舞う花びら

 天使の小町。白地にピンクで書かれたそれは僕のお店の名前であり、看板である。



 僕の名前はクチナシ。今日からこの土地にお世話になるイケメンな天使だ。前は人間がたくさんいる街に住んでいたんだけど、その土地には飽きてしまったから引っ越すことにしたのさ。六十年ほど住んでいたけど、親しかった人間が亡くなってからは生活が味気ないような気がしたんだ。

 今日は一日目、まずは隣人に挨拶をしようと思った。左隣の家は若い夫婦が住んでいた。なんとなく僕の右隣の家はどんな人が住んでいるのか尋ねたら、悪魔が住んでいると言われた。あまり姿を見せないどころか、見たことも無いからと、不気味がっていた。どうやら夫婦がここに住み始めるずっと前からその悪魔はいたらしい。悪魔も天使も、何十年か暮らしたら引っ越す輩が多いのに、どうやらそいつは何百年もずっとここに住み続けているらしいとも言ってた。ずっと前の住人からそう聞かされたらしい。まぁ、人間との馴れ合いに飽きて、ひっそりと暮らしている奴もいるから、多分そういうタイプだろうなと思った。

 左隣の夫婦への挨拶を終え、僕は悪魔が住んでいるという右隣の家の扉を叩いた。

「もしもーし。いますか? 今日から隣に住む天使でーす」

 中々家主は出てこなかった。あの夫婦も姿を見たことが無いと言っていたからあまり期待はしていなかったけど……会ってみたかったな。

「仕方ない……帰ろ」

 あまり隣人付き合いをする気が無いのに、いや隣天使か? とにかく仲良くする気がないのにぐいぐい行くとよくない

と思うから、一度帰ることにした。どうせ先は長い。そのうち家から出てくるだろう。そのときに話かければいい。そう思って自分の家に戻ろうとしたとき、うんともすんとも言わなかった扉が音を立てた。

「え……」

 僕は驚いた。こんな静かな土地で引きこもっている悪魔なんて、ジジイみたいな奴だろうと思っていた。それは違った。出てきた悪魔は海のような青く長い髪を持つ悪魔だった。とても小柄だと思った。女の悪魔だろうが、にしてもかなり小柄だな。と、そのときは思っていた。

「やぁ! 初めまして! 僕はクチナシ。今日から君のお隣さんだ。よろしく頼むよ」

「初めまして。最近何だか騒がしいなと思っていたけれど、君が引っ越してきたからか。……私はミヤ。クチナシ君というんだね」

 皮肉か何かかな、と小さな声で呟いたのが聞こえた。女にしてはハスキーな声な気がする。かっこよくていいと思う。

「実は本名ではないんだけどね。クチナシという花はご存知かな? とても綺麗だったから、気に入ってね。だからクチナシと名乗ることにしたんだ。ミヤ、いい名前だ。ニックネームは? ミヤちゃん? ミーちゃん? 悪魔は自分で名前を決めるんだよね。どうしてその名前にしたの?」

「……あぁ、そうか。私は女性じゃないよ。サキュバスか何かかとでも思った? 姿形は女性の姿になっているけど、元は男の悪魔さ。声なんかは男のものじゃないかい?」

 なるほど、悪魔にしては小柄だなと思ってたけど、女の姿をしているわけか。変わった趣味だと一瞬思ったけど、今はそう珍しいことじゃないんだっけ。いやそもそも、悪魔にとって性別はあってないようなもの、だったか。

「悪魔は自由に姿を変えられるんだっけ?」

「好いた相手の姿以外なら、好きなように変えられるよ」

「へぇー。じゃあ、その姿は」

 趣味? それとも好きな女の姿? そう言おうとしていた。

「そろそろ良いかな。玄関で長話はする物じゃない」

「え、ねぇ!」

「またね」

 そう言って彼は扉を閉めた。しばらくして、ガチャン、と鍵をかけた音がした。せっかく姿を見せてくれたのだから、たくさんお話しをしようと思ったのに。でもまぁ、呼んだら出てきてくれるってことなら、仲良くなれるだろう。悪魔の友達はいなかったから、欲しかったんだ。僕はお喋りが好きだから、たくさん僕の話を聞いてほしいし、彼の話も聞きたい。なぜあの姿なのか。なぜミヤという名前を自分につけたのか。なぜここに住み続けているのか。

