第1話「異世界産悪役令嬢の転生猫」

「一応猫砂、木製のチップにしたけど気に入ってくれるかな.......猫によって好みがあるって言うし.......」


 紫苑は部屋に猫トイレを設置しながら、独りごちた。


 あの後、面白そうな気配を察知して親友宅に突撃した紫苑だったが、そこには錯乱する親友さよりの姿があっただけだった。それはそれで面白かったのだが、件の猫はうんともすんとも言わない――むしろ不気味なほど静かで。


 生後3か月の黒猫。雑種で耳が垂れるなどの特徴のない、いたって普通の猫ちゃん。ピンクの鼻が愛らしい子だ。


(うーん、大変だった)

 

 泣きながら錯乱するさよりをいくら宥めても落ち着かないばかりか、「こんな猫飼えない!」と猫を家から追い出す勢いだったため、それはいくらなんでも酷いと、紫苑が一時的に引き取ってきたのだ。


「うちがペット可でよかったね、えっと、エリザベスちゃん? ふふふ、念願のもふもふ.......!」


 急遽ペットショップでかき集めた猫グッズを設置しながら、にやけ顔で言う紫苑。猫はそれに対してあくびをひとつ漏らしただけだった。


 SNSでおばかわいい猫の写真や動画を集めては、お互いに見せ合うのが常であった紫苑とさより。

 さよりが猫を迎えるのだと自慢してきた日には、抜け駆け厳禁と彼氏を作らない約束をしていた女子中学生のごとく、嫉妬したものだ。


(.......喋ったなんて言ってたけど、エリザベスちゃん静かなんだよね.......)


 とはいえ、その念願の猫は喋る化け猫だとかで、さよりに拒絶されて今ここにいるわけだが――猫エリザベスは、ここにくるまでの間にもニャンともワンともなにも言わない――人の言葉など論外である。


(動画の猫ちゃんは、餌を要求する時『ごはーん』って鳴いたりするらしいし、鳴き声が人の言葉に聞こえたってだけでしょ)


 やれやれ、困った親友だぜと肩を落としながら、猫砂をトイレの中にぶちまける。

 さあ次は水の入った器を設置するか、と紫苑が猫トイレから遠ざかると、入れ違いにエリザベスが猫トイレを使うために来る。


(まだトイレだと教えてないのに、トイレだと認識して使おうとしてる.......!? 天才じゃん!!)


 感動した紫苑は、初トイレ記念を動画に収めようと、スマホを構えながらにじり寄った。


「「.....................」」


 見つめ合う両者。

 紫苑がワクワクしていると、ふとその静寂は一刀両断される――猫本人の手で。いや言葉で。


「いやどんだけ見てんのよ。やりづらいわ、撮るなし」


 人のように流暢に。単語ではなく文章という長めの言葉を。

 猫が――話した。


 あまりのことに、ワクワク顔のまま、スマホを床に落とす紫苑。

 画面にヒビが入るような失態に狼狽する余裕を与えず、紫苑はワクワク顔を宇宙猫顔へと変化させた。


「.......え、は?」

「だから見るなっつーの。あんただって人様にトイレを見られながらする趣味ないでしょ? あっち向きなさいよ」

「す、すみません.......」


 至ってまともな反論に遭い、紫苑は咄嗟にその場で180度回転。

 

