ストーキング彼氏

@Grio18

ある暑苦しい夏の日のこと

僕は学校帰りの電車に揺られていた

その日はやりたくもない委員会の仕事があっていつもより帰るのが遅くなってしまった。

そんなやるせない僕を乗せながら電車は次の駅に着いた。

その駅の周りには高校が一つあるだけでとくに他には何も無いため、普段車内の人数はさほど変わらないが、今日は少し違った。

ドアが閉まりかけたその時、一人の少女が駆け込んだ。

(もっと余裕を持って乗れよ…)

僕のその小さなイラつきは瞬く間に吹き飛んだ。

それは汗を流しながら乗車した君に僕の目は奪われたからだ。

艶やかな髪に黒く光る大きな目、黒子一つない純白の肌に流れる雫を僕は追いかけた。

初めての衝撃だった。

なんだか体に電気が流れるような、言葉では説明できないぐらいの強い衝撃が僕の疲れとイライラを吹き飛ばした。

そして、僕の中で新たな感情が生まれた気がした。

そこから僕の人生がリスタートされた。


家に帰ってからも僕の気持ちは昂っていた。

あの子のことでいっぱいで、いつもはすぐに終わらせる課題に手が付けられないほどだった。

名前はなんというのか

歳はいくつなのか

いつもあの電車に乗っているのか

気になって仕方がなかった。


次の日何故か僕は昨日と同じ電車に乗っていた。

昨日と同じ号車、昨日と同じ椅子に、

昨日と同じ駅で、昨日と同じように、君が乗ってきた。

同じ電車に揺られながら僕だけが君を見ていた。

しばらくして君は電車をおりた、それにつられるかのように僕も外に出た。

なぜ僕も同じ駅で降りたのか、その時は答えが出なかった。

駅に着いてから君はすぐに服屋さんに入っていった、もちろん僕も。

そこにはスーツからワンピースやカジュアルなものまで沢山の服が並べられていた。

しかし、ファッションに興味がなかった僕には少し居心地が悪い場所だった。

だけど君があまりに楽しそうに服を見ているから僕はその店を出られずにいた。

小一時間ほどして君は店を出た。

正直普段あまり運動しない僕はもう疲れ始めていたが、なぜか足は君の方を向いていた。

次に君は化粧品が売ってる店に入った。

その後は靴屋に、最後に大きな白い鞄を買っていた。

そして、その日君が僕に気付くことはなかった。


僕はその日から家にいる時間が減った。

代わりに君を追いかける時間が増えた。

僕はその日から勉強が疎かになっていった。

代わりに君の好きな物、仕草、表情、服装など、君のことを知っていった。


君が服や化粧品などを買いに行った日から2週間が経ったときも僕は君と同じ電車に乗っていた。

だけど今日の君はいつもの制服とは違い、この前買った服と靴と鞄を身に付けていた。

どこに行くのだろうか。

もちろん僕は君と同じ駅で降りた。

君はいつものようにどこかに直行はしなかった、誰かを待っているようだ。

程なくして、一人のガタイのいい短髪の男が君の隣を独占してその駅をあとにした。なぜかその時だけは僕の足は帰りの駅に向かっていった。

いつもなら、後を追いかけるのに。


その日から僕は君のことを考える度に彼に対して嫌悪感を抱くようになった。

そしていつの間にか、僕は彼の後を追うようになった。まるで隙を伺う獣のように。


ある日彼は誰もいない池の畔に立っていた。気持ちよさそうに空気を吸いながら。

咄嗟に身体が動き、彼を池に思い切り突き飛ばした。

池の中で男はもがいた。

しかし、どうやら彼は金槌だったようだった。

徐々に大きな身体が水の中に沈んでいく。

やがて彼の姿は見えなくなった。

そして、池から出てくることはなかった。


次の日から夏休みが始まった、それもあって僕は君を追いかける時間がさらに増えた。

しかし、いつもは明るい笑顔の君の姿はそこにはなかった。

どうしたのだろうか。

なんだか最近の君は元気がないみたいだ。

何かあったのだろうか。

気がつくと僕は君に話しかけていた。

「元気がなさそうですが、体調がすぐれないのですか?」

彼女は突然話しかけられて呆然としていたが、すぐにいつもの顔に戻り答えた。

「あ、いえ、大丈夫です。ご心配ありがとうございます。」と。

「そうでしたか。いきなり驚かせるようなことをして、すみません。」

これが君とのファーストコンタクトだった。


1週間が経ったある日、君は誰もいない公園で泣き出した。

いや、正確には僕と君以外誰もいない公園だが。

前と同じように僕はまた話しかけてしまった。

「どうされたのですか?話だけでも聞きますよ」と。

君は前ほどは驚かなかったが、涙は止まった。

そしてこう言った。

「長期休暇の間帰ってきてた兄がしばらく行方不明になっていて、ついさっき訃報の連絡を受けたんです。」と。

つられて僕まで悲しくなった。

「ああ、それはとても残念ですね…ところでお兄さんはどのような方だったのですか?」

「兄はラグビーをしていて2年前に日本代表になるんだって言って家を出て長期休暇の時だけ実家に帰ってきてたんです。この前も久しぶりに二人で遊びに行ってきたとこだったのに…」