 ミヤ、教えてくれないかな。



「もしもーし。こんにちはー! お隣の天使です。ミヤくんいるよね?」

 ここへ来てから二日目。また右隣の家の扉を叩いた。がチャリと音がして扉が開いた。

「また君かい。引っ越しの挨拶は昨日しただろう? 今日はどうしたんだい?」

「僕の家に来ないかい? こんな家にずっといたら気が滅入ってしまうよ。それか、何か気が滅入るようなことがあったから引きこもっているとか?」

「……君はよく喋る子だね」

「子、って……悪魔や天使は見た目での年齢はわからないけど、僕のことを子供みたいに思ってる?」

 どうにか会話を続けたくて、しょうもないことに噛み付いてしまった自覚はある。

「うん。多分、私の方が長く生きている」

「そりゃまぁ、ここに長く住んでるとは聞いてたけどさぁ、僕だっても何十年も生きてるんだから」

「何十年も? 私はここに何百年も住んでいるよ」

 そう言う彼の目は伏せていて見えなかったけど、なんだか寂しそうに思えた。

 けど、身長差のせいで綺麗に見えたつむじをつい触ってしまった。

「わぁ!」

「わぁ。かわいい」

「急に何をするんだ……はぁ。お喋りはもう終わり。帰った帰った」 

「あ、ねぇ! 明日も来ていい? 悪魔とお友達になりたいんだ」

「……気が向いたら相手をしてあげるよ」

 そう言ってまた彼は扉の向こうに、鍵をかけた音だけを残して消えていってしまた。つむじは触られたくなかったのかなぁ。くすぐったいらしいし。あ、そういえば。つむじに夢中になっちゃったけど、何百年も住んでるってことは、何百年も生きてるってことだよね? つい人間相手のように、相手よりも自分の方が年上だと思ってしまった。僕はやっと百歳になったばかりだから、ミヤくんの方がうんと年上みたいだ。



「おはよう! 起きてるー?」

 三日目。今日は昨日より少し早めに扉を叩いた。いつもは昼前くらいに目が覚めるんだけど、なぜか今日は早起きしてしまったから、暇だなーと思って彼を訪ねることにした。

「今日は早いね。私が悪魔じゃなかったら迷惑なレベルだよ」

「そーなの?」

「悪魔は睡眠を必要としないからね。ずっと起きているよ」

「それは知らなかった! 少しだけ、悪魔に詳しくなってしまった」

「天使は案外悪魔のことを知らないんだな。まぁ私も天使とはあまり関わってこなかったから、さほど詳しくはないけど」

「じゃあ僕が教えてあげるよ。君も詳しくなろう。まず、天使はよく食べよく眠る。悪魔は、もしかしてご飯も食べないのかい?」

「悪魔によるかな。眠るのもそうだ、私は眠らないってだけで。人間の生活にかなり合わせている悪魔なら一緒に眠ったりするんじゃないかな。天使もそんなものだと、思っていたけれど」

 個人差があるのか。悪魔はかなり自由な種族だと聞く。眠るのもご飯を食べるのも適当なのかな?

「天使も人間も同じ神から作られたものさ。だからご飯や睡眠を人間が必要とするなら天使もそうなる」

「ふーん。そうなんだね」

「あまり興味が無さそう。ミヤくんは、あまり天使のことが好きじゃないの? それとも僕が嫌い?」

「別に。ただ、天使の知り合いはいたことが無いから。そもそも誰かとこんなに話すのも久しぶりなんだ。ずっと一人で引きこもっていたものだから」

「何百年も?」

「まあね」

「……ねぇ、今から遊びに行かない? ずっと引きこもっていたなら今の街がどんなものか知らないでしょ?」

 何百年も家にいて退屈じゃないわけない。僕の家は断られたから、街ならどうだろうと思った。ミヤくんは何か悩んでいるようだった。

「……そうだなぁ、クチナシ君はお墓がある場所ってわかる?」

「お墓? そんなものに興味があるの?」

 なんで? 悪魔が人間のお墓なんて気にしてるんだろう。あんなもの、土に体を埋めて、その上に石を置いているだけなのに。

「悪魔よりも人間に近しい天使は、お墓を建てる慣習は無いのかい?」

「うーん。天使の死に方は流石に人間と違うからなー。悪魔だってそうじゃないの?」

「まぁ、そうだけど」

「あ、もしかして、親しい人間のお墓? だから行きたいとか?」

 お墓参りに行きたいのだろうか。僕は行ったこと無いけど、悪魔はお墓とか大事にするんだっけ? それともミヤくんがそうなだけ?