 頭上にはてなマークを旋回させながら、背後から微かにする『しゃー』と言う水音を聞く。

 あ、ちゃんとトイレしてるんだなとわかるが、それ以上に今起こった出来事が理解できず、紫苑の顔はますます宇宙みを深めていった。


「……ほんとに猫が喋った」


 紫苑が今できることはそんなつぶやきを漏らすことだけだった。



「えー、こほん。では改めて自己紹介するわ。私はエリザベス・A・コードウィル。アルテメス王国のコードウィル家の公爵令嬢――だった女よ」


 エリザベスはトイレを終えると、「話がある」と紫苑に語りかけた。

 紫苑はやはり白昼夢でも何でもない、確かに猫が喋っているのだと未だ混乱状態の頭を振り払い、なんとか話の席を設けることに成功。


 テーブルの向かいに座布団を重ねて高さを作ってやり、テーブルに適温のミルク(猫用)を置いてやる。

 お茶と椅子がわりである。


 そうして話の席で猫が語ったのは、何ともファンタジーな内容だった。


「私は前世で、こことは違う世界で生きた過去があるの」

「と、いうことは、死んでこっちの世界に生まれ変わったってことですかね?」

「そうね、この世界で言うところの輪廻転生ってやつね――飲み込み早いわね、猫が喋ってるってのに」

「いや、混乱はしてますけど.......」


 混乱はしているが、猫又のごとく流暢に喋る猫の素性が気になって仕方ないのである。


「それで、なんで公爵令嬢のエリザベス様は死んじゃったんですか?」

「.......あんた、悪役令嬢ものの漫画は読む?」

「? 今流行りのジャンルの? ヒロインを虐め抜いた悪役令嬢が断罪されてざまあされる? さっちゃんは好まないみたいですけど、私は割りかし好きで読みますね」


 アンソロジーコミックとか読むし.......と紫苑が言えば、エリザベスは遠い目になる。


「.......私は前世、その悪役令嬢だったのよ」


 その言葉で、大体の事情を瞬時に察する紫苑。

 ヒロインを苛め抜いて最後にはパーティー会場で婚約者の男から婚約破棄からの断罪を受けるのは、今が旬の悪役令嬢ものではテンプレ展開だからだ。


「私の婚約者.......王太子殿下が浮気しやがってね。男爵令嬢にうつつに抜かしたのよ。政略的婚約だったとしても、確かに私たちは愛し合っていたと思っていたのに.......!」


 エリザベスは憎々しげに手をテーブルに叩きつける。

 人の手ならばいざ知らず、今は猫の肉球であるからして、派手な打撃音は鳴らなかったが。


「こっちは物心つく前から厳しい妃教育を受けてきたのよ! ろくに遊べず将来の王妃として歯を食いしばって頑張ってきたってのに、なんでポッと出の男爵令嬢の下級貴族が殿下のそばにいるのよ! おかしいでしょ、普通に考えて!!」


 怒りからか悲しみからか、エリザベスが声を荒げる理由を悟って、紫苑も顔を引き攣らせた。


 愛らしい令嬢のシンデレラストーリー.......それは読者にとって美味しい設定の物語だが、それが当事者であるならば様相はガラリと変わるからだ。


 公爵家といえば貴族社会において王家に次ぐ立場。それゆえの力があるために王族との婚姻が望め、だからこそ、エリザベスもまた未来の王妃として望まれたのだ。


 王位継承権のある王子と結婚するだけで王妃となれるわけではなく、国の長となるにふさわしい教養がなければ認められない。

 だからこその妃教育というもの。その教育は当然長い時間が必要であり、ぽっと出の男爵令嬢がいかに王太子殿下に気に入られようが、身分も時間もない彼女が成り代わる道理はない。


 エリザベスが王太子殿下を愛していたのならばなおさら、そんな泥棒猫の存在が許せず虐め抜くのもしかたない――いじめは許されない行為だが、それ以上に泥棒猫に怒るなと言うのも無理はないのだ。


 しかし恋して盲目になった両人にはその現実が見えていなかったのだろう――王家の人間に愛のある結婚など誰も望んでないと言うのにも関わらず。


「.......頭の痛い話ですね。シンデレラストーリーと聞こえはいいけれど、実際は王子様の浮気話。公爵家の令嬢を蔑ろにして、果たして王太子のままでいられたのかどうか.......」


 物語も、悪役を成敗して一件落着、めでたしめでたしで終わるが、実際に生きている人間ならば、当然その後も人生は続く。

 ただひたすらに、淡々と。

 運命の恋だというのならば、その後に訪れた試練にきちんと打ち勝ったのかは気になるところだが――


「あんな最低野郎どものことはもうどうでもいいわ.......。結局私は死んだのだし。そして享年18で幕を閉じた私の人生だけど、どうやら神様は同情してくださったみたいで、この世界に転生させてくれたの。困らないようにってご丁寧にこの世界の知識や言葉を理解できる特典付きで」

「あー、だから逆輸入の割に、こっちの事情に明るかったのかあ.......」


 まさか猫に転生して、挙句人の言葉を話せる特典もついていたとは思わなかったけどね、とエリザベスは言った。

 紫苑もそりゃそうだと思う。


「とはいえ、前世を思い出して言葉を話せるようになったのは、つい最近よ。あのさよりとかいう女に引き取られた先で、ドレスを着飾った女のイラストタペストリーを見た瞬間に、思い出したの。それでつい、「私猫に生まれ変わっちゃったの!?」って大声出しちゃって.......」

