婚約者である王子が私との婚約を破棄するつもりらしいので、破棄される前に呪殺してやろうかと思いましたがさすがに抹殺するのはまずいので、『婚約破棄』というたびに恐ろしい腹痛に襲われる呪いで我慢します

くろねこどらごん

第1話

「ジュオン、今日をもって、君との関係を終わらせてもらう」


 王宮の一室。

 茶会に招待されて呼ばれたこの場所で、ジュオンは、ガマンデキン王国第三王子にして、婚約者であるシャイセ・ガマンデキンにそんな言葉を告げられていた。


「…どういうことですか?」


「聞かないと分からないの?お姉様って、本当に鈍いのねぇ」


 冷静に問いかけるジュオンに対し、投げかけられるは中傷の声。ただ、声は甲高く、王子ではない女性のそれである。

 ジュオンを心底馬鹿にしきっているその声の主、ノロイジーヌは、ゆっくりとシャイせ王子に近付くと、まるで見せつけるように彼の右腕に己の腕を絡ませると、姉であるジュオンのことを、文字通り見下していた。


「ノロイジーヌ…?貴女がどうしてここに…」


「分からない?ふふっ、なら教えてあげる。お姉様、貴女の居場所はもうないの。シャイセ様は、この私を選んでくれたのだから」


 だから貴女はもう用済みなの。

 そう、ノロイジーヌは告げた。勝ち誇った笑みを浮かべて、これからの未来を夢見る少女のように。

 血を分けた肉親に向けた悪辣な調べを聞き届けながらも、美しき金糸のごとき髪を揺らし、王子もまた頷いた。

 愛しい女の願いを相分かったと。それ以上言う必要はない。これからの責は自分が負うとでも告げるかのように。

 傍から見れば、ひどく醜悪に見えるやり取りも、当事者同士は気付かない。

 互いが互いの姿しか見えておらず、彼らにとって互いの瞳に映る者以外、今この時には必要ないからだ。

 よって、シャイセは整った顔にひどく満足げな表情を浮かべながら、もう一度高らかに―――


「ジュオン!たった今をもって、君との婚約は破棄させフォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!」


 ギュルルルルルルルルルルルルルルルッッッッッ!!!!!!


 婚約破棄を宣言しようとした次の瞬間、何故か王子は絶叫していた。

 同時に凄まじい轟音が辺りに響く。その音はこれまた何故か、王子の腹の辺りから聞こえていた。


「お、王子!?いったいどうしたんですの!?」


「い、いや、何故か急に、は、腹の調子が…」


 ノロイジーヌは慌てて王子に問いかけるも、シャイセにも皆目検討がつかなかった。

 つい先ほどまで体調はすこぶる健康だったというのに、この腹痛はいったいどういうことなのか、彼自身が知りたいくらいである。


「なにか悪いものでもお食べになったのでは…ハッ!お姉様、もしや貴女、シャイセ様のお茶に毒でも入れたんじゃ…!」


「い、いや、それはない。私はまだカップに口も付けていないんだ。一刻も早くジュオンとの『婚約を破棄』して君との結婚…ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!」」


「お、王子!!??」


 またしても絶叫する王子。それを驚愕の表情を浮かべるノロイジーヌ。

 そしてそんな彼らの姿を見て、ジュオンは密かにほくそ笑んだ。


(フフッ、どうやら効果はあったようですわね)


 眼前に広がる阿鼻叫喚の有様を目にしても、彼女はまるで動じていなかった。

 何故ならこの状況を作り出した張本人こそ、ジュオンにほかならないのだから。


(貴方がいけないんですのよ、王子。貴方が私を『婚約破棄』しようとしたのですからね)


 内心でそう呟くジュオン。彼女はノロイジーヌの言うように、王子に毒を盛ったわけではなかった。

 仮に証拠を探したところで、ジュオンに容疑はかかることはないだろう。

 何故なら、彼女が取った方法はそういった物的な手段に頼ったわけではなかったからだ。


(そう、呪われたとしても、文句は言えませんよね?王子…ふふっ…)


