真夜中の宅急便
早河縁
真夜中の宅急便
蒸し暑く寝苦しい午前二時。俺はあまりの暑さに目を覚ました。エアコンのタイマーが切れて結構な時間が経ったのだろう。
冷たい水でも飲もうと、冷凍庫を開けて氷を取り出しコップに入れる。美味いとは言えない都会の水道水をそのままコップに注いで、俺は一気に飲み干した。一杯じゃ足りない。もう一杯飲もう。
そう思った時、ピンポン、と家のチャイムが鳴った。
なんだ? こんな真夜中に。時計を見ると、針は間違いなく午前二時を指していた。念のためドアスコープを覗くと、なにやら帽子をかぶった宅配便の業者のような人物が立っていた。
明らかに怪しすぎる。絶対に不審者だ。俺は踵を返してリビングに向かった。
「宅急便でーす」
こんな真夜中に宅急便なんて来るはずがないだろうが。
どうあがいても信じられないので俺は適当に「置き配しといてください」と言って、リビングに戻った。そして用意していた氷水を飲み干し、エアコンをつけてベッドに横たわった。
そして翌朝。大学に行こうと身支度をして玄関ドアを開けると、何かにぶつかった音がした。
「なんだ?」
その時、ふと真夜中のことを思い出した。本当に置き配していったのか? あいつ。
恐らく荷物であろう物をドアでずらして外に出ると、そこには三十センチ四方程度の大きさのダンボールが置いてあった。興味本位で部屋の中に持ち込み、カッターでガムテープを切って開けてみると、中には新聞紙と一緒に、ヒトの頭が入っていた。
「うわあっ!」
驚いて尻もちをつく。恐る恐るもう一度覗いてみると、そこには紛れもなく生首が入っていた。
しかも、この頭には皮らしきものが張っておらず、筋繊維や脂肪や眼球が丸見えになっているのだ。それがまたこの生首の不気味さを増していた。
どうしていいか分からず、俺はその生首を新聞紙に包み直し、半ば逃げるように大学へ向かった。今はただ、この非現実的な状況を信じたくなかったのだ。これはきっと悪い夢に違いない。
しかし、大学から帰っても、生首が入ったダンボールはまだ部屋に残っていた。ちくしょう。
とにかく、この生首をどうすべきか。今からでも警察に相談しようか、いや、面倒事に巻き込まれるのは嫌だし、山奥に捨ててしまおうかと四・五時間ずっと悩んでいると、また、ピンポン、と家のチャイムが鳴り、
「宅急便でーす」
という声がした。
時刻は午前二時。昨日のこともあるし、なんだか怖くなって居留守を使っていると、玄関の方で、どっ、という鈍い音がした。恐る恐る玄関を見に行くと、五十センチ×八十センチの箱が、土間のところに置いてあった。
震えながら箱を開けてみると、木くずと一緒にヒトの右足が入っていた。
「おええっ」
度重なる異様な出来事に耐え切れず嘔吐してしまった。
「な、なんなんだよ……勘弁してくれよ……」
自分の声が震えているのが、自分でもわかった。
なんだ。なにが起きているんだ。これは夢か? 現実逃避をしようとしても、信じたくない現実が目の前に広がっている。
生首の入ったダンボールと、右足の入ったダンボール。両方とも気味が悪いので、触りたくはなかったけれど、とにかく見るのも嫌だったので適当に押し入れにぶち込んだ。
これで視界には入らないし、まずはよしとしよう。しかし……昨日、今日と同じだけれど同じじゃないことが起こって、これでまた明日も『なにか』が届いたらどうしようと思うと気が気ではない。
目が冴えてしまい、俺は一睡も出来ないまま、翌朝大学へと向かった。一日中授業を受けて帰宅する。しかし、あの生首と右足のせいで、自分の部屋なのに自分の部屋じゃないような感覚が湧いてくる。
もう飯もいらない。眠ってしまおう。確か、友達が暮れた睡眠薬があったはずだから、それを飲んでぐっすり朝まで眠りこけてしまおう。
そうすれば真夜中にチャイムが鳴ったって気づかないし、そもそも気づかなければ恐怖はやってこないのだ。妙案だ。俺は睡眠薬を二錠飲んでベッドに寝転がると、そのまま自然と眠りに落ちた。
次に目を開けると、時刻は午前三時を指していた。ああ、よかった。もう二時を過ぎている。
「なんだよ、いけんじゃん」
睡眠薬で早めに寝たせいで早めに目が覚めてしまったけれど、それでも二時を過ぎていれば問題はないのだ。
手洗いにでもいこうとベッドから降りると、ごっ、となにかに足が当たる。すると、そこには四十センチ×七十センチ程度の箱が置いてあった。