「うーん。お墓なんか楽しいとは思わないけど、ミヤくんが行きたいなら」

 お墓を見たあとでも街を楽しむことはできるし、連れ出してしまえばこっちのものだ。

「じゃあ、連れて行ってもらおうかな」

「やった! 完璧にエスコートしてみせるよ」



 街は今日も人間や天使やあくまで賑わっている。ミヤくんが行きたいと言ったところは僕たちの家あたりからだと少し遠い場所だったけど、せっかく彼が外に出るならと思った。

「記憶とは、案外色褪せないものなんだね。お墓の場所、ちゃんと覚えていた」

 誰かのお墓、というよりお墓だった場所と言った方がいいんじゃないかってくらい荒れた場所で彼は手を合わせた。まるで人間みたいだ。

「……悪魔はみんな墓参りをするものなの?」

「さぁ。ここには、私が来たいと思っただけだから」

「そうなんだ。これは誰のお墓?」

 石にはそこに眠っている人間の名前が刻まれているらしいが、草が石まで生えているし、文字が掠れていて読めない。ミヤくんの親しい人間だったのだろうか。

「私の大切な人の、大切な人さ。私が家から出なかった間にかなり荒れてしまったけれど、大切なお墓だよ」

 ミヤくんの大切な人……少し気になるけど、多分話してくれないだろうな。いつか話してくれるかな。

「僕の知り合いにはお墓を大事にする奴はいなかったからなんだか変な感じ。さ、お墓参りも終わったし、街を楽しもう」

 僕はミヤくんの腕を引いて街の一番賑やかなところへ向かった。

「この街に最後に来たのは?」

「何百年も前かな」

「そう。じゃきっと色々変わっていて戸惑うかも。はぐれないようにしてね」

 ミヤくんは小さいから、うっかり人混みに飲まれたらどうしよう。

「……自分がそれを言われるとは思わなかった」

「そうなの? こんなに小さくて可愛いのに」

「そんなこと、言われるとは思わなかったな」

 ミヤくんは驚いた顔をした。どうしてかな?

「まさか言われたことがなかったの?」

「無いわけでは無いけど……言われたのはとても久しぶりだ。それに最近出会ったばかりなのにそんなこと言うとは思わなかった」

「そっか、そう言えば家にずっと居たんだもんね」

「あぁ」

「あ、ミヤくん! ここ入ろう!」

 突然僕が立ち止まったのでミヤくんが僕の腕にぶつかってしまた。僕が立ち止まった先はアクセサリーショップ。僕はここのネックレスが好きで、よく買いに来ていた。今だって、前にここで買ったやつをつけている。ミヤくんはアクセサリーを着けていないから、せっかくならと思った。

「こういうところに来るのは初めて?」

「いや、何度か来たことがあるよ」

「そうなの? アクセサリーの類をつけていないから来たことが無いのかと思った」

「私の妻がイヤリングをよく買っていたんだ。本人がつけるわけではなかったけどね」

「君、結婚していたのかい」

 驚いた。ずっと一人であの家に居たと言うから奥さんがいるなんて思わなかった。でもまぁ、結婚なんて珍しいことじゃないし、ここ最近、人間たちは結婚して当たり前だった。

「かなり前にね。そう、何百年も前に」

「……もしかして、相手は人間だったの?」

「あぁ」

 そう頷いた彼の目はとても優しい雰囲気を纏っていた。きっと彼の奥さんもこんな感じの人だったんだろうな、となんとなく感じた。

「どんな人だったの? そんな出会いだったの?」

「内緒。そんなことより、見なくていいの?」

 彼は店の中を見る。あ、そうだ! 彼に何かプレゼントとして買ってあげよう! 奥さんが買っていたということと、アクセサリーを何もつけていないから、ミヤくんはあまりアクセサリーに興味が無いのかもしれなけど、せっかくの機会だ。これを機に興味を持ってくれたら嬉しい。

