なんて言うのかな。そうじゃないと、わたしは、ひ孫というのがおばあさんにとってどんなものなのかわからないと思うからさ」

 そうね、とおばあさんがこたえる。

「そうね。それがいいわね。わたし、ひ孫といっしょに来ようと思うわ。でも、どうかしらね。わたしはそのときまだ生きているかしら」

「おばあさんは、ひ孫さんといっしょに映画に来たい?」

 わたしは急に不安になってたずねた。

「来たいわ。そうね。だから、生きていないと。そしたらきっと、次はこどものこどものこどものこどもと映画を見にいきたくなるんでしょうね」

「そうだね。その次はきっと、こどものこどものこどものこどものこどもと——

 そこまで言って、わたしはおばあさんがなぜこんなふうにとまどって言うのか、やっと理解した。ひとは天使じゃない。だから世界を遠のかせる瞬間を自分で決めるわけではない。ひとは死ぬのであって、自壊するのではない。

「そうか。死ぬということは、自分でえらぶのではないものね。ねえ、おばあさんの寿命はあとどのくらい?」

 そうね、とおばあさんが言う。おばあさんは十回でも百回でもそうねと言う。このひとがそうやってことばの調子をとることが、わたしはすきだ。しかしいまはことばが続かない。わたしは自分のたずねかたがまずかったかもしれないと思いながら言う。

「こんなこと聞いてごめん。でも、おばあさんとの時間があとどのくらいあるのか知りたい。ずっとつづくと思ってた」

「わからないわ。だってもうこんな歳ですもの。でも、ぜったいに悲観しなきゃならないってわけじゃないのよ。ひ孫が映画を見にいけるくらい大きくなっても、わたしはまだ元気かもしれない。ひ孫のこどもと見にいくのはさすがに無理でしょうけど」

 そう、とこたえたわたしの声が、エレベーターのなかで低くひびく。エレベーターのせまさ。

「ねえ、ナナちゃん。あなたはやっぱり、だれよりもかわいくて、だれよりもいい子の技天使さんだと、わたし思うわ」

 エレベーターがロビーに着いた。降りようとして一歩踏み出す前に、わたしは鏡を見る。ロビーはわたしとおばあさんのふたりきりの場所ではないからだ。おばあさんに見せるすがたを、誰にでも見せていいというわけではない。鏡にはナナとよばれる天使が映っている。役職は技天使、つまりしたっぱ。ナナは天使らしい若々しい顔つきをしている。人間ならきっと十七くらいだ。まつげが長いことと、思慮深さを感じさせる眼差しが、個性と言えば個性かもしれない。胸にかすかにふくらみがあって女の子だとわかる。わたしは、もしかすると、おばあさんとおなじくらい、きれいなのか。

 ロビーはひらけた空間だ。そしてエレベーターのなかよりずっと明るい。白い壁と白い床にかこまれたなかに観葉植物や赤いソファが点在していて、これから映画を見るひとびとや、すでに映画を見終えたひとびとで混雑している。高い天井から上映スケジュールをしめす掲示板がつりさげられている。何十行もあるパタパタ式の掲示板だ。掲示板は黒く、文字は白い。いくつかの行で目にもとまらぬはやさで文字が切り替わっていき、次に上映される映画のタイトルが表示される。

 おばあさんが手をふって、ここですよと大きな声を出す。おばあさんがむいているほうに、おばあさんの家族がいる。ほとんど見えていないはずなのにどうしてわかるのだろう。わたしはかれらのところまで車椅子を押していく。そして、そのうちのひとりに車椅子のハンドルをわたす。お腹のふくらんだひとがいる。これが妊婦というやつ。ということはお腹の中にいるのはおばあさんのひ孫。妊婦さんがわたしを見てほほえむ。おばあさんが言う。

「ほら、ナナちゃん。これが赤ちゃんよ。さわらせてもらいなさいな」

 わたしはおそるおそる妊婦さんのお腹にふれる。布越しに体温を感じる。体温は、ひとにあって天使にないものだ。

「よくわかんないな」

「ときどき動くの」妊婦さんが言う。

「ねえ、おばあさん。わたしがさわってよかったの?」

 なぜそんなふうに言ったのかわからないけれど、気づいたときには口に出ていた。

「いいに決まってるじゃない。ねえ、あんたもそうでしょう?」

 おばあさんは妊婦さんのほうを見上げて言う。妊婦さんはうなずく。

「またね、ナナちゃん」

 わたしはおばあさんの表情を正面から見る。深いしわが何本もきざまれた愛らしくきれいな顔だ。おばあさんは笑顔だ。

「またね、おばあさん」

 妊婦さんがわたしに会釈をする。おばあさんは家族のひとびとに車椅子を押され去っていく。わたしはその背中を見送る。

 おばあさんがいなくなったあとのロビーは、ざわめきが大きくなったように感じられる。わたしはひとびとのあいだを縫って、エレベーターへむかう。もといたシアターに戻って、フィルムの片づけをしなければならないからだ。ふと、おばあさんは映画を見るのだなとあたりまえのことを思った。それならわたしも映画を見れば、もっとおばあさんのことがわかるんじゃあるまいか。その考えが、些細なわりにはずいぶんとおそろしく感じられる。


 *


 ふたたび、上層階の廊下。話し声がかすかに聞こえたのでわたしは立ち止まる。声が音響機器から出ていることはすぐにわかる。わたしたちのことばとはことなっていて意味がとれない、映画のことばだ。しかしこの階はめったに使われていないわけで、誰かが不注意で映写機をまわしっぱなしにしているのでもなきゃそんなことはおこらないはずだ。ふつうおこるミスだとは考えづらい。わたしはその音響機器があるシアターを注意深くつきとめ、もし本当に上映中だったら邪魔をしてはいけないから、しずかに扉をあける。

 客席は無人で正面からの白い光に照らされている。わたしはその光の出どころを見る。小さなスクリーンいっぱいに映画が映し出されている。モノクロームの映画だ。白い衣装に身をつつみ、口元に白い布をあてた女性たちが、屋外に並べられた無数のベッドのあいだを行き来している。ベッドの上にはひとびとが寝かされていて、白い布団をかぶっている。白黒の映像だというのに光の具合から晴天とわかる。午後のまだはやい時間で、十一月だろうか、すずしい季節だ。映像がアップにきりかわる。ベッドに寝かされているひとの、やせほそりくるしげな表情が映る。また映像がきりかわる。閑散とした町や、門をとざした建物。それらの映像に圧倒されつつも、わたしはいままでずっと字幕がながれていたことに気づき、読む。字幕を読みながら映像を見るということのむずかしさに気づく。映画を見ることに慣れれば、もっと器用に字幕が読めるのか。わたしはかろうじてこの映画が「スペインかぜ」をあつかっているものだと理解する。

 三分か四分、あるいは二十分くらいの時間がたち、映画が終わる。客席に照明がともる。わたしは中央あたりの席にすわっている。部屋が明るくなったことで、わたしは平衡感覚のずれを感じはじめる。ひとびとは映画が終わるたびにこんなふうに感じているのか。すぐには立てる気がしない。すわっていただけだというのに、つかれがある。左ななめうしろからくぐもった女の子の声によびかけられる。

「ナナって子だよね」

 わたしは気を失いそうなほどおどろく。天使がひとりすわっている。色白で、後ろ髪が襟にかかってしまっている。目も顔つきもまるい。たんに自己管理がなっていないというよりは、天使というもののありかたから外れているような印象を受ける。かれは奇形の果実のようだ。かれはことばをつぐ。

「これね、ニュース映画。十六ミリがつかわれてる。ほかにもいろいろある。倉庫にならんでるの、見た? ほんとうにおこったことを知らせるための映画なの」

 わたしはかれにおびえながらも、かれのことばをむしろかれ自身よりもおそろしく感じ、すこしでも不安に立ちむかおうとしてたずねる。

「ほんとうにおこったこと? それってどういう意味」

「スペインかぜは現実にあったこと。もちろん、ここではないどこかでだけど。映画にはほんとうにおこったことを撮ったものと、虚構を撮ったものがあるってのはわかる?」

 わたしは立ち上がりあとずさる。かれのことばの意味がわからない。

「あなた、だれ。どうしてここにいるの?」

「えっと、わたし、タタ。ここにいるのはこの映画を見るため。十六ミリの映写機はこの階にしかないから。あの、わたしも質問、いい?」

 わたしはこたえずに、タタと名乗る天使の目を見る。原色のペンキで塗ったぶどうがあるとしたら、きっとかれに似ている。こんなふうにくるっている天使が、どうしてこうもすこやかに見えるのだろう。沈黙を、どういうわけか、タタは承認の意味に解釈する。

「それじゃ、聞きたいことってのは、そのね、ナナ、いや、ナナさんかな、も映画がすきなのかってこと」

「すきもなにも、わたしは天使で、ひとじゃない。だからすきなんてない。タタって言った? あなた、自分のことをひとだと思ってるの?」

 タタは声をあげてわらった。そんな反応を予期していなかったから、わたしは茫然としてしまう。

「ひとだったらこんなことできない。せめて映画館の幽霊かって聞くのがふつう。それを、ひとだなんて」

 タタはひとしきりわらってから、ぜんまいが止まってしまったみたいにうごかなくなる。そうか、そうかとつぶやく。

「いまここに、わたし以外にも映画を見る天使がいる。そんなこと、考えなかった」

 わたしは逃げ出さずにタタを見ている自分に気づく。なぜそんなふうにしているのかと言えば、ぶどうのようなタタが、天使ではないみたいで、目を離せないところがあって、見とれてしまっているからなのか。ね、ナナさんとタタが言う。

「このこと、秘密ね。わたし司天使が苦手で」

「チケットはあるの?」

 あなた、この映画を見るためのチケットはもっているの? わたしはそうたずねる。チケットなしで映画を見ることは重大な不正だ。掃除当番をさぼったり余計に休憩時間をとったりするのとはわけがちがう。だってそれは、映画館の秩序をないがしろにする行為なのだから。いくらわたしがほんとうのところ不真面目だからって、仮にも司天使候補がこれを見逃すと思っているなら大間違いだ。タタはうつむく。

「天使にチケットは届かない。当たり前」

「それならどうしてここで映画を見ているの?」

 だめなことじゃないと思う。タタはそう答えた。

「映画っていいものでしょ。ここじゃないどこかや、いまじゃないいつかがあるってこと、映画がなかったら考えもしない。だから、秘密にしようよ?」

 わたしは、それはできないとこたえる。タタは表情をゆがめる。それから、タタは大きな声で言う。タタの歯が見える。棒でうたれた子犬が、牙をむき、毛を逆立てる。タタはそんなふうに見える。

「あんただって、映画を見たじゃないか。それなのに、わたしだけ悪いことをしたみたいに言うのは、ずるい。わたしは、あんたがきらいだ」

 きらいで結構、わたしはそう吐きすてて立ち去ろうとする。うしろからタタが言う。

「どうして最後まで見たの? そうしないことだってできたでしょ」

 シアターを出た。白くはてしない廊下で、タタの最後のことばが何度もリフレインする。


 *


 おばあさんとのぼりのエレベーターに乗りながら、わたしは床の模様を見つめている。七月のあたまだ。前に来たときと比べおばあさんは薄着だ。これといって話すことがない。もちろんじきに生まれてくるひ孫の話ならいくらだってできるだろうけれど、この沈黙は不快ではない。外がこう暑くなってくると屋上でなまけるのは快適でなく、屋根があるところのほうがかえってくつろげる。それはきっと町のひとびとにとってもおなじことで、この季節の映画館は映画を見にくるところというより、すずみにくるところだ。わたしはそういったやすらぎをさまたげたくない。

 エレベーターの扉があき、白く長い廊下がわたしたちの前にあらわれる。わたしは車椅子をおす。すがたは見えないけれど、ちかくからタタッタッタタタ、タッタタッタタと足音が聞こえてくる。わたしはおばあさんに話しかける。

「この音、タタだよ。前に話した子」

 おばあさんは耳をすましてタタの足音を聞こうとする。

「だめね。すっかり耳も遠くなっちゃって」

 あのとき以来いまにいたるまで、わたしはタタのことを告発できずにいる。わたしは自分がそれほど臆病だとは考えもしなかった。しかし実際おそろしいのだ。わたしは映画を最後まで見た。それはわたしの意志だったはずだ。そのことがこわくて、わたしは告発ができない。おばあさんにはタタのことを話した。もちろん肝心なところははぶいて。タタと名乗るあの天使はそのあと何度か話しかけようとしてきたけれど、わたしはそのたびに無視した。しかしそのうちに、返事をしてやってもいいんじゃないかというきもちになってしまう。わたしはそのことがいやだ。わたしがタタについて知ったことは、技天使であるということ、昔からいる天使だけど親しい子はいないということ、それだけ。

 わたしはいつどこからタタがあらわれてもいいように、周囲に注意をはらう。おばあさんがことばをつづける。

「わたしにも、むかし、そういう仲の子がいたわ。いたずらっ子でね、大人の言うことなんて聞きやしないの。家の馬を勝手に乗りまわして、どうしたと思う?」

 おばあさんはわたしとタタの関係を誤解している。でもそれはしかたがない。わたしが話をぼかしたんだから。

「辺境のほうへ行ったとか? 離巣リスに会いに」

 離巣に会うために辺境へ行った天使を知っている。わたしはその子がすきだ。

「そう。そのくらいの歳の子って不思議と離巣にあこがれるのね。四日は帰らなかったわ。二つめの川をわたって、三つめの川をめざしたけど怖くなって引き返してきたんですって。もう何十年前の話かしら」

