45話 最初の予言
生きることは、運命に抗うことだ。
と、誰かが言った。
もしその言葉が本当なら
そして、次は僕の番だ。
「すぐに戻るから、ちょっとここで待っててくれる?」
そう言い残して多喜さんが女子寮に消えてから、もう二十分が経っていた。
ベンチで足を組み替えて、街灯に照らされる公園樹木を見上げた。いつか見た雛鳥は無事に飛び立つことができるのだろうか。そんなことを考えていたら、
「お待たせ」
多喜さんが神妙な面持ちで帰ってきた。
草臥れた紙束を大事そうに胸に抱えながら。
「これが、その台本ですか?」
「そう、一年前の新歓公演のやつ………ねえ、本当に見るの?」
僕の隣に腰かけた多喜さんが、眉間に皺を寄せて僕の顔を覗き見た。
「
「見たいです」
鐘つき堂が崩れ落ちたからといって、僕は甘んじて運命を受け入れるつもりはない。多喜さんほどできるかわからないけれど、ギリギリまで抗ってやるつもりだ。
そのためにはまず、情報。
僕が知る必要がある。自分に課せられた運命を。
「……わかった」
僕の目から揺るぎのない決意を感じ取ったのか、多喜さんは観念したように台本を開いた。
何度も何度も同じ箇所を開いてきたのだろう、目的のページは自分から手を広げるように勝手に開いた。
またぞろ、眩暈を催すような文字列が目に飛び込んでくる。
役者のセリフが印刷されたページの上に書き殴られた、乱暴な未来の宣告。目当ての記述はすぐに見つかった。
そこにだけ、鮮やかなマーカーペンが引かれていたからだ。
「――――」
脳が揺れた。
文字が眼球を突き破ってくるような衝撃を覚え、思わず目を閉じた。
嘘だろ………。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
そんな言葉が頭を埋め尽くした。
「多喜さん……」
「はい」
「こ、こ、これが………最初の予言なんですか?」
「……うん」
ゆっくりと多喜さんが顔を俯かせた。
「そんな馬鹿な……そんな……」
覚悟はしていた。
運命に抗うと決めてから、非常識と思えるほど想像の幅を広げ、どんな残酷な宣告でも受け入れる用意はできていたつもりだった。
しかし、現実は僕のちっぽけな覚悟をあざ笑うかのように、あっさりと想像の範疇を飛び越えて来た。
……いや、マジでなんなん、これ? なんぼなんでも想像と違いすぎるんですけど。
「いやー、初めてこの予言を見た時は本当にびっくりしたよ。だって、一年前のこの時ってわたし達まだほとんど喋ったことなかったでしょ? まあ、存在は知ってたけどね。すごい真剣な目でジッと見てくる新入生がいるなって思った。ま、まあ、その……ぶっちゃけ? こ……こ…こ……こここ、好みの子がぁ……入って来たなぁとは? 思ってたけよ? うへへ……うへへへへ」
ごめんなさい。
ちょっとその話入ってこないです。
何これ? マジでなんなんだ、この状況。
「え、僕死ぬんですよね?」
「ええ?」
「車に轢かれて………死ぬんですよね?」
「……………」
多喜さんは真ん丸になった目をパチパチと瞬かせ、小鳥のように首を傾げた。
「……何で?」
あなたが轢いてきたからねっっ!
毎日毎日、コツコツ、ミニカーで襲撃してきたからねっっ!
……え、低減ですよね、あれ?
じゃなかったら何だって言うんですか?
あんなことする理由、他に何があるっていうんですか?
混乱する頭の中に、いつかの森田先輩の声が蘇った。
『あいつにめっちゃ気に入られてるじゃん、お前』
『ミニカーとか?』
『アピールして来てんじゃん。あれ、完全に誘ってんだろ』
嘘だろ?
全部森田先輩の言う通りだったってことなのか。あれはただの………アピール?
「それにしても、海堂くん本当に待たせすぎだよー。わたし、その予言が来てからずっと、今日来てくれるかな? 今日こそは来てくれるかなって、毎晩毎晩ドキドキしながら鐘つき堂に上ってたのに。一年だよ? 一年も来ないんだよ? それでやっと来てくれたって思ったら全然違うこと言うし。わたし、予言が変わっちゃったのかと思ってすっごい心配したんだからね、あほー。あ、ところで話変わるんだけどさ」
待って、変わらないで。
僕はまだ最初の衝撃から抜け出せていないんです。
え、つまり、何か? 勘違いってことなのか?
全ては僕の壮大な勘違いだっていうのか?
「ねえ、海堂くん……聞いてる?」
いや、そりゃ勘違いもするだろうよ。
だって一年だぞ。一年間、多喜さんは毎日毎日鐘突き堂に上って、聞きたくもない予言を聞いて、命がけで予言を処理して。
それなりの重さのものだと思うだろう。それこそ人命に関わるレベルの予言と思うじゃないか。
こんな予言を処理するため――いや、実現させるためだったなんて思うわけないじゃないか。
確かに、予言に日時は書いていないから毎日上る必要があるのかもしれないけれど、だとしても、あまり効率が悪すぎませんか。
ねえ、多喜さん。
「ちょっと、海堂くん! いつまで見てるの!」
ようやく僕が話を聞いていないことに気付いた多喜さんが、僕の手から大事な大事な台本を叩き落とした。
「そんな大昔の予言じゃなくて、今できたばっかりの彼女の方を見てよ!」
そして、今なお呆然とする僕の顔を両手で掴むみ、ぐるりと強引に自分の方へと向け直す。
「でねでね? そのー、話は変わるんだけどね。最初の予言でさ、まだ実現してないことがあるじゃない? いっこだけ。ど、どうかな? わ、わ、わたしとしてはぁ……できるだけ早急にぃ……処理した方がいいんじゃないかなーって思うんだけど………ど、ど、ど、どう……でしょう?」
どうもこうもないだろうよ。
真っ赤な顔でぷるぷると震えながら唇を尖らせる多喜さんを、呆れる思いで見つめた。
いつか伊鶴先輩が言っていたように多喜さんは本当にとことんまで『待つタイプ』のようだ。僕がこのまま動かなければ、また一年でもこの姿勢で待つ気なのだろうか。
「……海堂くん」
「はい、わかってますよ」
地面に落ちた台本が風に煽られる。また癖づいたページを開いて、一年前の最初の予言を夜空に向けて公開していた。
『角丸多喜は嬉しい嬉しい 新入生の海堂くんに告白されるよ 夜の鐘突き堂でだよ セリフの練習中にだよ 素敵だね ロマンチックだね ぎゅっとされてるよ よかったね 嬉しい嬉しい嬉しい ちゅーされちゃったよ うへへへへ』
終わり
会う度に、不思議ちゃんのポルシェに轢かれています 桐山 なると @naldini03
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