第十二章『到達』

 ソレイユ・ソシュールは丁度カフェテリアで寛いでいる所だった。亜麻色のロングヘアに深紅の瞳が特徴だ。

 百合ゆりは特に探りを入れる事もせず一直線にソレイユの席へ向かっていった。

「少し、お話いいかな」

「え? はい……」

 影から様子を見守る躑躅。彼女が分身の能力を得たのはソレイユからヒントを得たからだ。催眠系の能力は大きく力を消費するが、ならば使い所を限定すればコストを抑える事が出来ると考えたのだ。

 彼女のオーラ値は500程度だ。1200のカルミアを洗脳できるとは思えないが、念の為警戒は怠らない。

「ソシュールさん。私は副生徒会長の中之条なかのじょう百合です」

「ええ……何の用ですか?」

「貴方に関して、良くない噂を聞いたものだから。気になってね」

「良くない噂……ですか」

「そう。ドッペルゲンガーを使って悪戯をしてるって。神隠しもそれが原因じゃないかって話になっていてね」

 事件に関わる事情を話してしまっていいのかと心配になったが、ここまで容疑者が絞られているならば話は別かも知れない。逆に、実行犯へ洗脳を施すための傀儡としての役割を果たす人間には簡単に死んでもらっては困るはずだ。「事件について話した瞬間に死亡」等のルールはまずありえない。友人の多い彼女がその手の噂話をしないはずもないからだ。

 寧ろそういった罰が課されているというより、真犯人についての情報をシャットアウトされていると考えるのが妥当だろう。

 例えば彼女がカルミアに心酔していたとして、彼女に関する出来事を他人には一切話さないという法の支配を結ばされている可能性もあるのだ。

「私、そんな幼稚なことしませんよ」

「幼稚かどうかは分からない。精神エネルギーは可能性の塊でしょ。人の注目が集まれば、そこに意思が宿る。そしてその意思は作った本人に影響する。障害となるか恩恵となるかはその人の技能と運次第だけどね」

「でも私、本当にそんなことはしてないんです」

 今はこうして話を長引かせて様子を見る。万が一こちらが真犯人ならば尻尾を出すまで待つ。そしてカルミアが犯人であれば、この状況に勘付いている可能性もある。なるべく百合や躑躅つつじが近くにいて安全を確保する事が肝要だ。

 カルミアの居場所はまだ分かっていないと一咲からのメッセージを受け取っていた躑躅は嫌な予兆を感じ冷や汗を掻いていた。彼女がソレイユの事など気にせずに、もしも絆の息の根を止めようと動いたら。自分は果たして冷静でいられるか。

躑躅はただ祈るだけだった。



 ベロニカが新宿の駅ビルの中を自在に飛び回る姿を人々は目撃していた。その光景はまさしく奇跡。

 これまで信じていた現実が崩壊した人々は半狂乱になって騒ぎを起こし始めた。街は混乱を極め、警察部隊も動き始めている。既に逮捕者や怪我人も複数出ていたが、それよりも警察はベロニカに対して成す術がない事に絶望していた。

 警視庁には異能対策本部が設置されており、異能犯罪についての情報が伝わると専門の急襲部隊が出動する運びとなる。しかし、この事態へ対処できる人間は急襲部隊にはいない。彼らは異能の存在を知っていてそれを利用するが、ほとんど固有の能力を持たない。異能の力を利用して発明した兵器で現場を制圧するのが任務だ。世の中で起こるほとんどの異能犯罪はそれで済んでしまう。

