第5章
海風を吸い込む。今日は一段と風が気持ちよかった。隣には杏也がいる。
「今度、夫に会いに行こうと思うの」
「あ、旦那さんて、5年前の地震で亡くなられた」
杏也の言葉にうん、と頷き、こっちに来てるはずだったのよ、と言う。
向こうでの生活も世界も、少しずつ思い出せるようになってきた。あの震災について私が敏感だったのは、きっとこういう経緯もあったのだろう。市役所を通じて手紙を出せば、夫の家に届くはずだ。
「......俺も旦那さんに会わせてください」
「え?」
静かに考え込んでいた杏也が言った。
「だって俺が、旦那さんの大切な人を」
そこで言葉に詰まる。私たちは足をとめ、少し道の端に寄った。
私はまだ、自分が死んだ時のことをはっきりとは思い出せずにいる。認知機能が落ちていた上、短期的な出来事だったのが影響しているのだろう。それでも、杏也は私に、事件の全容を話してくれていた。
「そんなの、しんどすぎるでしょう。結構な人数......じゃなくて、最終的な世論では、杏也は悪くないって言われてんだし」
夫は知らないし、充分長生きはできたし。他にも理由をいくつかあげたかったが、杏也の意志は堅いようだった。
「......来てもいいけど、少なくともこの世界は、地獄でも天国でもない。現世でやったことの償いをするとか、余韻に浸るとか、そういう場所じゃないのよ」
私たちがこの世界で生きる意味は、そんなことではないはずだ。
「それは、少しならわかります」
杏也はうなずき、また考えるような素振りを見せて、右手に持っていた籠を握り直した。帰り道、その籠にはどんな
ふと、横を赤子を抱えた若い女性が歩いて行った。その慈愛に満ちた振る舞いから、親と子だろうか、と思った。女性は海が見える開けたところで立ち止まると、赤子はそれに向かって手を伸ばし、迎え入れるように両手を大きく広げる。
その様子を共に見ていた杏也が言った。
「景子さん、よかったら18年後、俺の看取りしてくれませんか」
その言葉に、思わず杏也の顔を見る。
「18年じゃ、親も死なないんでしょうし」
杏也は海を見ながら言った。
「いいわよ」
私は笑って答える。杏也が、やりたいことをやって、自分の心に納得して、自分の人生を見つけるのを、見守りたいと思った。
並んで歩き、水平線を見つめる。
新たな命を乗せた小舟は、桜が散るようにゆっくりと、静かに流れていた。
老いて死に、赤子となって 綿花 @minomori
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