『婚約破棄』。その単語を口にするたび、猛烈な腹痛に襲われるという、恐ろしい呪いを、彼女は婚約相手である王子に実行していたのであった。




 ※




「シャイセ様ぁ。いつお姉様と別れてくれるんですかぁ?」


 それは遡ること数日前。

 家の所用でジュオンが王宮へと訪れた時のことだった。


「うむ。近々正式に伝達するつもりだ。僕とて、早く君と一緒になりたいからね、ノロイジーヌ」


「嬉しいですわ。私もずっとシャイセ様と、正式な婚約者になりたかったですから」


「僕もだよ、可愛いノロイジーヌ。愛しい人よ…君と結婚できるなら、僕はどんなことでもしてみせるさ」


「ああ、王子ぃ…」


 用事を終わらせ、せっかく来たのだからと婚約者である王子へ挨拶に行こうとしたところ、たまたま通りかかった部屋の前で、王子と妹が密会している場面に遭遇してしまったのだ。


(なんてこと…まさか王子が、ノロイジーヌと浮気をしていただなんて…)


 眼前で甘い蜜月を交わす二人の姿に、一瞬悲しい気持ちになるものの、彼らの会話はまだ終わっていない。

 泣きそうになるのをグッと堪え、再びふたりの会話に集中する。


「でもシャイセ様。ただ伝達するだけなんて、つまらないと思いません?せっかくですから、もっと派手にいきましょうよ」


「というと?」


「お姉様の前で、シャイセ様が直々に婚約破棄を突きつけてあげるんです!私も付き添いますから、ふたりでお姉様に惨めな現実を叩きつけてあげましょう!お姉様はきっと、いい顔で絶望してくれますよ!」


 いけしゃあしゃあと、とんでもないことをのたまうノロイジーヌ。

 冷静に考えてもそうでなくても、到底まともな発想ではない。


「お、おう」


 事実、王子は引いており、ちょっとこの子と婚約し直すの考え直そうかなと、頭の片隅で思ってしまうくらい、ナチュラル畜生の発言であった。


「ああ、本当に楽しみ…お姉様、どんな恨み言を吐くのかしら。泣いてくれるかしら。想像しただけで、心がピョンピョンしてしまいそう…!未来の王妃から一転、婚約破棄を叩きつけられた惨めな侯爵令嬢に堕ちるなんて、もう考えるだけでワクワクが止まりませんわ!これほど最高のシチュエーションなんて有り得ませんもの!」


 鼻息を荒げるノロイジーヌだったが、それは傍から見れば邪悪そのものである。

 この女が王妃になったなら間違いなく国は早々に傾くことだろう。

 事実王子はドン引きしており、内心やべー女だと冷や汗を流していたりする。


「ほ、ほどほどにな…あまり王族の品位を落とされるとその、僕も困るというか…」


「勿論!私が王妃になった暁には、このことを喜劇として演目に加え、王国の民へと語り継がせてあげますわ!題して『最悪と言われた侯爵令嬢~悪事を暴かれ、王妃から一転悪役令嬢として奈落の底へ。浮気したお姉様なんて、婚約破棄されて当然です。傷ついた王子を癒し、幸せにしてあげるのは私の役目だと知りなさい!妹に許してくださいと土下座で謝ったところでもう遅い~』……ああ!なんて完璧なタイトル…!国民にもバカウケすること間違いなしですわね!自分のネーミングセンスの高さが、我ながらあまりにも恐ろしい…私って、なんて完璧なのかしら…」


 いや、なげぇよ。センスねぇなコイツ。


 辛辣なツッコミを内心同時にいれるジュオンと王子。

 現婚約者同士の心が、ひとつになった瞬間であった。


「は、ははは…ま、まぁとにかく、婚約破棄は僕から彼女に告げることにしよう。そのほうがジュオンも諦めてくれるだろうからね」


(………!)


 その言葉を耳にして、ジュオンは踵を返した。

 音を立てないように慎重に周囲に気を配りながら、もと来た廊下を引き返していく。

 その表情は険しく、彼女の内心がいかに荒れ狂っているかを物語るものであった。


(王子…貴方という人は…!)