 しかしゼラニウムのような強大な力が現れた事で、エルミタージュを始めとする異能専門機関の協力が不可欠となった。その為に秘密基地はゼラニウムに立ち向かう。

ベロニカは街行く人々の様子を観察するために低い位置に降りて来ていた。

「おい! 秘密基地の連中が到着するまで耐えろ!目撃者や怪我人に配慮する必要はない、とにかくコイツを止めることが最優先だ!」

 異能急襲部隊の隊員たちは、弾丸が対象を追尾する機能の付いた機関銃でベロニカを狙う。弾丸そのものにも本来の10倍以上の威力が込められている。

「へえ、撃ってくるの」

 硬質ガラスに向けて撃っているかのように、弾丸は飛び散っていく。

「まだ私、誰にも危害は加えてないのにね?」

 隊員たちを見つめて妖艶な微笑みを見せるベロニカ。そこから発せられるオーラが、感じ取れない人間にとっても恐怖を掻き立てる対象だった。

「反撃しても、正当防衛だよね」

 ベロニカが掌を前にかざした。その延長線上に立っていた隊員の様子が途端に奇妙になる。

「うっ…ぐがが」

 唐突にガクガクと震え出し、動きが断続的になる。そして彼は他の隊員に銃を向け、容赦なく発砲した。

「何だと……!?」

 仲間の一人に当たり

「落ち着け!銃を撃ち落とすんだ!」

 部隊は、突如として自我を失った隊員に向けやむなく発砲して銃を弾き飛ばし、何とか安全を確保する事に成功した。

「あらあら、仲間割れは私の責任じゃないよ」

「ベロニカァッ!」

 猛烈な勢いで発射される弾丸を最小限の動きで全て避けてみせるベロニカ。追尾性がある為に再び戻ってくるが、その弾も左手の指だけで背を向けたまま砕け散らせた。

「それにしても、人を操作する能力って意外と難しいんだ」

 呑気に感想を呟いているが、誰に聞かせるでもないただの小さな声の独り言である。

 しかし、それを聞いていた者がいた。

「”プリムラ・シネンシス”」

 眼球が焼かれるのではないかと錯覚するほどの発光が街中に放たれた。

 プリムラの強烈な拳がベロニカのオーラに突き刺さっている。

 しかしそれでも、肉体まで届かない。

「クッ……”プリムラ・ポリアンサ”ッ!」

 今度はプリムラが一気に漆黒のオーラに包まれた。

「おっと、それはまずい」

 瞬時に判断してベロニカはこの場から姿を消した。そう思いきや、数秒のラグの後にプリムラの背後から現れて首元に手刀をくらわせた。

「ぐぁッ……!?」

 隕石のような勢いで地面に叩きつけられるプリムラ。轟音が鳴り響き、衝撃で一般人が吹き飛んでいく。その様子を見てベロニカはつまらなそうな表情でぼやく。

「何だ、エルミタージュ最強と名高いプリムラでさえこんなもんか。リナリアから能力聞いてなくても勝てたかもな」

 地面に寝そべった状態のプリムラを見下しながらボソボソと呟いているベロニカ。その背後から別の声が聞こえてくる。

「あのさぁ、その上から目線。昔からムカついてるんだよねぇ」

空木柘榴うつぎざくろちゃんだっけ?あなたはもっとやってくれるかな」

 ベロニカはほとんど相手の顔を見ずに右手だけを向けた。その腕の周囲に円形に配置されたオーラの剣が柘榴に向けて発射される。

「”4次元のパレット”! お絵描きの時間だよ!」

 彼女はマントのように画用紙を取り出し、飛んできた剣を受け止める。すると画用紙の中に絵の具を使って描いたようなオーラの剣の様子が現れた。

「へえ……面白い、その能力」

 するとベロニカは柘榴の周囲を飛ぶことで全方位にオーラの結晶を弾き飛ばした。

「こんなもの……!」

 画用紙をヒラリと振り回して全ての攻撃を吸収しようとする柘榴だが、それぞれの結晶の速度が異なる事で対応しきれなくなる。

「うぐッ……!」

 脇腹に一つの結晶が突き刺さり集中を乱された柘榴。続けざまに身体には無数の針のように結晶が突き刺さった。

「クッソォッ!」

 血塗れになりながらも感情を剥き出しにして地面を叩きつける柘榴。

「ねえその画用紙、体に纏うことは出来ないの? ああ、敵の攻撃をちゃんと視認しないと発動できない能力なのか。自己解決」

 ベロニカは今の状況がまるで日常生活の一部であるかのように呑気な調子だ。

 ほぼ力尽きて立ち上がる気力のない柘榴。しかしそこに、唐突に人影が現れた。

「ああ、アンタが羽山夜鳥はねやまやどりね?」

「……殺す」

 小さいが力強い声。

 彼女は瞳の前の位置に動かした右手でフィンガースナップをした。数秒の間は何も起きなかったが、唐突にベロニカの顔面に衝撃があった。

 オーラで守られているものの、突然の出来事に少々驚いたベロニカ。

「何今の、どうやったの?」

「”因中有果”……原因には必ず結果が伴う」

「はあ?」

 今度は左の手刀で目の前の空間を切り裂くようなジェスチャーをした。

 またもや2秒ほどのラグがあってからベロニカのオーラが極僅かに切り裂かれた。

「……なんだかよく分からない能力だけど。要するにジェスチャーの後、発動までラグがあるのは確かみたいね」

「ん……」

 それでも夜鳥はペースを崩さずに別のジェスチャーを始める。今回は顔の前で何かを捻るような動きだった。

「そうはさせないよ」

 一瞬で距離を詰めたベロニカがオーラの塊を夜鳥へ放出しようとする。

 それでも彼女は避けようとする素振りを見せない。

「良いの?そのままじゃ死んじゃうかも知れないよ!」

 忠告をしつつも攻撃をやめようとは露ほども思っていないベロニカ。夜鳥の姿はベロニカの精神エネルギーの塊に埋もれて見えなくなる。

 一瞬の閃光の後、夜鳥の姿はどこにも見えなかった。

「あらら、消し飛んじゃった?呆気ない」

 遊び相手が帰ってしまって残念だというような表情で立ち尽くしていたベロニカだが、異変を感じて一歩下がった。

 その瞬間、バシンという反響音と目の前の空間がねじ曲がる現象の二つを認識する。

 一つは桐也きりやの拳がベロニカの背中にヒットした音。もう一つは不明だが、桐也によりオーラが分解されている状態で彼女がその場にいればダメージを防ぎ切れなかっただろう。

「なんだ……?」

 振り向くとそこには、傷一つない夜鳥の姿があった。その隣には赤毛の少女――ロズ・シドウェル が。

「フン……いつの間にか共闘できる仲間が増えたようね。しかもそっちも一年生?異例ずくめね」

 ベロニカの言葉など意に介さず、重い連続攻撃を繰り出し始める桐也。

「コイツ……確かにリナリアが言ってた通り、厄介ね……」

 彼の能力の厄介さに加え周囲を飛び交う数字が鬱陶しく感じ、ベロニカは一気にビルの5階程度の高さまで飛び上がった。

「……流石にこのままだと分が悪い、か」

 そう呟いた彼女は空中に浮いたまま目を瞑って動かなくなる。

 攻撃のチャンスではあるが、同時に嫌な予感を覚えた三人は様子を見ていた。

「……イデア、解放」

 ――ボワッ。

 それはまるで爆発のように広がる衝撃。

 その言葉を境に、世界が地獄へ変わってしまったかのように空が赤く染まった

 それはベロニカのオーラが、地上にいる桐也たちから見て空を覆い尽くすほどに巨大だからだ。

「なんてこと……」

 震えながら起き上がったプリムラが呟く。

 ――バケモノ。

 世界有数の能力者であるプリムラが、匙を投げたくなる程の絶大な差。

萌音もねを呼ばなきゃ……」

 夜鳥はそれでも立ち向かう為に能力を使う。

 ベロニカに対して指を差す仕草をすると姿が消える。そして数秒後に彼女の背後に現れた。

 しかしベロニカの背中から生え出した黒い翼が鋭利に変化し夜鳥に向かっていく。攻撃を避ける為に再び能力を発動し姿を消した彼女だったが、次の瞬間思いもよらぬ痛みが脇腹に走る。

「グッ……!?」

「因中有果……だっけ? それ……原因と結果だけを定めて、過程は後付けする能力なんだろ?」

「うっ……どうして」

「私も元々並行世界を見る能力者だからさ。アンタが姿を消している間、妙な世界の揺らぎが見えた。だから、今の私の力でそれを収束させるような術を使った。それだけだよ」

 突き刺さっていた人差し指と中指を抜き取ると、ベロニカは夜鳥の腹に蹴りを入れ、地面に叩きつけた。ボロ雑巾のようにズタボロになった夜鳥は恐らく再起不能だ。

「で?あとは一年生の君たちだけか」

 桐也はロズを守るように立ち塞がる。

「君のオーラ分解術は見事だよ。その歳で出来る芸当じゃない。現にリナリアが負けかけた。既に君は、世界でも指折りの能力者に名を連ね得た」

「それ以上近寄るな!」

 脅しでも何でもなく。ただの懇願でしかない。彼女には勝てない。そう分かってしまった。

「でも、最後の最後にプリムラの優しさのせいで才能が潰されたんだろう。命を捨てる覚悟があれば、私にだって勝てたかも知れないのに」

「俺は……俺は生きてお前に復讐を遂げる。そして仲間の元に帰る。その為にエルミタージュに入ったんだ!」

「復讐が下らないとは言わないけど。一つ言えるのは、その努力は無駄だって事だけだ」

 視界が歪んだと認識した瞬間、既にベロニカの刃が鼻先まで迫っていた。

 先見の煌の能力が、ギリギリでベロニカのオーラを分解しつつ後方に飛び退く。しかしこの動きの半分は能力による自動操作であり、半分は咄嗟の判断である。よって、ロズがその場に取り残されていた。

「ロズ、逃げろッ!」

 桐也が避けた事で切っ先は空を切っていたが、二撃目で確実にロズの体が真っ二つに掻っ切られてしまうと桐也は戦慄した。

「”ローズ・スペクトル”ッ!」

 ロズがそう叫んだ瞬間掌から爆風が噴出して彼女を背後に吹き飛ばした。

 ロズの掌には青と黄色のバラが残っていた。

「今のは、嵐から得た風と……俺のオーラか」

「うん……ありがとう。ギリギリだった。でもその二つを使っちゃったから、もう残りは……」

 そもそも、ベロニカに対抗できるような現象はロズの力では到底吸収不可能だ。

「桐也くん、どうしよう……?」

透百合すかしゆりさんを既に呼んである……あの人が来れば、まだ何とか……」

 それも希望的観測だ。彼女は変身した人物の能力は一度きりしか使えない。

 目の前の怪物を呆然と見つめていると、空の赤色を僅かに消し飛ばす光があった。

「あれは……!?」

「”プリムラ・クェーサー”だ……チャンスかも知れない!」

 リナリアの仮初めの姿とは違う。天使の両翼が共に自身を丸ごと包み込む大きさまで成長している。

 そんな天使の光が、黒の翼のベロニカに襲い掛かる。

「……」

 既にプリムラに自我はない。あるのはただ全身全霊を絞り尽して目の前の悪魔を打ち倒すという意志だけだ。

「そうそう、アンタはそれくらいやると思っていたよッ!」

 応戦したベロニカは一気に最大出力のエネルギーをプリムラへ放出する。あんなものを地表に向けて放てば、恐らく直径何百メートルというスケールのクレーターが出来る。人なら跡形もなく吹き飛ぶだろう。しかしプリムラの全精力がギリギリで踏み止まる。

「ロズ! 俺たちも加勢するんだ!」

「分かってる!」

 プリムラが両手で抑えようとしているベロニカのオーラは、疎らに周囲へ飛び散って破壊を齎す。駅ビルやショッピングモール、歩道橋や線路。そして街行く人々。全てを粉々に砕きかねない衝撃。それを止める為、桐也とロズはプリムラの両側から力を貸した。

 桐也は先見の煌のニュートラル機能で極力オーラを無力化する。そしてロズは透明な薔薇で漏れ出たオーラを自らの身体に蓄積させ続ける。どちらも閾値を超えれば存在崩壊を起こしかねない危険な賭け。しかしやらねばならないと勝手に体が動いていたのだ。

 ベロニカのオーラにほんの少しの亀裂が入る。しかしそれは瞬時に修復され押し返されてしまう。

「ベロニカァアアアアッ!」

 桐也の咆哮。先見の煌をフル稼働させて、ベロニカのオーラの内部まで徐々に侵入していく。

「ほ? すごい、やるねぇ」

 しかし激しく淀んだ精神エネルギーの海の中、桐也の腕は強く掻き乱されダメージを受ける。

 その様子を見ていたロズも苦しかったが、勝ちの光明は見えている。せめてあと一人。あと一人いれば。

「――ここまでだ」

 パリンッ!という音に近い。

 オーラが一瞬全て消え去って丸裸のように防御力が下がった状態のベロニカは、プリムラたちの前に突如として現れた人影に吹き飛ばされた。

「あぐぁッ!」

 とんでもないスピードで弾き飛ばされたベロニカはビルの一角の壁に減り込むほどの衝撃を受けていた。

「なっ……に?」

 状況がとても理解できない。

 絶大な力を得て、世界有数の異能力者に対して圧倒的に優勢な立場だったはず。それなのにどうして今自分は、攻撃を受けたのか。

「透百合萌音……」

 彼女が食らわせたのは、単なる掌底。それで10メートル以上も飛ばされた。しかしベロニカには理由が分からない。萌音の能力は、一度きり他人の能力を変身した上で使えるというもののはず。

「萌音……じゃない?」

 疑問に思ったのはプリムラも同様だった。不意の状況に変身を解いたプリムラは萌音の姿をした誰かの肩に触れる。

 その瞬間、彼女の体が黄金の粒子に包まれて変化し始めた。そして垣間見得た正体は――。



 カルミアはまだ見つからないらしい。

 百合とソレイユは雑談交じりに会話を続けていた。

「そう。それが問題なの。実際に生徒は減っている。だから、貴方の能力に疑いを掛けさせるような現象を使って攪乱していたのかも」

「それは、有り得ますね……変なことも沢山あったし」

「変な事?」

「それこそ、まるでドッペルゲンガーの話みたいですけど。私の知らない所で、私を見たって言ってた人がいて。しかも数名です。でも私、そんなところに行った記憶がなくて」

 それだ。やはり彼女は洗脳されている。アリバイが多く証言されていたのは当然、洗脳されて操作されている間も彼女は目撃されていたからだ。そして、瑠璃溝尽に催眠を掛ける事そのものはそれほど時間が掛からないだろう。

 ――トン。

 背中に掌で触れられた感覚。

 抵抗してはならない、無暗に声を出してもいけないという直感があった。

「ねえ蘧麦きょばくさん……分かってるんでしょ?」

 カルミア・カルメ。彼女の声だ。

「……何の話?」

「私が犯人だってこと」

 最早隠す気はないらしい。躑躅はゆっくりと振り向いて彼女の瞳の色を目に焼き付ける。

「私たちは似てる。そうは思わない?」

「……思うよ。能力もそうだし、根底にある考え方は似てる。そう直感した」

 恐らくそれは、当人たち同士でしか分かり得ない感覚だった。

「だったら蘧麦さん、私と組みましょうよ」

「具体的には?」

「無限の可能性を手に入れたいでしょう?私はそうして禁術を手に入れた。超能力にも似たような邪道な術がある。二人で手に入れた力を組み合わせれば、きっと未だ見ぬ究極の能力が誕生する」

 そんな提案を聞いて躑躅はフッと笑った。

「……確かに魅力的な誘いだね。私も強くなりたい」

「じゃあ、交渉は成立?」

「でもね……貴方と私で一つだけ決定的に違う点がある」

 カルミアの表情から笑みが消えた。

「私には仲間がいる! そんな人たちが望まない事を、私はしない!」

「交渉決裂だ」

 ガシャン!という音がカフェテリアに響き渡った。何が起きたか分からないソレイユはビクリと震えるが、百合は立ち上がって速やかに臨戦態勢に入った。

「中之条先輩! やっぱりカルミアが犯人だ!」

「ええ、見れば分かる!」

 攻撃が来るのを構えていた二人だったが、彼女は廊下の影へと消えて行った。

「どうしてアイツ……」

「会長と絆のところに向かったのかも知れない。私は後を追う。躑躅は連絡お願い」

「わ、分かりました」

 的確で迅速な判断で行動する副会長の姿を見ていると、学園の頑強さが垣間舞える。

「あ、あの……一体何が」

 ソレイユが尻餅をついて震えている。

 一先ず会長に簡易的に『カルミアが犯人です。警戒してください』とメッセージを送ってからソレイユに話しかける。

「えっと……説明が難しいんですけど。今、生徒会はカルミア・カルメを追ってるんです。彼女が行きそうな場所に心当たりとかないですか?」

「カルミアが行きそうな……うぐ」

 彼女は途端に頭を抱えるように抑え込んでしまう。

「頭が痛い……! カルミア……カルミアって、誰なの……!?」

 これは、法の支配。交わされた契約は、カルミアの事を思い出せないという条件ということだ。

「ごめんなさい、気にしなくていいです! 保健室へ行ってください、危険もあると思うので」

「う、うん……」

 フラフラと揺れてこそいたが、何とか一人で歩いて行けそうだった。

 カフェテリアから出ていくのを見届けてから躑躅は絆に連絡をする。

「もしもし絆! 大丈夫!?」

『平気! カルミア、そっちに現れたの?』

「そうなんだ、ソレイユを見張ってる背後からね。それで今、どういう状況?」

『会長がカルミアを向かい撃とうとしてて、僕は正門を見張ってる!萌音さんも緊急で裏門の方に回ってくれてるよ!』

「ちょ、それって相当危ないよ!カルミアと一対一で当たる可能性があるんでしょ!?」

『大丈夫!会長が、絆なら数秒は時間を稼げるって言ってくれてる!』

「数秒って……」

『数秒あれば助けに来てくれる!』

「……分かった。とりあえず私も絆の方に向かうから。気をつけてね」

 通話を着ると同時に走り出した。


 4階のあまり使われない多目的室で待っていた一咲かずさだったが、カルミアは素直にその場にやって来た。

「ありがとう」

 一咲の第一声だった。

「……いきなり何?」

「正々堂々と勝負する気だって事でしょ。お礼を言っておく」

「気にくわないね。私、殺人犯なんだよ?」

「そうだね……本来私は君を糾弾すべき立場だ。でもね、不思議とそんな気持ちが湧かない。ワクワクしてるんだよ。久々に本気を出せるってさ」

「ハハッさすが……イかれてるねッ!」

 カルミアの赤黒いオーラの塊が一咲を襲う。対して一咲は煌々と光る青白いオーラをぶつけて対抗した。

 拮抗してぶつかり合う互いのオーラ。そのエネルギーで部屋の備品がポルターガイスト現象のように震え出す。

「前から気になってたんだけどさ! その力って一体なんなの?」

「……さあね。当ててみたら良いんじゃない?」

「くそっ……」

 カルミアは更にオーラを倍増させる。禁術は秘めたオーラの値が測りづらくなる事が特徴だが、今カルミアはおよそ2000のオーラを4000まで倍増させた。

 一瞬一咲の青いオーラを押したカルミアだったが、その後再び押し返されて均衡した状態に戻る。

「なっ……益々わけ分かんない力だ」

 これでは埒があかないと思ったカルミア。オーラの放出を止めて一気に一咲の懐まで近づく。

「ハッ!」

 テコンドーのような動きで鋭く高い位置まで蹴りを放つカルミア。しかし一咲はそれを合気道のように受け流す。

 一瞬飛び上がって二段蹴りを食らわすが、いずれも前腕部でガードされる。

 ――この感覚……?