「そうだなぁ、ミヤくんはどれがいい?」

「なんで私に聞くんだ。買うなら自分で選びなよ」

「うーん。君は、アクセサリーに興味はある? ネックレスに指輪にイヤリング、あとピアスとか」

「……興味は、無かったかな。でも、一つだけ、持っているよ」

「そうなの! てっきりつけていないから、持っていないかと」

「持っているのはその一つだけさ」

「なら、今日は他にも何個か買おう。それでおしゃれをすんだ。楽しいよ。君と友達になれた記念に買ってあげよう」

「え、いや、そんなことは」

 しなくていい。そう言いたいんだろうと思ったけど、僕がしたいだけだから関係ない。

「あ、これつけてるところ見てみたい。これも似合いそう」

「ちょ、ちょっと,クチナシ君」

「うんうん、こんなもんかな。じゃ、お会計行ってくるね!」

「えぇ……」

 僕が手に取ったのはコルセットピアス用のピアスと、リボン。三個セットになっている小さめのピアス。悪魔の大きな耳に似合うだろうと思った。

「さ、買ってきたよ。はい」

「全く、天使がこんなに押しが強くて自由人だとは……まぁでも、ありがとう」

 そう言って彼は静かに微笑んでくれた。



「こんにちはー!」

「はいはい」

 今日はミヤくんを家に招こうと思って迎えに来た。

「ミヤくん、今日はうちへおいでよ!」

「前に断らなかったかい?」

「でもそのときより仲良くなったよね?」

 昨日一緒に街に行ったし。僕たちもう友達だよね?

「……わかったよ。準備するから少しだけ待っててくれるかい?」

「来てくれるんだね。嬉しい、いくらでも待つよ」

「ありがとう」

 彼は扉の向こうに行ったが、今日は鍵のかかる音はしなかった。そういえば、準備って何をするんだろう。パジャマ姿ってわけじゃなかったし、昨日はここで話をしてからそのまま街に行ったから特に準備なんてしてなかったはずだ。

「おまたせ」

「わお。ピアス、つけてきてくれたんだね」

「せっかくだからね」

「とても似合ってると思うけど……これは僕が買ったやつじゃないね?」

 再び出てきた彼は左耳に昨日僕が買ってあげたピアスをつけていたが、僕が知らないピアスもつけていた。少し大きめの、ランタンのように淡く光るピアスが彼の耳たぶで揺れていた。

「あぁ。これは妻に貰った物だよ。ずっとしまいこんでいたからもったいないと思って」

「そうなんだ。似合っているよ」

「ありがとう」

「さ、じゃあ行こうか。誰かの家に行ったことは?」

「無いかな」

「そうなの? たくさん美味しいものを用意したから楽しんでくれるといいな。さ、入って入って」

 歩いて数十秒。家が隣同士だとお互いに行き来しやすいからいいな。

「お邪魔します」

「お邪魔されまーす。ここに座っていいよ。今紅茶とお菓子を持ってくるからちょっと待ってて」

「わかった。ありがとう」

 台所にはミヤくんを訪ねる前に用意しておいた茶葉とクッキーがある。クッキーは僕のお手製だ。凝ったものを作ろうかとも思ったけど、手軽で食べやすくて紅茶に合ってたくさん作れるのなんかクッキー以外無いでしょ?