 妹の甘言に乗せられたとはいえ、王子は自分を婚約破棄するつもりでいるのだ。

 それは長年の婚約者に対する明確な裏切り行為であり、ジュオンからすれば到底許せるものではない。

 父であるブッコロ侯爵はジュオンにあまり関心はなく、継母であるオッチヌはジュオンを疎んじ、実の娘であるノロイジーヌを溺愛していたため、家族にも味方といえる人間は存在しなかった。

 王子に婚約破棄されたとしたら、おそらく遠方の老貴族にでも嫁に出され、悲惨な生涯を遂げることになるだろうことはジュオンにも容易に想像がつく。

 それこそ、妹の思惑通り、奈落の底に落ちることだろう。

 そう思うと、フツフツと怒りがこみ上げてくる。到底我慢できることではない。

 ジュオンの堪忍袋は、今にもブチギレ寸前であったが、相手は王族。

 ジュオンは侯爵令嬢とはいえあくまで今は貴族の立場であり、絶対的な身分の差があった。

 加えて孤立無援とあれば、本来ならばもはやどうすることもできず、己の運命を悲観しながらひとり泣き崩れることしかできなかっただろう。

 そう、本来ならば。


「ついに、この時がやってきましたのね…」


 そう呟くと、ジュオンは口角を釣り上げニヤリと笑った。

 彼女には秘策があったのだ。隠し玉と言ってもいい。

 所詮なんの力も持たない小娘と侮る王子に、目に物を見せてやる。

 宝石より固い決意を秘めながら、ジュオンは屋敷に帰宅すると、足早に自室へと向かい、辺りに使用人の姿がないことを確認すると、部屋の扉をバタリと閉める。

 そのまま足早にクローゼットへと手をかけると、奥に隠していた宝箱を引っ張り出す。

 厳重に鍵がかけられたそれは、まるでなにかを封印しているかのようであり、どことなく怪しい雰囲気を放っていた。


「ふふふ…まさかこんな日が来るとは…」


 そんなことはお構いなしとばかりに、ジュオンは鍵を取り出すと、迷うことなく鍵穴へと突っ込みくるりと回す。

 カシャリと小さな響きとともに開錠されたそれをゆっくりと開けていく。

 そこにはジュオンが幼い頃から集めていた宝物と、一冊の本がある。

 黒塗りの表紙に金の刺繍が施された豪奢な作りのそれは、けれど外観以上の存在感を確かに放っている。

 彼女は丁寧な手つきで宝物を避けると、その本を手に取った。

 これこそが、ジュオンの切り札であり、自身の運命を変える力。


「やってやりますわ。私をコケにしたこと後悔しなさいな王子…!」


 その名も―――


「これさえあれば、貴方を呪うことが出来るんですわよ。この…『誰でもできる、正しい貴族の呪い方』で!」


 ババーン!と、本を天井に向かって掲げるジュオン。

 その本は彼女が幼い頃、継母と腹違いの妹にいじめられた際、逃げるためにこっそり忍び込んだ書庫で見つけた、彼女の心の支えそのものであった。


「この本に、私はどれだけ助けれてきたことか…あの嫌味ったらしい妹の取り巻きに絡まれた時も、王子の婚約者であることを嫉妬されて他の貴族令嬢にいじめられそうになった時も、貴方がいたから乗り越えてこられたのだから…」


 そう言って愛でるように本の表紙をジュオンは撫でる。

 本当に、この本には何度も助けられてきた。

 数人に囲まれた時も、「でも私、こいつらをいつでも呪い殺せるんだよな」「こいつらイキッてるけど、生きていられるかの生殺与奪の権は私が握っているんだよな」と思えば、ピヨピヨ吼える小鳥ちゃんのように思えてむしろ可愛く見えたし、自分より綺麗な貴族令嬢に絡まれた時も、「でもこいつ、死に顔は相当ブサイクになるんだろうな」「オークの番になる呪いをかけてやれば、王子どころかモンスターの嫁になって家の汚点になるんだろうな」と思えて微笑ましいくらいだった。


 心の持ち用というのは、人に余裕を生むものである。

 こいつら如き、私はいつでも呪殺できるという圧倒的な自信が、彼女を変えたのだ。

 無論それは家族にも適用されており、王家に嫁いだら時間を置いて、自分を蔑ろにしていた一族全員根絶やしにしてやろうと、密かに画策していたりする。


「先に王子に呪いをかけることになるのは想定外でしたが…なんにせよ、彼も私をコケにしたのは事実。生かしておく道理はありませんわよね…」


 暗い瞳でくつくつと笑うジュオンの姿は、まさに邪悪そのものであったが、ここには彼女を咎めるものも止めるものも存在しない。

 有り体な言い方をすれば、今のジュオンは暴走していた。ちなみに目も大分イってたりするが、そこは言わぬが花というものだろう。


「さぁ、覚悟なさい王子!ついでにノロイジーヌにも想像できる限りの苦痛を与えて、両者共々地獄送りにして―――」


 ひとりノリノリでページをめくり、いざ呪いをかけようとしたのだが、そこで指の動きがふと止まる。


(…………あれ?さすがに王子を呪殺したらバレるのでは?)


 そんな現実的な考えが、彼女の脳裏によぎったからである。

 テンションの赴くままに実行に移そうとしていたが、よく考えてみれば王家の人間。それも王子を呪い殺した場合、とてもまずいことになるのではと、頭の冷静な部分が訴えてくる。


「ナルシストの王子に合わせて、鏡の前に立って自分の姿を見たら笑いが止まらなくなる笑い死にの呪いをかけようと思ってましたけど…よく考えたらさすがに不審な死に方ですわよね…これだと、宮廷魔術師の調査が入るかも…」


 そうなったらまずい。非常にまずかった。

 ジュオンは己の一族郎党まとめて呪い殺す気満々であったが、決して自分が死にたいわけではない。

 むしろ物凄く生きたかったし、自分が可愛くて仕方ないタイプである。

 ハッキリ言えばクズであったが、そこはそれ。これはこれだ。

 家族は自分以上のクズ揃いだし、自分がやろうとしていることは断じて悪いことではなく、むしろ世のため人のためになると確信しているため、罪悪感などというものはこれっぽちも抱いていない。


「いやでもバレない可能性だって…とはいえこの本がある以上、呪いの存在は国も知っているかも…宮廷魔術師の方に知り合いはいませんし、詳しい調査方法はわからない…王子を呪殺するのはリスキー過ぎる、かしら…?呪いは実際かけたことはないから、痕跡があれば辿れる可能性が…そうしたら、私が捕まってしまう…私は浮気者に天誅を下すだけで、なにも悪いことをしていないというのに…!」


 ブツブツとそんなことを呟くジュオン。

 自己正当化しまくりであるが、これが彼女の平常運転だ。

 自分の手を汚したことに悲しみ、涙を流すことはあっても、家族をぶっ殺したことに関しては微塵も悲しむことはないのがジュオンという少女であった。


「くっ、何度考えても、私からは分からない情報が多い以上、王子を呪い殺すのはリスクが高すぎる…!誰かで実験しようにも、王子たちは明日にでも私を婚約破棄しようとしてくるかも…時間がない。どうすれば…!」


 そんなサイコの入った侯爵令嬢は、今窮地に立たされていた。

 王子は殺せない。だけどなにもしなければ婚約破棄され、僻地に飛ばされジジイの嫁。

 そうなればあの腐れ外道の妹は笑うだろう。笑って笑って、一日中爆笑し続けるに違いない。

 それを考えると、腸が煮えくり返そうだ。断じて許容できる展開ではない。

 だけど、とにかく時間が足りない。


「せめて『婚約破棄』さえさせなければ…!」


 そこまで言いかけて、ジュオンの体に電流が走る。

 その時彼女の脳裏に浮かんだそれは、まさに逆転の発想。

 天命といえる閃き。

 起死回生のアイデアそのものだった。


「婚約破棄…?そう、婚約破棄よ!婚約破棄と言わせなければいいんだわ!婚約破棄という言葉を言えなくなる呪いを王子にかけて、私との婚約破棄をできなくさせてしまえばいいのよ!」


 ゲシュタルト崩壊が起きそうなほど婚約破棄を連呼しながら、ジュオンは今日一番の笑みを浮かべていた。


「そうと決まれば早速呪いをかけましょう。あ、これがいいわね!特定のワードを口にするたび、死にそうなほど恐ろしい腹痛に襲われる呪い!WOWワオ!まさに今の私にピッタリの呪いじゃない!これで一部の隙もない完璧な計画となったわ!呪い殺すわけじゃないから、言い逃れだっていくらでもできる!…はず」


 最後はちょっと自信がなくなり、少し小声になってしまったが、都合の悪いことはスルーするところがジュオンにはあった。

 要するにかなり図太い、いい性格をしてたりする。

 妹のノロイジーヌもこの性質を持っているあたり、これは侯爵家の血が影響しているのかもしれない。

 控えにいって相当クズな血筋であるが、本人達に自覚がないあたり、救われることはないだろう。もっとも言及されたところでこれまたスルーするだろうから、それはそれで幸せなのかもしれないが。


「モレールモレールゼタイモレール。オナカゴロゴロピーゴロロ。アシタハトイレデナイアガラー!」


 そんなこんなでジュオンは王子に呪いをかけた。

 婚約破棄と言うたびに、恐ろしい腹痛に襲われる、ある意味で最悪の呪いを。

 その日のジュオンは安心からグッスリと熟睡することができ、やがて運命の日を迎えたのだった。




 ※




「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!死ぬうううううぅぅぅぅっっっっ!!??」


「王子!?しっかりして、王子ぃっ!!??」


 そして、時は戻って現在。

 ジュオンがかけた呪いによって、王子は現在死にかけていた。


「ホッホッ、ホアアアアアアアアアアア!!!尻が、尻が焼けるうううううううう!!!僕の括約筋が大活躍してるうううううううう!!!!大だけにいいいいいいいいいい!!!!!」


「シャイセ様!気を確かに持ってください!お姉様と『婚約破棄』するのでしょう!?『婚約破棄』して私達の未来とお姉様に絶望を叩きつけると言っていたじゃないですか、王子ぃっ!!!」


 ギャルルルルルルルルルルルルルルルッッッッッ!!!!!!


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!じぬ゛う゛う゛っっっっ!!!???」


「ああああああ!!??王子ぃぃぃぃっっっっ!!!???」


 そこには地獄絵図が広がっていた。

 さっきから万事が万事この調子である。

 ジュオンは現実から逃避するべく目を瞑るも、額からツゥッと一筋の雫が垂れ落ちる。


(どうしてこうなったのかしら…)


 呪いが成功していたのは良かった。

 王子にはしっかりかかっていて、婚約破棄というたびに王子は腹痛に襲われ、大声を張り上げ苦しんでいた。

 ここまでは良かったのだ。ただ、ジュオンにもひとつだけ誤算があった。


「王子、もういいです!お姉様を苦しめることは諦めます!絶望に染まるお姉様の顔を見るのは諦めますから、後は『婚約破棄』を宣言して、早くここから去りましょう!『婚約破棄』と言うだけでいいんですから!!!『婚約破棄』!たった一言でいいんです!お姉様に『婚約破棄』を!そう、『婚約破棄』ぃぃぃっっっ!!!!」


 それは自身の妹であるノロイジーヌの存在である。

 彼女は先ほどから狂ったように婚約破棄を連呼して、王子のNGワードに触れまくっているのだ。


「ウボエアアアアアアアアアアアッッッッ!!!???」


「王子!?ウボエじゃないです!!!『婚約破棄』です!ちゃんと言ってええええええ!!??」


「ハグワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 すると必然、王子は苦しむ。

 苦しむ王子を見て、ノロイジーヌはまたNGワードを口にする。

 そしてまた苦しむ王子。

 負の無限ループが、ここに形成されていた。

 王子が漏らしていないのは、ハッキリ言って奇跡と言える。

 手を出すのと下半身は早いが、案外逆の方は我慢が効くのだなと、そんなどうでもいいことをジュオンは思った。軽い現実逃避の結果である。


「あ、あの、王子?大丈夫ですか…?」


 とはいえ、いつまでも他人事のように眺めているわけにもいかない。

 発狂寸前のシャイセ王子に、ジュオンは恐る恐るながら話しかける。


「ぐ、ぐう…ジュ、ジュオン…」


「と、とにかく落ち着いてくださいませ。それにノロイジーヌも、こん…いえ!今はそんなことを言ってる場合ではないでしょう!王子がこんなこと辛そうにしているのに、自分の都合を押し付けるとは何事ですか!侯爵家の娘として失格ですよ!今すぐ医者を呼ぶか、もしくは医務室へと、彼を連れて行くべきです!あるいはトイレもアリですね!いえ、トイレが正解かもしれませんそうしましょうかええそうしましょう!」


 途中で声を張り上げたのは、無論後ろめたさを誤魔化すためである。

 なにせ王子が苦しんでいる元凶は自分なので、マジで死んでもらってはこっちが困る。

 そんな自己中全開の考えで動いているジュオンだったが、そんなことを神ならぬふたりが知るはずがない。


「ジュオン。君ってやつは…」


 思わぬ助け舟を出されたシャイセはこの瞬間、腹痛も忘れ感動していた。

 自分は婚約破棄を突きつけるつもりでこの場に呼んだというのに、彼女は庇ってくれたのだ。

 さらに自分から言い出しにくかったトイレに行きたいという気持ちも、ジュオンは察してくれている。


(君は女神か、ジュオン。私は君を、婚約破棄しようとしたというのに…!)


 人は弱っている時に優しくされると、つい絆されてしまう生き物である。

 まして、彼は女性にすこぶる弱い男であった。ノロイジーヌに誘惑され、彼女の姉にでもある婚約者の悪評を吹き込まれ、下がっていたジュオンに対する好感度が、あっという間にグングンと回復していく。実に単純な男である。


「なによ!お姉様なんかに説教されたくないわ!シャイセ様のことは、私が一番理解しているんだから!」


 一方、ノロイジーヌに反省の色はまるでなかった。

 姉であるジュオンが婚約破棄されれば、王子と結婚できるのは自分であるという自負があるからだ。

 シャイセからの愛を疑っていない彼女にとって、ジュオンは自分たちの未来を邪魔する路傍の石に過ぎない。

 そんな石ころの話に人間が耳を傾けるなどちゃんちゃらおかしい話しであるというのが彼女の言い分だ。

 よって、ノロイジーヌは己の考えを改めるつもりなど毛頭ない。

 それはつまり、


「さぁ王子!今こそお姉様に『婚約破棄』を!もうお前など私には必要ないと、『婚約破棄』を宣言してあげるのです!お姉様に絶望をっ!」


 ギョルルルルルルルルルルルルルルルッッッッッ!!!!!!


「ハピョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」


「王子!?」


 ノロイジーヌの叫びにより、またもや始まる無限ループ。

 先ほどまでの地獄絵図が、再び再開されるのかとジュオンは焦る。

 だが、今回は少し違った。王子の中で、ひとつの気付きが生まれつつあったのだ。


(な、何故また腹痛が…!ジュオンに話しかけられた時は収まったというのに…ノ、ノロイジーヌに話しかけられたからか…?)


 それは激痛の中で生まれた、半ば確信に近い疑問だった。

 ジュオンに話しかけられた時に痛みがなかったことが決定打となり、この時点でシャイセの中では、既にジュオンとノロイジーヌの好感度が逆転していた。

 よって、その思考は自ずとジュオンに都合がいい方向に向かうことになる。


(特に『婚約破棄』と言われるたびに、腹痛が襲ってきていないか…?そうだ、ノロイジーヌが婚約破棄というたびに、私は腹が痛んで…もしや私は、ジュオンと婚約破棄をしたくない、のか…?)


 それはジュオンが実際に聞いていたら、なんとも微妙な反応をせざるを得ないものだった。

 彼女からすれば婚約破棄を阻止するためという名目と、処刑されたくないという自己保身全開のチキンメンタルからの妥協の呪いであったが、そのことに王子が気付くはずもない。

 ましてや今の彼の精神は度重なる腹痛により、限界寸前まで磨り減っているのだ。

 他者を気にかける余裕すらないため、気付けというほうが無理な話しである。


(そうだ、そうに違いない。ああ、私はなんて愚かなことを…私を気にかけてくれるうえに、気持ちまで察してくれる女性を婚約破棄しようだなんて…!穴があったら入りたいくらいだ!いや、今は駄目だな!出てしまう、色々なものが!)


 そんなわけで、シャイセはジュオンをまるで理想の女神かのように錯覚してしまった。

 こんな素敵な女性と別れようとしていた自分はなんて罪深い男なのかと、極限状態と相まって脳内補正が全開に働いてしまったのだ。

 思い込みのままに彼は胸元のポケットへと手を入れると、中から小さなベルを取り出し二度振った。

 カランコロンと場違いな金属音が僅かに響くと、しばし遅れて部屋に数人の衛兵がなだれ込んでくる。彼が使ったのは、人を呼ぶ魔道具の一種だった。


「王子!お呼びですか!」


「あ、ああ。衛兵長、よく来てくれた…」


「これは…顔色が良くないですな。もしや毒を…!」


 王子の顔を覗き込んだ衛兵長が、ジュオンとノロイジーヌの侯爵令嬢姉妹に視線を向ける。


「へ!?いえ、わ、私はなにもしていません!毒なんて使ってないし、呪いだってかけてませんから!女神様に誓って本当です!」


「呪い?」


「い、いえ!違います!そうじゃなくて、その!」


 兵士の目力にガチビビリし、うっかり墓穴を掘ってしまい慌てふためくジュオン。

 だが、口に出してしまってはもう遅い。衛兵長は王子の顔を見て、考え込む仕草をみせると、


「そういえば、この症状。呪いのそれに酷似しているな。まさか…」


(やっべええええええええええええええええええええええ!!!!!)