「ま、まあ、転生して猫になってたら、そりゃ誰でも驚きますよね.......」


 確かにそれを聞いたら、猫が人の言葉のような鳴き声をあげただけとはならないな、化け猫だと思うわな、と紫苑はその場の様子をつい想像してしまって、頷く他なかった。


(親友よ、疑ってごめん。お前は正気だった。ただとんでもない逸材を向かい入れた強運があっただけ)


 強運を不運ということもできるあまりにもすごい偶然に――ただこの一件で、猫好きから犬好きに転じなければいいなと手を合わせつつ、しみじみ思う。


「人に生まれ変われなかったのは残念だけど、猫になっちゃったものは仕方ないわ。女は度胸――私はこの世界の猫として、第2の人生、いや猫生を――」

「あのう、お話を遮ってしまって申し訳ないですが、ひとつ言っておかなきゃならないことが.......」


 肉球(拳)を固く握りしめ、決意を述べるエリザベスに――紫苑は恐る恐る声をかけた。


「あのですね、多分ご存じなさそうなんですが.......あなたもう、女じゃないです」

「? まあ確かに猫だから、雌ってことになるかしらね?」

「そう言う問題じゃなくて.......。雌でもないです.......」

「え?」

「さっちゃんがややこしい名前をつけて申し訳ないんですけど、あなたは、雄です。雄猫なんですよ.......」


 猫を飼うならばエリザベスって名前がいい、と好きな漫画のキャラの名前をつけることを夢見ていた親友さよりは、あろうことか三か月の雄猫に、女のようなエリザベスという名をつけるという強行を成した。

 何で雄なのにエリザベスってつけるねん、とツッコミを入れた記憶も新しい。


「そのせいか声がだいぶ低くなってると思うんですけど、お気づきになりませんでしたかね.......?」

「.....................」


 先ほどまで猫が人語を話すという事実に紫苑が宇宙猫顔になっていたが、今度はエリザベス(♂)の方が本場の宇宙猫顔を晒す事態となった。


 エリザベスは四足歩行でよろけながら部屋を出ていくと、数秒でUターンして戻ってきた――おそらく自身の下半身を自らの目で確認してきたのだろう――そして叫んだ。


「ギィヤヤヤヤヤヤヤヤアアアアアアアアア」


 と、低い妙にいい声で、盛大に。

 

「エリザベスちゃっ.......様あああああああ!!」


 ぱたりと気絶して後ろへ倒れるエリザベスに、紫苑は事情を知らずちゃんづけしていたが、元公爵令嬢ならばそれはまずいのでは? とコンマゼロ秒の世界で逡巡して、様に言い換えて叫ぶ。


 気を回したが、結局、駆け寄ったが残念なことにエリザベスは白目を剥いて完全に気絶していた。

 仕方なしに紫苑はエリザベスを抱き抱えてソファまで移動して寝かしてやる。


(処刑を止めない元の世界の周囲もクソだが、わざわざ雄猫に転生させた神様もクソの中のクソだな.......)


 しみじみと思いつつ、白目を隠すように瞼を閉じさせ、なおかつ寒くないようにと膝掛けをかけてやりながら紫苑は心の中で独りごちた。


(日中仕事でいないし、飼うというより里親探した方がいいかなって思ったりもしたけど.......。なるほど、異世界産の悪役令嬢が現代の雄猫に転生した――なんて美味しいネタなの!!)


こんな生けるネタの宝庫を逃すまい! と新作の同人誌のネタに困り続けていた紫苑は、事情を知るや否や、エリザベスを飼う決意を決めた。


事情を知ったところで、人のように流暢に喋る猫――しかも性別間違えたせいで女口調のおかまみたいになってる――など気色悪いと思うが普通だ。忌避されるものだ。


 しかしこの桃野紫苑とはいう女は大層変わり者の、鋼でできた精神の持ち主であったために――この事態を面白い! もっとやれとしか思わなかった。

 事実は小説よりも奇なり――非現実? カモン! である。


 紫苑はいい笑顔を顔に張り付け、念のためと買っておいたシンプルな首輪をエリザベスの首につけた。

 これでエリザベスは紫苑の飼い猫だ――本人の意見? そんなもの、紫苑は一蹴する。


(異世界産悪役令嬢が現代の猫(♂)に転生した話……。よし、まずはつい〇たーに挙げよう!)


 紫苑はルンルン気分で作業机に向かった。


 ――かくして、異世界産悪役令嬢の前世をもつ雄猫のエリザベスと、鋼メンタルの変わり者の美女(?)紫苑の、奇妙な同居生活が始まる――!

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異世界産悪役令嬢が現代の猫(♂)に転生した話 斗貴 @toki_necolove

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