最終話

「さてと。着きました。ここが私の部屋です」

「へえ、リコの家より全然広い……」

「織姫さんは空いているこの部屋を使ってください。私の部屋はこの右にあります」

「ありがとう。そっちにも部屋が? 一人暮らしにしては多くない?」

「ええと……」


 確かに織姫の言う通りだった。リビングとダイニングの他に三部屋もあるのは、完全にファミリー向けの間取りである。愛理が少し気まずそうに苦笑いをしていると、玄関ドアの鍵が開き、もう一人の住人が帰宅した。艶やかな黒髪に白い肌、中性的な美人顔の青年。オムレットの大学生スタッフ、真白だった。


「ただいま。暇だったんで店長が早上がりさせてくれました」

「あ、おかえり」

「ん? あなた、さっきお店にいた子? 恋人なの?」

「あ、はい、いや、いいえ……」


 半分は事実で半分は違うせいか、真白は歯切れの悪い返事をするしか無かった。


「ごめんまだ説明してなくて。織姫さん、事情があって彼もこの部屋に住んでいるんですが、恋人ではありません」

「ふうん。まあいいわ」

「あ、店長には内緒にしておいてください。あの人変に勘ぐったりするから……」

「わかったわ」


 織姫にとっては藤崎の方が魅力的なようで、彼女の返事は、二人の関係を大して気に留めていない様子だった。


 その後、三人で食事をして、愛理は久しぶりに晩酌の相手がいることに喜びを感じた。いつもより少しいい酒を飲んでいる。織姫が以前世話になっていたリコという、おそらくギャルという人種の話や、動画の話題、店での面白かったエピソードなど、他愛もない話を数時間続けていた。気がつくと時刻は零時になろうとしていた。


 その時突然、窓の外が光輝き、カーテン越しでも防げないほどの強い光が室内に突き刺さった。すぐに光は消え、次に窓をノックする音が聞こえた。恐る恐る、真白がカーテンを開けると、そこには男性が一人立っていた。彼の背後には牛車がある。マンションの七階では通常お目にかかれない現象だ。


「お、織姫!」

「え! ケン? どうして!」

「君がいないと騒ぎになって探していたんだ! やっと見つけた……」

「ケン、牽牛〜! 会いたかったあ」


 彼が織姫の夫、牽牛であると確認した愛理が窓を開けると、織姫は最愛の夫に駆け寄り、その胸に飛び込んだ。牽牛は両腕で彼女をきつく抱きしめ、涙ぐんでいた。


 織姫と牽牛は完全に二人の世界に閉じこもって愛を語り始めてしまったため、残された愛理はダイニングに戻り晩酌を再開した。真白もジュースでそれに付き合う。三十分ほどで、ベランダから織姫と牽牛が現実世界に帰ってきて、晩酌中の二人を呼んだ。真白と愛理が窓の前に立つと、まずは牽牛が深々と頭を下げた。


「この度は妻の織姫がお世話になりました」

「いえいえ、私たちは大したことはしていませんよ」

「ううん。愛理。あなたのおかげで改めて彼への愛情に気づけた。本当にありがとう」

「それなら良かったです」

「愛理も、素敵な人に出会うことを願ってるわ。藤崎にもお礼を言っておいて」

「はい」

「それじゃあね! さようなら!」


 こうして夫婦は仲良く牛車に乗り込み、夜空の上へ昇っていった。牛車から一生懸命手を振る織姫を、愛理と真白はその姿が見えなくなるまで見送った。


◇◆◇◆


 翌日、学校へ行く真白を見送った愛理はオムレットへ出勤した。昨夜のことを何も知らない藤崎は慌ただしいランチタイムが落ち着き、店内の客が途切れた頃、やっとその話題に触れる。


「愛理! 昨日はありがとうな! まだ家にいるのか?」

「いいえ。昨日の夜中にご主人が迎えに来て、空へ帰りました」

「へ、へえ。空に……ね」


 実際にその場にいなかった藤崎には、愛理の話は信じられなかった。顔が若干引きつっている。内心、あんたが持ち込んだ厄介事だろうと思いつつ、なんとなく気分の良かった彼女は少し口を尖らせて見せるだけにとどまった。


「信じてませんね? ま、いいですけど。今日は七夕か。私、天の川見てみたいなあ」

「天の川ねえ……。お前そんなロマンチストだったっけ?」

「いいじゃないですか、今日くらいは」

「はいはい……。愛理、真白に今から来れるか聞いといて」

「え? どうしたんですか?」

「今日はもう閉店! お望み通り見に行くぞ、天の川」


 一時間後、真白が合流し、明日の準備を済ませ、店の戸締りをした三人は、車に乗り込んだ。行き先は市内の端にある温泉街だ。山に囲まれ、星が見やすいスポットとしても有名だった。辺りは真っ暗で、七月だと言うのに少し寒い。藤崎のいう通り上着を持ってきて正解だった。

 愛理が空を見上げると、そこには満点の星空が広がっていた。こんな光景、東京で暮らしていた頃には見たことなんてなかった。


「見えるかなあ? 天の川」

「あ、愛理さん、あっちのあれ、そうじゃないですか?」

「どれ? あ! 本当に川みたい! すごい!」

「うわ、本当だ……」


 真白が指差した方向へ目を向けると、星空の間に真っ暗な川のような切れ目を見つける。天の川だった。愛理は夜空を眺めながら、人騒がせな夫婦が仲良くデートして川辺で愛を語り合う姿を想像し、二人の愛が末長く続くことを願った。


「皆さんお疲れ様です。これどうぞ」

「ありがとう真白くん」

「気が効くなあ、真白」

「「カンパーイ!」」


 真白が途中、コンビニエンスストアで買った飲み物を二人に配り乾杯する。運転手の藤崎は嬉しい反面、手渡されたジュースの缶を寂しそうに見つめたが、愛理の持っている金色の缶を見て表情が変わる。


「これがビールだったら最高なんだけどな……っておい、愛理! 自分だけビールでずるいぞ!」

「だって、真白くんがくれたんですもん」

「早く免許取れよ真白」

「店長出資してくれます?」


 愛理が美味しそうにうっとりとした表情でビールを飲みながら、藤崎と真白の会話を聞いている。甘える真白に苛立った藤崎の声が静まり返った山間に響いた。


「お前は賄い以外のものをたかるな!」


終わり

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笹の葉、銀河、マンネリ夫婦〜文学喫茶オムレット2〜 松浦どれみ @doremi-m

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