 カルミアは何かに勘付いたようで、一旦距離を置いた。

「そうか……」

 恐らく成宮なるみや一咲の能力は対象に合わせて性質を変化させる類の物だ。具体的にどのような効果を持っているかは分からないが、そうでないと説明が付かない。

 しかしカルミアにもカルミアの能力があり、それが打開策だった。

「はっ! フン!」

 何度強烈な攻撃を加えても一咲は真顔のままで受け流す。

 何度打っても状況に変化はないように見えた。

「そろそろ諦めたら?」

「嫌だね」

 カルミアは両足に強く踏ん張りをつけ、右拳で一咲の腹の位置を突いた。両腕を交わらせてそれを防いだ一咲だが、表情が少し歪むのをカルミアは見逃さなかった。

「どうした? 今のは流石に響いたか」

「……なんだ」

 一咲自身も理解が及んでいないらしい。

「どんどん行くよ!オラァッ!」

 激しい足技を繰り返して着実に一咲を退かせるカルミア。その威力は数を重ねる毎に徐々に上がっていく。

「くっ……どうして」

「これが私の能力……”羊殺し”ッ!」

 全力の右ストレートが一咲の胸元に炸裂した。そして、その衝撃で後ろへ吹き飛ばされた一咲は勢いのまま窓を割って4階から外へ落ちて行った。


「あれは!?」

 絆と躑躅は一咲が落下する姿を目撃して校庭へと急ぐ。

 きりもみ回転をしながら斜めに落下した一咲は接地の直前に体勢を立て直して安全な着地をした。

「会長!大丈夫ですか!?」

「……やられた。私はもう、アイツと戦えない」

「えっ!?」

 4階の割れた窓から垣間見える赤黒く纏わり付くようなオーラ。そこからカルミアが出てきて、綿毛のようにフワリと地上へ降りてくる。

「情けない話よ……相手の能力の分析が足りなかった」

一咲のその言葉を聞いてカルミアはニヤッと笑った。

「アッハハハ! 私でも会長に勝てるなんてね。禁術を使う必要もなかったかもねぇ」

「貴方の能力の正体は……オーラが触れれば触れるほど、対象へ中毒かアレルギーのような症状を引き起こす」

 一咲は痛々しく腫れ上がった紫色の腕を見せる。

「その通り。それが私の”羊殺し”だ」

「どんなに威力が低くても、相手にオーラを触れさせさえすれば勝ち目がある……格闘戦に持ち込んだのが迂闊だった」

「後悔しても遅いよ。バカな人」

「……まあ、今の私の力は全盛期の10分の1以下。貴方に勝てるかどうかは五分五分だったから……何れにせよこうなるとは予測していたよ」

「はぁ? 強がりはみっともないよ」

「予測していたから、この二人がここにいる」

 震える身体を支えながら振り返る一咲。

「頼んだよ……学園を救えるのは、貴方達だけだ」

 彼女の眼差しには光が灯っていた。至って冷静に、かつ熱意を込めたその言葉に二人は応えようとした。しかしその背後から、更にもう一人の姿。

「私も手伝う!」

「「入鹿いるか!?」」

「なにー、二人して。私だって戦えるし、二人にピッタリな能力も持ってるんだよ?」

 水瀬みなせ入鹿の心意気を聞き、一咲は静かに頷いた。

「絆と躑躅。そしてそれを補佐する水瀬さん。三人だけで敵を倒しなさい。これ以上戦力を入れると、邪魔になる」

「「「はい!」」」

 一咲の信頼が、三人の決意へ変わった瞬間だった。



 新宿の荒れ様と学園の騒動を同時に観察している人物がいた。

「……なんで」

「どしたの、紅葉」

「ああいや、何でも……」

 ゼラニウムのメンバーは遠巻きからベロニカの暴れっぷりを観察していた。

 リナリアクラスの能力者が場にいるとベロニカのオーラとの干渉が起きてしまい、最悪新宿区一帯の人々がゼラニウムメンバーを含め消滅してしまう可能性がある。

 紅葉が考えていたのは透百合萌音の事。

 学園の楓は同時に萌音の姿を確認している。と言うことは、どちらかが偽物。

 丁度ベロニカが吹き飛ばされた所だ。

「うっはー!透百合ってやつ、あんなに強かったっけ?」

 そんなはずがない。変身する事で様々な能力を使えるとは言え、今のベロニカに対抗できる能力など世界にいくつあるというのか。そんなもの、萌音でなくても不可能な芸当のはず。ゼラニウム級の人間でなければ。