「そのひと、いまなにをしているの」

「死んじゃったわ。十三のときに、事故で」

 そう、とわたしはこたえる。

「わたし、あの子にあこがれてたんだと思うの。わたしって長女だから、家のことであれこれ期待されていたのね。でもほんのこどもだったのよ。やりたいことをやりたいようにやってみたかった」

 わたしは、不快に感じたというのではないのだけれど、そんなんじゃないと、おばあさんにつよく言いたくなる。ちがう。おばあさんがその子をうらやましく思った、そのことを否定しようというのではない。しかし、わたしがタタに感じているものと、おばあさんがかつてその子に感じたものとが似ているなどというのは、ちがう。そう思いたい。ねえ、ナナちゃん? 車椅子のなかのおばあさんがそう言うのと同時に、「ナナ」、わたしのうしろでもう一つの声がわたしをよぶ。

 タタが、わたしたちのうしろ十メートルくらいのところに突っ立っている。タタはやたら大きなフィルム缶を、両腕をせいいっぱい広げてやっとといった体でかかえている。おばあさんのための上映しかないこの階でそれをかかえているということはあきらかに私用だ。そのことをかくそうともしない態度を見せつけられて、わたしは表情がゆがむ。あら、タタちゃん? とおばあさんがわたしのほうをむいて言う。タタはわたしたちのほうへあゆみよる。わたしはタタの背がわたしより低いことに気づく。タタはわたしの目を見て言う。

「その仕事が終わったら、すぐシアターW‐2に来て。やるなら今日、ほかの機会はない」

「やるって、なにを?」

 わたしはたずねる。たずねなくたってわかっているのに。

「この映画を、シアターW‐2で——

「やめて」

 わたしは叫んでいた。叫ぶつもりなんてなかったのに大きな声が出ていた。タタは表情を変えない。わたしは、わたしたちが映画を見るなんて話をおばあさんに聞かれたくなかった。おばあさんの前でこんなすがたをさらしたことが、いやだ。

 おばあさんがタタに話しかけていた。

「ね、あなたがタタちゃんでしょ」

 タタはそれを予期しなかったようで、たじろぐ。わたしは、いま、息が止まる。おばあさんはかまわずつづける。

「わたしね、ナナちゃんのおともだちなの。もしかすると、ナナちゃんからわたしのこと聞いてるかしら?」

 タタは動揺しながら小さくいいえと言う。

「あら、ナナちゃんったら薄情ね。わたしたちの仲がいいってこと、もっと宣伝しなきゃ。ね、タタちゃん。ナナちゃんはね、わたしのすんごくだいじなおともだちなの。だから、タタちゃんもナナちゃんのことだいじにしてあげて」

 タタはおばあさんが早口でまくしたてるのに圧倒され、あやふやに肯定の返事をして、退散していく。

 その日おばあさんが見た映画は一時間半程度あった。上映が終わろうというころに映写室の小窓からスクリーンをのぞきこむと、崩れかけた門の下で二人のひとが赤ん坊をあやしていた。上映が終わり、客席へおばあさんを迎えに行く。おばあさんはスクリーンを、まだそこになにかが映っているかのようにながめている。わたしの気配をみとめて、おつかれさまとねぎらいのことばをかけてくる。わたしは車椅子のハンドルをにぎる。

 くだりのエレベーターに乗り込もうというところで、わたしはおばあさんに言う。

「どうして、タタにあんなふうに声をかけたの」

 あなた、すごくこわい顔をしてたのよとおばあさんがこたえる。おばあさんになぜわたしの表情がわかるのか、そんなことはいまさら聞くまい。

「きっと、あなたタタちゃんに思うところがあるのね。いますぐにでもよくないことになりそうで、わたしそわそわしたわ。だから、わたし、ナイスプレーだったでしょ?」

 ナイスプレー。わたしは素直にそうみとめる。エレベーターがくだりはじめ、からだが一瞬かるくなる。わたしはおばあさんにたずねる。おばあさんにたずねるようなことじゃないけれど、おばあさんのことばがほしい。

「タタはわたしにどうしてほしいのかな」

「タタちゃんは、なにかだいじなことをナナちゃんとしたいんでしょう。それなら行くのがいいと思うわ。すこしでも心をひらいてるのでなきゃ、あんなふうにさそったりしないもの」

「でも、タタは取り返しがつかないくらい悪いことをたくらんでるんじゃないかって、わたし、思う」

 そうね、とおばあさんが言う。

「ナナちゃんは、タタちゃんがこわい?」

 わたしはこたえにつまる。わたしがおそろしいのは、タタではなく、タタのさそいに乗ってしまおうかと思案している自分だ。そんなことはわかりきっている。ね、おばあさんとわたしは声をかける。

「わたしのいい子なところ、教えて」

「そうね。よくわらうところ、ひとのはなしを聞くところ、自分が思うことを言うところ——そうね、ナナちゃん、そこにおすわりなさい」

 おばあさんに言われて、わたしは車椅子の前でしゃがみこむ。エレベーターのなかはせまいから、わたしの顔のすぐ目の前におばあさんのひざがある。おばあさんはかがみこんでわたしの頭をなでる。わたしの髪は青い。なでながら、おばあさんが言う。

「子どもっていうのは、ときどき自分がいなくなってしまうんじゃないかって心配になるんでしょうね。子も、孫も、夜中に急にわたしにだきついてくることがよくあったわ。急にごめんなさいね。そんなことを思い出しちゃって」

 エレベーターがロビーにつく。フィルムの片づけをいそぐ必要は感じない。わたしはシアターW‐2に行くと決める。


 *


 シアターW‐2は映画館の二階にある。スクリーンの大きさは横三十メートル、縦十二メートルにおよび、客席数は七百。映画館最大のシアターだ。映画を見に来るひとびとは、まずロビーでチケットを提示し、赤じゅうたんのしかれた階段をのぼって二階にいたる。スクリーンW‐2での上映は毎回が盛大な儀式だ。そこではあらゆる現象が拡大して投影される。若者が、男が、子どもが、老人が、椅子が、窓が、女が、馬が、羊が、川が、家が、市庁舎が、鐘が、ライ麦畑が、轍が、パン屋が、牛が、机が、扉が、コップが、フォークが、剣が、犬が、人形が、銃が、猫が、鞭が、上着が、病が、サクランボが、コマドリが、車椅子が、草原が、ねずみが、霧が、たばこが、船が、アルコールが、どんぐりが、サイコロが、戦車が、塔が、自動車が、絵画が、ナイフが、雪原が、星が、森が、海が、火が、鷹が、ギターが、火山が、砂漠が、チェロが、ピアノが、はだかが、不安が、よろこびが、絶望が、恋が、死が、壁が、誕生が、幸福が、柵が、背中が、肌着が、収容所が、葬儀が、接吻が、寺院が、穴が、映し出される。それらはすべて映画のなかにあって、なんであれ、なにかを指し示す。映画のなかではすべてのものがすべてのものとのあいだに関係をもつ。もっとも、このときのわたしは、そのことをまだ知らない。


 *


 シアターW‐2はきょうにかぎり設備点検のため休みだ。ロビーからそこにいたる立派な階段は西側の中央、つまり映画館に入って正面に見える位置にある。いまはわたしのほか誰も階段にいない。ロビーを見下ろすと、白い床の上に赤いソファと観葉植物が置いてあって、まばらなひとびとがねむたげに立っていたりすわっていたりする。いつもとおなじようだけれど、こんなふうに気だるいのだから、いつもとはちがう。シアターW‐2は映画館にとって心臓というか、脳というか、人間ならそれなしでは生きられないたいせつな臓器のひとつだ。今日はその臓器がねむっている。

 タタは客席で待っていた。わたしが入ると、かれは入れ違いに出ていく。映写室にむかったのだろう。わたしは真ん中の席にすわろうとするが、七百も席があるなかでそこを目指すのは骨が折れる。だから、すみやはじというほどではない席を適当にえらんですわる。

 しばらく目をとじていたあいだに照明がおち、スクリーン上に映画館の紋章が映し出される。紋章がスクリーンから消え、映画がはじまるというところで、タタが入ってきてわたしのすぐとなりにすわる。わたしはささやき声で、映写室にだれかいるのとタタにたずねる。タタはおなじようにささやき声でこたえる。

「オーバーホールを終えたばかり。ただしく手入れしていれば、つきっきりにならなくたって平気。ここは全自動が入ってるし」

 わたしはシアターW‐2の映写機がどんなものか知らないけれど、映画館でいちばん立派なものであろうことは察しがつく。整備をまかされているとはいえ、備品をそんなふうにあつかおうと考える胆力にはおそれいる。タタはスクリーンを見つめている。もう話しかけても聞こえやしない。かれをまねて、わたしも映画に意識を向けることにする。

 映画はおおきな町をモノクロームで映し出す。たくさんのひとびとがひとりずつ映し出され、口をつぐんでだれかの声を聞いている。そういう映像が十分くらいつづいたところで、わたしはそれらの声が、口をつぐんでいるひとびと自身のものなのだと気づく。それらの声を聞き集める、黒服の男。映像は映画館のロビーに似た広く白い空間にきりかわる。そこには黒服の男の仲間たちがたくさんいる。わたしは彼らがほかのひとびとから見えていないことに気づく。妙だと思う。映像の視点がうごいていくのが、いやに心地いい。小さな象が映り、わたしは、なぜと説明することはできないのだけど、そのことがうれしい。女が映り、映像に色がつく。あの黒服の男が、天使とよばれる。これは字幕にそう書いてあるからわかる。と思ったら、また白黒の映像に戻ってしまう。そのあとのことは覚えていない。わたしは映像のなかにいたから。上映が終わってスクリーンが白い幕にもどったとき、わたしは帰ってきたと感じた。

 わたしがつかれきって椅子にもたれているあいだに、タタはもう立ち上がっている。長居はできないとタタが言う。わたしはそれに不満をおぼえて、かれを引き留めようと思った。そのくらいわたしは大胆になっていた。片づけておくから屋上にいてとタタが言う。


 *


 屋上はいままさに日が暮れたところだった。西のはてが橙色に燃えて昼の名残をかろうじて残している。じきにすべてが夜にのまれる。空の色はわたしたちの髪とおなじ。月はまだ見えない。風が足首をなでる。わたしは西側の柵にもたれて黒い川を見下ろす。タタが来る。わたしが言う。

「前に見た映画とはちがったね。なんていうのかな。見終わったときに納得する感じ。なにに納得したのかわからないけど、考えかたというか感じかた? が変わったような感じ」

「それはものがたりだよ」タタが言った。——それがある映画もある」

「ぜんぶの映画にあるわけじゃないんだ?」

「ぜんぶにあるわけじゃない。でも大部分にはある。とく三十五ミリならほとんどにある」

「あの映画もほんとうにおこったことってやつ?」

「ちがう」

「それじゃあの町も建物もうそなんだね」

「それはちがう。たぶん」

 たぶんと言うわりにはタタの口調は断定的だった。それってどういうこととたずねる。

「町や建物、それとあの壁なんかもおそらくほんとうにある。天使は虚構だろうけど」

「小さな象は?」

「わからない」

「でも、それは妙だな。天使ってわたしたちでしょ。わたしたちはここにたしかにいる。でもあの町や建物はない」

 タタは悩みこんでしまった。根拠のないことを言ったわけではないのだろうけど、いざ説明しようとするとむずかしいのかもしれない。かといってわたしはタタに助け舟を出すことができない。だってほんとうにわからないのだから。タタは一語一語たしかめるようにして言った。

「あの黒服たちは天使とよばれていたけれど、それはわたしたち天使とはちがう。なにか別のものなの。名前がおなじだけ」

「そんなことってあるの?」

「世界がちがえばそういうこともある」

「世界って?」

「それこそがつまり、映画がほんとうにおこったことか虚構かって話なんだけど、なんて言おう。話しているうちにわからなくなってきちゃった」

「なんにせよ、まあ、めんどうなことなのね」

 タタはうなずいた。それから言う。

「たくさん見るのがいいと思う。ものがたりとか虚構とかってものを知るのにはそれがいい。わたしもそうやって理解したから」

 わたしはそのことばになんの抵抗も感じなかった。だからこのときには、わたしはタタとこの不正を続けることをもう決めていたのだ。


 *


 カカが帰ってきたという知らせが耳に入ったのは、まだ朝九時のうちだ。わたしも、ほかの技天使たちも、手をつけたばかりの仕事をほうりだし我先にとロビーへむかうけれど、開館前だというのにカカを迎える町のひとびとで人だかりができていて、背伸びしてみたりひとびとの肩と肩のあいだをのぞいてみたりしても、カカがどこにいるのか、そもそももう映画館についているのか、わからない。そのうちに人だかりの前のほうからわっと歓声がおこる。

 遣天使というのは辺境へ行く天使で、天使の役職のなかでもっとも勇敢で、かっこよく、あこがれの的になるものだ。遣天使はひとたび映画館から旅立つと四年や五年は帰ってこない。川を千本もわたって辺境の奥深くへ入り込み、映画館を知らない離巣のひとびとにチケットを配ってまわる。いまの遣天使はカカという。長身で、天使のなかでもとくに整った顔立ち。言うまでもないけど、大人気。