もういやだ。開けたくない。中身は体のどこかの部位に違いない。
でも、念のため確認しておかなければ……ガムテープを乱暴に剥がして開けてみると、そこには発泡スチロールの粒と一緒にヒトの左腕が入っていた。
「なんだっていうんだよ……」
おぞましい光景にそう呟くと、玄関ドアの向こうから、
「あざーす、失礼しまーす」
という声が聴こえてくる。昨日と一昨日の夜中に聴いた、あの宅急便の声だった。どうにか幻聴だと思いたかったが、はっきりと耳に残っている声は、まさしく現実のものだった。
ここ最近の疲れが祟ったのだろう、そのまま気を失ってしまったようで、目覚めたときには既に午後八時を回っていた。半日以上も倒れていたようだ。
もうこれ以上この部屋に居たくない。そう思った俺は、一度実家に帰省することにした。大学はしばらく休めばいい(どうせ今日既に無断欠席してしまったし)。左腕が入った箱を押し入れに放り込み、リュックに財布や着替えを詰め込むと、俺は最終の電車に間に合うように家を出た。
心なしか体が軽い。あの忌々しい届け物をもう受け取らずに済むと思うと、自然と晴れやかな気持ちになった。ここから駅までは約三キロ。少し遠いが、歩いて行けない距離ではない。
自然と足早になったため、予定より早く駅に着いた。改札を抜け、ホームに出る。周りには、自分と同じように電車を待つ人がちらほらいた。
急に息子が大学を休んで実家に戻ってきたら親父もお袋もびっくりするだろうな。そんなことを考えながらスマホを眺めていると、
「配達完了しました」
差出人不明のメールが届いた。
冷や汗が出た。落ち着け。今更家に何が届いたところで関係ない。そう自分に言い聞かせていると、急にリュックの重さが増した。中を覗くと、俺の着替えに包まれてヒトの右腕が入っていた。
「ひっ」
変な声を出してしまった。周囲の視線が俺に集まる。
「はは、こんなもん持ったまま電車に乗れるかよ」
俺は来た道を戻ることにした。
アパートに帰って、俺は真夏だというのにも関わらず寒気を覚えて布団にくるまっていた。きっとこれは恐怖から来る寒気であろう。
リュックに入っていた右腕には触れたくもなかったので、リュックごと押し入れにぶち込んでしまった。
あの忌々しい人体の一部たちは一体なんなのだろう。バラバラにされた誰かの遺体を、俺に罪をなすり付けるため誰かが送ってきているのか?
それにしたって変だ。ドアも開けていないのに部屋の中に箱が置かれていたり、リュックの中に詰め込まれていたりと、不可解なことが多すぎる。これはただの宅急便ではない。
そうして朝を迎えて、俺は大学をまた休むことにした。そして、思い切って信頼出来る友人を家に泊める約束をした。そうだ、いっそもう、相談してしまおう、と思ったのだ。これは俺一人でなんとか出来る問題ではない。誰かの力が必要だ、と。
夕方まで待つと、ピンポン、とチャイムが鳴る。一瞬どきりとしたが、あの宅急便の声はしなかったので、バイトを終えた友人がようやく来たのだとわかった。
ドアを開けるや否や、友人は、
「なんだよお前、連日さぼりやがって。寂しかったぞう」
なんて茶化してきた。なにも軽い理由でさぼったわけではない。それも今にわかることなので、俺はまず、友人を家にあげて飯を食いながら事のあらましを説明することにした。
「家にさ、真夜中になると宅急便が来るんだよ」
「宅急便?」
「そう、宅急便。それの中身がさ、なんか、ヒトの体の一部でさ……」
それを聞いた友人は間を開けてからゲラゲラと笑った。
「まさか! お前そんなことで休んでたのかよ。冗談もいい加減にしろよな」
「本当なんだって」
「はいはい」
話題は流されてしまい、それから、疲れている友人はただ飯を黙々と食べていた。するとその時、ピンポン、とチャイムが鳴った。時刻は二十一時を過ぎて、日付が変わりそうなころだった。
「こんな時間にチャイムってなんだよ」
友人は少し冷えた顔で言った。
「宅急便でーす」
その声はまさしく、いつものあの声だった。友人は肝の冷えたような顔をしたが、すぐにはっとして、
「俺が出るよ」
と言った。
「だから言っただろ、真夜中に宅急便が来るんだって……」
俺の呟きを背に、友人は玄関に向かっていきスコープを覗くこともなく思い切りドアを開けた。
そこには誰の姿もなく、ただダンボールが置かれていた。大きさは五十センチ×八十センチくらい。ああ、またあれか。俺は恐怖で動けなくなった。
