悪人になりたかった娘
ひゐ(宵々屋)
悪人になりたかった娘
大きな湖の中央に浮かぶ小さな島。そこに、小さな国がありました。
その国のとある一族に、たいそう美しい娘がいました。人々にだけではなく、動物や草木にも優しい彼女は、国の皆に、国の全てに、愛されていました。
そんな素晴らしい娘だったからでしょうか。神様も、彼女を愛してしまったのか。それとも愛したのは悪魔の方か。
彼女は重い病気にかかってしまいました。
不治の病です。小さな国には優れた医師がいましたが、どうしようもありませんでした。
そこで小さな国の人々は、国の外から医者を呼ぶことにしました。
それは、どんな病をも治せると言われた青年。
天使から医術を教えてもらったんだと噂される医師。
小さな国の人々は、普段は国の外とほとんどやりとりをしませんでしたが、国の外に手紙を出しました。
『かつて不治の病と言われたものも、治したと聞きました。私達の愛する令嬢を救えるのは、きっとあなたしかいません』
返事がありました。
『私にしかできないというのなら、行きましょう』
医師の青年が、小舟に乗ってやってきたのは、数日後のことでした。
病気の娘の部屋に通されます。ベッドに横たわっていたのは、病によりひどく弱っているものの、衰えない美しさを保った若い令嬢でした。医師を見れば「こんにちは」と、弱っているにもかかわらず微笑みます。
そうして診察が始まってしばらくして、医師は、娘と、部屋にいたその両親に言いました。
「彼女の病気は、残念ですが、治りません。運命でないのなら、私には治せました。けれどもこれは運命です。私にできるのは……その時まで、苦しくないようにすることだけです」
両親は大泣きしました。屋敷の外で診断を待っていた人々も、二人の号泣を聞いて全てを察し、泣きわめきます。小さな国の人々は、美しい宝を失おうとしていました。
ところが、病気である娘本人は、泣かなかったのです。
「お医者様、どうか、二人でお話はできませんか?」
か細い声で彼女が頼めば、医師の青年は頷き、両親は部屋から出て行きます。
優しい日の光が射し込む部屋。ベッドからなんとか起き上がった令嬢は、医師に言いました。
「お医者様。私が病で死ぬのが運命だというのなら、私はそれを、喜んで受け入れましょう。運命なのですから」
不思議なことに、彼女はひどく落ち着いていて、どこかほっとしたような様子もありました。
「――運命、なのです。お医者様、もし、お医者様がそうであると言い切るのなら、一つ、お願い事をしたいのです」
「できる限りのことはするつもりだよ」
彼女は運命に抗おうとしているのでしょうか。医師の青年はそんなことを考えましたが、違いました。
「この国の外に戻ったのなら、どうか私のことを、悪く言ってほしいのです。私は……地獄に行きたいのです」
彼女はか細い声でも、歌うように語りました。かつてこの国には、人を殺しても何とも思わない極悪人がいたこと。けれども彼もこの国の人間であり、自分を愛してくれる人々の一人であったこと。そんな彼と、実は恋仲にあったこと。何度もやめるよう言ったものの、結局はやめられず、ついに彼は捕まり処刑されたこと――。
「間違いなく、あの方は地獄に向かわれたでしょう。だから私も、地獄に行きたいのです。あの方に会うために。けれども……自分で言うのも少しおかしな話ですが、おそらく私は、地獄には行けません。天使様が許さないでしょうですし、悪魔も断るでしょう」
令嬢は寂しげに笑いました。次には、気丈な顔になります。
「そこで私は、考えたのです。この病が運命だとして、外からあなたがやってきたのなら――どうか、外で私のことをひどい女だったと言って広めてほしいのです。外には多くの人々がいます。この国の人達よりも、ずっと。もし外の国の人々が私のことを『悪い女だ』とたくさん思ったのなら……天使様や悪魔は、考えを変えてくれるかもしれません」
彼女は咳き込みながらも、繰り返しました。
「お願いです、国の外から来たお医者様。私が悪い女であったと、皆に広めてください。この国の人達はきっと思ってはくれません、ですから。この国の人でない、外から来たあなたにしかできないことなんです」
「――それがあなたの望みであり、私にしかできないことと言うのなら」
それから数日も経たないうちに、彼女は病により亡くなりました。表情はひどく柔らかく、医師によって楽に旅立ったのだと人々は泣きながら言いました。けれども医師の青年だけは知っています。彼女は自分に願いを託したから、安らかに旅立ったのだと。
小さな国を、医師は静かに去りました。やるべきことを、やらなくてはいけませんでした。彼女の秘密を知っているのは、自分だけです。彼女の願いを知っているのは、自分だけです。
「あの国には、極悪非道な令嬢がいてね。死んで当たり前の娘だったよ」
小さな国から少し離れた国で、医師は吹聴し始めました。
「冷酷で、心なんてものはない」
人々の命を救う旅の中、彼女の話をし続けました。
「人を人だと思っていない」
彼女の命を助けることはできませんでしたが、それでも自分にできることを精一杯。
「地獄におちて当然の娘だよ」
彼女の願いを聞いた、自分にしかできないことなのですから。
* * *
彼女の悪口を散々言いふらしたある日、医師の前に、天使が現れました。彼に医術を教えた師でもありました。
「それ、もういいよ」
天使は弟子に言います。
「彼女はどうなりましたか?」
ここまで精一杯やってきましたが、医師の青年は、不安で仕方がありませんでした。果たして自分は、彼女の願いを叶えられたのか、どうか。
天使の答えは。
「地獄におちたよ、あの娘は。そもそも、最初から地獄におとすかどうか、考えられていたんだ」
医師の青年は唖然としました。地獄におちたのはいいですが、どうして、最初から検討されていたのでしょうか。だって、彼女には悪いところは一つもないように思えましたから。彼女はいいところしかない、善良な娘だったはずです。
見透かした天使が笑います。
「あの娘は極悪人に恋をしたんだもの。それを罪と認めるかどうか、神様は悩まれたんだ……そこで、君の流した噂が、地獄行きを決めてくれたんだ。神様は人の心に敏感だ……」
おめでとう、と天使は拍手をしてくれました。医師は彼女の願いを、無事に叶えることができたのです。
「君がいなかったら、無理なことだったね」
それだけを報告しにきた天使は「それじゃあ、これからも皆の病を治しておくれよ」と空へ去っていってしまいました。
だから医師の青年は聞けませんでした。
最初から地獄に送るかどうか悩まれた彼女――それは神様から彼女へのプレゼントだったのか、完全なる裁きだったのか。
【終】
悪人になりたかった娘 ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます