僕はまだ僕を知らない

晴田墨也

第1話

 青春小説が好きだ。というより、何かに一生懸命な人が好き。本気で取り組む人は見ているだけでワクワクさせてくれるから。

 演劇部に見学に来ないか、と檜山ひやま先輩に言われた時に頷いたのも、先輩の口ぶりからものすごい熱意が感じられたからだ。きっと他にも同じような、本気で演劇をやる人がたくさんいるんだろう、と思って、顔を出したのだけれど。

「あ、檜山が言ってた一年生?」

 先に行ってて、と指示された教室に入ると、男の先輩がたった一人いるだけだった。

「俺、水門克己みなとかつみ、二年四組! お前は?」

 促されて慌てて名乗る。

「ふうん、朝倉一心あさくらいっしんくん。よろしくな」

「は、はい、よろしくお願いします」

「緊張すんなってぇ。どうせここ、俺と檜山と加賀しか来ないから」

「え? 三人しかいないんですか」

「おう。だから部活になれてないの。まだ演劇同好会。あ、でも今日加賀かがは来られないって言ってたから檜山と俺しかいない」

「えぇ……」

 ちょっと、がっかりした。二、三人じゃごっこ遊びと変わらないんじゃないか、なんて失礼なことを考えてしまう。そんな僕をよそに、水門先輩は「じゃ、荷物置いて軽く柔軟しようぜー」なんて声をかけてくる。

「声を出すには身体が動かないとダメだからなー。良い演技は筋肉から! なんつって」

「へ、へえ……」

 なんだか、やけにテンションが高い。檜山先輩も元気のいい人だし、もしかして演劇部ってみんなそうなのだろうか?

「お待たせーっ!」

 柔軟運動を終えたところに檜山先輩が飛び込んできた。

「体験用の台本印刷してきた!」

「え?」

 体験入部というのはたいてい見学に終始するのではないか。檜山先輩もそう言って僕を連れてきた気がする。なのに、体験用の台本?

「せっかく来てくれたんだから、実際の活動を体験してみたほうが面白いでしょ。今日は初めてもらった台本を読み合わせる、というのをやってもらおうと思います」

 にやぁっと笑った先輩に、僕は焦った。

「僕、演劇の経験なんかないですよ!」

「みんな初めは初心者だ!」

「で、でも」

「大丈夫、読み間違えても誰も気にしなーい! 水門、何分?」

「んー、十五分」

「おっけーい」

 じゃ、やってみよう! と元気に言い出す先輩達に挟まれて、僕は困惑した。

 自慢じゃないけれど、演劇の経験はまったくない。素人がいきなり、ずっと演劇をやってきた人と一緒にやるなんて無茶だと思う。

「そもそも読み合わせってなんですか?」

「台本を見ながら読んでいくこと。喋りだけで演劇をするって感じかな」

「喋りだけで演技する?」

「ううん、演劇するの」

 何が違うんだろう。

 首を傾げていると、檜山先輩が笑った。

「じゃ、ちょっと演劇の話をしようか!」

 ピッ、と音を立てて動き出したタイマーを横目に、先輩の解説が始まった。

「じゃあまず。朝倉くん、ドラマは見る?」

「見ます」

「演じるという意味では演劇と近いものに見えない?」

「見えます」

「うん、私も似ていると思う。けれど、決定的に違うところがあるんだ」

 説明する檜山先輩は、僕よりずっと小柄なのにやけに大きく見える。

「たとえば、内緒話や聞かれたくない話をする時、ドラマでは声を小さくするよね。聞こえないように近づけた顔のところだけクローズアップしたりもする。でも、演劇ではそういうことができないんだ」

 親指と人差し指をL字にして、長方形を作ってこちらを覗き込んでくる先輩。

「演劇では、見てほしい場所だけを映すことはできない。音も小さすぎると聞こえない。細かすぎる表情も見えない。つまり、日常の延長みたいな役でも、日常の動作そのままでは演技にならない。『日常の演技』をしなければいけないんだ」

 さっきの声の話でいくと、と先輩が口もとに手を当てて実際に動いて見せてくれる。

「内緒話は、その会話が聞こえていてはいけない役の方を向かないで喋ることで表現する。あと、動きだね。現実の世界と違って、演劇では感情を他の人、観客に見えるような形で表現する必要がある」

 そうか、と納得する。たしかに学校の芸術鑑賞教室なんかで見た劇団では、喜びも悲しみも全身で表現していた。あれは、そうしないとお客さんに伝わらないからなのか。

 頷きながら聞いていると、檜山先輩が目を大きくしてこちらを見る。

「そしてね、一番重要なのは、舞台上での台詞や動きは全て、朝倉くん自身のことではないということだよ」

 それは、当たり前じゃないだろうか。

「例えば今回用意したのは応援部に所属する厳格な先輩と不真面目な後輩っていう役。君は後輩。この人を演じる時は、現実の君がどれだけ真面目でも、この不真面目な人の道理で動かないといけないんだ。初めは動機を考えるとやりやすいかも」

「動機?」

「うん。なんで彼は不真面目なのに応援部に入っているのか。部活なんていつでも辞められるんだから面倒なら辞めればいいのになんでいるのか、あたりを考えるといい」

「決まってないんですか?」

 大きく頷く檜山先輩。

「役者は役を解釈する必要がある。言われるがままに演じるのも一つの方法だし、私もこの脚本はこういうつもりで書いたよって言うこともあるけど、やっぱり自分で考えるのが大事なんだ。自分で納得した上で役を作るのが一番自然な演劇になる。上手くやろうと考えるんじゃなく、自分の解釈のこの人ならどう言うか、を考えるんだ。どう、やれそう?」

「ええと……やって、みます」

 残り時間をちらと見る。あと十五分ほどだ。僕は台本に視線を落とし、ひとつ息を吸って読み始めた。

 場所は、練習場所。練習開始の時間に部員が来なくて苛立っている先輩のもとに後輩が滑り込んでくる。先輩は叱るが、後輩はへらへらと笑って取り合わない。険悪な雰囲気の中、先輩が来年以降の活動への不安を口にする。後輩は何か言いかけるが、結局捨て台詞だけを残して去っていく。先輩だけを残して舞台は暗転する。

「何かを言いかける、って何ですか?」

「今回は朝倉くんの自由な発想で『言いかける』内容を決めて、それを言わないという演技を考えてみるといいよ。途中まで言いかけて止める、とかでもいいし」

「はあ……」

「あ、書き込んでいいからね!」

 ちらりと水門先輩を見る。真剣な横顔は、最初の印象よりずっと大人びていた。いっそ怖いくらいの眼差しで、静かに口を動かしながら台本に何やら書き込んでいる。さっきまでとは別人のようだった。

 きっと今、水門先輩は、台本の中の「先輩」なのだと思う。

 そう感じた。厳格で、ちょっとのミスも許せなくて、後輩だけになった来年の部活のことを案じている、責任感の強い先輩。水門先輩が本当は明るい性格であろうとも、演技をする時はその役のことをとことん考えて、その役のとりそうな言動を取る。そうすることが骨の髄まで染み込んでいる人なのだ、と思う。

 ……僕は、素人だ。演技なんか何も知らない。けれど。

 鉛筆を握り締める。台詞と動きだけを書いた紙を何度も読み返す。

 この「後輩」は何を考えているだろう。「先輩」に何を思っているだろう。どんな気持ちでこの台詞を喋るのだろう。これを言われた時、何を感じるのだろう。思いついたことを書いて、時々消して、考えて、また書いた。

「ほい、時間!」

 気付けばタイマーが鳴っていた。顔を上げると、水門先輩がなんだか嬉しそうに笑っている。

「何だ、素人って言った割に結構のめり込んでたじゃんか」

「え、あ、いや、すいません!」

「もう始めていいか? 心の準備はいる?」

「あ、」

 台本に目を落とす。訳もわからず頭から書き込んでみたから、後半はちょっと心配だ。当然覚えてもいない。でも、初めて渡されたのは水門先輩も同じはずだ。

「……大丈夫、です」

 僕は、頷いた。

「じゃ、始めるぞ。三、二、一、」

 キュー!



「遅い!」

 先輩が不機嫌そうに怒鳴る。

「まったく、時間通りに集まって練習を始めるというだけのことがなぜできないんだ? こんなことでは……」

「すみませーん! 遅くなりましたぁ」

 僕は明るい声を出す。僕の考えた「後輩」は不真面目だけど、部活が嫌いじゃない。だから時々サボっちゃおうかなとか思うこともあるけど、練習の時間に間に合うように行こうとはしている。もし嫌いだったら、怖い先輩が一人で待っている部室に急いで行くわけがない。

「今何分だと思っている?」

 でも、当然先輩はそんなことを知らない。冷たく厳しい声だ。

「四時半でしょ」

 僕は、いや、「後輩」はあっけらかんと言う。四捨五入したらだいたい四時半だから、と悪びれもしない。

「四時三十二分だ! 練習開始は四時半だと言わなかったか?」

 怒鳴る「先輩」。細かい指摘に「後輩」はわざとらしく大きな溜息をつき、

「たった二分じゃないすか」

と言う。すかさず先輩がびしりと言葉を返す。

「その発想がいけないのだ! 我が応援部は創部三十年の歴史を持つ伝統ある部活なのだぞ! 時間の厳守すらできないなど到底許されることではない!」

 その物言いに後輩はむくれる。だって、一生懸命急いだんだから。

「ちょっと遅れたからって……」

「ちょっと遅れただけだという言い訳をしてやめていった部員は多いんだ。それともお前もそうなのか? フン、やる気がないならそれでも構わないが」

 強がっている……のだろうか。先輩の解釈した「先輩」は僕の考えていたより冷たい声を出す。本当の本当にやめてしまってもいいと思っているのだろうか。いや、でもそんなはずはない。だって、

「情けないことだな。伝統ある我が部の最後の部員がお前のような奴だなんて」

僕らは、いや、「先輩」と「後輩」はたった二人きりの応援部部員なのだから。

「俺が卒業するまでもう、半年もない。もうじきお前だけになるのだ。俺のいなくなった部活で、お前は一人でやっていけるのか?」

「後輩」が答える前に「先輩」は「いや」と自ら否定する。

「きっと俺がいなくなったあと、我が部は消えてしまうのだろう。悲しいなあ。先輩達が繋いできた伝統を、俺の力が及ばないがために途絶えさせてしまうだなんて……」

「後輩」が何かを言いかける。

 ……何を言いかけたんだろう、と思った。先輩のことを嫌いじゃないけど、たった今怒られたばかりで膨れている「後輩」。慰めたくなるんだろうか。それとも自分に期待をしてくれない先輩に悔しさを覚えているのか。

「俺がっ……」

 俺がちゃんと繋ぎますよ、と。僕が考えた「後輩の言いかけたこと」はそれだった。けれど、言いかけただけだ。「後輩」の性格からして、そんな熱いことは「自分らしくない」と思って黙ってしまい、代わりに真逆のことを言ってしまう。

「……せいせいするっしょ。こんな暑苦しい部活、時代遅れだし。なに、練習やらないんすか。じゃ、俺帰りますよ」

 早口に言って去ってしまう「後輩」。読み合わせなので動きはないけれど、去り終えたくらいの時間が経った頃、「先輩」がようやく口を開く。

「やはり、そうなのかな」

 今までのトーンとは違う声色だった。

「こんな部活は、時代遅れなのかな……」

 溜息混じりに吐き出された言葉は「後輩」の耳に届くことはない。



「いいじゃんいいじゃんいいじゃん!」

 演じ終えて檜山先輩が拍手をし始めた瞬間、水門先輩が台本を放り出して僕の両手を掴んでブンブン振った。

「めちゃめちゃいいよお前! 短い時間だったのによく考えて演技したじゃん! なあ、入部しない? お前と一緒に演劇やりたいなあ俺!」

「あ、えっと」

 僕はまだドキドキしている。先輩に掴まれている手に視線を落として考える。何だか、すごいことをしていた気がした。すごいことをさせてもらっている気がした。

 少しだけ胸が痛い。

 だって、楽しかった。台本を解釈して、どう言うのが一番役らしいか考えて声を出すのはすごく、楽しかった。先輩の演技に合わせるのも、難しかったけれど面白かった。もっとやりたいと思った。

 けれど、だからこそ、躊躇ってしまう。

「……入部は、やめときます」

 読み合わせだけでもわかる。水門先輩は本気で演劇が好きな人だ。一緒に演劇をやるのはきっと楽しいだろう。

 でも、先輩にとってはどうか。

 今は、初めてだから褒めてくれるかもしれない。面白がってくれているかもしれない。でもそれは今だけだ。部活を続けていくうちに、僕は絶対、先輩の、先輩達の足を引っ張ってしまうだろう。だったら初めから入らないほうがいい。

「なーんだ」

 けれど、そう言って俯いた僕に、水門先輩が笑った。

「要するに楽しかったってことだろ? 楽しんでお前なりの本気で取り組んでくれるんなら、俺はお前を歓迎するよ」

「僕なりって……先輩の期待するような本気じゃないですよ」

「なんでそう思う?」

「…………」

 青春小説が好きだ。本気で何かに取り組んでいる人を見るのが好き。それは羨みの裏返しで、憧れの現れだった。

 だって、彼らは僕にないものを持っている。その「何か」のためなら、何だって放り投げられそうな力強さを持っている。だから、それに釣り合えない僕では仲間になれないと思った。

 そう、思っていた。

 黙り込んだ僕に、水門先輩がけろりと言う。

「俺は演劇が好きだ。最初はどっかの劇団員がやっていることを真似するだけだった。でも、それが楽しくてここまで来てる。誰でもそうだよ。みんな初めは楽しかったから始めた。続けていくうちにいつのまにか本気になるもんなんだよ。お前がお前なりに楽しんで取り組んでくれるんだったら俺は歓迎する。ま、結局そういう奴は上手くなるしな」

 そうなんだろうか。楽しいことには本気になれる、というのはわかるけど、この先輩を相手にし続けてもずっと、楽しんでいけるだろうか。

「お前はまだお前を知らないんだよ」

 水門先輩は放り出した台本を拾い上げる。

「お前は檜山の説明を聞いて、自分なりにこの二人を解釈した。俺と相談もしていない。それでいきなり声の起伏をつけられる奴は滅多にいないんだ。お前は、すごいんだよ。技術も知識もすっ飛ばしてお前は、役者にとって一番大事な『脚本を解釈して自分のものにする』ってことができたんだ」

 先輩がじっと、僕を見つめる。

「朝倉。俺と演劇をやろう。楽しくやれなくなったらいつでも辞めていい。わからないことがあればわかる限りは全部教える。だから少しでも楽しいと思えたんなら、入ってくれないか」

 ——できるだろうか。

 僕は、自分に問いかける。先輩のような人のそばで、やっていけるだろうか。……不安はある。何も知らないのだ、迷惑はかけるだろうし、苦しくなることもあるだろう。

 それでも、先輩は「お前とやりたい」と言ってくれた。

 だったらその言葉を信じてもいいんじゃないか、と思う。楽しかったというただそれだけが理由でいいと言うのなら。

 振り落とされるかもしれない。引き摺られるだけが関の山かもしれない。

 それでも、この人達と演劇をやってみたい、と。

 僕の知らない僕を見つけて、一緒にやろう、と言ってくれる人と演劇をやりたい、と。

 強く、そう思ったのだ。

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