友人がダンボールを持ってリビングに戻って来る。
「開けようぜ」
物怖じすることなく、友人はダンボールのガムテープをばりばりと剥がしていく。ああ、いやだ、見たくない。目を瞑っていると、友人が「あん?」と不思議な声をあげた。
「なにも入ってねーじゃん」
その声を聴いて俺は目を開けた。ダンボールの中には、透明な緩衝材に包まれたヒトの左足が入っていた。
「うわあ!」
友人は不思議そうな顔をする。
「なにしてんだよ」
「だって、ほら! 見ろよ! ヒトの足が……」
「はー? 空っぽだろ。現に軽いぜ、このダンボール。お前、疲れてんだよ」
友人には本当にこの左足が見えていないのだろうか。なんだって言うんだ。どうして俺にだけ見えるんだ。どうして……
友人は翌朝帰っていき、俺はまた一人、この部屋でヒトの体の一部たちと一緒に過ごすこととなった。大学は当然休んだ。とてもじゃないが、行ける気分じゃあない。
日中はずっと寝込んでいたので、すぐにまた夜が来た。首、右足、左腕、右腕、左足……。足りないパーツはあと一つ。胴だ。今夜も例の箱が届くのだろう。もううんざりだ。
しばらくすると、ピンポン、とチャイムが鳴った。俺はすぐさま玄関の方に向かい、
「いい加減にしてくれ! もうなんなんだよ!」
と叫んだ。一瞬の沈黙の後、リビングの方から、どさっ、という音がした。
「まさか……」
案の定、押し入れの前にダンボールが置かれていた。中を開けると、予想通りヒトの胴体が入っていた。一体俺が何をしたっていうんだ。俺は箱ごと胴体を押し入れの中に投げ入れ、床に突っ伏して泣いた。毎日、真夜中に配達される荷物。受け取り拒否は不可能。ドアを開けなくても、部屋を離れても、必ず配達される。友人や親にも頼ることは出来ない。もう俺には、どうしようも無かった。
ここで俺の体に何か生温い液体が触れた。顔を上げると、その液体は押し入れの中から染み出ていた。俺が押し入れに手をかけようとした刹那、押し入れが内側から蹴破られた。倒れ込む俺。目の前には、自分と同じくらいの背丈のヒトが立っていた。そいつは俺の上に馬乗りになると、俺の顔を引掻き始めた。
「ぎっ、ああああ! 痛い! なにするんだ、やめろ! やめろおおお!」
ここで俺はひどい思い違いに気付く。足りないパーツはもう一つあった。顔の皮だ。
瞬間、俺の顔の皮が信じられない程の怪力でみるみる剥がされていく。
「あっ、あああああいたい! いたい! いたい! いたい!」
俺は自分の運命を呪った。
なんで、どうして、こんなことになっている?
痛い、痛い、いたい、いたい。めりめりと剥がれていく俺の顔面の皮。器用に剥がされたそれは俺の目の前に掲げられている。
血が滴っているそれを、ソイツは被って見せた。
すると、たちまちその皮はソイツの顔面に吸着していき、『俺』の顔が出来上がった。
ソイツはにんまりと笑った後、俺の上から立ち退いて、タンスから服を取り出すと着替え始めて、完全なる『俺』になった。
俺は出血と痛みで、どんどん意識が遠のいていく。
アイツはなんなんだ? 俺に、なり替わったのか? そうだとしたら、今ここにいる俺はどうなってしまうのだろうか?
そんなことを考えながら、動けずにソイツの動向を見守ることしか出来ない。
俺はついに意識を手放した。
そして、次に目を覚ました時。窓の外は明るくなっていて、もう朝なのだとわかった。
「あ」
部屋を漁っている『俺』はいつも俺が大学に持って行く荷物を見つけ出したようだ。
そして、それを背負って、俺の方に向かってくる。
「な、なにを……」
『俺』は俺を怪力で担いで、押し入れの方に歩みを進める。
「やめ、やめろっ」
そして、押し入れの扉を開けて、『俺』は俺をダンボールだらけのその中に押し込んだ。そして、そのまま押し入れの扉は閉められて、俺の視界は真っ暗になる。
押し入れからアイツが離れていく足音。
そして、重たい玄関ドアのガチャンと閉まる音がして、俺は心臓が早くなるのを感じた。
アイツは、『俺』として出かけて行ったんだ――
「いやだ……」
俺は酸素の少ない空間で、また意識を飛ばしそうになっていた。今ここで眠ってしまったら、どうなってしまうのだろうか。
わからない。
わからないけれど、どうにも眠くて仕方がない。
眠らなくてはいけないとさえ思う。
もう、いいか。
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