「はいお待たせー。美味しいクッキーだよー」

「紅茶も良い匂いがするね」

「頑張って入れたからね。クッキーも味見のときにたくさん食べてしまったくらいには美味しく作れたから期待していいよ」

「このクッキー、クチナシ君が作ったの? 器用なものだね。じゃあ、いただきます」

「どうかな? どうかな?」

「とても美味しいよ! すごいな……」

 たくさん作ってよかった。ミヤくんは美味しそうにクッキーを頬張る。

「そんなに食べてもらえると思わなかったよ。クッキー好きなの?」

「前に食べたことがあるんだ。懐かしくてつい……それに何か物を食べるのも久しぶりで。食べ物ってこんなに美味しかったっけってなってしまったよ」

 彼は恥ずかしそうに紅茶に口をつける。

「久しぶりって、家にいた間は何も食べてなかったの?」

「あはは……お腹が空かなくてね。もっともっと前はご飯もお菓子もよく食べていたよ?」

「悪魔って、ご飯を食べなくても生きていけるもんなんだね。前にも聞いたけど、本当なんだ。昔は食べてたのに、どうして食べなくなっちゃったの?」

「うーん。君は、人とご飯を食べるのは好きかい?」

「嫌いじゃないよ。人間の話を聞きながら食べるご飯は案外美味しかったりするから。それに人間が大好きだからね」

「私も人間が好きだよ。昔は一緒に食べてくれる人がいたから、ご飯の美味しさや楽しさを知ったんだけれど……いなくなってしまったから」

「そうか。君の奥さんは人間か。確かに人間は僕らに比べて短命だね。僕が引っ越してくるまで、随分退屈だっただろう」

「まぁね。……僕の妻は病気でかなり若くして亡くなったんだ」

 そんな話を僕にしてくれるのかい? 僕はもうミヤくんとは友達だと思っていたけど、ミヤくんはそうじゃないと思っているんじゃないかと。彼は優しさと悲しさが混ざった顔をした。初めて気づいた。優しい顔をしているとき、いつも奥さんのことを思い浮かべていたんだと。僕は恋をしたことがないからわからないけど、本や友達曰く、愛した相手がいなくなるということは、とても辛く悲しいらしい。それこそ、食欲が無くなってしまったりするらしい。

「それに、子供だっていたんだよ」

「そうなのかい!」

 驚いてしまった。奥さんだけじゃなく子供までいたなんて。

「でも、子供は生まれてすぐ、どこかへ行ってしまったんだ」

 ミヤくんは遠くを見つめながらソファに深く座り直した。どしてそんなに悲しい顔をしているんだい?

「すぐに?」

 いくら人間との子供といえど、すぐに死ぬなんてことはないだろう。むしろ普通の人間よりも頑丈で長命なはずだ。

「それは……僕が聞いてもいい話なのかい?」

「そうだなぁ……君が引っ越してきてから、考えていたんだ。俺はいつまで止まっているんだって」

 俺? 急にイメージが変わったなぁなんて関係ないことを考えてしまった。

「私の、妻は病気で亡くなった。子供は取り上げられ、勝手に養子に出された」

 彼は紅茶を飲む。人間は緊張しているときほど喉が渇くらしい。まぁ、彼は人間じゃないけど。

「ミヤくん、一気に全部を話す必要はないよ。僕は明日も明後日も君と遊ぼうと思っているし」

「……はぁ、天使に気を使われるなんてな。ふふ、気にしないでくれ」

 彼は紅茶を一気に飲み干すと、ゆっくりと話し始めた。



「今日は長居したね。今度は私の家に来ても良いよ」

「じゃあ明日行ってもいい? 手土産を持って行くから。君は何も用意しなくていい」

「すぐは無理かなぁ、と思っていたけど、ふふ。それならまぁ、良いよ」

「やったね」

「じゃあまた明日。待ってるよ」

「うん。またね」

 彼が出ていった後の家は冷たく感じた。

 彼の過去の話はかなり悲しいものだったと思う。僕も同じ状況だったら人間と会話するのが嫌になってしまう。

「……あ、もしかして」

 僕が人間じゃなくて天使だから、こうして仲良くしてくれているのかな? 僕がミヤくんの立場だったら、人間のことを信用できなくなる。いや、それどころか嫌いになってしまう。僕は人間が好きな方だけど、信頼なんかはいとも簡単に壊れるものだ。もちろん、人間全部が悪いわけじゃないけど、ミヤくんの場合は人間の全部を嫌いになってもおかしくないと思う。それでも、人間を好きだと言ってのけた彼の性格は、元々なのか、愛した人間に影響されたのか。