 わたしは叫ぶ。

「通してください」

 人だかりを無理にかきわけて前へ出る。十数メートル先に背の高い天使が見える。カカだ。そのなつかしい顔が見える。かれがわたしに気づく。カカはわたしを見て、肩で大きく息を吸う。

「ナナ、元気してた?」

 カカが駆け寄ってきてわたしをつよくだきしめる。はずかしくて、ほこらしい。

 わたしとカカは屋上に上がった。太陽はまだ東にあって、山脈の尾根から顔を出しやっと調子が出てきたというところ。しかしこころなしかはだ寒い。夏がもう終わろうとしている。カカが言う。

「あいかわらずうるさかったな。元気そうで安心したよ」

 司天使のことだ。公衆の面前ではしゃぎすぎたからとわたしたちは司天使にたっぷりしぼられたところだった。

「あたしがいないあいだ、なにか変わったことはあった?」カカがたずねる。

「なにもないよ。司天使はあいかわらずあのとおりだし、おばあさんも元気。ひ孫ができるんだって」

「ああ、おばあさんの担当、まだつづいてるんだ。ナナは優秀だね。あたしにはできない仕事だ」

 カカはそう言うけれど、技天使時代のかれの仕事ぶりはわたしも数年のあいだだけ見ている。そのころから大人気だった。でもたしかに、おばあさんの担当ができるのはわたしだけかもしれない。天使はひとを相手にする業務が苦手な子がおおい。カカが言う。

「ナナは、つぎの司天使になるつもり?」

 わたしはそうだとこたえるつもりでいたのだけど、ことばがつまる。

「わかんなくなってきちゃった」

「そういうこともあるかな」

 そう言うと、カカは床の上に寝転んだ。わたしはその左にしゃがみこむ。カカが言う。

「遣天使になってみるつもりは?」

「遣天使はひとりだけだよ」

「そう。だからあたしのつぎに」

 いじわる、わたしがつぶやく。カカはなにも言わない。雲のかたちがもう夏じゃない。そのうちわたしも寝転ぶ。わたしとカカがふたりで寝転んでいる。

「ねえ、カカ。変わったこと、ひとつあるよ」

 わたしは空を見ながら、右手でなめらかな床をなでる。それがそのうちカカの手にあたることを期待しながら。

「タタっていう子と知り合った。技天使なんだけど、天使らしくない子でね。ずっと地下にいて備品の整備なんかをしてるらしいの。仲のいい子もいなかったみたい。それでね」

 わたしの右手がカカの左手にあたった。カカはわたしの手をにぎってくれた。

——タタっていう子は天使なのに映画を見るの。わたしもいっしょに見た」

 カカはなにも言わなかった。手をにぎる力のつよさでなにか伝えてくれると思ったけれど、それもなかった。

「ごめん。どうしてこんなこと言っちゃったのかな」

「あやまらなくていいよ。司天使になるつもりかわからなくなっちゃったのは、それが理由?」

 きっとそうだとこたえた。カカの手をつよくにぎった。

「映画を見たこと後悔してる?」

「ううん。そう思えない。そればかりか、そのあともなんどかタタと映画を見てるの」

 大胆な子だなあと言ってカカはわらった。明朗なわらいだった。

「映画、すきかい?」

「うん」

「タタがなにをするつもりでいるか知ってる?」

「知らない」

「それじゃ決まりだ」

 カカは身をおこした。わたしの手を引いて、わたしを立たせた。カカは地下へ行こうと言った。


 *


 映画館の地下には倉庫がある。倉庫にはあらゆるフィルム——通常の映画フィルムのみならず、副音声つきのフィルムや、字幕つきのもの、一部が切りとられたものや、完全版。あらゆる映画のあらゆるヴァージョン——が保管されている。最奥部にはまだ空きがある。湿度と温度はフィルム保管に適するよう厳格に調整されている。照明はどちらかといえば暗い。天使が作業している区画だけ明かりがつくしくみだ。白い移動棚がはてしなく並んでいて、ときどき遠くから、棚がうごく低く重い音と、警告音がきこえる。そういうばあいには、その音がするほうにほかの天使がいるものだ。

 わたしたちは棚のあいだのほそい通路を行く。銀色のレールをいくつもまたぎながら、これはなにかの比喩じゃないかしらと考える。倉庫は空気が乾燥しているから、はながいたくなり、のどがかわく。しかも寒い。そういうわけだから、足どりが自然とはやくなる。わたしはカカの背中についていく。ふつう立ち入ることのない奥のほうの区画だ。倉庫はどこもおなじ景色がつづくものだし、毎回棚の位置がことなっているから、自分のいる区画が自分にも永遠に見つけられないような気がして、こころぼそくなる。

 カカが足を止めたところは倉庫のほとんどさいはてだ。掘っ建て小屋があって白い明かりが漏れている。備品整備室という札がかかっている。

「ここってタタのとこ?」

 来るのははじめてかとカカに聞かれ、わたしはうなうずく。カカはもう戸を開けている。タタ、いるんだろとカカが言う。小屋のなかは外のように明るく、映写機やその部品がちらばっている。とにかくものが多い。知らないものばかりだ。工具、作業台。奥のほうからつなぎ姿のタタが顔を出す。

「カカ、帰ってたんだ」

「出迎えに来なかったのはきみだけだよ」

 そう、とタタがこたえる。

「ああ、そうだ。これ」

 どこにもっていたのだろう。カカが黒いケーブルの束を投げてわたす。タタがそれを受け取る。探しているものがあればいいんだけどとカカが言う。タタは一本ずつ端子の形を確かめていく。

「あるよ。あった」タタが言った。

「もうはじめてるの?」

「まあ、ぼちぼち」

 カカの質問にタタがこたえる。カカはそこらにあった椅子にかけている。背もたれのほうが前だ。わたしはこんなふうにガラのわるいカカを見たことがめったにない。わたしはタタに見つめられていることに気づいた。タタが言う。

「ナナは、どうしてここに?」

「あたしが連れてきた」カカが言った。——そろそろきみひとりってわけにはいかないだろ?」

「そんなことなら、わたし自分でたのむつもりでいた」

 タタは受け取ったケーブルをいじりながらこたえる。わたしは会話に入れてもらいたくてじれったく感じている。わからないことだらけだ。そういうわけだから、わたしは言う。

「ねえ、タタとカカって知り合いなの? その部品はなに? はじめるってなにを?」

「そうだなあ。どこから説明したらいいか」

 カカが頭をかきながら言う。椅子を前後にがたがたとゆらしている。

「あたしとタタはさ、映画を撮りたいんだ。映画を撮るってわかるかな。タタ、そこは説明してある?」

 タタが首をよこにふる。

「つまりさ、あたらしい映画を作るんだよ。そのためには機材と人手がいる。何回か前の遠征から、あたしは必要な部品を辺境でひろい集めてた。タタはそうやって手に入れた部品でここに眠ってるガラクタをなおして、カメラやらマイクやらを手に入れる。それで機材はおおむねそろった。こんどは人手が必要ってわけ。撮影助手兼役者さんがね」

 カカの話を聞きながら、タタがわたしのほうを見てうなずく。カカの言うことはただしいということらしい。わたしはまだ内容をのみこめていない。ただ、カカの言ったことを時間をかけて少しずつ理解していくうちに、悲しさといっしょにいかりに似た感情がこみあげてきてわたし自身びっくりした。それで二分か三分もたたないうちに、その感情にあらがうことがむずかしくなってくる。

「それじゃカカはそのことをずっとわたしにかくしてたの? 前に帰ってきたときも、その前に帰ってきたときも」

「うん」カカは答える。

「そうだよね。司天使候補にそんなこと明かせるわけないものね。ばからしくなってきちゃったな。わたし、カカといちばん仲がいいのは自分だと思ってたんだよ。それなのにタタとそんなに親しげだし」

 カカが困っているのが、まゆのうごきでわかる。そのせいでかえってわたしは自分のきもちにおぼれる。

「それで、わたしにその子との秘密に手を貸せって言うの? 信じらんない。わたしカカがそんな子だとは思わなかった」

 ごめんとカカがあやまる。それがあんまり素直だったから、わたしはわたしの感情をぶつける先がわからなくなる。それで、しっかり聞こえるように、ばかとだけつぶやいてみる。わたしは言う。

「映画を撮るってどういうこと? それは秘密を作ってまですること?」

「するに値すると思ってる」カカがこたえる。

「そりゃ、悪かったとは思ってるけど。あたしは技天使だったころ、よくタタとふたりで映画を見てたんだ。それでそのうち、なんだっけ、あの映画——

「ナナとはじめて見たやつだよ。いや、そっちじゃなくてシアターW‐2で見たやつ」タタが口をはさむ。

——なんにせよその最後のほうに映画を撮影する場面があるでしょ。それを見て映画は作れるんだって知ってさ、やってみようって話になったわけ。見るだけじゃなくて、自分たちで撮るんだよ。だれかが撮った映画を見ることにはあきあきしはじめていたしね」

 あの映画はカカが映画を撮ることを決めた作品だったんだ。そのことを知ると、わたしのきもちはまたわからなくなってくる。あさましいけれど、カカとおなじ経験をしたことがうれしい。ほんとうにごめんとカカがあらためてあやまる。タタが言う。

「カカからだけじゃなくて、わたしからもおねがい。いっしょに映画を撮ろう」

 わたしはなんてこたえればいいのかわからない。それを見てタタがつづける。

「まず三人で撮ろう。それができるのはいまだけ。カカはまたすぐ出発しちゃうから」

 わたしはカカといっしょに映画を撮るということを考える。わたしはそれをやってみたい。


 *


 いくつかの仕事を日がのぼらないうちに終わらせてしまうことで、すっからかんの午前を手に入れた。天使しか入らないバックヤードの、天使さえ使わない裏口から映画館の東へ出た。映画館の東は草原が広がっている。映画館の白い壁がそびえているだけ。わたしはこちら側に出たことがほとんどない。足元をバッタが跳ねている。カカのすがたが遠くに小さく見える。タタが機材をかかえ遅れてやってくる。かれはそれを手早く展開していく。三本足の支柱と、その上に載せる映写機に似た機械など。タタのすがたをみとめたのだろう。カカが駆けてもどってくる。カカがタタに言う。

「なにを撮るの?」

「景色と人物」

「つまりなんでもってこと?」

「ちがう。ほんとうに撮りたいのは屋外の光」

「光って撮れるものなんだ?」

「むしろ主役」

 わたしは朝露にぬれた草原に見とれている。みじかなところにこれほどの景色がありながら知らずにいたことを意外に思う。黒い山脈があまりにも高い。

 十分かそこら立ちつくしているあいだにタタの機材がうごきはじめていた。その機材のレンズは山脈のほうをむいている。それからタタは、レンズを空や虫のほうへむけた。わたしは機材が映写機と反対のはたらきをしていることを理解する。あのレンズはいわば、見ているのだ。タタはレンズを映画館の白い壁にむける。タタが言う。

「壁が明るすぎてふたつめの太陽みたい。影ができない」

「光を撮るのならそれでいいんじゃないの?」

 カカが言う。タタは山脈をゆびさす。山脈は黒い。

「映画館の光が届かないものなら、あんなふうに太陽をうしろに背負って陰になる。光を映すためには影がないと」

 タタはわたしとカカに壁の前に立つように言った。レンズがわたしたちを見る。それからタタは、カメラをはさんで壁の反対側に立つように言った。レンズがまたわたしたちを見つめる。わたしはタタのよこにおさない女の子がいることに気づく。カカもそのことに気づいた。わたしが声をかける。

「あなた、どうしてここにいるの?」

 それを聞いてやっとタタが女の子の存在に気づく。女の子は五つか六つくらいに見え、ふたつしばりで、身なりがいい。映画の中からぬけでてきたかのようだ。女の子がタタを見上げたずねる。

「光、撮れた?」

 タタは答えない。女の子はうしろで手を組み映画館の白い壁を見る。なるほどねとつぶやくのが聞えた。それから女の子は、じゃあねと言って映画館の北の側面へ回り込んでいった。

「不審がられたかな?」タタが言った。

「あたしたちのしてることがわかるひとなんて、いやしないさ」

 カカが言った。すこしさびしげな調子があった。


 *

 午後十一時ちょっとすぎに最後の上映が終わった。ロビーを出ていくひとびとを見送る。ロビーは白い床と白い壁が煌々と明るい。かれらは闇のなかへ出ていくことをおそろしく感じないのだろうかと考える。かれらは川の黒い水をはだしでわたる。おもての業務を終えた技天使たちがバックヤードへと帰っていく。わたしはその技天使たちのすがたの向こう、ソファの赤や観葉植物の緑にいろどられたところに朝の女の子がひとり突っ立っているのを見つけた。わたしはただならぬ気配を感じて声をかけた。ただの迷子であってくれと思った。女の子がこたえた。

「ちがう。待ってる」

「でも、もう閉館の時間で——

「そのあとの用事なの」

 それを聞いてわたしは追及することをやめた。閉館後の用事とはつまり、町のひとびとの代表が行政上のなにごとかを話しあいにやってきたということだ。それならこの子はそのうちのだれかの娘さんだろう。身なりがりっぱなのもそういうわけ。広いロビーにひとりでいることは不安にちがいないから、わたしはこの子のそばにいてあげることにする。女の子はその日見た映画の話をはじめる。女の子は歳のわりに口が達者だ。