 そして、その萌音の姿は黄金の砂塵となって霧散し始めた。同じエルミタージュの制服を着た、何者か。そしてその人物の顔を見た紅葉は悟る。

「そういう……ことか」

 リナリアも目を見開いて驚いている。

 そう、そこにいたのは――。


「……絆?」

 見慣れたミディアムボブの綺麗な髪質。そしてその横顔。ロングコートの制服――しかし、その制服の縦に入ったラインの色が一年生の青ではなく、会長と同じ白色だった。

「まさか……」

 プリムラの出した声に、“彼女”は振り返って微笑んだ。

「お待たせっ」

ゆかりぃ!」

 プリムラは思い切り彼女を抱き寄せた。

「ちょっとプリムラ、まだ安心するのは早いって」

「だって……もう会えないかと思ってたから……」

「そんなことないって言ったでしょ」

 桐也は傷ついた右腕を抑えながら尋ねる。

「貴方が……絆の」

「うん。私が葉団扇縁。二人の事はずっと見てた。絆と仲良くしてくれてありがとう」

「いえ……」

「とにかく今は長々と話してる場合じゃないよ。アイツ、倒さなきゃ」

 血塗れでビクビクと震えながら壁から離れるベロニカ。

「葉団扇ぁ……またお前かよ」

「弟が世話になったからね。借りを返したまでだ」

「ッざけんなよ!」

 音速で迫られたような衝撃を感じたロズと桐也。しかし縁はその攻撃を指一本で受け止めた。

「“高嶺の花”――何者も、私に到達する事は出来ない」

「なんだ……なんなんだよお前は!? ぐがぁっ!?」

 縁の掌底でベロニカは血を吐くほどのダメージを負う。

「苦労したんだ。お前を倒す為だけに、一年間もコソコソと、友人や家族にさえ見つからないように暮らさなきゃならなかった」

「なんてやつ……!」

 プリムラは静かに語り出す。

「これが縁の能力なの……葉団扇縁には、何者であろうと絶対に到達できない。しかし彼女が何者に触れることも自由。それが”高嶺の花”……無敵の能力だよ」

「ちょっと、ペラペラ人に喋っちゃダメじゃない」

「ごめんごめん。でも、嫌ならその事実に到達できないようにすれば良いだけでしょ?」

「それはそうだけど……細かい設定は、結構めんどくさくて……」

 緊迫していたはずの空気がまるで講義室の中の友人同士の会話のように解れていた。目の前にはまだベロニカがいるというのに。

「三人ともありがと。貴方達が穴を作らなければ、あんな有効打は与えられなかった。そのチャンスをずっと待ってたんだ。とにかく、カタをつけて来る」

 悠然と歩くその姿は、絆とは重ならない。顔立ちは非常に似ているのに、雰囲気からはまるで相似性を見出せない。

 桐也もロズも、絆が姉を尊敬していた理由を一目見ただけで理解できた。

 すると、彼女の姿がフッと消えた。夜鳥の使っていた因中有果のように、数秒経過した後に突如としてベロニカの眼前に姿を現す。

「これで終わりだ。お前を逮捕する」

「クッッッソオオォォォッ!」

 再び爆発のような衝撃が街中に走り、周囲のガラスにヒビが入る。

 莫大なオーラの漏出に体が耐えられなくなり、血涙が流れ始めたベロニカ。

「抵抗するなら……殺さざるを得なくなる」

「良いよ、やってみろよッ!」

 限界を迎え正気を失ってしまったベロニカに、縁は鋭い手刀を構える。そしてそれを手加減なく前へと突き出した。

 血が、流れた。しかしそれはベロニカのものではなかった。

「ベロニカは殺させない」

 紅葉もみじが彼女を庇って横に突き飛ばしたのだ。

 そのまま触れた状態で静かに彼女が呟く。

「”エンタングル”……」

 すると二人の姿が霧のようになって消失してしまった。

 縁はすぐに周囲に警戒を巡らせたが、やがて溜息を吐いて呟く。

「はぁ……逃げられたみたい。あんな奴いたなんて聞いてないよ」

プリムラがゆっくりと歩いて来て尋ねる。

「テレポーターだったら、縁の力ならすぐに追えるんじゃないの?」

「いや。あの子、普通のテレポーターとはわけが違うの。多分だけど……この宇宙のどんな場所へでも飛べる。私や一咲に近い類の、神の一端の力を持つ能力者」

 神の一端の力。その言葉の響きは、目の前でそれを見せられた桐也やロズにとって陳腐には聞えなかった。

「ま、ベロニカには重傷を負わせたからしばらく安全だよ。ゼラニウムは今後も何か企むだろうけど、今回の件はこれで終了」

「だね。ありがとう縁。来てくれて」

「うん! プリムラこそ、いいタイミングで時間軸に留まれてたね」

「そうだね……もうそろそろ限界が来そうだけど」

 旧友との会話は一旦止めて、桐也とロズに向き直る。

「さて。改めて自己紹介しなきゃ。私が葉団扇絆の姉、縁です。ここ半年は萌音に変身させて貰って、本人と適宜入れ替わってたんだ。仕事が楽になる~って喜んでたよ」

「そういうことですか……」

「あんまり柊くんとシドウェルさんに会う機会はなかったけれど、絆と仲良くしてくれてたのは良く知っていたから。本当に感謝してる」

 安心していたのも束の間、そこで桐也がハッとして声を上げる。

「そうだ……学園の方では今絆たちが犯人を見つけ出してる頃ですよ!」

「さっき一咲からメール来てた。絆と躑躅ちゃん、それに水瀬さんが犯人のカルミアと戦うってさ」

「えっ!? そんな……だって、会長や本物の透百合さんだっているんですよね!?」

「一咲は……能力が全開で出せる状況じゃないし。萌音の方も多分、禁術に対抗できるような能力は持ってない。それに人が多いと能力の干渉が起きる。相性の良い三人……それくらいが許容範囲だよ」

 ロズも心配そうに俯いていた。

「信じてあげてよ。私の弟と、その親友だよ? 強いに決まってるでしょっ」

 その満面の笑みだけは、絆とよく似ていた。


 ――その頃、学園では。

「アイツのオーラに触れなきゃ良いんでしょ。遠くから念力系の攻撃で攻めるよ、絆!」

「うんっ!」

 返事をした瞬間、地面を強化した拳で殴る事で大量の投石の材料を生み出す絆。躑躅もそれを予測していたかのように数個の石を手で掴み、また幾つかを自分の周囲に浮遊させる。

「“デルフィニウム”! オーラを強化して!」

 二人のオーラが倍増する。しかしそれでもまだカルミアの溢れ出る生命力には敵わない。

 躑躅が大きな石を念力で操作して四方からカルミアを狙い撃つ。彼女は全てを蹴り落とす事で対応している。

 一方で絆は大会の時と同じく、左前腕部を切り付けることで出血を伴い“血の盟約”の発動条件を満たす。

 入鹿のデルフィニウムとの併せ技で、絆のオーラは普段の五倍以上にも膨れ上がる。そして躑躅が石を連続で投げつけている中に絆が自ら突っ込んでいく。

「てやっ!」

 弱々しい掛け声ではあるが、隙を突かれたカルミアは攻撃を防ぎきる事が出来ず、絆の左ストレートを脇腹に食らう。

 しかしカルミアは大したダメージを負ってはいないようだった。

「一度触れたね。二度目からは中毒症状が現れるんだよ!」

 今度はカルミアの方から絆に触れようとする。血の盟約の強化のお陰でスレスレの所を躱す事には成功したが、絆はまたもや彼女にパンチを食らわせた。今度は顔面だ。

「いった……アンタ、話聞かないのね? 別に良いけどさ……」

 躑躅も少々不思議に思っていた。絆は確かに今も、少しもオーラに触れてはいけない事を理解した動き方でカルミアの攻撃を躱している。しかし自分から攻撃をする際は躊躇がない。

「はぁっ!」

 ジャブ、フック、アッパー、ストレート。多彩な攻撃を繰り出していくと、徐々にカルミアの顔に疲れの色が見え始めた。

「そっか! なるほど……!」

 躑躅はそこでようやく理解した。

 カルミアへの攻撃は全て拳で行っている。そしてそのどれもが流血している左腕。そこに中毒やアレルギーのような症状が出るとするならば、より深刻なダメージで出血量が増える。すると絆の能力の性質上、またさらに強くなり攻撃のキレが増す。左腕を捨てる覚悟で戦っているからこそ、他の部位は無傷のまま強化されているのだ。

「しかも、絆は私が負わせた傷の後遺症で左腕の感覚が薄いんだ。痛みなんてあんまりないかも知れない」

 相手の能力を逆手に取り対価に利用してしまう。絆はその覚悟を一瞬で決めて実行に移したのだ。

「くそ、絆のやつ!」

 躑躅は久しぶりに絆に苛立ちを覚えた。

「入鹿! 後でちゃんと傷を治してよね!」

「えっ!? ちょっと躑躅!」

 彼女までもが念力による遠距離攻撃をやめ距離を詰めて攻撃を開始した。絆とは違い、全身を使って蹴りや掌底、肘鉄まで使う捨て身の戦い方。

 カルミアは二人の勢いに翻弄されていた。

「くそっ! 何なんだよ、お前らはッ!?」

 二人の猛攻に対処しきれなくなったカルミアの隙を突く。絆は左腕、躑躅は右腕で最大の力を込めたストレートを放った。

「「吹っ飛べェッ!」」

 顔面を強打され、その衝撃で校舎の壁を破壊するほどに弾き飛んだカルミア。

「やった……」

 絆がそう呟いた瞬間、瓦礫の隙間から赤黒く大きな右腕が生えて来た。

「うがぁッ!」

「絆!?」 

 悪魔の腕だけが天からこの場に降臨したような禍々しさ。

 瓦礫が粉砕されて、まるで翼のように巨大な二本の腕が背中から生えたカルミアが現れた。

「こうなったら……対価を全て消費してしまうしかないね」

 その姿を見て一咲は青褪めた表情を浮かべた。

「悪魔の型……! まさか、あれを出せる程なんて」

 新宿で暴れているベロニカが悪魔としての姿を見せたのは想定内の事だ。しかしこの学園で、生徒を食い物にした化物が誕生してしまったのは一咲にとって嫌な記憶を呼び寄せてしまう。