それを聞いた時僕はもしかして…と一瞬思ったが、そんなことないだろうと思い込ませた。

「仲のいい兄妹だったんですね…」

そういうと、君の涙は再び零れた。

すると僕はその雫に目を奪われると同時に強い快感を覚えた。

後にこの快感が僕の人生を狂わせることは、まだ誰も知らなかった。


その日を境に、僕は君と随分仲良くなった。

僕が君の兄の代わりになるというわけではないが、君の心の穴は少しずつ僕で満たされていった。

そして、公園で声をかけた日から二ヶ月が経った頃に君は僕の恋人になった。二人で色んなところに行った。一番思い出深いのはプールに行った時だろう。濡れた髪を掻き上げ振り向いた君の頬に流れる水に僕の身体が震えたことを今でも覚えている。


それから移り行く季節を二人で跨いだ。

そして、少し前から僕達は同棲し始めた。

その時にはすでに気づいていた。僕が池に落としたのは君の兄だということに。だけど僕には不思議と罪悪感がなかった。それは君の心の穴はすでに埋めつくしていたからだろう。


朝目覚めると君は外を指さしてこう言った。

「綺麗な紅葉だね。今年も二人でこの景色が見れてとても幸せだよ。」と。

「うん、僕も君と迎えられた三回目の秋に心を躍らせているよ。」

そういうと君は「何その言い方、へんなの」と笑みを浮かべながら言った。

その日は僕達が付き合ってちょうど二年目だった。

去年と同様、記念日の十日後に旅行へ行くことになった。

なぜこの日なのかは僕はわからなかったが、君がそういうから僕は頷いた。

「温泉旅行に行きたい!」

君があまりにも笑顔で言うものだから、つられて「僕も。」と言ってしまった。


十日が経ち、僕達は静岡の熱海温泉に向かった。

一つ宿を借り二人で部屋の露天風呂に入った。

そこは富士の山が目の前を埋め尽くすほどの絶景で、僕達はその景色に圧倒された。

「綺麗だね。」

そう呟く君を見た時、僕の心臓ははち切れんばかりに動き出した。

そして僕は確信した。

あぁ、やっぱり僕を興奮させるものは綺麗な紅葉でも目いっぱいの富士山でもなく、水にかかった君だったんだ、と。

山を見つめる君とそんな君を見つめる僕。

どちらの身体の細胞が喜んでいるかなど比べることではなかったが、僕は僕であると確信していた。

そして、それと同時に一つの疑問が思い浮かんだ。

(もしこれが水じゃなくて…)と。


旅行から数日経ち、僕達はいつもの平凡な日常を過ごしていた。

ぼーっとしている僕に君は話しかけてきた。

「ねぇ、この前の旅行の思い出を形にして残したいからさ、一緒に絵を描こうよ」

嬉しそうに見つめる君を前にし、僕は「わかったよ」と嬉しそうに返事をした。

そして僕達は二人で露天風呂からの景色を描いた。夕焼けに染まる大きな富士山を。

絵の具で描いてたもんだから、君の腕に夕焼けの赤が付いてしまった。

その瞬間、僕は今までにないほどの快感を味わい、その勢いで赤い絵の具を君にぶちまけてしまった。

なんだか少し胸につっかえるようなものがあったが、それ以上に僕の身体は激しく興奮していた。

そんな僕に対して君は驚き憤っていた。

「何してるの!部屋が汚れちゃったじゃない!なんでこんなことしたの!」

僕はすぐに自分のした事に気がつき、深く頭を下げた。

「ごめん、つい…」

「もう…していい事といけない事ぐらいわかってよ…」

そう君は僕を叱った。

しかし、僕がこの快感を忘れることはなかった。


それからというもの、僕達は少し仲がギクシャクし始めた。といっても君が僕を避けているようだけど。

それでも何度も僕はあの快感を思い出しては興奮していた。そしてその度に何度も思った。(もしこれが絵の具じゃなくて血だったら…)と。

そして僕はついにある事をしてしまった…

カッターを持って寝ている彼女の横に立ち、呟いた。

「僕は君じゃなきゃダメなんだ…」と。

そして僕は自分の手首に刃を滑らせ、流れる血を君の頬に付けた。

あぁ、これだ、これが僕の求めていたものだ…

いつもより君が美しく見えるのは、僕の気持ちが昂っているからなのだろうか…

なぜ君はこんなに綺麗に見えるんだ…

そうして二時間が経った。

それから僕はしっかりと血を拭き取り、事が起こる前と何ら変わりない状態にして眠りについた。


次の日、僕は立ち上がった時に頭がクラクラしてその場に倒れた。

目が覚めるとそこは病院だった。

(そうか、昨日の事があったから貧血になって倒れたのか)

