第2話

「店長、遅いなあ。どっかで寄り道でもしてるかな」


 カウンターの掃除も食器洗いもペーパーナプキンなどの備品の補充も済ませ、アイドルタイムを満喫していた愛理が店内の時計を眺めながら呟いた。時刻は十五時半を過ぎようとしていた。いつもより遅いが、近所で顔見知りと会って話し込むこともある藤崎は十六時までに戻れば許容範囲内だ。


「いらっしゃいませ」

「お疲れ様です。愛理さん」


 古い木製のまるで板チョコレートのようなドアが開き、上部に取り付けた錆茶色のベルが鳴る。そこには顔見知りの青年が立っていた。アルバイトの大学生、真白だ。火曜、土曜、日曜が出勤日だが、休日にも賄いを食べにくる彼は神出鬼没で、そのプライベートタイムを共有しようと、平日の夕方以降も女性客が若干増えつつある。夕食には早い時間だが、彼は店内に入るとカウンター席に座った。


「どうしたの? 夜ご飯には早くない?」

「はい。今日、結構学校で疲れちゃって。甘いものでも食べて元気出したいなと」

「なるほど。ガトーショコラかいちごオムレットがあるけどどうする?」

「じゃあ、ガトーショコラに生クリームトッピングがいいです」

「了解。飲み物はコーヒーでいいかな?」

「はい。お願いします」


 数分後、愛理はカウンターに生クリームをトッピングしたガトーショコラの皿と、コーヒーを注いだマグカップを置いた。真白が僅かに口角を上げ、手を合わせてからフォークを手に取る。


「いただきます」

「はーい」


 真白が時折目を細めながら、ガトーショコラにクリームを乗せ口へ運んでいる。普段は感情が表情に出ない彼も、大好きな甘いものの前では僅かに表情が出る。さらに、愛理の前では喜怒哀楽が控えめながらも豊かに表現されていた。愛理は拾ってきた猫が懐いたようで微笑ましく思っていた。


「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「良かった。あ、お皿もらうね」


 愛理は綺麗に完食した皿をカウンター越しに受け取り、洗い始める。真白はコーヒーを飲みながらその様子を眺め、心が安らぐのを感じる。彼の実家ではこんな光景は見たことがなかったし、今後も見る予定はきっとない。


 ——ゴン! ゴン! ゴン!


 店のドアが鈍い音を立てて、その音に合わせて若干ドアが揺れている。同時に唸り声のようなものも聞こえるが、店で流しているクラシックにかき消えてあまり聞こえない。真白にコーヒーのおかわりを注ぎ談笑していた愛理は、その異様さに驚き、目を見開いてドアに注目した。営業中でもちろん鍵は空いているので入りたければ入れるはずなのに、いつまでもドアは開かなかった。真白も振り返り、警戒を強めている。


「ちょっと、見てみるね」

「いや、愛理さん危ないですよ。俺が行きます」

「大丈夫、まずは窓から確認するから」

「でも……」

「じゃあ、一緒に行って両サイドから確認しよう」

「はい」


 二人はゆっくりとドアに近づき、左右の窓越しに外を確認する。


「おーい! 愛理! 開けてくれ!」

「て、店長?」


 声の主は店長の藤崎だった。何かを背負っているようで両手が塞がり、ドアが開けられなかったようだ。愛理と真白が慌ててドアを開ける。


「やっと開いた! 愛理、真白もいたのか。助けてくれ!」

「店長、どうしたんですか、ずぶ濡れで……。あ! ちょっと店には入らないでください。しかも誰ですか? その背負っている女性は」

「いろいろあってよお。放っておくわけにいかないから連れてきたんだ」

「とりあえず二人とも着替えないと夏風邪ひいちゃいますよ。二階に行きましょう。真白くん、悪いけど戻るまで店番お願いしてもいい?」

「え、あ、はい。」

「よろしくね。店長、行きますよ!」


 愛理は女性を背負った藤崎と共に、外の階段から、彼の居住スペースである店舗の二階へ向かった。残された真白は小さく息を吐くと、店内に入っていき、レジの奥にあるハンガーラックから自分のエプロンを取り、身につけた。

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