 愛し愛された彼が羨ましいくらいだ。



 太陽が空の一番上に届くころ、彼の家の扉を叩いた。

「ミヤくーん。僕が来たよ」

 せっかくならとケーキを作っていたら遅くなってしまった。まぁ、元々具体的な時間は言われていたわけじゃなかったしいいでしょ。

 ガチャリと音が鳴って扉が開く。

「やあ。こんにちは」

「やあ、待たせたかな?」

「そうでもないよ。さ、入って」

「はーい。お邪魔します」

 ワクワクしながら初めて入った彼の家。元は二人で暮らしていたからか、僕の家よりも少し広く感じた。その分寂しさも。家具も何もかも、全部二人分だからかな。

「僕の家よりも広くていいなぁ」

「一人だと寂しいものさ」

「今は二人でしょ? なんてね。そうそう、ケーキを作ってきたんだ」

 ほら、と手に持っている箱を見せる。気分が乗って大きめに作ってしまったケーキが入っている。

「おや、ありがとう。取り分け用にお皿を持ってくるよ。あとフォークとナイフもか。そこに座って待っていて」

「はーい」

 ミヤくんはキッチンの方へ行ってしまった。テーブルにケーキを置いて箱を開く。うん、美味しそう。

「おまたせ」

 キッチンから戻ってきたミヤくんは二人分の食器をテーブルに並べる。

「綺麗だね」

「食器が?」

「うん。ずっと使っていなかったんでしょ?」

 並べたられた食器は埃をかぶっていたようにも見えなかった。失礼かもだけど、ずっと使っていないだろうからちょっと埃っぽかったらどうしよかと思っていた。そういえば家の中も綺麗だな。

「お客さんが来るのがわかっていて掃除しないわけないだろう。君が来る前にある程度は綺麗にしたさ」

「それもそうか。ごめんよ」

「ふふ、良いよ。正直、君が来なかったらあと何百年も掃除しないままだったかもしれないし」

「それはそれでどうなの?」

「あはは。そんなことよりケーキ、美味しそうだね」

「僕も我ながら上手く作っちゃったって思った」

「器用なものだね」

 あくまで趣味でやっているお菓子作りだけど、褒められると嬉しい。

 彼の綺麗な手がケーキを切り分ける。カチャカチャという音が心地いい。

「はい。それじゃあ食べよう。いただきます」

「めしあがれ」

 ケーキを頬張る彼を少し可愛いと思った。そんなに美味しそうに食べてもらえると嬉しいな。

「美味しい?」

「うん。私はケーキとかは作れないから、すごいと思う。料理はそれなりだと思うけど」

 ミヤくんは料理ができるのか。

「料理はあんまりだな……人間と違って栄養とか考える必要ないからいつもお菓子ばっかり食べているよ」

「はは。そういうものなのか」

「ねぇ、よければ今度僕に何か作ってよ。今日のこれのお返しってことで」

「お礼がそれでいいなら……何か食べたいものはある?」

「そうだなぁ、パスタがいいな。好きなんだよね。最後に食べたのは結構前だけど」

「じゃあパスタにしよう。パスタにも色々あるけど、どんなのが良いのかな?」

「カルボナーラがいいな。作れる?」

「昔作ってことがあるよ。作り方は覚えてるから多分大丈夫じゃないかな」

 あ、そういえばミヤくんは何百年もご飯を食べてこなかったんだっけ……ということは料理も何百年ぶりになるよね。今更不安になってきた。でもやっぱりいいやなんて言えない。……仕方ないか。何かとんでもないものが出てきても許そう。僕は天使だしきっとどうにかなるでしょ。うん。

「あ、買い出しは一緒に行ってくるのかい?」

「あぁ、うん。もちろん」

「いつが良い?」

「僕はいつでもいいよ。明日は?」

「君はせっかちだなぁ」

「何か不都合でも? それに、せっかちなら今日買い出しに行っているよ」

「いいや、無いよ。今日も明日もそんなに変わらないだろう」

「そうかな」

「ふふ。そうだよ。じゃあ、明日買い物に行こう」

「楽しみだ」

 彼からおでかけの誘いをもらうとは。最初は気難しい悪魔だと思っていたけど、案外絆されやすいタイプなのかな。最初に僕が訪ねたとき、どうしてこの家の扉を開けてくれたのだろう。

「ミヤくんはさ、どうして僕と仲良くしてくれるの? いや、最初に僕がきたときどうして扉を開けてくれたの?」 

 ミヤくんのケーキを食べる手が止まった。

「うーん。相手にしなくても良かったけど、うるさかったから何事かと思って」

 もういないと思って開けたら僕がいたから対応するしかなかったと笑いながら続けた。

「そのときは、こんなに美味しいケーキをご馳走になるとは思っていなかったけどね」

「なら、扉を開けたのは正解だったね」

「そうかもね」

 そう言って彼はまたケーキを食べ始めた。気づけばもう半分を食べ切っていた。悪魔の胃袋ってどうなっているのかな。人間は、その人にもよるけど、このサイズのケーキを半分食べるのも難しいと思う。ミヤくんは甘いものが好きみたいだから、いくらでも入っちゃうのかな。僕はミヤくんにお皿に乗せてもらった一切れで十分だ。