 ――まるで、あの時みたいだ。

「やめろ……」

 ――ねえ一咲。私を目覚めさせれば、アイツに勝てるよ。

「嫌だ嫌だ嫌だッ!」

 パニック状態になってしまっている一咲に、萌音が駆け寄る。

「落ち着いて。アイツはもういない。目の前の悪魔はカルミア・カルメ。別人だよ」

「ハァッ……ハァ、ハァ……!」

 萌音の顔を見て少しだけ安心を覚えた一咲。

「ありがとう……もう、大丈夫だから」

「うん……でも、カルミアがあんなに強いなんて……ベロニカの方が片付いたみたいだし、縁たちを呼んだ方が――」

「ダメ」

 葉団扇縁の番号に電話を掛けようとしていた萌音の腕を掴む。

「私はあの三人に任せたの。ここで止めたら意味がない」

「でも……こんなの、絶対に――」

「この苦境を乗り越えられないなら、絆と躑躅は近い将来死ぬ。そういう危うさを持った二人だ。それを縁も理解してる。彼女も私も、そうだったから」

「一咲……」

「だから信じる。水瀬さんっていうイレギュラーを掴んだのも二人の危うさ故。その運命がどう転ぶか……それを見届けようよ」

 一咲は笑った。この絶望的な状況で、楽しそうに。

 一方で悪魔の右腕に掴まれて圧し潰されそうな絆を救出する為、躑躅は死に物狂いでカルミアへ突進を仕掛ける。しかし、難なく左腕を振るわれて数十メートル先の壁に叩きつけられてしまう。身体は強化されているが、それでも馬鹿にならないダメージだ。

「かはぁッ……! けほッ! けほッ!」

 咽込んでいる躑躅を見て入鹿が猛ダッシュでカルミアに接近する。腕に掴まれたままの絆が叫んで静止しようとするが止まる事はない。

「なに、アンタもぶっ飛ばされたいの?」

 ゴミクズか虫けらを扱うかのように再び悪魔の左腕で薙ぎ払おうとカルミアが動いた瞬間。

「“デルフィニウム”……!」

「なっ……」

 巨大な左腕は轟音と共に校舎の壁に減り込んだ。力を強化されて勢いが増したせいだ。

「てりゃあッ!」

 入鹿の魔術で強化できる最大限の拳で大きめの石を投げつけた。もちろん両腕でガードされるが、それでも十分な破壊力だ。

 衝撃で悪魔の右腕に掴まれていた絆が解放されるが、切り傷も増えて出血量がかなり酷い。羊殺しに侵食されてしまっている。

「絆、酷い怪我……!」

「……それは、願ったり叶ったりだよ」

 絆は紫色に腫れ上がった箇所を自らの爪で掻っ切って出血を伴う。

「それ以上ダメだよ!」

「はぁ……入鹿、補佐を続けてね!」

 彼が走っていった経路には血の道筋が残る。それほどに満身創痍の状態であっても、目の前の強敵に立ち向かうことが出来る勇気。これだ。入鹿は彼や躑躅のこの直向きさに惚れ込んで生きる気力を取り戻したのだ。そしてその勇気は入鹿自身にも色濃く伝わっている。

 一挙手一投足に血飛沫が舞う。しかし同時に襲い掛かる悪魔の腕に対応できるようになりつつあった。

 萌音はそれを見て呟く。

「勝てる……」

 無言で頷いた一咲。カルミアと絆の戦いを分析した結果を、口に出しながら確認する。

「オーラ値で言えば絆は普段は600程度しかない。でも、流れる血は対価として強力……それ故に、限界時はその20倍……1万2千くらいになり得る。そこに水瀬さんのデルフィニウムによる強化が出されれば、その5倍は強くなる……推定値は6万。それでも、悪魔の型を習得しているカルミアには10万以上のオーラが内包されてるはず。そこに食い下がれるのは天性の勘とあの直向きさ……そして究極の自己犠牲と、友人への愛情。カルミアは、心の部分が欠けている」

 語り終えた後、寂寞を感じさせる表情を浮かべた一咲。

「私も大きく心を失ったから分かる。別に気持ちが強さに変わるわけじゃない。ただ、強い心を備えている人は、その分視界が広がる。禁術は、力だけ増大させて死角を増やすような手段なんだよ。ゼラニウムの奴らも、それを分かってない」

 カルミアの攻撃は大振り。ダメージが大きい絆に命中すれば一溜りもなく意識を刈り取られ、最悪の場合死に至るだろう。しかし、出血量が増えて強化された絆の動きは俊敏さを増すばかり。既にカルミアは翻弄され始めていた。

「ちょこまかと……!」

 ヒステリーを起こす子供のように周囲に攻撃をばら撒くカルミアだが、精神が研ぎ澄まされた今の絆にはまるで通用しない。

 さらに、そこに躑躅も加わる。彼女は最初から全身を使って攻撃に及んでいる為、既に身体はボロボロ。それでも加勢をしようとする姿を見て、絆はよりエネルギーを高める事となる。

 爆発するように増大した絆のオーラを見たカルミアは戦慄する。

「仲間の危機を、対価に……!」

 絆は昔から無意識で行なっている事だ。自らに降りかかる逆境は全て力に変えてきた。親友の命の危険も、当然の事ながら例外ではない。

「これで終わりだ」

 氷のように冷たく見下すような声。とても絆らしくない雰囲気にカルミアのみならず躑躅までもが戦慄した。

 絆は背中側から悪魔の腕の付け根を掴んでいた。そしてそれを、無理矢理引き千切った。

「がああぁああッ!」

 信じられない激痛に、カルミアは力尽きて俯せに倒れた。そして同時に絆も酸欠状態になって、後ろへ仰向けに倒れてしまう。

 そうして、戦いは終わった。



 ゼラニウムの隠れ家に”エンタングル”で移動して来たベロニカと紅葉。

「アザミ! ベロニカの体の状態を巻き戻して!」

「無理だよ、こんなオーラを持った人の時間を戻すなんて」

「そんな……じゃあどうすれば」

 すると椿つばきが静かに呟く。

「ベロニカは治療しない。傷を癒すとせっかくのこの莫大なオーラが無駄になる」

「そんなっ……!」

 紅葉が反論する前に他のメンバーは皆一様に頷いていた。

「それもそっかぁ。せっかくの労力が無駄になったら、ベロニカも可哀想だしね」

あっけらかんとした調子で言及するリナリアに、ガーベラも同調する。

「うん! ベロニカは死なないように監禁しておこう! 怒り狂われても厄介だし!」

「……私もそれに賛成。棋譜を見ても明らか。ベロニカは鍵だから」

 チェスナットはチェス盤上のクイーン見ていた。ポーンとビショップ、そしてナイトが堅牢に自陣を守っている。

 メンバーの態度に同調できない紅葉を見てリナリアが優しく助言する。

「ねえ紅葉。目的が優先でしょ。私たちは仲間がどんな死に方をしようが……成すべき事をしなきゃならない。そこを取り違えたら、夢は実現しない」

「……分かってる。分かってるけど」

「悲しいのは一緒だよ。でもね、ベロニカが傷ついた事で得られたものも沢山ある。私たちはそれを感謝する。そういう価値観の元集まったメンバーだろ」

 普段いがみ合っているチェスナットも、その意見に素直に頷いている。

 納得はし切れない。だから紅葉はエルミタージュとゼラニウムの間を薄く漂っている。


 ――同時にエルミタージュの様子を見つめる楓。

 絆と躑躅、そして水瀬入鹿。その三人が見事カルミアを撃破してしまった。桐也とロズもプリムラや葉団扇縁の補佐として十分に貢献していた。ゼラニウムの一件もあり、楓の気持ちは学園側に揺らいでいた。