——つまり、映画の中心はいくつかの種類がありえるってことなんだね。もの、ひと、場面、それと最後に画。この映画は最後をつよく感じる。画が中心なの。だってそうでしょ、子どもが紙幣に穴をあけてこっちをのぞく画、世界の真ん中になれるだけのつよさがある。ものがたりの筋を停滞させてああいう画をつっこむ映画が、わたしはすきだ」

「ものがたりのある映画だったんだね」

 わたしが言った。女の子がえっ、とつぶやいてよこにすわるわたしを見る。視点は女の子のほうがいくらか高い。女の子は赤いソファにすわり、わたしはそのよこで壁にもたれて三角ずわりしている。女の子が言う。

「そうだね。ものがたりがある。いい映画だ。映画がものがたりに従属していないんだから。それが映画にとってもものがたりにとっても幸福だよ」

「映画やものがたりが幸福を感じるの?」

「ただの修辞。ひとは調和を幸福に感じるから、それを映画やものがたりに押しつけた言いかたをしたってだけ。深い意味はない」

「そうだよね。びっくりしちゃった」

 そこで会話が途切れる。わたしはばかなことを言って失望させちゃったんじゃないかと不安になる。それで話題を変える。わたしは言う。

「朝にも会ったよね。うらで」

「そうだね。映画館の東で会った」

「なにをしてたの?」

「おもしろそうなことをしてる天使がいたから見物」

「おもしろかった?」

 わたしがそうたずねると、女の子は足をばたつかせる。女の子は言った。

「まだなんとも言えない」

 わたしはうなずく。女の子の意識はきょう見た映画にまた引かれていく。

「ただね、刺さらなかったんだな。あんなによくできた映画なのに。わたしはそれがくやしい。刺さらなかったっていうのは、なんていうかな。映画を見たときの気持ちの高ぶりや、自分になにか変化がおこったと思う錯覚、そういうものが不十分にしかおこらなかったり、まったくおこらなかったりするということ」

「そういうことがあるんだ」

「あるよ。しょっちゅう。といっても今回は映画にはなんら非がない。わたしのほうにこの映画を見る用意がなかったってだけ。こういう映画、つまり見せたいカットが先行していてそれらのよせ集めでできた映画は、見る側が必要な感性をもっていないとなにも残らない。そのぶん刺さったときの威力も大きいけど。不覚だな。こんなに素晴らしい映画があるというのに、わたしにはそれを楽しむ用意がない。しかし、そう考えると天使が映画を見るというのは大変だな。なんの用意もなしに臨まなきゃいけないんだから」

「天使は映画を見ないよ」

「ほんとう?」

 女の子がたずねた。いじわるそうに口角があがっている。ほほがこどもらしくやわらかく見える。女の子はソファから立ち上がり、自分から迎えにいくと言ってバックヤードのほうへ去っていった。わたしはそれを見届けて今日の業務を終えることにした。日付が変わるころだったと思う。


 *


 カカが発つという日が明日に迫っている。カカは二週間映画館にいたことになる。その滞在のあいだに、かれは報告をまとめ次の遠征の指令を受け取った。先の遠征の結果はいつもどおり。つまり離巣にチケットの受け取りを拒否され、人口や体制についての情報だけをもちかえった。次の指令もいつもどおり。離巣を調査し、さらにチケットを受け取らせよ。そういう話を、わたしはカカからでも司天使からでもなく技天使のあいだのうわさで知った。カカも司天使も秘密主義なのだ。

 夕方になってわたしとタタとカカは屋上に集まった。カカは西側の柵にもたれ、これから自分がむかう方角をながめている。カカが言う。

「あたしはここ——この世界とでもよぶべきものについて、ひとよりすこしくわしいんだ。なんといっても遣天使だからね。あるいてきた距離がちがう。それでこれは、そうやって気づいたことのひとつなんだけど」

 タタは柵のむこうへ腕を突き出す。タタの指の先に空と地面がまじわるところがある。

「映画とこことでは地平線の見えかたがちがうんだ。映画の地平線はもっとくっきりしてるし、到達できるところにある」

 そう言われて、わたしは地平線を見る。なんということはないいつもどおりの地平線だ。わたしは立っていて、おなじように立っているカカの目の高さのわずか下を地平線が通っている。あれが辺境だ。タタがふりかえってかがみ、視点の高さをわたしと合わせる。地平線の高さはカカの目の高さとおなじだ。

「いま、きみの視点の高さはざっと二〇一・五メートル。ほんらいの背より二百メートル高いけど、地平線の見えかたは変わらない。でもそれは映画のなかとはちがうんだ。映画なら視点が高くなるほど地平線は低く見える。なぜそんなことになると思う?」

 わたしは知恵のかぎりをつくしてこたえる。

「映画の地平線が虚構だから?」

 想定解じゃないなとカカが言った。かれはつづける。

「映画とこことでは地面のかたちがちがうんだ。映画の地面はわずかに湾曲してるけど、ここはちがう。ひたすらまったいら。些細なことに思うかもしれない。でもほんとうは大発見だ。映画が撮られた世界とここはことなる世界だということになる」

「映画が撮られた世界って、なに?」

「虚構である映画にはふたつの世界が関わる。それが撮られた世界とその映画のなかの世界だ。ここにある映画はみな、ひとつの特定の世界で撮られてる」

「わかんないよ」

 カカは、理論の話だから簡単じゃないさと言った。

「たいせつなことはつまり、映画が撮られた世界が別にあるってことなんだ。映画が撮られた世界は特別で、ほかの世界をしたがえている。でもここはその関係に組み込まれていない。ぷかぷかとうかんでいる」

「それならカカは、ここはどこだと思うの?」

「映画が撮られた世界に代わる世界だ。映画が撮られた世界は、たぶんすでに閉じてる。そのことは倉庫のコレクションがふえないことから明らか」

 わたしはただ、ふーんとだけ言ってカカのよこで柵にもたれた。どこから見ても変わらない、いつもどおりの地平線だ。草原がしだいに青くなっていき、いつのまにか空とまじってしまう。わたしは言う。

「それじゃ、あの壁や町や建物や象は映画が撮られた世界にあるんだ。にぎやかな世界なんだね。きっと。それならさ、川ってなんなのかな。あの川には映画に映ったものがなんでも流れてくるでしょ。あの川のずっと上流へ行けば映画が撮られた世界に着くの?」

 カカではなく、タタがこたえた。

「なんでもじゃないよ。生きていないものだけ。だから象はながれてこない」

「川は恣意的なんだ」カカが言った。

「前日に映画館で上映された作品に映ったものだけが流れてくる。生きているものは流れてこない。それと、ものが流れてくる川は映画館の手前のこの川だけじゃない。千本さきの川にも映画のものが流れ着いていることを、あたしはたしかめた。流れてくるものは映画館に近い川ほど魅力的で、離れるほど些細になっていく。川はきっと道具なんだ。ひとびとが映画館の近くに集まるよう仕向けてる。ところで、上映スケジュールを決めてるのは先生。この世界は先生のからだで、映画は先生の食事なんだ。食事、わかるでしょ? ひとがするやつ」

 食事は知っている。見たことはない。映画館は飲食禁止だ。

「だからね、この世界は先生が自身を維持するためにあるんだと思う」

 カカの結論は壮大だと感じる。カカの話しぶりはいきいきとしていて、こういうことを考えるのがすきなのだとわかる。カカが映画館にこもっていられないわけが理解できた気がした。

 高い足音がうしろからきこえた。司天使がいた。司天使の表情が西日に照らされている。司天使が言う。

「カカ、あなたって腹立たしいことを言うね」

 立ち聞きされていたのだと気づいた。それはいいことじゃない。司天使はつづける。

「そもそも天使が映画を見ることはみとめられていない。チケットがないんだから。自分たちがしてることの重大さがわかってるの?」

「わかってるとも」カカがこたえる。

「それと、あたしの考察が腹立たしかったとしてもあたしはその責任を負わないよ。きみがほんとうに腹立たしく思わなきゃいけないのは世界のほうだろ」

 わたしはカカと司天使がほとんどタメだといううわさを思い出す。司天使にこんな口を利けるのはカカだけだ。

「わたしには司天使という立場がある。そのことをわかってくれないと」

「立場と世界のありかたに関係なんてない」タタが口をはさむ。

 司天使はタタのほうを見る。それからためいきをつく。

「映画館のなかを知るのがあなたの担当で、映画館の外を知るのがカカの担当だっけ。この問題児ども。最近はじめたあれはなに? うらの草原に備品をもちだしてるんでしょ」

 タタがこたえる。

「あなたのすきな世界を傷つけることじゃない。放っておいてほしい」

「ばかなこと言わないで」司天使が声をあらげた。

「ナナを巻き込むのをやめて。この子はつぎの司天使にならなくちゃいけない。あなたたちといっしょにいていい子じゃないの」

 司天使はわたしのほうを見た。

「だから、ナナ。このふたりと関わるのをやめて。あなたは役目があって、映画館に必要なの。そのことをわかって」

 わたしは司天使のつまさきを見ていた。こたえることばがうかばなかった。


 *


 町のひとびとが肌をかくすころになった。カカはふたたび辺境へ旅立ち川を何本もわたったところにいる。映画館の白い建物は変らずそびえていて、天使やひとびとがせわしなく活動している。わたしもその一部だった。しずかな秋だった。いくつかのことがおこった。

 まず、おばあさんが亡くなった。おばあさんの息子さんと娘さんがわたしたちみたいに真っ白な服に身をつつんで知らせに来てくれた。ひ孫が生まれる前の日だったという。なぜ亡くなったのか聞くと、ふたりはただ歳のせいだとこたえた。覚悟をしていたから、悲しさは急にはおしよせてこなかった。おばあさんがひ孫さんと会えなかったということがこころ残りだ。

 それと、わたしは例の女の子と仲がよくなった。あのあとも女の子と会う機会はしばしばあった。いつも昼だった。わたしが女の子に求めたことはふたつあった。ひとつは、おばあさんの埋め合わせ。ひとと話さないといられない天使というのは妙だ。もうひとつは、女の子の膨大な知識。女の子は映画にくわしい。それはわたしのカカへのあこがれを満たしてくれるものだった。わたしもカカとおなじように、自分たちがいるここのことを知りたいと思った。女の子はいつも映画の話をしてくれる。それに、女の子のほうもわたしを気に入ってくれているらしいのだ。女の子はわたしと親しくする理由を、いまひとつ天使らしくないからだと言う。わたしにはその考えがわかる。あのときのタタという子のほうがわたしよりさらに天使らしくないと教えておいた。女の子はタタにも関心があると言った。

 それから、わたしは司天使が先生から啓示を受けるところにうっかり出くわしそうになった。おばあさんのために使っていた高層階のシアターを、わたしは春が来るまでのさぼり場として使う気でいた。その場所には思い入れがあり居心地がいいからだ。おばあさんが亡くなってから、そこはもはやだれにも用事のない階になったはずだった。それでわたしはすっかり油断してあの白い廊下を堂々とあるいていたのだけど、同じ階のほかのシアターから司天使が出てきてはちあわせした。わたしよりむしろ司天使のほうが動転していた。司天使に小言を言われた。その話をタタに聞かせた。するとタタは、司天使は先生から上映スケジュールの啓示を受けたところだったのだと言った。司天使がそういうふうにしてこっそりと上映スケジュールを受け取ることは、少なくない天使に知られているらしい。

 最後の話はちょっといいこと。女の子が話題にあげた映画が上映スケジュールに入った。冒頭に出てくる黒い石板が映画館と似ているらしい。二度も三度も見たくなる映画があって、これはそういう映画だと女の子は言っていた。上映スケジュールはチケット印刷の業務を手伝ったときに知った。ほかのどの映画でもなくこの映画のチケットが女の子の手元に届いていればうれしい。


 *


 わたしとタタは映画を撮ったり見たりした。タタが言ったように、見た映画の数がふえるにつれ、わたしは虚構やものがたりという概念の輪郭をつかみつつあった。一方でそれらを作るということになると、わたしもタタもそのために必要な素質がすっぽり欠けているかのようだった。そこでわたしは女の子に助言を求めることを提案したが、タタは首をたてにふらない。わたしはタタという子を理解しはじめていると感じた。タタは自分でやることがすきなのだ。だから映画も自分で撮る。

 だれもいない階のシアターに忍び入って、撮りためてきた映像を鑑賞する。そういうわけだからものがたりはない。映画館の屋上や草原、カカやわたし、それと虫や鳥が映っている。わたしはこの時間がずっとつづけばいいと思う。ふたりきりの上映会がわたしには心地いい。ただひとつ納得がいかないのは、わたしが映画を見たきっかけであるところのおばあさんがもういないということだ。それはだれかやなにかへの不満じゃなく、いわば世界への不満だ。わたしのそういう感情とは無関係に、タタは川をわたって町へ行くことを提案した。タタが撮りたいもののいくつかが町にあるからだ。


 *


 わたしたちが密航を決行したのは夜明け前。はだしで川をわたる。水がいたいほどに冷たい。走ればころんでしまいそうだから、わたしは足のうらで石のまるいかたちを感じながらゆっくりあるいた。星が見える。月はない。ふりかえると映画館の白い建物が闇のなかに見える。タタがわたしの先を行くのを、ただ気配だけで感じる。タタのいるほうから水しぶきの音がときどき聞こえる。