 ジュオンは内心叫びまくっていた。

 呪いに関する知識は、警護の兵もしっかり持っていたらしい。

 呪殺しなくて本当に良かったと思いつつ、自分の世間知らずっぷりを嘆くも、それすら遅い。このままではガチの悪役令嬢として、断罪コースまっしぐらである。

 もう背中は冷や汗が流れまくっていたが、その時彼女にとって予想外のことが起きた。


「う、ううう…ま、待ってくれ衛兵長。ジュオンは違う。彼女は私に、呪いなどかけていない…」


「お、王子…?」


 困惑するジュオンをよそに、シャイセは自身の近くにいるノロイジーヌを指差し、


「呪いをかけたとすれば、この女のほうだ。この女は私を誘惑し、国を滅ぼそうとした恐ろしい女だ。罪はなんでもいいから、適当にでっち上げて処刑してくれ。生かしておいては国が滅ぶ」


「え」


「はい、分かりました!責任をもって処刑します!」


「え」


 そのまま屈強な衛兵により、ズルズルと引きずられていくノロイジーヌ。

 顔にはずっとハテナマークが浮かんだままであり、状況がまるで理解できていないようだ。

 それはジュオンも同様だったが、なんにせよ自分は無事で良かったと、ホッと胸をなで下ろす。

 腹違いの妹に責任を擦り付けて安堵するのはまさしくクズの所業であったが、それに気付いてないあたり、彼女は根っからの悪役令嬢であった。


「ジュオン、済まなかったね。君のことを私は…」


「あ、王子…」


 そんなジュオンに、腹を押さえながら近づいてくる王子。

 彼はジュオンの前に立つと、ゆっくりと頭を下げ、こう言った。


「ジュオン、改めて君に聞いて欲しいことがある。私は気付いたんだ…君のことを、愛している自分がいることに!」


「え…」


「この腹痛は、きっと警告だったんだろう。本当は君のことを誰より愛しているのに、それに気付かないのは何事だという、自分自身の怒りの声だったに違いない…そのことに、私はようやく気付くことができたんだ」


「そ、そうですか…それはなによりですね、あはは…」


 実際は浮気野郎をぶっ殺すつもりだったけど、処刑にビビって妥協した嫌がらせ全開のただの呪いなんですとは言い出せず、適当に相槌を打つジュオン。

 そんな彼女に盲目と化した王子は気付くことなく話を続ける。


「ああ。それでだ。これからも、いいや、これからの未来を、私とともに歩んで欲しい…都合のいいことを言っていることは分かっている。だがもう私には、君以外の女性など考えられないんだ!私は君と結婚したい!お願いだジュオン!私の妻となってくれ!」


 熱く想いを告げてくるシャイセ王子。

 その瞳はどこまでも真っ直ぐで、そしてどこか濁っていた。

 なんならグルグルと回っているまである。それは自己暗示にかかった人、あるいは洗脳された人のそれであった。

 要するに、逆らってはいけないオーラがプンプンである。


「あ、はい。よ、よろしくお願いします…」


「!ああ!ありがとうジュオン!愛しているよ!」


 そんな人に、根っこが小心者のジュオンが逆らえるわけもなく、ただコクコクと頷いて、とりあえず流れに身を任せるのだった。


 なお、


「もうこれからは『婚約破棄』なんて馬鹿なことは二度とフォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!」


「お、王子ぃぃぃぃっっっっ!!??」


 呪いのかけ方は知っていても、解呪の方法は知らないため、王子の呪いを解くため呪術師に弟子入りしたり、脱走した際呪いに取り憑かれた妹と呪術大戦を繰り広げることになったりするのだが、それはまた別のお話である。

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婚約者である王子が私との婚約を破棄するつもりらしいので、破棄される前に呪殺してやろうかと思いましたがさすがに抹殺するのはまずいので、『婚約破棄』というたびに恐ろしい腹痛に襲われる呪いで我慢します くろねこどらごん @dragon1250

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