第4話
「織姫さん、天の川というのはなんですか? どこにありますか?」
「え、この世界だと、空かな」
「は? どういうことですか? あなた一体何者ですか?」
天の川。空にある。それは七夕名物のアレのことか? 本当だとしたら完全にファンタジーである。次の質問をしつつ、愛理は頭が痛くなっってきた。不安視していたことが現実になっている気がする。自称織姫は正常な状態ではないかもしれない。
「私は織姫。自分の世界ではアパレルの仕事をしてて、単身赴任中の夫がいるの」
少し現代的な言葉に置き換わっているが、子供頃から馴染みのある伝説の設定に酷似している。愛理は同じようにその設定をなぞり、問いかけた。
「ちなみにそのご主人、年に一回しか会えなくて牛の世話とかしてます?」
「そうよ! あなた、ケンを知っているの?」
「ええ、まあ会ったことはないですけど有名ですから」
「そうなんだ! 私たちって有名なのね。実はこっちにきてから助けられて、昨日まで住むところを提供してくれていたリコって子も、私のこと知ってたのよね」
「その方はどうしたんですか?」
「なんか彼氏ができたからって言われて……。ちょうど明日には帰らないといけなかったし、そのまま家に帰ってみると言って出てきたの」
本当だとしたら、現代語はそのリコという子に教わったのだろうと、愛理は考えを巡らせるが、すぐに首を横に振った。妄想に付き合っていては、こちらの身が持たない。
「そうですか……。店長、警察呼びましょう。精神鑑定か薬物検査が必要です」
「え! さすがにいきなりすぎだろ愛理」
「そうよ! 確かに嘘みたいだけど本当の話よ!」
「証拠がないですしね」
「あ、ある! 証拠はあるわ! ちょっと待ってて」
織姫はそう言って急いで立ち上がり、脱衣所へ行き、先ほどまで自分が来ていた服を愛理に渡す。濡れているので触りたくなかったが、渋々受け取り確認してみた。
「え、これ……何でできているの?」
「ね? 初めて見るでしょう? この世界にはないものよ」
「はあ……でも、私が知らないだけかも」
「違うわ! 本当にこの世のものじゃないの! 信じて!」
驚くことに、その服の生地は質量の割に随分軽く、織られた糸がキラキラと輝いている。それでいて、化学繊維ではなさそうな滑らかな質感だった。織姫の語気も強まっていた。
「……信じるとして、あなたは何を望んでるんですか?」
「そうね……。約束があるから帰らなくちゃとは思ってたんだけど無理みたいだし、夫とは離婚して彼と再婚したい!」
「え! 俺?」
「イケメンだし、私を助けようとしたってことは優しさもあるでしょう?」
突拍子もない織姫の願いに、藤崎の声が裏返る。愛理は話の真偽については考えることをやめ、無表情のまま、流動的に対応することを決めた。
「なるほど。戸籍など問題はありそうですが、二人がその気なら応援しますよ」
「ありがとう!」
「いやいやいや、俺の気持ちはどうなる! 離婚の成立もしてない人妻と結婚なんてできるわけないだろ!」
「彼女が戸籍を取得できたら、そんな異界の結婚なんて無かったことになっていますよ、きっと」
「そうなの? じゃあ私たち、結婚できるの?」
「まてまて、俺は望んでいない!」
愛理が突っ込むことを放棄したため、話が自分の意図しない方向に流れていくのを感じた藤崎は、手を胸の前に出して首と合わせて小刻みに振っている。彼にとっては全力の否定のつもりだったが、女性陣には通じていないので次の手段に出る。
「と、とりあえず、真白一人に店番させるわけにいかないから、俺は店に出る。愛理、もう少し話してみてくれ、頼む!」
「ええー。丸投げじゃないですか」
「そう言わずに! 俺だと話こじれるから。頼む!」
「しょうがないなあ。後日お礼はいただきますよ」
「わかったわかった」
藤崎は一度自室に籠り、部屋着から仕事着に着替え、そそくさと部屋を出ていった。
その姿を見送り、愛理は大来ため息をついた。それから体の向きを織姫側に向け、眉を下げ、困り笑いをする。
「さて、織姫さん。まだ疑ってはいますがこのままだと話が進まないのであなたの言うことが本当だと仮定します。元の世界に帰りたくないんですか? 確かお子さんいますよね? 置いてきたままでいいんですか?」
「……確かに子供はいるけど、もうとっくに大人よ。それに戻ろうとしても戻れないんだからしょうがないじゃない。どうせ会っても川辺でデートして解散だから正直マンネリだし」
「じゃあ、いつもと違うデートでマンネリ脱却できればいいですか? それとも牛の世話しか脳がない男はもう離婚したいですか?」
織姫の真意に気づき、わざと彼女の夫を悪く言ってみた。俯いていた織姫が顔を上げ、恐る恐る抗議するような目で愛理を見ている。
「そんな、牛の世話しか脳がないなんてことないわ。ケンは優しくてカッコよくて素敵よ。ただ、この世界が眩しくて……どこを歩いても恋人たちが楽しそうに歩いてる。毎日いろんな娯楽があって、刺激的で、私もこんなところでデートしたいって思ったの。年に一回しか会えないのにつまらないデートをして離れて、また一年間毎日仕事ばかり。自分が惨めになったの」
「そうですか……。織姫さん、残念ながら私たちは元の世界に帰る方法は知りません。けれど、帰る方法が見つかるまで住むところくらいは提供しますよ。その間に、川辺でもマンネリ脱却できる方法を考えながら過ごしませんか?」
「いいの……?」
「ええ、うちに空き部屋があります。さすがにこの部屋で店長と人妻を二人で住まわせるのはまずいと思うので。良かったらうちに来てください。きっと、店長ならそうすると思います。困ってる人は放っておけない、優しい人ですから」
「ありがとう」
愛理が優しい笑みを織姫に向けると、彼女は目を細めてにっこりと笑い返した。
二人は藤崎の部屋を出て、一階のオムレットに顔を出す。
「店長! 織姫さん、しばらく私のうちに住むことになりました」
「そうか。ありがとな」
「いいえ。それじゃあ真白くん、私このまま上がらせて貰っていいかな?」
「はい、大丈夫です。お疲れ様でした」
藤崎と真白に挨拶をした後、愛理は織姫を連れて帰宅する。玄関や廊下の電気をつけ、自室の隣の空き部屋を案内した。
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