 町側の岸で朝を迎えた。映画館のへりが金色に輝きだすのと前後して、小さなものが北から流れてくるのが見えた。死体が流れてくるんじゃないかと思ってわたしは身構える。近づいてくるにつれて、それは船のかたちに似る。手が届くほどの距離になって黒い帽子だとわかった。ひろいあげてみるとぬれていたはずなのに乾いている。髪をかくすのに都合がいいからかぶっていこうとタタが言った。かぶってみるとむずがゆい。わたしの頭の上にはほんとうは何かがういていて、それと帽子とが重なっているような感じ。川上からステッキが流れてくる。わたしたちはそれを見送る。そのうちふたつめ、みっつめ、よっつめの帽子が流れてくる。映画には複数の帽子が映っていたというわけだ。わたしはそのうちのひとつをひろってタタにかぶせた。それらの帽子はひろったとは思えないほどにわたしたちに似合っていた。川にはまだいろいろのものが流れてくるにちがいなかったけれど、わたしたちはそこを離れた。町へつづく道を行く。道は刈り取られたあとのはたけにかこまれている。このときはじめてわたしはタタがかかえてきた撮影機材を知る。カメラと折りたたまれた三脚だけ。


 *


 あれだけ映画を見ておきながら、建物が集まった場所が町だとばかり思っていた。だからわたしは道や広場が町を作る要素だとは思ってもみなかった。ほんとうの町は入り組んでいる。道と建物、広場や馬、それらを集めてみても町にはならないと感じる。町が目を覚ましつつあるのを、通りを行くひとびとの数で感じる。建物のつくりは映画で見るそれとはことなっている。ほとんどの建物は土と藁をまぜて干したもので壁ができていて、屋根も藁だろう。りっぱな建物になると壁の外側に牛の皮や金属の板がかぶせてある。この金属の板が興味深く、あきらかに映画から流れてきたものだ。さまざまな機械から切り出してきたのであろう板が色彩のおおいパッチワークを作っている。わたしたちは路地に折れたり広場を突っ切ったりする。広い道はおなじかたちの石が敷き詰めてあって、レールが埋め込んである。そのレールの上を馬車が走り去る。荷台に積まれているものはこぶし大のくだものに見えた。タタにどこを目指すのかと聞くと、市場とこたえがかえってくる。市場がどこにあるのかたずねる。タタはここだと言う。わたしたちは町の中心にある大きな広場についたところ。ここにはなにもないでしょとわたしは言った。タタがこたえた。

「広場はなにもない場所じゃない。むしろ町の機能の中心」

 タタは邪魔にならない場所に陣取って三脚を立てる。往来のひとびとがタタに注意を向けるが、声をかけるひとはひとりもいない。わたしはつづけてたずねる。

「市場ってなに?」

「ものを売ったり買ったりするとこ」

「それがここなの?」

「いまからできる」

 わたしはレンズがむいているほうを見た。広場は円形だ。周囲をすべて建物に囲まれている。そのうち馬車が止まって荷下ろしをはじめた。藁を編んでできた敷物の上に荷がならべられ、御者がそのうしろにすわる。おなじことが二度、三度とおこる。十数分のうちに広場は無数の馬車とその荷に埋めつくされた。ひとびとが集まりはじめる。

「映画のなかみたいだ」わたしは言った。——ほんとうにあったんだ」

 わたしが感嘆するのをよそにタタはカメラを回している。カメラとおなじものを見ていることが不思議に感じられる。いまここが映画になるのなら、その映画を撮っているわたしたちはどこにいるのだろう。

 わたしは市場に集まるひとびとのなかにおばあさんの孫娘を見つけた。夫らしいひとに付き添われ、赤ん坊をだいている。お孫さんの顔つきはおばあさんに似ていると思う。おばあさんは見ることがかなわなかったあの赤ん坊も、いつかおばあさんに似るのだろうか。あのひとを撮ってとタタにたのむ。タタはカメラを向ける。タタが言う。

「ナナがあのなかをあるいてるところが撮りたい。いいかな」

「知り合いがいる。見つかっちゃうよ」

「そのときはそのとき」

 タタはそう言うけれど、いざそのときになったとして助けてくれるとは思えない。かれはきっとそのようすを撮影するだろう。わたしは逡巡したけれど、結局はいい画を撮りたいというきもちがまさる。群衆のなかへ踏み出す。

 市場にあるものはコップやフォーク、家具や、窓や扉といった家屋の部品。これらは川に流れ着いたものらしいが、映画のかたちを残しているものばかりではなく町のひとびとにとって都合がいいように加工されている。それから、それらをあわせた数よりずっと多くのたべもの。たべものがひとびとにとってとくべつ必要なのだとわかる。種類はさほど多くない。わたしにわかるものはいくつかの野菜。それと、これはなんだろう。来るときに見た馬車に載っていたものだ。そのときはくだものだと思ったけれど、ひげのような根が生えていてむしろ土の中からほりだしたかに見える。その場で立ち止まっていたので売り手のおじさんに声をかけられた。

「お嬢ちゃんのかっこう、きのうの映画のまね?」

 帽子のことを言っているのだと気づいた。町のひとびとにしてみればこれはきのうの映画にあったものだ。わたしはこたえる。

「まねってほどじゃないんです」

「いや、よくできてるよ。その白いシャツも。感激したからひとつあげる。すきな映画だったんだ」

 おじさんは売りもののたべものをひとつわたしにくれた。これはなにかとたずねるとおじさんは目をまるくする。

「ああ、お嬢さんどこかいい家の子だね。それじゃ馬鈴薯なんて知らないか」

「馬鈴薯?」

「そう。夏に植えて秋に収穫する。蒸して塩をかけて食べるといい」

 馬鈴薯は表面がざらついている。それをにぎる手に泥がつく。わたしは身をかがめて帽子を目深にかぶる。おばあさんのお孫さんがまさにわたしのいるところを通ろうとするからだ。不審がるおじさんになにも言わないでと目でつたえる。おじさんはわたしではなくお孫さんのほうを見る。おじさんの視線がわたしのうしろを横切っていく。

「あれは大ばあさんとこのねえちゃんか。お嬢さん、あの家となにかあったの?」

 わたしは首をよこにふる。

「あっても言えないか」おじさんがつぶやく。——大ばあさん、亡くなったんだってな」

「おばあさんを知ってるんです?」

「はたけの猫だって知ってるよ。あの権力ばあさんに悩まされたのはえらいひとばかりじゃない。おれみたいなしがない自営農だって自分の土地をまもるために衝突することがあったさ。とはいえ、あのひとも不幸だったからな」

「不幸って?」

「お嬢さんの歳じゃ知らないのも無理ない。大ばあさんの旦那ってのが横暴なひとでさ、散財はするしおめかけさんをかこうし飲んだくれだし、ろくでもないやつだったんだよ。それで旦那がそんなありさまだから、大ばあさんはこどもや孫をかばってずいぶんいじめられたみたいでね。あのころの大ばあさんはいまじゃ想像がつかないくらいしおらしかった。二十年前に旦那さんが死んでね、すると家の権限が大ばあさんに集中したんだ。それからあとはお嬢ちゃんも知ってるとおりの暴君。まあ身内にだけはやさしかったらしいが」

 わたしはうつむいておじさんのはなしを理解しようとつとめた。おじさんはきっとうそは言っていない。しかし受け入れがたい。映画を見ることでおばあさんがわかるんじゃないかって考えが、あさはかに感じられる。おばあさんが映画館の外で経験してきたこれは、なんとよぶべきものだろう。天使はこれを知らない。

 わたしが市場を離れたとき、タタはすでにどこかへ行っていた。しかたがないからひとりであるいて探すことにする。太陽がもう真南にある。あちこちをめぐっているうちに、ひときわおおきな建物の前に出た。黒い塀が高い。タタはその正面でカメラを回していた。わたしは声をかける。

「ひどいよ。勝手に行っちゃうなんて」

「ナナがここに来ることはわかってたから」

 わたしは建物を見上げる。この建物はどちらかといえば映画のなかのものに似ている。映画由来の建材がそれだけおおいのだろう。

「この建物はなに?」

 タタはいちどわたしのほうを見てから、撮影にもどった。タタは言う。

「おばあさんのお孫さんってひとを追ってきたわけじゃないの?」

 わたしはちがうとこたえる。

「ここがおばあさんの家だよ。この町でいちばんおおきい。ねえ、ちょっと庭をぬけていかない?」

「そんなことしていいの?」

「それがいちばんはやいはず」

 タタは手早く三脚をたたみ、開けっ放しになっている門に正面から入っていった。しかたなく感じてわたしはそれについていく。

 庭に植わっている木々は葉が真っ赤で、風がそよぐたびはだかにちかづく。あれはサクランボの木だとタタが言う。建物は近づいて見るとわずかに歪んでいて、それでいてなぜかあぶなげなく建っている。ひとが作ったものというのはそういうものなのだと思う。わたしたちは建物の側面を通りぬける。うらについてみると、通りからはわからなかった小さな建物がちらばっている。農具入れだったり馬小屋だったりするらしい。鶏がわたしたちのことなどつゆほども気にせずあしもとをあるいていく。そのうちにあのおおきな建物ははるか後ろ。わたしたちは郊外の農道に出ていた。あの黒い塀はこちら側にはなかった。わたしはタタになにを撮りに行くのか聞いた。タタがこたえる。

「辺境。ただ、その入口だけ」

 わたしたちが行く道は土のにおいがする。作業するひとびとが両側のはたけにちらちらと見える。ライ麦をまいているのだとタタが言う。タタだってはじめて見るのだろうに、町やひとびとのことにくわしい。そういったことを、わたしと知り合うより前からカカと話していたのだと思う。はたけのはてにつくまでに二十分か三十分はかかった。そこから先ははてしなく草原がつづき、空の色にちかづいていく。タタが三脚を組み立て撮影をはじめる。タタは言う。

「海って知ってる?」

 知っている。映画に出てくる途方もなく大きな池のことだ。タタはつづける。

「わたし、辺境が海なんだとばかり思ってた。だって、この景色はたしかに似てるでしょ。でもちがった。この青はただ光の減衰のせいなんだって。たどりつけやしない海。カカとこの世界のことを考えるようになって、ただひとつ絶望してしまったことがそれ。そうであるからこそ、わたしはこれを撮りたい。ナナはそういうのある?」

「あるよ」わたしは言った。——でも、どうやって撮っていいかわからないな。海みたいにかたちのあるものじゃないから。それに、わたしはそれの名前も知らない。きょうになってはじめてあると知ったものなの。町を町にするもので、おばあさんが映画の外で経験してきたもの。天使にはないもの」

「それがわたしたちにわかるの?」

「わかるよ。きっと」

 土を踏む足音が聞こえる。おさない姉弟がわたしたちのほうへ駆け寄ってきたところだ。姉は六つくらい、弟は二つか三つくらいに見える。姉はタタを見つめている。弟はその背中にかくれ、ときどき顔を出してようすをうかがっている。わたしは姉弟が来た方向にかたむいた小屋があることに気づいた。あのかたむきはきっとつよい風のせいだ。町から離れたあの小屋がこの姉弟の家なのだ。親はどこかでライ麦をまいているにちがいない。姉がどもりながらタタにたずねた。栄養のせいか、きれいとは言えない声だった。

「おねえちゃん、どこから来たの? なにしに来たの?」

「測量」

 タタがこたえた。どこから来たかについてはなにも言わなかった。測量ということばを、その女の子は知らないようだった。女の子はことばをつぐ。

「おかあさんいないよ。おねえちゃんたち、大ばあさんのとこのひとでしょ? 大ばあさんに言ってよ。これ以上おかあさんのこといじめないでって。いまよりはたらいたらおかあさんたおれちゃう」

 女の子はおびえもせずタタを見ている。タタはあいかわらず空と地面が一体になるところをカメラにおさめつづけている。タタが言う。

「大ばあさんってひとは死んだよ」

 風が立った。風は北からふきよせた。草原がなびくことでそのかたちがはっきりわかった。つよく吹くと感じたときにはもう、わたしは姉弟を、タタはカメラをそれぞれかばっていた。タタの帽子がふきとばされた。過ぎ去った風が空高くでタタの帽子をもてあそんでいる。天使だ。弟が叫んだ。タタの青い髪が突風の余韻の中でそよいでいる。姉の表情が日が差したみたいに明るくなる。

「天使さんだ。天使さん、なにしにきたの? わたし映画のチケットがほしい。お母さんと弟とおんなじやつ」

 意外だった。きょうは映画に失望することばかりだったからだ。わたしも帽子を脱いだ。タタが困惑した表情でわたしを見る。この子たちを撮ろう。わたしはタタに言った。わたしたちは日が暮れて姉弟の母がむかえにくるまでそこにいた。母親はとおまきにわたしたちを見ていて、姉弟はそちらへ駆けていった。姉弟が母親にだきつくのが見えた。わたしたちも帰るにいいころだった。

 夜の川を、人目につかないようずっと下流のほうで東へわたる。町はどうだったかとタタがたずねる。どうだったんだろう。わたしはおおくのものを見た。

「ものがたりってものがあるでしょ。わたしはいまそれが書ける気がする」

 わたしのこたえにタタはただうなずいた。


 *


 司天使が業務中の事故で破損した。寒さが底をむかえるころだ。破損は、混雑する休日に司天使がシアターW‐2へむかう階段から転落したことで生じた。ひとごみが興奮しすぎたためにおこった事故だった。事態に気づいた新入りから報告を受けわたしは最初の対応にあたった。司天使のからだを布でおおいかくしてバックヤードにはこんだ。司天使の意識が回復するのに数時間かかった。首から下のからだがまったくうごかないのだと司天使が言ったことで、事態のほんとうの深刻さが明らかになった。司天使は自分とわたしのふたりきりにしてくれと言った。わたしはしたがった。物置として使っているほこりっぽい部屋で、司天使はあおむけになって蛍光灯の白い光をぼうっと見つめている。司天使が言う。