 楓が廊下からヒッソリと見つめながら仄かな感嘆を覚えている事は露知らず、絆たち三人は生徒会室へ戻り今後の対策会議を始めようとしていた。

「……学園の平和は絆たちが守ってくれた。誇りに思っていい」

 百合は素直な賞賛の言葉を贈った。萌音もその言葉に同調しながら興奮気味に呟く。

「うんうん……それにしても驚きだよ。こんなに強い一年生がいるなんてさ。次期秘密基地のメンバーに追加で推薦した方が良いんじゃないかな、一咲」

「まだ早いよ。オーラ値が10万はないと、秘密基地には入れられない」

「厳しいなぁ」

「それだけ危険だってことさ。”羊殺し”で負った怪我を見たら分かることだ。私はすぐに完治したけど、三人は水瀬さんの能力を以てしてもなかなか腫れが引いてないでしょ」

「そうだけど、さ」

 そのタイミングで扉が開く。朝倉あさくらなずなが、警察にカルミアを引き渡して戻って来た。

「問題なく連行されました。絆が悪魔の腕を捥ぎ取ったお陰で、もう禁術のオーラもほとんど残ってはいませんでした」

「それは良かった」

 一安心して、絆はフッと息を吐いて胸を撫で下ろした。

「それから、ベロニカの方は重傷を負わせて撤退させたみたいです。縁さんたちが」

「へっ!?」

 立ち上がった衝撃で椅子を倒してしまう絆。

「ゆ、縁って……お姉ちゃんですか!?」

「ええ。貴方のお姉さん、葉団扇縁。今からここに来るよ」

「わあああっ!」

 一瞬縮こまったかと思うと、そのまま思い切り飛び上がった。

「やったああ!」

 全身を使って喜びを表現する絆に、その場の全員が微笑みを浮かべた。

 年相応の少年らしく燥いでいる彼に、一咲が優しく声を掛ける。

「さあ、仕事全部終えてスッキリした気持ちで会えるように、会議を早く終わらせましょう」

「あっ……すいません、つい」

「いや良いんだ。気持ちはよく分かるし、学園を救ってくれたヒーローだからね。わがままくらい許されるよ。でも出来れば後少しだけ協力してくれる?」

「もちろんです!」

 椅子は倒したままで、絆は立ったまま自分の位置に戻った。



 縁たち四人は生徒会室の前に来てヒソヒソと言葉を交わす。

「ねえプリムラ、どんな風に登場すれば良いのかな!?ほとんど一年ぶりくらいだから、緊張しちゃって……!」

「落ち着いてよ縁。大好きな家族でしょ。自然体で良いんだ」

「し、自然体……自然体って何だっけ?」

 第一印象とはまるで掛け離れた慌てように唖然とする桐也とロズ。プリムラはそんな二人の様子に気づいたようだった。

「ね? 間違いなく絆のお姉さんでしょ?」

「「はい……」」

 背丈はかなり高いし、彼女の方が凛々しい顔立ちをしているが。表情や仕草、醸し出す雰囲気は全てが絆そのものだ。不思議と莫大なオーラの圧を感じる事もない。

「よ、よし……こういう時は観客をカボチャだと思って……」

「いや、それじゃ再会にならないでしょ……」

 呆れ返ったプリムラが思い切って扉を開け放った。

「みんな!縁を連れて来たよ!」

 無防備に姿を晒された縁は、その瞬間に覚悟を決めたのだろう。風格が戻って来ていた。

「ただいま、皆。それに、絆」

 涙を湛えた絆の瞳はキラキラと光を反射し、宝石のように美しい。彼は何も言わずに駆け寄って縁の胸に飛び込んだ。

「お姉ちゃん……会いたかった!」

「もう、いつもはこんな感動の再会って感じじゃないのに」

「だって……この場所。エルミタージュっていう隠れ家を教えてくれた事……その意味をずっと考えて、ようやく分かったから」

「そうなの? どうしてだと思う?」

 絆は抱き着いていた縁の体から一旦離れて、席に座っている躑躅の肩を掴んで前まで連れてくる。

「躑躅みたいな、大切な仲間に沢山出会えたからっ! ここにいる皆、大好き!」

 彼女は顔を真っ赤にして照れてしまっていた。桐也もロズも、その様子を温かく見守っていた。

 人間の心は永遠の未知。それを縁は知っていて、絆に見事伝わったのだった。



 ――メトロポリタン魔法学校地下刑務所。

 日本三大魔法学校と呼ばれるルーブル、メトロポリタン、エルミタージュ。それぞれの学校の創設者はかつて、二十世紀初頭の日本で魔術と超能力、真力を独自に弟子たちに教えていた。しかし技術は然るべき場所で然るべき人間に伝えるべきとの三人の合意により、世界三大美術館の名を取ってそれぞれ開校された。

その中でもメトロポリタン魔法学校は刑務所を保有している。

 異能の力を用いて犯罪に手を汚したものは全員その場所に収容される。世界最高峰の魔術師、超能力者、真力家が異能科学技術を結集させて作った究極の防衛システムがそこにはある。この場所に収容された人間は、いかなる能力であっても精神エネルギーの漏出を阻止される。

 大きな金庫のような牢屋が幾つも並んでいる。一咲がオーラ認証装置を通ると、カルミアのいる部屋の壁だけが透けて中が見えるようになる。

「……やあ、会長」

「様子を見に来たんだ。死んだりされたら困るからね」

「ふん……別に私は、世界に絶望なんかしてない。ただ力が欲しかっただけだ」

「そう。安心した」

 心の籠っていない会話。

「で?どんな風に、犯行を?」

「聞きたいの? 私の馬鹿な計画を。聞いて模倣犯にでもなるつもりかなぁ」

「良いから」

 そうしてカルミアは語りだした。


 ――殺した人間は六人。絆たちの推理の通り、洗脳したソレイユに尽を操らせて生徒を攫って来させていた。他にもあの大会の途中に死亡した生徒も実行犯役に使われていたが、危険を感じ切り捨てた。

 攫ったのは四人。そこでカルミアは、自らを洗脳して被害者の中の一人を恋人のような親近感を持つように認識変更した。その上で、時限式で発動するトラップで殺害。彼女自身の意思で愛する者たちを犠牲にした事となり、禁術が成立した。

 そこからはスムーズだった。自分に従属する人間は所有物として対価に消費できるようになった為、そのまま使用した。後は、自分の子供の頃から持っていた思い出深い本やおもちゃを対価として消費する事であの莫大な力を得たという。