「クチナシ君、ケーキはもういいの?」

「うん。そもそも君に食べてもらうために作ったものだし」

「なら、全部私が食べてしまおう」

 そう言って彼はパクパクと残りのケーキも平らげてしまった。そんな細い体でよく食べ切れたなぁと感心してしまった。

 見た目は人間だけど、体は悪魔なのか、それとも単に彼が甘いものが好きすぎるからなのか。

「そんなに美味しい?」

「お店を開けるんじゃないかってくらいには美味しいと思う」

「本当に?」

 そうだとしたら嬉しいな。

「いつか開きなよ、お店。私はお手伝いとかはできないけど、常連さんになってあげるよ」

「そんな上手いこと言ってー。そうだなぁ、お手伝いさんは友達にお願いしようかな」

「いいじゃないか。きっと楽しいよ」

「そうかな」

「そうだよ」

 ミヤくんは悪戯っぽく笑ってみせた。ミヤくんがそう言うなら、まぁ、いつかやってみたいかも? でもきっと大変だろうなぁ。雑貨屋さんをやってる天使の知り合いに聞いてみようかな。

「ごちそうさまです」

 気づいたらケーキはなくなっていた。

「おそまつさまー」

「いい食べっぷりだったね」

「そう言われると恥ずかしいなぁ」

「悪魔ってのは大食いなの? お腹いっぱいって感覚はある? 人間だったらその量は多分食べられなかったよ」

「そうなの? 僕の妻になった人はこれくらいならペロリだったけど……」

「まぁ、若かったり甘いもの好きの人間なら食べられなくもないのかな? 君の奥さんも甘いものが好きだったの?」

「ああ。彼女が甘いものが好きだったから私も好きになったんだよ」

「ふーん。……君の奥さんとも話してみたかったな」

「君がもう少し早く生まれてここに引っ越してきていたら会えたかもね」

 ミヤくんは穏やかな顔で言う。彼の奥さんもこんな顔をする人だったのかな。彼の話だと、今の姿は奥さんと瓜二つらしいけど。僕にとってはこの姿はミヤくんだからあまりピンとこない。写真もないらしいからどれくらい似ているのか比べようがない。

「さて、ケーキも食べ終わったことだし、そろそろ帰ろうかな。明日も出かけるから早く寝ないと。またミヤくんを待たせてしまう」

「ああ。ケーキありがとうね。とっても美味しかったよ」

 彼はにこりと笑った。

「じゃあお邪魔しました。また明日」

「うん。また明日」

 彼の家を出て、すぐ横の自分の家に入る。なんでだろう。彼の家よりも寂しく感じる。

 よっぽど楽しかったのかな。



「店長、一日づつ振り返っていたら時間がなくなります」

「あ、ごめんごめん。レンくん」

 今日は僕のお店の開店日だ。ついお店を開くきっかけを話していたら長くなってしまった。レンくんは、僕のお友達で、お店を手伝ってくれる。知り合いに紹介されて、仲良くなった。僕よりも何十年か若い天使だけど、お菓子作りの腕は僕のお墨付き。

「でも嬉しくてさ。つい」

「でもミヤさんのお話は何度も聞いてますよ」

「あれ、そうだっけ?」

 たしかに、ミヤくんとの話は何回かしている気はするけど、言うほどかな?

「クチナシさんそんなことより、もう準備終わりましたよ。早く外に看板出してきてください。店長にしかできな大事なお仕事ですよ」

 レンくんはそう言って僕に可愛らしい看板を差し出す。白地にピンク色の文字で「天使の小町」と書かれている。余白にはおすすめのスイーツの名前と絵と、今日は開店日という特別な日だから、「祝 オープン!」という文字も書いてある。デザインは基本は僕だけど、レンくんにも意見をもらったりして作った。

「じゃあ、行ってくるよ」

「はいはい」

 お店の外に出て看板を置く。うん可愛い。今日は天気もいいし、最高の日だ。

「出してきたよー。お客さん来てくれるかなぁ」

「どうでしょうね……」

 戻ってきた僕の後ろ、つまりお店に入り口の方を見て、レンくんはニヤニヤしだした。

「レンくん、ニヤニヤしてどうしたの?」

「来ましたね、お客さん」

 そう言って僕の後ろを指さした。振り返ると、扉の前に見覚えのあるような影があった。もしかして、と思って急いで扉を引いた。

「ミヤくん!」

「やあ。オープンおめでとう」

 ミヤくんはそう言って微笑んだ。

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