「運がいいほうでね。この冬を越えれば百年目になるはずだったんです。わたしとカカ以外の同期はすっかりいなくなっちゃった」

「退屈しなかったんですか? 百年も仕事ばかりで」

 性に合ってたからねと司天使は言った。

「カカじゃないけど、百年もいるとわかっちゃうことがあるの。映画館は不変だと思ってるでしょ? それはうそですよ。規則も変わるし町との関わりかたも変わる。先生の映画の好みも変わっていく。そういう変化がさびしかったから、去りどきなのかもしれない」

 わたしは去りどきということばに納得がいかない。たしかに司天使はもはや天使のつとめをはたせないことが明白だ。だからって、あきらめがよすぎる。

「ナナ、わたしをついで司天使になるつもりはある?」

「ありません」

 わたしははっきりとこたえることができた。このこたえがここ数か月でわたしにおこった変化だった。わたしは司天使にむかないばかりか、司天使になるべきでない。なにもかも変わる。司天使がそうつぶやく。

「あなた、こないだチケットを操作したでしょ。親子でおなじ映画が見れるようにって」

 あの姉弟のことだ。住所から個人を特定してチケットをすりかえた。てつだいと称して担当の技天使の業務に干渉すれば造作もないことだった。技天使のなかで信頼されているからできた。

「重罪ですよ。罪は罰がともないます。ほんらいの規則では、はなそぎとかあしぎりとか、刑に処することができるんだけど、そんなことしたら業務効率がおちるし罰を与える側の心理的な抵抗もあるでしょ。だからわたしが司天使になってからはいちども実行したことがない。カカとタタがあんなことをはじめたことも、あなたがそれに同調することも、わたし自身そういう変化の原因のひとつになってたのかもね」

「後悔してますか?」

「去っていくんだから関係ありません。わたしはわたしがすきな映画館だけを経験して去ればいい」

「ちがいます」わたしは叫んでいた。——期待してほしいんです。わたしたちに。そういうのもありだねって言ってほしいんです。そうでなきゃ、わたしはほんのすこしでもあなたみたいになりたいと思ったことがある事実にどう納得すればいいんですか? そんなのは、いやです」

「わかってあげられなくてごめんね」

 つぎの司天使を任命しなければならないから出ていくようにと、司天使は言った。司天使が連れてくるよう命じたのは生真面目でどちらかと言えばあたらしい技天使だ。わたしは司天使が自壊したことをつぎの日になってほかの技天使たちといっしょに聞いた。司天使が自壊した場所はバックヤードのあの部屋だったらしい。この世界から去っていくのに蛍光灯の下という場所で納得できることが、わたしにはわからない。


 *


 業務のかたわらでわたしは映画の脚本を書くことをはじめた。司天使がいないという事実が、わたしのこころに残ったつつしみを最後の一滴まで乾かしつくした。天使が映画について考えることははしたないというきもちがまったくなくなってしまった。

 わたしは脚本を無数に書き散らした。最後まで書いたもののほうがむしろまれで、どんなに筆がのっていてもわずかに気に入らないところを感じたら放棄してしまった。映画館の幽霊のうわさがわたしの脚本のいい題材だった。幽霊というものはどうとでも書けるからいい。ものがたりが救済してくれることを信じて、わたしはおおくのほのぐらい感情をそれに投影した。

 そういう日々がつづいておだやかでない雰囲気をまとっていたときに、女の子に会った。場所はロビー。正午。女の子は司天使が代わったことを知っていた。わたしは仕事がうまくいっていないことを話した。仕事というのはむろん脚本のことだけれど、女の子にはただ仕事とだけ言った。女の子はいやにはきはきした調子で言った。

「あるある。わたしもそういうの経験したことある」

 女の子の経験というのがどんなものか、わたしは興味をもった。だって、女の子はなにかを経験しているにはあまりにおさない。わたしはたずねる。

「そういうとき、あなたはどうするの?」

 女の子は赤いソファの上で足をばたつかせた。それから滔々と喋りだした。オルゴールがおばけのいたずらで止まらなくなってしまったみたいに、いつまでも話しつづけた。わたしはどうすればいいのかわからなくなって、女の子の表情を見ていた。さまざまな表情がうかんだ。

——妥協もしたさ。そうでなきゃ回らないと思ったから。でも誤りだった。そのせいでわたしの駒はすっかりだめになった。ほんとうにおそろしいまでに腐りはてたよ。いつもの味を出せ? おれたちはつかれてる? ばか言うんじゃないよ。それならたった一本あれば十分じゃないか。でも実際はそうなってないんだ。おまえたち自身があたらしいものを求めてるから。それでいてなぜ身の程を知らないんだ。おまえたち凡人が天才をむしばんだんだ。くそっ。いや、わかってる。おまえたちもわたしの一部だ。だからおまえたちの声はわたしの声だ。でも、みとめられるかよ。それならわたしがわたしを腐らせたってのか。やめてくれ。わたしはただ、わたしにも世界がふくまれてるってことを証明したいだけなんだ。そうでなきゃ、わたしはただ——


 *


 季節が二回めぐった。あのときの馬鈴薯はすぐに映画館のうらに植えた。いちどめの春は白い花がさき、その花が思いもよらず可憐なことにおどろかされた。二回目の春は数がふえた。馬鈴薯は種からも芋からもふえるのだと知った。百年かければこの草原を見わたすかぎり馬鈴薯の花でうめることができるかもしれない。

 夏のさかりにカカが帰ってきた。二年という期間は予定よりずっとはやい。帰ってきたかれははげしく破損していた。ひだりあしのひざから下が欠け、どこかの川でひろった鉄パイプを杖にしている。その杖をにぎるゆびも何本か欠けている。泣きじゃくるタタを、かれはわたしの知らない冷めきった表情で見下ろしていた。考えれてみればこれは絶望の表情だった。絶望はきっと冷酷さにちかい。世界が自分から遠ざかっていく感覚、そういうものが絶望にはあると思う。

 それからしばらくはおそろしい日々だった。カカが技天使にもどって映画館での業務につくことを希望したのに、あたらしい司天使がそれを認めなかったからだ。カカは技天使たちに大人気だから、新司天使はとうぜん徹底的に非難された。新司天使はそれでも方針を変えなかった。わたしたちがカカとともにいることを考えていたとき、新司天使は映画館のことを考えていたのだ。百年超うごいてきた天使をおきつづけるくらいなら、まあたらしくてどこも欠けたところのない天使を導入する方が業務効率という点ではずっといい。天使の数には上限がある。新司天使はそのためにカカを見すてることができるほど生真面目だった。

 要求がとおらないまま日々がすぎていくうちに、カカはこころの調子をくずしていった。かれがそのあいだすごした場所は、倉庫のずっと奥にあるあの備品整備室だった。タタがカカにかかりっきりだった。カカのどなり声がしばしば倉庫中にひびいた。タタがぶたれることもあった。そのたびにカカはひどくしずんだ。

 そういう状況だから、わたしたちはわたしたちがカカのためにしてやれることをさがしていた。映画はそのうちのひとつだった。この二年間でわたしとタタが撮影してきた映画を上映すると決めた。まだ未完成だけれど、完成まで待っていてはその前にわたしたちの知るカカがいなくなってしまう気がした。シアターW‐2を使った。前回とちがって安全とは言えないけれど、もし新司天使に見つかったとしてもおしとおす覚悟がある。

 わたしが演じる少女が映画館の幽霊をはらうという筋の映画だ。撮影場所の制限があったから、ほとんど映画館のなかだけで進行する。幽霊はシーツをかぶっただけの簡単なもの。中身はカットによってわたしだったりタタだったりする。その程度のものであっても、映画館の白くて長い廊下に立たせると迫力があった。

 幽霊は神出鬼没で無数のいたずらをする。たとえば映画を上映している最中のスクリーンにあらわれてみせたりする。映写機の前に幽霊のかたちに切った紙をおくことで影絵で表現した。さすがにほんとうの上映中にそんなことをするわけにはいかなかったから、このカットで観客席にいるのは実はタタひとりだ。また、たとえばロビーのパタパタ式掲示板を勝手に書き換えたりする。映画の名前が表示されるはずのところを、むちゃくちゃな文字とおばけマークにしてしまうのだ。これだって本物を使うわけにはいかないから備品整備室でミニチュアを作って撮った。そのほかありとあらゆるいたずらを、思いつくかぎりのトリックを投入して撮った。

 ものがたりが後半にいたって、幽霊がもっと規模のおおきないたずらをしていることが発覚する。幽霊はおおむかしから映画館の外の世界をひとりじめしてかくしていたのだ。それを知って主人公はいかりにふるえる。あれこれあったすえに——このあれこれがまだ撮れていないのだが——幽霊は退治され映画館もきえる。映画館と幽霊は一体だったのだ。映画館がなくなった世界の景色は辺境の入口で撮ったあのはてしない草原だ。

 映画が終わったときタタが顔を真っ赤にして泣いていた。わたしにはその理由がわかった。この映画はあまりに出来がわるく、とてもじゃないがカカをなぐさめることができるものではなかったからだ。撮影技術が未熟そのもので、映画の世界に入り込むことを映画の側からこばんでいるかのごとくだった。脚本もまったく気に入らなかった。主人公のいかりに共感する方法がわからなかった。これではただ主人公が逆上しただけ。幽霊を退治して映画館がきえるという終わりかたも気に入らない。映画と映画館とをすててしまって、この世界はそのあとどうしていくのだろう。この映画はまるで映画から巣離れすることをすすめてるみたいじゃないか。そんな脚本になってしまったのは、脚本がわたしにとって手ごろなサンドバックだったからか。

 わたしはおそるおそるカカを見た。カカはさびしげな、でもおちついた表情をしている。わたしたちの失敗を受け入れてくれたのだと思った。ごめんね、ごめんねとタタが繰り返すのをカカがさえぎる。カカは言う。

「あやまらないでよ。あやまることなんてないだろ」

「でも、この映画は——

「わたしが帰ってくるのがはやすぎたんだ。五年かけるつもりの映画のまだ二年目だもの。完成しなくたって無理ない」

「ちがう」タタはつよく言った。——完成しなかったことじゃない。失敗したことを悔いてる」

「失敗だなんて、言わないでほしいな」

 カカがそう言って、シアターW‐2は静寂にかえる。この話をしているあいだ、カカがわたしたちの知っているもとのカカをとりもどしたことが、わたしには心地よかった。カカは言う。

「きみたちはこれからも映画を作れる。なにかを失敗だと言うにはまだはやい」

「きみたちってどういうこと? カカもいっしょじゃなきゃやだ」タタが言った。

「そうだね。なんて言おうか」

 カカは指の欠けた手を顔の正面にのばした。屋上で地平線をさしたときとおなじしぐさだ。

「永遠にやすんでいたいくらいにつかれてるんだ。ひとにはねむりってものがあるでしょ? あれがうらやましい。とうぶんのあいだ世界を遠ざけておきたい。そうしているうちに、あるときだれかがわたしを世界によびこむ。あたしを必要としてね。いまはただねむってそれを待ちたい」

 ああ、それからとカカはつけたした。

「離巣のひとびとをうらまないで。あたしがかれらをはずかしめたんだ。かれらと和解しなきゃならない」

 その夜、カカははじめてねむった。百と一年ではじめてのねむりだ。カカの最期は自壊というより自殺だったとわたしは思う。そんな解釈をしたくはないけれど。


 *


 映画館は変わった。世界とわたしの関係が変わったからだ。カカが帰ってくることのない映画館は白い檻だ。新司天使をひどく目ざわりに感じる。わたしは前の司天使にこんな感情をいだいたことがない。

 あたらしい脚本を書こうとして筆がすすまなかったから、いままで書き散らしてきたものをひろい読んだ。あらゆるところにカカがいた。知りたいという欲求、ことばやおこないのするどさ。どれもカカのものだ。

 語るべきことといえばただ、わたしとタタがどんな映画を見たかということだろう。わたしとタタは会う時間を作っては映画を見ていた。どの作品を見るかはわたしから提案することもあったけれど、ほとんどをタタが決めた。その習慣はカカが去る前からつづいていた。タタがえらぶ映画の傾向はかれのこころのありかたに影響された。別れを主題とした作品がちかごろは露骨におおくなりつつあった。その中の一本に、首のながい化物の話があった。化物がひとと交流するありきたりなものがたりだ。いい映画にはちがいなかったけれど、いまのわたしにはその映画のうそを受け入れるだけの余裕がなかった。自転車が飛ぶところなどもはや見ていられなかった。一方でタタはこの映画を気に入っていた。旧友であるだけわたしよりタタのほうがおちこんでいると思っていたから、このことは思いもよらなかった。

 業務中にまた女の子に会った。女の子は前回のことをすべて忘れているかのようにふるまった。たしかにそれだけの期間はあいていた。相手が町のひとだから、わたしは映画を見ていることをおもてだっては言わなかったけれど、最初に話したときからとうに見やぶられている。わたしは化物の映画の話をした。女の子はその映画を知っていた。女の子もまた、いい作品だと言う。いいね、見たくなったと女の子は言った。