僕はすぐにそう察した。

(あぁ、昨日はとても感動したけど、代償が大きすぎるな…)

そんなことを考えていると、部屋のドアが開いた

「大丈夫っ!生きてる!?」

慌てた顔をして君が入ってきた。

僕の顔を見た君はすぐにホッとした顔で僕の手を握った。

「急に倒れたからどうしたのかと心配だったんだ…丸一日寝てたし…無事でよかった…」

握ってる手を見ながらそう言った。

「大丈夫だよ、もうそんなにしんどくないし」

そう言うと君は落ちたように眠りについた。

どうやら寝ずに僕のことを心配してくれていたようだ。そんな君の頭を擦(さす)りながら僕は外を眺めていた。


二日経ち、僕は退院した。もう頭はクラクラしない。なんなら前より調子がいい気がするほど元気だ。

そんな僕の手を握って君はとある湖のそばに連れてきては、湖の前に立ちこう言った。

「ここには私のお兄ちゃんが眠っているの。」

それを聞いた時、僕は冷や汗が止まらなくなった。そして、君は続けてこう言った。

「私、知ってるよ。全部。あなたが私のお兄ちゃんにしたことも、私のストーカーだったことも、あなたが電車で私を見てたことも。」

僕は頭が真っ白になった。

「でもね、私はあなたを恨んでなんかいないよ。」

君はそう言っていたようだったが、僕にその声は入ってこなかった。

君は近づいて僕の肩に触れた。

その時にやっと我に返った。

「な、なんで君のお兄さんを突き飛ばしたことを…」

僕がそう言うと君は笑顔で答えた。

「だって、私もあなたのストーカーだったんだもの」

僕はひどく驚いた

「え、いつから…」

「あなたがお兄ちゃんをストーカーし始めた日から」

「じゃあなぜ僕を止めなかったんだ…」

「なんだかあなたが愛おしく思えたから、あなたの思うようにさせたかったの。」

そういうから僕はただただ呆然としていた。

(そうか、僕達は似た者同士だったんだ)

そう思うとなぜか安心した。

すると君はこう言った。

「ねぇ、私がなんであなたと付き合ったのか知ってる?」

僕は首を横に振った。

「私ね、あなたに電車で汗をかいてるのを見られた時すっごく嬉しかったんだ。」

あぁ、あれは僕達が初めて会った時の話か。そう思いながら君の声に耳を傾けた。

「あれ以来、あなたに濡れてる自分を見られていると幸せになれるんだ。とくに赤い絵の具をかけられた時は最高に身体が震えた。けどあの時はそんな自分を見られるのが恥ずかしくて怒っちゃったの、ごめんね。」

君は笑顔でそう言った。

「じゃ、じゃあ僕が倒れる前の日のことは…」

そう聞くと君は首を傾げた。どうやらあの時は本当に寝ていたようだ。

「いや、なんでもない…」

そう言うと君は笑った。

あの時の笑顔はなんだったのか、僕は今でもわからないでいる。

「ねぇ、あなたにもっと私を見て欲しいの。」

そう言うと君はポケットからカッターをだし、刃を手首に滑らした。まるであの時の僕のように。

君の手から流れる血を見て僕の身体はウズウズしていた。


(もっと見たい。もっと近くでその腕を見たい!)


そうして近づこうとすると君は「待って!」と叫んだ。

だけど僕は我慢できなかった。

走って近くに駆け寄ると君は後退りをした。一歩二歩と、君は遠ざかろうとする。

何歩か歩いたところで君は足を滑らせた。

僕は引きとめようと腕掴んだ。が、血だらけの腕と僕の手汗のせいで君は池に落ちてしまった。

だから、僕はすぐに飛び込んだ。


(どこだ。どこにいるんだ。)


君を掴もうと必死に探すが、赤く染まった池の中では視界が悪く。結局僕は君を見つけ出すことはできなかった。

僕は酷く後悔した。僕が君に赤い絵の具をぶちまけなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。もし僕がさっき近づかなかったら。

僕は泣いた。夜が明けるまで泣いた。


そこから一年が経った。今日は君の命日だ。

僕はまたあの日と同じ時間に同じ電車の同じ号車、同じ椅子に座っている。

僕はこれからもこの電車に乗り続けるだろう。定年になっても、腰が曲がりっぱなしになっても、車椅子に乗っていても。

また、君が扉の閉まるギリギリに走って乗ってくるまで、僕はこの電車に揺られている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ストーキング彼氏 @Grio18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