「貴方の価値観は否定しないけどさ。どうせ苦しむなら、別のやり方もあったんじゃない?」

「私には思いつかなかった。それにやっぱり、人を利用するのが一番楽なんだ。私自身まで洗脳して、今思うと馬鹿げたことだ」

「そうだね。話は分かったよ、ありがとう」

 これと言った感嘆もなく立ち去ろうとする一咲を声で引き止める。

「ねえ会長。結局貴方は何者なの?」

「うーん……」

 振り返って少々悩んだ彼女は、言葉を選びながら答える。

「本来……ここにいなきゃならない人物……その半身、ってところかな」

「はぁ?」

 それ以上の事は言及せず、今度こそ一咲はその場から消えた。



 鉄格子の張られた、暗い独房のような部屋。

 一人の少女がボロボロの服を着せられ鎖で右手を繋がれており、自由に動ける範囲にはトイレとシャワーだけが設置されている。

 身体中に痣があり、部屋の至るところに血痕があった。

 ――コツ、コツ。

 その足音が聞えると同時に、女の表情は強張る。

「元気?」

 奇妙な質問を投げかけるのは、神徒椿だった。

「そう睨まないでよ。昔はあんなに素直だったじゃない、黒葉くろは

 自らの名を、まるで今思い出したかのような表情をして答える。

「……私は、死ぬ運命にあったはず」

「確かに一度死んだよ。そう、貴方はベロニカが禁術の為に消費した対価だった。だからね、私の“不合理なイデア”をベロニカに向けたら、歪な形ではあるけど再生できた。肉体も魂も、純粋にはこの世界の物ではないけどね」

「どうして……そんな事をするの」

「柊桐也くん」

 その名を聞いて彼女は青褪める。

「彼がね、うちのメンバーのリナリアと戦ったの。まだ一年生だって言うのにリナリアと互角の勝負をした。ベロニカにも隙を作って大ダメージを食らわすキッカケを作ったんだ。信じられる?」

「桐也くんが……? 彼に何をするつもりなの!?」

「私たちから何かする予定はないさ。ただ、想定外の脅威だからね。今後の為の対策を打つためにアンタを用意した」

「そんな事の為に蘇りたくなんか……うッ……ぁあああ!」

 唐突に全身に激痛が走りのたうち回る黒葉。

「その痛みは副作用だ。君はいわばスワンプマンさ。元々の白詰黒葉の機能を有しているから、存在としては似通っている。だけどお前は本来の沼男の概念とは違って、文字通り沼の泥から生成されたような、不完全な存在。だから、お前が対価として消費された時の苦痛が分割されて不規則に襲い掛かる」

「うわあぁあああッ! いや、嫌っ!」

 椿は悲しむでもなく楽しむでもなく、ただ淡々と言葉を紡いでいた。

「ちなみにね。どんなに頑張っても死ぬことは出来ないよ。君はベロニカの一部で、彼女と私の能力によって守られている。怪我をしても痛みを感じてもそれはあくまで見た目や感覚だけの問題。実質的な存在は一切変わらないから」

 苦痛に耐える黒葉は、絶望に打ちひしがれる余裕もない。

「さて……次はどんな計画を立てようか」

 翻って去っていく椿の後ろ姿。それは黒葉が幼き日に無邪気に信奉していたベロニカの背中と重なる。そんな光景であるはずなのに、今はとても生気がなく薄汚いものに視えた。



――それから数ヶ月の時が過ぎた。

「今年もやって参りました。新年の恒例行事となっておりますエルミタージュ最強決定戦の本戦の時間です」

 会場中から怒号のような歓声が響き渡る。

「司会進行は私、0勝の女王――ではなく、その妹の朝倉蘇芳すおうが担当させて頂きます。宜しくお願い致します」

 蘇芳は姉のなずなと比較してとても静かな語り口調で司会進行を務めていた。

「本戦出場者は三十二名。選抜メンバー二十六名に加え、各部門から一名ずつの優勝者が参戦しております。が、今年のチャレンジャー部門については決勝が引き分けの判定となり二名が本戦出場権を獲得しております。そして、ゲスト枠として――葉団扇縁選手が参戦しております」

 轟音。会場となるグラウンドで地震が起こっているかのような大盛況ぶりだ。シオンが客席で応援しているのは、無事参戦を果たした五人の友達だ。

 シオンの隣の一咲が壇上に出て来た三十二名の出場者を見て呟く。

「これは……また大変な事になったね」

「うん! これ以上最っ高な大会ないよね!」

「ええ。まさかこんな豪華なメンバーが勢揃いするなんて、夢みたい」

 この大会は、エルミタージュに在籍していた期間が一時でもあれば参加が認められる。今年は卒業生が多く参戦しているようで、観客の熱も熱い。

 壇上に並んでいる絆と躑躅は静かに語らい合っていた。

「絆……とうとう来たね。この時が」

「そうだね、躑躅。僕たちの本当の決着。今こそ付ける時だ」

 カルミアの件があって一段と強くなった二人は、今や学園の中堅クラス以上の実力を手に入れている。半端な相手に負ける心配はいらないが、この大会にそんなレベルの人間は極少数しか含まれていない。

 ゲストの卒業生たちは皆、秘密基地のメンバーよりも格上の能力を持っている。その領域に絆は想像が及ばないが、その事実がより一層興奮を掻き立てるのだ。

「ねえ絆」

「ん?」

「手加減したら絶交ね」

「……あはは。珍しくバカみたいなこと言うんだね、躑躅」

 絆は躑躅の眼前まで拳を突き出して、莫大なオーラを放出しながら言った。

「手加減したら殺す」

「……いらない心配だったか」

 開幕前から熱気を放つ出場者がいる事に観客は騒めく。しかしそれは絆だけでない。これから闘いに臨もうとする者たちは、そう簡単に精神の昂ぶりを抑え切れない。そんな戦士たちが猛り荒ぶる会場は、まるで竜巻に包まれているかのような激しく雑然としたオーラで溢れ返り始めた。見ているのが辛くなる程の気迫。それだけに寧ろ刺激される観客たち。

 波乱の大会が動かす運命は激しく揺れ動く。予知能力者にも想定不可能な確率の揺らぎ。

 ――これだ。僕が求めていたのはこんな世界だ。

 絆は正面に立っている姉を見つめながら、そんな確信を得た。彼女もまたこの心地良い隠れ家に帰って来た事に感慨を覚えていた。

「それでは第一回戦。登場選手は――」

 目を瞑っている間に、周囲の出場者は一度その場から立ち去っていく。残るのは絆と、その対戦相手のみ。

 瞳を目の前の人物へ向けた。

「楓さん。容赦はしません」

「うん、絆くん。全力で来て」

 薄螺戯楓うすらぎかえで。まずはこの目の前の大きすぎる壁を越えなければ、躑躅に辿り着くことは出来ない。彼女と戦えなければこの大会に出場した意味がない。それは手加減したも同じ。躑躅に殺されても文句は言えないし、それは絆にとっても同じだった。

「絶対に勝つッ――!」

 そこで実況の朝倉蘇芳が宣言した。

「それでは第一試合。葉団扇絆VS薄螺戯楓。始め――!」

 絆は勝つつもりでいるが、それでも結果は分からない。しかしそれが良い。

 重大な決断や、生と死の瀬戸際に常に身を置いておける。この博打のような日常が、絆にとっては人生における最高の希望となった。

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隠れ家に咲く花Ⅰ 登坂けだま @Kedama_Tosaka

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