 数日後にその映画が上映スケジュールに入った。この偶然は二回目だった。その映画が上映されるのは二十年ぶりだということを、後になってタタの話で知った。女の子と会ったのはそれっきりだった。




 ***




 十回の夏至。




 ***




 わたしとタタは数本の映画を完成させた。満足のいくものが撮れないまま十年がすぎた。わたしはそのことにいらだちを感じるけれど、タタは地道にやればいいと言ってあせるようすがない。そういう意味では、カカが帰ってこないということがわたしたちを時間から解放したのかもしれなかった。

 あらたな遣天使が任命されたということが映画館の変化だ。カカとは似ても似つかぬつまらないやつ。一方で、変わらないことは映画館の幽霊のうわさ。わたしはこの噂の正体が自分とタタだと知っている。それより前はカカとタタだった。じゃあ、その前は? わたしはそのことが気になって、幽霊のうわさをはじめて聞いたのがいつだったかタタにたずねた。タタはカカと知りあう前からこのうわさを知っているとこたえた。だからきっと、わたしとタタとカカ以外にも幽霊がいる。

 幽霊の正体についてあらたな説がおこった。人手不足のいそがしい日に、タタがめずらしくおもての仕事をしたのがきっかけだ。白く広いロビーにあるひとりがけの赤いソファに、身なりのいい女の子がいたのだという。女の子はタタを手で招いた。タタいわく、女の子は鼻につく映画ずき。しゃべりたがり。どう考えたってそれは、十年会っていないあの女の子とあまりに似ている。はじめて屋外で撮ったときの女の子を覚えているかとタタにたずねた。タタはそんなに昔のことは覚えていないとこたえる。もしそうなら、その子こそほんとうに映画館の幽霊だとタタは言った。


 *


 新遣天使が帰らないままその年の冬をこえた。新司天使に不安げなようすが見えたことがわたしには意外だった。なにかに愛着をもつような子じゃないと思っていたから。捜索を出そうという話になって、わたしが志願した。よい映画が撮れないのは映画館にこもっているせいじゃないかという思いがあったし、どのみち時間はあるのだ。寄り道をすることが長期的にはよくはたらく気がした。

 発つ前の晩にわたしはタタと屋上に来た。どちらから言い出したというわけでもないけれど、カカのときをまねていた。夜風が寒かった。西側の柵にもたれて座るわたしにタタがよりかかる。そんなことをされると思っていなかったからからだがこわばった。タタは表情を変えない。くしゃくしゃとした髪がわたしのほほにあたる。タタが聞いた。

「どのくらいで帰るの?」

「ながくて五年。いまの遣天使が遠征の目標地点で遭難しているばあいね」

「それなら帰ってくるまでにすくなくとも一本は撮れる」

 タタは体重をわたしにまかせた。

「またひとりだ」

「わたしがくわわるまではその期間のほうが長かったんでしょ?」

 そうだけどさ。タタはそうつぶやいてわたしの手をにぎった。わたしはタタのしたいようにさせておいた。長い時間、わたしたちはそこにとどまった。

 日がのぼるすこし前に映画館を出て川をわたった。なんどめかの町に来た。馬車のレールをまたぎ、閑散とした広場を抜け、おばあさんの家の前に来た。黒い塀がところどころくずれていた。その隙間から庭のようすがうかがえる。おばあさんのひ孫がかけまわっていやしないかと思ってしばらくそこにたたずんだ。サクランボの木々が葉をすべておとして立っているばかり。木々はすっかりはだかだ。もういちどこの庭をつっきっていこうという気にはなれなかったから、まわり道をして西の農道に出た。あのかたむいた小屋はなくなっていた。草原がはてしなくつづき、やがて青くなって空とまじる。


 *


 辺境は一日に一本ずつ川があった。といってもそれはねむったり休んだりする必要のない天使だからであって、ひとなら馬なしではむりだ。町のひとびとが残していったのだろうものを見かけることがあったのは三本目の川まで。理由は明白で、そのあたりから映画館の輪郭がほとんど見えなくなり、帰れるか不安になるのだ。東にはただ黒い山脈があるばかり。

 さらに十数本の川をわたった。川にながれついているものは代わり映えしない。というより、四本目の川からはそもそもながれついているものの名前がわからない。だからすべてがらくたと言うほかない。二度か三度月齢がめぐったころになってカカのきもちがわかりはじめた。こうもなにもないと自分の境界がわからなくなってくる。そうすると日のめぐりや地面や空のありかたが自分のことのように思えてくる。川は百本目になり、二百本目になる。

 季節が二度めぐった。夜おそくに川をわたったことでタタを思い出した。タタと町に出かけたとき、わたしは同じようにして川をわたった。タタの映画は進んでいるだろうかと思った。いま考えてみると、わたしぬきで撮るタタの映画がどんなものになるのかわたしにはまったく見当がつかない。最初の映画からずっと、わたしとタタはいっしょだった。




 ***




 あるいても、あるいても、なにもない。

 わたしがいるのはそういうところ。

 どこからか風はふいてくるのに。




 ***




 夏至のころに遣天使を見つけた。草原がもっともみずみずしいころで、昼だった。十センチくらいにのびた草の中でかれはよこたわっていた。遣天使はいちじるしく破損している。衣服がはぎとられ、首から上がもちさられている。わたしはそのはだをまじまじと見た。天使は見ためこそひとに似ているけれど、ほんとうのところまるでちがう。遣天使のからだにはあざのひとつもなく、かわりになんすじものひびが入っている。わたしは遣天使の白いかたをなでた。それに反応して痙攣するみたいに遣天使のからだがはねた。遣天使は自壊にいたっていない。わたしが来るまでずっと待っていたのだということを考える。それははてしない時間だったはずだ。遣天使の意地が気に入った。この子は前の司天使とはちがってあきらめがわるいし、きっとカカほどには思いつめるような子じゃない。

 遣天使を立たせたが、かれは自分で歩くことができそうになかった。三半規管をうしなったのがいけなかったのだろう。つぎの川でそりの材料を集めると決め、ひとまずかれを背負った。帰りにかかる時間は来るのにかかった時間より長いはずだ。きこえていないと知りながら、わたしは遣天使に声をかけた。東の方角を目指す。黒い山脈がそびえている。


 *


 日が暮れるころになって馬のいななく声を聞いた。数秒もしないうちに離巣のひとびとに取り囲まれた。離巣のひとびとは騎乗している。かれらのよそおいは映画に由来するもののわりあいが町のひとびとよりかえっておおい。ただ、それらがもともとなんだったのかということはまるでわからない。素材の不明なさまざまな小物で身をかざっている。離巣のひとびとは五人いて、五人ともがひげづらの男だった。そのうちの一騎がすすみでて言った。低い声だった。

「映画を撮ったことがあるか?」

「あります」

 わたしのこたえに男たちはざわついた。かれらはわたしの知らないことばでささやきあった。そのうち、ひとりがわたしを馬に乗せようとした。わたしが遣天使といっしょでなければいやだと言うと、ほかの男が遣天使を軽々とかたにかついでしまった。

 男たちは南へ向かった。ここまであるいてくるうちに、わたしは映画館からとおざかるほど南北の方向が意味をなさなくなることに気づいていた。東西の移動に比して南北の移動はちぢめられてしまうのだ。だからこそわたしはただ西にあるくだけで遣天使のところにたどりつけもした。しかし離巣の男たちはちがった。かれらが南へすすむにつれ山脈の見える角度が変わっていく。かれらはただ南へすすんだというよりはむしろ、わたしたちの知る川と映画館のある草原から離れていた。

 そのうち離巣の集落についた。この集落はわたしがあるいてきた草原のどんな場所からも見えなかった。もといた草原より草が青みがかっていて、かすかに霧が立っている。離巣の集落は地面にあけられたいくつかの穴と、その上に立つテントでできている。テントのひとつから老人が出てきた。その老人は見たことがないほどに老いていて、男か女かもわからなかった。わたしは馬を降ろされた。わたしを連れてきた男と老人が、わたしの知らないことばで話した。老人はわたしを手招きしてテントに入った。わたしはそれについていった。

 テントの中では火がたかれていた。入口のむかい側に老人がいる。わたしはその場ですわった。老人が言った。

「お前は、映画を撮ったというんだな」

 わたしはうなずいた。

「ならば、お前は離巣か?」

「ちがいます。映画館から来た技天使のナナです」

 わたしは必要以上に詳細にこたえた。こたえてみてから、この老人は町のひとびとではないのだから、映画館から来たと言ったところでたいせつにあつかってくれるわけがないと気づく。老人は言う。

「天使が映画を撮ったか。そうか。そういうこともあるのかもしれんな」

「あの子になにがあったんですか? それと、カカは——前の遣天使はどうしてあんなふうになって帰ってきたんですか?」

 老人が話をはじめるより先に、わたしはそのひとを問い詰めていた。老人は迷惑そうな顔をした。しかし、丁寧に話して聞かせるのが離巣の流儀なのだろう。わたしの態度とは反対におちつききったようすで老人は語りはじめた。


 *


 そもそもこの空と大地のあいだにあるものには、本来的なものと映画のものとがある。本来的なものはみな先生が作ったものだ。先生ははじめ二種類のひとびとを作った。ひとつは就巣ツクスのひとびとで、もうひとつが市祉シシのひとびとだ。就巣のひとびとには映画を見る役割が、市祉のひとびとには映画を作る役割がそれぞれわりあてられた。先生は市祉のひとびとのために手本となる映画と必要な機材と映画館を与えた。それから就巣のひとびとのために川を作った。就巣のひとびとはおろかだけれど、川があれば映画を見るだろうから。

 就巣のひとびとは婚姻の規則すら知らないほどおろかだったから、無節操に市祉とまじわり混血がすすんだ。そのせいで市祉の撮る映画は質がおち、先生が与えた映画を下手に撮りなおしたものばかりになった。

 先生はこのことにいかり、就巣のおさと市祉のおさを裁いた。就巣のおさはずるい老人だったから、裁きの場で、ことの責任は市祉のふしだらな女たちにあるとうそを言った。先生はこれを信じ、市祉を追放した。市祉のひとびとは離巣と名を変えて辺境のかなたにうつりすんだ。

 また、先生はおのれの意志に反することがないようひとの条件のいくつかを取りあげて天使を作り、映画館を与えた。天使は映画を撮らず、ただ先生の指示にしたがって就巣のひとびとに映画を見せるばかりだ。先生はこれに満足した。


 *


——これが離巣につたわるすべてだ」

 老人が言った。わたしにはその話が気に入らなかった。言い換えれば、世界のありかたが気に入らないということだ。老人はつづけた。

「追い出しておきながら、先生はわたしたちへの干渉をつづけた。映画館から遣天使というのを派遣してわたしたちを就巣に取り込もうとした。当然わたしたちはそれをこばんできた。数年おきに遣天使が来て、わたしたちはそれをあしらう。そういう形式的な関係がおおむかしから続いてきた。ところがその関係を終わらせるできごとがあった。お前がカカとよぶ遣天使がしたことだ。あいつは就巣のところへ来れば映画の撮影ができると言った。それはわたしたちとわたしたちの先祖に対する侮辱だ。わたしたちの立場をしめすためには、あいつを壊して見せしめにしなければならなかった。もはや使いものにならないように、とはいえ口が利ける程度にな。つらい仕事だった。なにせあの遣天使はわたしたちにとって古い友人だったから。だからすてる場所は映画館の近くにしてやった。つぎの遣天使は映画館で天使が映画を撮っていると言った。これは前にもましてひどい侮辱だった。だからわたしたちは前よりもはげしく壊してすてた。そしておまえが来た。おまえが映画を撮っているという天使なのか? もし、そうなら」

 老人の声がふるえた。

「わたしたちとともに映画を撮る気はないか? もしほんとうに天使が映画を撮っているのなら、それがどういうことなのか、わたしはずっと考えてきたんだ。おまえは先生を裏切った。そうだろう? それなら、わたしたちは仲間であるはずだ」

「ちがいます」わたしは言った。——ここに残ることはできない」

 老人はさっきの興奮がすっかりしずまってしまった。老人はたずねた。

「それならなぜ映画を撮る?」

「はじめは、あなたたちが就巣とよぶ町のひとびとのきもちが映画を撮ることでわかると思ったから。でもそのうち映画に閉じこもっているだけじゃ理解できるわけがないとさとった。町のひとびとはもっと複雑に生きてる。そのうちそういう目的と関係なしに映画を撮るようになった。いまは、映画を撮ることそれ自体が、町のひとびととおなじ複雑なありかただと思ってる。わたしは複雑なありかたをするために映画を撮ってる」

 気に入らんな。老人はそう言った。

「おまえは就巣になろうと言うのか。就巣は、わたしたちの先祖から映画を撮るちからをうばいさった連中だ」

「そうは思いません」

 決裂だ。老人はそうつぶやいた。わたしは男たちによってテントから引きずり出された。ひどくけられたり馬にふまれたりした。つぎに目を開けたとき、わたしはまた草原にいた。朝だった。


 *


 からだをおこそうとして、すぐに右腕がきかないことがわかった。衣服がやぶれていて腹や腰が見えた。大きなひびが入っている。どうにか四つんばいの姿勢になってみると視野の半分がなくなっていた。顔の右側がつぶれている。朝露にぬれた草の上に自分の目玉がころがっていた。

