第3話
「で、この人は一体誰で、どういう状況ですか? 生きてますか?」
「ええと……名前は、織姫だって。生きてるし怪我とかもない。おぶって歩いてるうちに寝た」
店舗二階の居住スペースに着いて、藤崎は女性をバスタオルで包んでからフローリングに寝かせた。愛理は給湯器のスイッチを入れ風呂を沸かし、この状況について確認した。自分でもよくわかっていない彼は、愛理の質問に辿々しく答え、川で起きたことを説明した。
「じゃあ、この人は自分を織姫と名乗って、別な世界から来たと言っているんですね? しかも川で入水自殺しようとしていたと」
「いや、自殺ではないらしい……」
「これは本人に聞くしかないですね」
昼間から酔っ払いか何かだろうかと、愛理は織姫と名乗ったという女性に視線を移し、覚醒剤や違法ドラッグの使用者ではないことを祈った。
『お風呂が沸きました』
通知音が鳴り、給湯器の電子的な音声メッセージが風呂が沸いたことを知らせている。織姫は起きる気配がないため、愛理は先に藤崎に風呂に入るよう促した。
「店長、とりあえずお風呂入ってください。私が彼女の様子を見ているので」
「悪い、早く済ますから」
そう言って藤崎がバスタオルや着替えを素早く準備し、脱衣所へ入っていった。直後に、給湯器が運転を開始する音と、浴室のドアをスライドする音が聞こえた。その後、十分程度で給湯器の運転音が止まり、再び浴室のドアをスライドする音が聞こえた。このタイミングで、織姫が両手を伸ばしながら目を開く。
「ここは……?」
「目が覚めましたか」
「あ、そうだ、私帰らないといけないのに……。私を連れてきた男の人は?」
「今はお風呂です。すぐ戻りますから待っててくださいね。あ、お名前、織姫さんと聞いているんですが、合っていますか?」
「ええ、そうよ。あなたは?」
「私は、愛理といいます。織姫さんを連れてきた人の部下です。ここは彼の家です」
織姫は室内を見渡しながら、状況を把握し少し警戒を解く。その直後、脱衣所のドアが開き、藤崎が出てくる。着替えを持っていったはずなのに、彼はなぜか下着しか身につけず、バスタオル越しに手を大きく前後に動かし、豪快に髪の毛を拭いていた。
「きゃあああ!」
「えええええ!」
「店長! 服を着てください!」
織姫と藤崎は互いに叫びながら目を背けた。愛理に注意され、彼は慌てて脱衣所に消える。戻った時にはTシャツに部屋着と思われるハーフパンツを履いていた。
「悪かった。すっかり一人のときの調子で出てきちゃって……」
「この短時間で私たちの存在忘れないでくださいよ。じゃあ次は織姫さん、お風呂どうぞ」
「あ、ありがとう」
愛理は織姫を脱衣所へ案内する。改めて見ると、浴衣の似た服を着ていて、七夕とはいえどこか浮世離れしていた。今考えてもきっと答えは出ないので、考えるのはやめた。
「あ、シャワーの使い方わかりますか?」
「えーと、うん。使ったことあるやつだからわかるわ」
「そうですか、バスタオルと着替え、置いておきますね。下着類は今買ってきますから、ゆっくり入っていてください」
「ありがとう」
一通り説明し、愛理は脱衣所を出てドアを閉める。それから、数歩進んで藤崎のいるリビングに戻った。
「店長、私コンビニ行って下着とか用意してきます。留守番頼みます。お風呂覗いちゃだめですよ」
「バカ! そんなことしねえよ!」
愛理は五分ほど歩いた場所にあるコンビニエンスストアまで行き、下着類と化粧水などの基礎化粧品のトラベルパックを購入し、足早に戻った。階段を登る前にオムレットを覗くと、店番を任された真白がコーヒーを淹れていた。カウンターには常連客の坂本が座っている。愛理がドアを開け、店内に向かって声を掛ける。
「真白くん、お疲れ。坂本さん、いらっしゃいませ」
「あ、愛理さん! どうですか?」
「愛理ちゃん、ヒナちゃんがまた何か拾ったって?」
「そうなんですよ坂本さん、しかも訳ありっぽくて。真白くん、もし混んで大変ならオーダーストップしてもいいからね」
「はい。まあなんとかやってみますよ。今日、そんなに忙しくなさそうだし」
「ありがとう。じゃあまた私、二階にいるから。坂本さん、ごゆっくり」
「いってらっしゃい。愛理ちゃん」
軽く会釈をして、愛理は店を出て階段を昇り、藤崎の部屋へ戻った。
「お待たせしました……。え、何してるんですか?」
「愛理! 助けてくれ! 襲われる!」
「何よ! 最初に川で私のことナンパしたのはそっちでしょう?」
「あれは違う! 助けたんだ!」
リビングでは、体にバスタオルを巻いただけの織姫が藤崎の上に跨り、襲い掛かろうとしているような戯れているような様子だった。彼女の黒い髪の毛は濡れたままで水が滴っている。愛理は無表情で織姫の前に買い物袋を差し出した。
「どうでもいいけど、まずは離れましょう。織姫さん、髪乾かさないと。下着も買いました」
「はあい……」
愛理から何らかの圧力を感じた織姫は大人しく藤崎から離れ、買い物袋を持って脱衣所に戻った。その後、ドライヤーの音が聞こえ、十分ほどでその音は止んだ。
「はあ、さっぱりした!」
「二人とも落ち着きましたね。じゃあまずは織姫さん、いくら夏とはいえ、なぜ川に入って沈もうとしていたんですか?」
リビングに戻った織姫を座るよう促し、無表情のまま愛理の取り調べがはじまる。織姫と藤崎はその威圧感にそれぞれ肩を丸め、若干萎縮していた。
「私、天の川に落ちて、気がついたらあの川にいたの。一ヶ月くらい前のことよ。いい加減戻らないとまずいと思って、あの川に沈めば戻れるかな? って、あの川で潜っていたの」
「なるほど。それで店長は自殺だと思って助けに入ったと」
「そうです」
「それで?」
表情を変えないまま愛理が続きを促すと、織姫はつい先程、藤崎に襲い掛かろうとしていたとは思えないくらいに、まるで借りてきた猫のような態度で説明を続けた。
「私は事情を説明したけど、彼には通じなくて、とりあえず詳しく話すために喫茶店に行こうと言われて……。靴がなかったから彼が私を背負った」
「で、ここまで店長が歩いて店に辿り着き、現在に至るわけですね」
「おう」
全く理解できない現象が出てきた。愛理はもう一度考えたが、どうしても理解できなかったので尋問を続けた。
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