 遣天使はわたしのよこに寝かされていた。あいかわらずうごいてはいる。うごいているのなら連れ帰ってあげなければならないと思う。背負ってやると自分の胴が音を立て、ひびが胸まで大きくなった。だからわたしはこの方法をあきらめた。遣天使を小さくすることをえらんだ。かれがあばれるのをとりおさえ、両腕を背中のほうへ回してねじりとった。陶器がくだける音がした。断面ははだとおなじ色だ。一滴の血もながれない。それから、ねじりとった腕をたたきつけて腹をくだき胸から切り離した。胸だけになった遣天使は左腕一本でかかえていくことのできる小ささだ。

 わたしは東を目指す。黒い山脈がそびえている。あの方角に映画館がある。




 ***




 タタに離巣のことをつたえようと思った。

 カカになにがおこったのかということ。




 ***




 映画館にたどりついたのは冬のいちばん厳しいころだったと思う。なんど季節がめぐったのか、わたしは数えることをやめていた。司天使はわたしが発ったときとおなじあの生真面目な子だった。わたしが遣天使をひきわたすとかれは首をよこにふった。かれは言った。

「もううごいてない」

 映画館のバックヤードの蛍光灯の白い光の下で、わたしは遣天使を見た。司天使が言うとおり、かれはもううごいていなかった。いつ自壊したのかわからなかった。ずっと前なのかもしれなかった。わたしは、かれがそんな選択をするわけがないと信じていたのに。

 タタがむかえに来た。原色で塗りたくったぶどうのようなタタだ。


 *


 わたしとタタは映画を見た。場所は備品整備室のうら。わたしがいないあいだにタタはこの場所に上映設備をととのえていた。暗くてしずかな場所だから、そういう用途に向いている。上映されているのはタタがひとりで撮った映画。すべての画が印象的だ。光のために影が、影のために光が映る。新規に撮られた町のカットがいくつもある。撮影技術がずっと向上しているのがわかる。わたしの不在が、かえってタタのなかのわたしを際立たせる。ものがたりはなかったけれど、似たちからがあった。映画が終わった。タタが言った。

「先生に会ったよ。あの女の子」

「女の子がそう名乗ったの?」

「うん。それで、わたしにつぎの先生にならないかって」

 先生につぎがあるとは思わなかった。もしつぎの先生が必要だとして、それがタタである理由はまるで思いつかない。タタがつづける。

「先生は世界がいまのかたちであることに嫌気がさしたんだって。だから先生としての仕事はわたしにゆずってしまって、ほかのことをするって。ほかのことってなんなのか、わたしには見当がつかないけど」

 タタはどうするつもりなの? わたしはそう聞いた。タタはわたしの目を見て、それからわたしの手をにぎった。タタのくしゃくしゃした青い髪がわたしのほほにふれた。映画館を発つ前にもおなじことがあったのを思い出す。

「たずねてみたんだ。もし先生になったとして、いままでどおり映画が撮れるのかって。先生はいままでどおりにはいかないと言った。というのも、先生は世界を統合するものであって作るものじゃないからだって。それがどういうことかなんて知らないけどさ、映画が撮れないのなら先生になる理由はないよ」

 わたしはただうなずいた。タタの言うとおりだ。

「それでね、ナナ。ほかのだれでもなくわたしがえらばれたのは、先生にとっていちばんお気に入りの登場人物がわたしだからなんだって。でも、それはひどいよ。わたしはこの世界にうまくなじまなかった側のひとりだよ。世界をこんなふうにしたのは先生なのに」

 わたしはタタの話を聞きながら、先生がこの世界に嫌気がさしたということの意味を考えていた。それはきっと離巣のことだ。先生はいちどは追い出してしまった離巣をふたたびむかえいれようとしていた。なぜだろう。

「それと、これ見て」

 タタは映写機のうしろのがらくたのなかから一冊の帳簿を取り出した。

「先生のちからおためし。無理にわたされちゃった。これに書き込んだ映画が上映スケジュールに入るんだって」

 なにも変わったところのない、ふだんの業務で使うのに似た帳簿だ。わたしは苦笑するほかなかった。それを見てタタもおなじようにわらった。タタは言う。

「そうでしょ。こんなものなくたって、わたしたちは見たい映画を見てきた。でも先生は、いちどやってみれば病みつきになるはずだって。わたし気づいたんだ。先生は見せたがりなの。それも世界一やっかいな。先生ってのは案外、器が小さいんだね」

 わたしはタタのことばにうなずいた。先生というのはしょせんその程度の平凡な映画ずきだ。映画を見ることや撮ることの助言をもとめようと考えたことがばからしくなるほどに平凡だ。そういった点では先生にはなんら特別なところがない。ただ映画を見てきた時間が長いというだけ。

「タタ、わたしも話すことがある。カカのことなの」

 わたしの手をにぎるタタのちからが強くなった。わたしも強くにぎりかえした。タタはおびえているようだった。

「カカは言ってたよね。自分が離巣のひとびとをはずかしめたって。そのことの意味がわかった。カカはね、町へ来てわたしたちといっしょに映画を撮ろうって離巣のひとびとをさそったの。それがかれらの気に食わなかった。それで、あんなふうに」

「気に食わなかったって、どういうこと?」

 タタは言った。タタの表情がゆがむ。

「憶測だけどね、離巣のひとびとは自分たちが離巣でなくなってしまうことがおそろしかったんだと思う。カカの提案はそういう不安をあおるものだった」

 タタはうつむいてなにも言わない。わたしはタタの髪をなでた。

「お節介なやつ」

 タタはそうつぶやいて泣いた。そうしながら、しかし、わたしには言うことがあった。

「もういちど映画を撮ろう。タタが撮りためてきたものと、わたしのものがたりで」




 ***




 映画館の紋章。




 ***




 浅くはばの広い川が南へ流れている。その岸辺で人々が葬儀をしている。人々はくすんだ色をした素朴な服を着ている。初夏が近い頃だ。川の西には広い平野が広がっている。農地を挟んで一キロメートルほど離れたところに背の低い建物がちぢこまって集まっている。川の東に映画館がある。映画館はつやのない白い立方体の建物だ。映画館のさらに後方に山脈がある。

 映画館の屋上でふたりの天使が休息をとっている。彼らは映画館にあらわれるという幽霊の話をしている。一方の天使はふるまいがおちついていて、几帳面そうに見える。もう一方の天使は髪がちぢれていて、うごきがどこかせわしない。そのうちせわしないほうは立ち上がって去り、几帳面なほうは屋上に残り川を見わたす。川では葬儀が行われている。

 シアターのなかだ。せわしないほうの天使が映画を見ている。映画の音声は誰も知らないことばだ。

 夕方になってふたりがふたたび会う。場所は川の東岸。水面が光っている。ふたりのむこうに橙色の町が見える。几帳面なほうの天使が幽霊を見たことがあるかとたずねる。せわしないほうの天使がそんなものはいないと答える。几帳面なほうの天使は、それならば死んだらどこへ行くのかとたずねる。せわしないほうの天使は、何も言わず川下をゆびさす。

 白いシーツをかぶっただれかが映画館の暗い廊下に突っ立っている。

 昼だ。映画館の屋上でふたりの天使が休息をとっている。几帳面なほうの天使が、幽霊が出たんだってと興奮気味に話す。せわしないほうの天使はこたえない。ふたりはしばらく東の山脈を見ている。せわしないほうの天使が、あの山脈のむこうにはなにがあるんだろうと言う。

 黄色い電球に照らされた部屋でふたりの天使が食事をとっている。几帳面なほうの天使が、明日町へ行こうと言う。

 町だ。せまい路地が入り組んでいる。ひとびとが行き来している。小さな子どもたちが寄ってきては去っていく。几帳面なほうの天使が帽子を手にして立っている。馬車のレールの内側に水が溜まって空を映している。せわしないほうの天使がそれだけでいいのかとたずねる。几帳面なほうの天使は、ひとりじめはできないとこたえる。

 映画館の廊下だ。白いシーツをかぶっただれかが突っ立っている。白いシーツをかぶっただれかは例の帽子をかぶっている。せわしないほうの天使がその前を横切る。天使は白いシーツをかぶっただれかに気づくが、おどろくことも声をかけることもない。

 几帳面なほうの天使が映画館のうらで洗濯をしている。見わたすかぎり馬鈴薯の花がさいている。せわしないほうの天使が、いっしょに見たい映画があると声をかける。几帳面なほうの天使は、こたえず、洗濯物に落ちないしみがあると言う。洗濯物はあの白いシーツだ。せわしないほうの天使は、すててしまえばいいと言う。

 せわしないほうの天使がひとりで映画を見ている。映画の音声はだれも知らないことばだ。映画が終わり近くなってから几帳面なほうの天使が入ってくる。几帳面なほうの天使は、この場所を去りたいと言う。せわしないほうの天使は、どこへ行くのかとたずねる。几帳面なほうの天使は、辺境か山脈かどちらかと答える。せわしないほうの天使は、それなら山脈がいいだろうと言う。

 せわしないほうの天使がひとりで朝食をとっている。朝食はふかした芋だ。几帳面なほうの天使はすでに出発している。夜になって、せわしないほうの天使は、白いシーツをかぶっただれかを廊下で見かける。天使は安堵の表情を浮かべて、そのだれかのシーツをはがす。シーツの下にはだれもいない。天使は途方に暮れる。

 稜線のむこうが明るくなり、映画館が朝日を受けて白く輝く。

 せわしないほうの天使は川をわたった。ぬれるのをいとわず、川底からひとつ石をひろった。町をぬけて農道に出た。道の両側でライ麦が穂をつけている。そのうちはたけが終わる。草原がはてしなくつづき、しだいに青くなって空とまじる。その草原のなかに石がつんである場所がある。天使はひろってきた石をそこにくわえた。

 まるでピントがあっていないこれは、天使の記憶だ。場所は映画館の地下で、几帳面な天使ともせわしない天使ともちがう、とある天使の精悍な横顔。うしろに山脈と太陽を背負い、すっかり影になってしまっている天使のすがた。

 雷雨の日だ。山脈にむかった天使がずぶぬれになって映画館に帰ってくる。山脈にむかったあの几帳面な天使は、映画館に残ったせわしない天使の手をつかむ。せわしない天使は、幽霊に会えたのかとたずねる。几帳面な天使は首をよこにふり、それからせわしない天使を連れだす。

 映画館にはだれもいない。屋上からは山脈が東に見える。




 ***




 シアターW‐2、その中央の客席。映画が終わったところ。わたしとタタがならんですわっている。そのまわりに一般の観客がいる。観客たちが退出していき、わたしとタタ、それと先生だけが残る。先生は最後に会ったときとおなじ、おさない女の子のすがたのまま。先生が言う。

「きらいじゃないんだけどね。というより、むしろすきだ。でもほとんどの客は混乱したんじゃない?」

 それを聞いてタタが不機嫌そうな顔をする。先生はかまわずつづける。

「問題は手掛かりが少なすぎるってことだ。解釈というより自己の経験を投影して見るほかない。そのくせ正解があるというのが気に入らない。まあまあ、そうかっかするなよ。それよりどうだい。自分の映画を大勢に見てもらう経験、きもちよかったんじゃないか?」

 タタはすこし考えてからうなずいた。わたしもおなじ意見だった。映画が完成する瞬間は上映されるときだと気づいたから。

「わたしをつぐつもり、ある?」

「ナナと共同でいいのなら」

 わたしはタタのそのことばを予期しなかった。ただことわるものとだけ思っていた。先生は首をよこにふった。

「残念だけどふたりは無理だ。一こそがわたしの性質だから。それにしても、なぜわたしがうまくやれなかったのか、わかっちゃったな。よくもそんなふうにこたえることができる」

 先生は立ちあがった。立ちあがって、ばんざいをしながら背中をのばす。そのふるまいは見ためどおりのおさないこどもだ。先生が言う。

「あーあ、ばからしくなっちゃった。わたしやっぱり先生をやめるよ。そこはゆらがない。でも、後継者さがしはもうしない。ここのことはきみたちにすっかりまかせる。専制だろうが共和政だろうがアナーキズムだろうが、あるいはアートだろうがエンタメだろうが、すきにすればいい。きみたちの自由だ。すべてもっていけばいい。映画とおなじように」

 先生は去っていこうとする。わたしの手をタタがにぎっている。わたしは先生に言う。

「それなら、あなたは」

 先生がふりかえる。にくいことにこどもらしく愛らしい顔だ。

「あなたはどうするんですか。先生をやめて、映画館を去って、そしてどうするんですか?」

「離巣のところへ行くよ。これまでが臆病すぎた。わたしが自分で話をつけてくる」

 先生はシアターW‐2を去った。これから先、先生と会うことはありそうになかった。わたしはタタの手をにぎりかえした。それから、長い時間、わたしたちはそこにふたりきりでいた。




 ***








 ***




 浅くはばの広い川が南へ流れている。初夏が近い頃だ。川の西には広い平野が広がっている。農地を挟んで一キロメートルほど離れたところに背の低い建物がちぢこまって集まっている。川の東に映画館がある。映画館はつやのない白い立方体の建物だ。映画館のさらに後方に山脈がある。

 北から——川の上流から——ふたつの白いからだがながれてくる。それらは少女のかたちをしていて、光輪も翼もないけれど、天使に似ている。

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